還暦スイマー望郷日記

30余年のニューヨーク、今浦島の心境を…

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日本では、「夏祭り」のシーズン。
全国の神社で、夜店が並び余興が出、盆踊りが賑わす。
江戸時代、「祭」は庶民のものであった。
武士は祭見物に行く場合、頭巾で面体を隠したとも言う。
平社員の忘年会に、紛れ込んだ重役のような気持ちだったか。
農民、商人は、天下御免で飲み騒ぐことが出来た。

私も子供の頃、近所の神社の祭に出かけた憶えがある。
記憶はそれほど定かではないが、薄暗い境内に幾つかの夜店があった。
「金魚すくい」「吹き矢」「はっか飴」「綿菓子」「おでん」「ヨーヨー」
思い出せるのは、そんなところだ。
家族が一緒だった憶えは、ほとんどない。
友だちか、一人か。
母が祭を好んでいなかったことも、あるかも知れない。
祭は近づくと、商店の店主が寄付を集めに来る。
100円とか500円とか色々あったが、我が家はいつも100円だったように思う。
神社の境内には、寄付の大きな人の名前と金額が貼り出されている。
最上段にいたのは、近在の地主やオフィスをもつ企業。
同じクラスの女の子の家も、高い所にある。
地味な子だったが、代々の地主の家だったことを知った。

私は大抵、僅かな金を握り締めて、あちらこちら見て歩いた。
その金をどうやって手にいれたか、最早記憶にない。
こんにゃくを食い、金魚をすくい、綿菓子を買えばなくなってしまう。
夜店が焚くカーバイドの強烈な匂いの中、ぐるぐると歩き廻っていたように思う。
余興は櫓の上で、歌や漫才、踊りなどに人だかりがしていた。
「紙切り」が登場して、
「何かお好みのものを、切りましょう」
すかさず私は、「川上」と叫んだ。
巨人軍の川上哲治は、人気ナンバーワンの野球選手。
そういう客の注文は多いとみえ、「紙切り」は頷いてさっさと切り始める。
名もない芸人だったと思うが、それでもバットを構えた「背番号16」を完成させてくれた。
切った川上を大事に持って帰った憶えはあるが、その後は分からない。

神社の社務所にはこも被りが並べられ、町内の商店主たちが酒を酌み交わしている。
気づくと、同じクラスの少年がその中に混じって菓子などを食っていた。
いつもは大人しい奴が、興奮して喋り捲っている。
彼の家が商店だったことさえ知らなかったが、何となく羨ましい思いがした。
未練がましく神社を後にし、母の小言の待つ家に帰ったことは明瞭に憶えている。

祭には「盆踊り」が付き物だ。
境内の中央に高い櫓を組み上げ、最上部からレコードの音楽をスピーカーで流す。
曲は何種類かあるが、あまりポピュラーでない曲になると踊りの輪が小さくなる。
自信のない踊り手は、見物に廻ってしまうからだ。
マイクを持った司会役は、
「難しいことはありません、どんどん入って踊って下さい」
叫び立てるが、一度縮んだ輪はなかなか元に戻らない。
すると、私にも聞き覚えのある曲が流れ始めた。
「炭坑節」
この曲がかかると、途端に踊りの輪は大きくなる。
三橋美智也だったか、鈴木正夫だったか。
擦り切れたようなレコードだったが、集客力は抜群。

高校時代、親父の付き添いで長野県の温泉地に行ったことがある。
親父の療養にかかりきりの母を、たまに東京に帰らすため。
とは言え、私は17歳の遊び盛り。
病人だらけの療養所は、本当に退屈だった。
ある日、裏山で突然レコードが鳴り始めた。
この村の「夏祭り」が、始まったようだ。
退屈を持て余していた私は、夕暮れ時に覗きに行く。
数軒の夜店と、小さな櫓。
かつて行った神社とは比較にならないが、それでも一応の格好はついている。
流れている曲は、長野県のこの地方のものらしい。
見物客は、そこそこ集まっている。
とは言え半分以上は、療養所関係のよそ者。
知らない曲に、足がすくんでしまっている。
4,5人の踊り手に数10人の見物人。

「xxx来るときゃ 杖ついて来たが
   今日は薬師の 広場で踊る…」
療養所の村らしい歌詞(西条八十)だが、如何せん知られていない。
誰も動けないのも、無理はない。
と、突然曲が変わった。
「月が出た出た 月が出た
   うちのお山の 上に出た…」
すると、周囲にいた人たちが、ぞろぞろと中央に進み出て来る。
あれよあれよと言う間に、踊りの輪は大きく膨れ上がった。
暫くして私は引き上げたが、その後幾度も流れる「炭坑節」を聞くことになる。

私は、「炭坑節」と全くの無縁ではない。
生まれたのは、福岡の東部の炭鉱町。
まさか「子守唄」に聴いた、とは思わないが、身近にあったことは確かだ。
発祥の地とされる田川市も、そう遠くはない。
親父が会社の連中と飲んだ時など、私の耳元で歌ったかも知れない。
その傍らで、母が嫌な顔をしていたことだろう。

「炭坑節」は、日本各地で歌い継がれて来たから、歌詞もいろいろ変化しているようだ。
元歌は、あまり上品ではないとも聞く。
それが座敷歌に変化し、艶めいた歌詞も生まれる。
私も幾つか知っているが、もう数十年歌ったこともない。
多分これからも、歌うことはないだろう。
それでもたまにテレビなどで、この歌の一節を聴くこともある。
すると走馬灯のように、神社の境内、川上選手の切り絵、温泉療養所が浮かんで来る。
アメリカ南部の黒人には、「黒人霊歌」が魂の根底にあると言う。
とすると、「炭坑節」は私の「霊歌」なのかも知れない。
あまり有難くはないが、「霊歌」とはもともとそういう性質のものだろう。
黙って甘受する他はない、それが結論。

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