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8月は、日本では「祭」のシーズン。
国内至る所で、「お祭り」が催されている。
由緒ある大きな「祭」もあるが、ひっそりと土地の人だけが集まる「祭」も結構多い。
近年は、「町おこし」「村おこし」の手段として派手に宣伝している「祭」もあると聞く。
国を挙げての「観光立国」志向だから、眉を顰める人もいるだろうが意に介さない。
少しでも旅行客を呼んで、少しでも金を遣わせよう、という根性。
勿論、訪れた客たちが充分満足して帰るのであれば、それなりに目的は果たしている。
不満のある人だって、我慢するだろう。
だが最近は、そういう「祭」見物の観光客は、減少の傾向にあると言う。
色々な理由があるだろう。
期待ほどのことは無かった、という人もいるに違いない。
受け入れ側の準備が充分でなかった、ことも考えられる。
ここぞと値上げした、ホテルや旅館に対する反感もあるのではないか。
サッポロの一大イベントに成長した、「よさこいソーラン祭」。
ここ数年集客力も落ち、地元の評判も芳しくないと聞く。
一人の北海道大学生が高知で「よさこい祭」を見て、思いついたという「祭」。
派手な演出と日本全国からの出演者が人気を呼んだが、何処からか歯車が狂ったようだ。
拵えた長谷川という学生は、今では参議院議員。
地元のためと言うより、彼のための「祭」だったのかも知れない。
「仕掛け」られた人気を持続させるのは、至難の技。
前途は険しそうだ。
アメリカのボストンの南に、「プロビデンス」という町がある。
ロードアイランド州の州都だから、むしろ都市と呼ぶべきか。
とは言え、人口は18万弱。
日本なら中小都市というところ。
このプロビデンスが毎夏催している、「Water Fire (水上の火)」というページェント。
この町にある「Waterplace park(水上公園)」を中心に、3本の川の流れがある。
その川の真ん中に20mおき位に大きな篝火を燃やし、闇と光の空間を造り出す。
主催者のボートが一定の時間をおいて、薪を切らさぬよう周回する。
何処からともなく音楽が、うるさくない程度に流れて来て耳に快い。
3本の川は全て掘割のようにしつらえてあるから、人は上から火を見ることになる。
暮れきった川面に、赤々と燃える篝火は、幻想的ですらある。
何処となく、「薪能」を思わせる雰囲気。
人々は思い思いに広い川沿いに歩いたり、狭いほうの川の火を見詰めたり、あくまで気の向くまま。
この催しは5月から9月までの主に週末に行われ、合計では100万近い見物客が来ると言う。
日が沈んでから3,4時間の「篝火の祭典」だが、商業主義は何処にも無い。
売店もなければ、土産物もない。
当然、酔っ払いもいない。
ひたすら、暗い水面に燃える「篝火」を眺めるだけ。
勿論、レストランやバーは開いているから、一杯やる分に不自由はない。
だがほとんどの人は、小一時間の「光のショー」を楽しんで家路に着く。
最近は観光客も増えたと言うが、それでも精々ひと晩に10万人程度。
それでホテルが部屋代を上げる、ということはないらしい。
この「Water Fire」は、「祭」ではなく「Performance Work(芸術公演)」と考えているようだ。
資金は市が若干援助しているが、ほとんどは個人や企業の寄付。
そしてボートで薪を運んだり、交通整理をするのは、全てボランティアの若者たち。
「夏の一夜を、市民に楽しんで貰いたい」
それが、1994年に始まった時の動機だとか。
「篝火」の数も、42本から徐々に増やして今は100本近い。
宣伝もしないし、パンフレットやポスターもなかった。
だが口伝えで見物客は増え、結構な名物に成長した。
今ではテキサス州ヒューストン、オハイオ州コロンバス、ミズーリ州のカンサスシティにノウハウが伝えられ、実施されていると言う。
これからも、あちこちに増えて行くのだろう。
だが「Water Fire」は、日本の「祭」とは少々趣が異なる。
「豊年満作」を感謝して農の神に捧げる「神楽」は、それはそれで意味あることだろう。
だが、「町おこし」「村おこし」に安直に結びつける考えは、いささか短絡的にすぎるのではないか。
商業主義と結びつくオリンピック方式も、ほころびが見え始めている。
「原点に立ち帰る」とすれば、「Water Fire」のように利益を無視したところから始めるべきだろう。
先ず、地元の人たちが喜び祝える「祭」を作り、それが定着して初めて他県からの見物客を求める。
地元民が楽しむ「祭」なら、放っておいても客は訪れて来る。
宣伝のたけを尽くしても、地元がそっぽを向けば廃れるしかない。
小さな神社のうら寂しい夜店なんか、悪くないと思うんだがね。
まあそれは、30数年日本の「祭」を見ていない浦島太郎のひとり言だけど。
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