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魚は、ひと口に言えば「旨い」食べ物である。
だが、このところ「肉」の人気に押され、また料理の面倒さもあってマイナーな存在になりつつある。
確かに、肉は料理が簡単で、味付けも容易だ。
買って来たままフライパンに放り込み、塩コショウをするだけで、一応の副菜になる。
価格の面でも、挽肉などは主婦の強い味方と言われているらしい。
炒めた玉葱と玉子、パン粉を練りこめば、ハンバーグというスターに変身する。
本来は牛の挽肉だが、豚を混ぜた合い挽きでも充分だそうだ。
多めに作り置いておけば、数回に分けて晩飯のおかずになる。
主婦がその方面に走り勝ちなのは、止むを得ないところだろう。
魚は、刺身が一番簡単だ。
魚屋やスーパーで買って来た「刺身パック」を卓上に出し、粉山葵と醤油でおかずになる。
あの面倒な骨という奴を、見なくても済む。
マグロ、イカ、鯵のたたき、しめ鯖、ほとんど出来合いで調達可能。
刺身は少々高いという向きには、鮭の切り身がある。
塩で焼いても良いし、オイル焼きしてソースをかけても簡単至極。
世界中で養殖しているから、価格も安定している。
アトランティックサーモンとか銀鮭、キングサーモンとか、いろいろあるが分かる人は少ない。
焼き魚とか煮魚は、今の住宅事情を考えれば、出来れば敬遠したいところ。
小骨があれば、子供に嫌われる。
面倒臭い上に子供に好まれないのなら、無理に食べることはない。
夫は焼き魚が好きだが、それは会社近くの定食屋で満足してもらえば良い。
そんなところが、大多数なのだろう。
戦後、女性は二つのものを放棄した、と言われた。
魚をおろす庖丁と、自分の母乳で子育てをすること。
ゼロではないが、現在ではどちらも極端な少数派であることは確かだろう。
鯵や鯖くらいならこなせる女性は今でもいるだろうが、カツオや鯛などになればお手上げ。
第一、 そんな広い俎板が置ける台所が無いだろう。
さらに、生魚を捌けば多量の生ゴミが生産される。
しかし、それを捨てられるのは週に2日程度。
それでもやる人がいたら、女傑という呼称がぴったりではないか。
魚料理は、多岐に亘っている。
刺身はその一部に過ぎないし、焼く、煮る、蒸す、揚げる、椀物など、文化遺産になった「ワショク」はその総称。
世界が認めた「和食」の中で、家庭で調理出来るのがほんの1、2種類では、些か情けない。
まして、昔は何処の家でも食べていた「干物」となると、ほとんどお目にかかれないのではないか。
これもまた、焼けば煙が立つ、近代建築の敵のような存在。
「無煙ロースター」で焼いている家庭もあるようだが、一切食べない家の方が多いだろう。
食べない理由は、他にもあるように聞く。
あまり美味しくない、と思っている人が増えているそうだ。
たまに海岸地方に行って、宿の朝食で鯵の干物を食べる。
こんなに美味しかったなんてと驚いて、帰宅して近所のスーパーで買って焼いてみた。
海辺で食べたものとは、同じ魚とは思えないくらい不味い。
あれは海の潮風で美味しく感じたのね、と諦めてしまう。
たまにデパートへ行って、干物売り場に行くと、旨そうな干物が並んでいる。
価格は、と見ると、スーパーの3倍4倍くらい高い。
4人家族で食べれば、2,3千円がとこは飛んで行く。
旨い干物が家庭から遠ざかるのも、無理からぬことと言うしかない。
干物は、鮮度が命である。
いや刺身だって鮮度が命だし、焼き魚も鮮度が命だ。
しかし、現在スーパーなどで売られている干物は、新鮮とは程遠い。
ヨーロッパで捕られた鯵は、冷凍コンテナで日本にやって来る。
各地の干物業者に届けられ、解凍して身を開いて電気乾燥機で乾かされるのが普通。
出来上がったら、再度冷凍して出荷を待つ。
干物と呼んではいるが、生涯に一度も天日を拝まないまま。
海岸の民宿が出す干物は、前日に自ら開いて天日に干したもの。
前の晩に食べた「鯵の叩き」と一緒に揚がったもの。
まあ正直に言えば、民宿でも干物を仕入れているところも増えているそうだ。
ヨーロッパ産の鯵や鯖を、食わされる可能性もある、と言わざるを得ない。
此処ニューヨークなら、さらに日本から船に乗って運ばれて来る時間も加算される。
旨いか不味いか、言うまでもないだろう。
それが私が自分で干物を作る、一番大きな理由。
材料は、ごく限られている。
私が良く作るのは、「Butterfish バターフィッシュ」という近場の小魚。
日本の「えぼ鯛」という魚と、見た目はそっくり。
実際に日本にも「しず」と呼んで、輸出されているらしい。
サイズは手のひら程度が主流だが、稀に大型もある。
鮮度が良ければ、酢で〆て寿司ダネにしても旨い。
勿論干物だって、鮮度が大事だから、慎重に選ぶ。
鰓が真っ赤で目が黒く、身に弾力があるのが最上。
腹から開いて、内臓や鰓を掻き取る。
ここで念入りに血合いなどを除去しないと、出来上がりが少々生臭くなる惧れがあるのだ。
バットに15%の塩水を拵え、掃除が終わった開き身を漬ける。
塩は精製塩でも構わないと思うが、そこは気は心、海水塩を気前良く放り込んだ。
塩水が濃い目だから、精々15分くらいが良いところ。
15分ほど経ったところで魚を引き上げ、ペーパータオルで水気を拭き取る。
日本から持って来た、「洗濯物干し」用のナイロン製の籠に、魚を開いて並べた。
この製作工程で、一番困るのがハエという奴。
あっと言う間に、匂いを嗅ぎ付けて出現する困り者。
だが、このナイロン干し籠に入れれば、完全にシャットアウト出来る。
4枚のバターフィッシュを並べて、テラスに張った紐にぶら下げた。
あまり風は無いが、爽やかな空気はまさに「干物日和」。
後は、太陽と風と空気が、旨い干物を勝手に拵えてくれるだろう。
今回は春先ということもあって、昼から翌朝までぶら下げておいた。
どういうわけか、未だハエも出て来ていないようだ。
籠から出して手に取ってみると、表面は乾き内部はしっとり、と理想的に仕上がっている。
オーブントースターを熱して、一枚の腹を上にして入れた。
タイマーを5分でセットする。
待つ間に、大根おろしを摩り下ろす。
「焼き物にはおろし」は一つの鉄則。
5分後に、背側を上に返して、さらに4分ほどセット。
レモンを櫛型に切って、焼き物皿の端に載せておく。
タイマーが鳴り、魚の状態を確かめてみる。
焦げ目も付いて、からりと焼きあがっているようだ。
皿に載せ、大根おろしを脇に添える。
レモンを魚に絞り、醤油を少々。
背側から箸を入れ、毟りとった身を大根おろしと合わせて口に運ぶ。
これこれ、これが「干物」の味なんだ。
こんがり焼けた頭を口に入れ、ゆっくり噛み砕く。
魚の隠された部分が、渾然一体として味を押し拡げて来た。
そこに大根おろしとレモンが、絶妙に絡んでいる。
やはり魚はこれでなくっちゃ。
あとは黙々と、喰うだけ。
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