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少し前のことになるが、「電王戦」という将棋のトーナメントが催された。
これはコンピューターを駆使して、現役のプロ棋士と将棋の優劣を競わせる試み。
10年ほど前から対戦は始まったようだが、当初はプロが圧倒的に強かった。
コンピューターにプログラミングするのは素人だから、考えてみれば勝てないのは当たり前。
だが、コンピューターの性能が進歩するにつれ、将棋でも強くなって来たようだ。
要するに、コンピューターに色々な将棋の戦法を記憶させる技術が向上したわけだ。
数年前に、米長邦雄という、既に引退はしているが現役時代はトップクラスだった棋士を、「ボンクラーズ」と命名されたソフトが打ち破った。
その時から、コンピューターが棋士を上回るのは時間の問題、とも言われて来たし、事実この2,3年は人間側がずっと歩が悪いようだ。
確かに将棋というのは、かつて出現した対戦でのお互いの対応を、記憶から呼び戻す作業が中心になる。
棋士は自分独自の新手を開発することに全精力を傾けるわけだが、ほとんどの指し手は何処かで見たことがありそうなものばかり。
人間の棋士は、その局面を記憶から探し出して来るのだが、コンピューターが見つけ出すスピードは、当たり前だが圧倒的に速い。
そういう意味で言えば、実際のところ勝負づけは終わった、とさえ言われている。
将棋というゲームは、本来は人間対人間で戦うものである。
棋士たちのお互いの相手に対する感情や記憶が、盤面に影響することは避け難い。
それを上手く使うのを、「盤外作戦」と呼ぶ。
木村14世名人は、相手に煙草の煙を吹きかけた、という。
駒の置き方にけちをつける上級者もいたと聞く。
盤を挟んで、悪口を応酬した名人戦もあったらしい。
誰が見ても既に負けている将棋を、投げることをせず未練たらしく差し続けることもあるそうだ。
それも全て、人間なればこそ。
相手がコンピューターでは、そういう作戦は通用しない。
だから棋士の中には、コンピューター将棋を認めない人もいるらしい。
そうは言っても、プロの将棋はファンあってのものだ。
将棋ファンが、人間と機械の戦いを見たいのであれば、受けて立つ他はない。
人対コンピューターの棋戦は、こうして始まったわけだ。
私は、将棋について、多少の知識はある。
決して強くはないが、ルールくらいは理解しているクラス。
その私から見れば、167人のプロ棋士は全て天才というしかない。
いや、プロを目指す下部組織「奨励会」の少年たちだって、天才揃いだ。
日本の津々浦々から「おらが村の天才少年」と謳われた神童が、そこにやって来る。
その誰もが、「将来の名人」を目標にしているだろう。
だが、現実は実社会よりも厳しい。
「おらが村の神童」たちは、たちまち現実と直面することになる。
先ず先輩と対戦し、クラス分けで6級からスタートするようだ。
そして仲間内で順位がつけられ、徐々に昇級して行く仕組みになっている。
最大の関門は「四段」の壁で、ここを通過すれば正式なプロ棋士になるわけだ。
だが、その最後の関門は年2回の三段リーグ戦上位者2名のみ、という過酷なもの。
つまり1年に4名しか新棋士は生まれない。
また26歳の誕生日までに四段に昇れなければ、即退会ということになる。
以前は31歳だったが、人生の再スタートは早いほうが良い、ということで5年縮めたそうだ。
それでも、退会した若者が進める道は広くはない。
将棋会所で指導したり、将棋好きな経営者の会社に入れて貰ったり。
数十手を読める頭脳の持ち主だが、実社会に応用する才があるかどうかはまた別の話。
故山口瞳は、将棋にも造詣が深かった。
その彼は、「将棋の世界は、這い上がって来る者を突き落とすところ」と書いている。
なるべく昇段のチャンスを狭くして、自分を脅かすものを潰そうとする社会。
それにも負けず勝ち進むものだけが、トッププロになる資格があるということ。
四段になると、プロ棋士として給料も貰えるようになるが、昇段は実力次第。
C級2組、C級1組、B級2組、B級1組、そして名人戦リーグのA級という階段。
それぞれのクラスに上がれば、四段、五段そしてA級で八段になるという仕組み。
棋士が目指すのは、先ずはこのA級八段ということになるが、定員は10名。
プロになったが、A級には上がれずじまいという棋士がほとんど。
そういう点は、相撲と似ていないこともない。
まさに実力だけが物を言う世界。
親子2代でプロ棋士、というケースも無いわけではないが、ほとんど稀有な例。
親や兄弟が同じ職業であっても恩恵がゼロに近い、という世界は他に類を見ない。
傍目からはすっきりしているが、本人は複雑だろう。
今年の「電王戦」は、最終的にプロ側が3勝2敗で勝利を納めたのだが、最後の阿久津主税八段との対戦が、予想外のコンピューターの21手投了となって話題になった。
そのプロの勝ち方が機械の盲点を衝いたものとして、論議の的にされた。
そもそもコンピューターは、プロ側の指し手を膨大な資料として記憶し、その多岐に亘る対応も機械に読み込まれている、ということが強みでもある。
逆に言えば、プロの対応で「あり得ない」ものは記憶の中に存在せず、その手が指されれば対処のし様がないことになってしまう。
阿久津8段は、当然そのことは事前に分かっていたようだ。
この機械を開発した「チームドワンゴ」は、そのソフトを対局前にプロ側に貸し出したという。
それだけ自信があったとも言えるが、それが負けに繋がったとも言える。
阿久津8段は、コンピューターの弱点に気づいたが、当初からそう指そうと考えていたのかどうか。
だが、これが勝負事である以上、負けるわけには行かない。
そこで、彼はコンピューターの記憶回路には無い手を指し、コンピューターはあっさり破れた。
コンピューター側は、「あの手を指されたら勝てないことは最初から分かっていた」、「ああ指されたら投了しようと決めていた」と終局後に語っている。
口ぶりでは、プロ側を「大人気ない」と責めているようにも聞こえるが、それはどうだろうか。
2勝2敗で迎えた最終戦。
プロの意地は阿久津八段の肩にかかっている。
そして彼は、絶対に勝てる手を選んだ、ということだ。
将棋としてはつまらない1局だったが、それはこういう対決の宿命ではなかろうか。
私は以前、コンピューターで将棋を指したことがある。
相手は」初心者」から「プロ級」までが選ぶことが出来、私は敢然と「プロ級」に挑んだ。
いや、全く歯が立たない。
定石通りに指すと、相手は先ず間違いを犯さない。
20連敗もしただろうか。
つまらなくなって、意表を衝く手を指してみた。
誰でもこう指すだろう、という手を無視して、普通ならあり得ない1手。
すると、コンピューターは長考に入った。
相手が1手を指し、私は再び頓珍漢な手を指した。
敵は再び長考に入る。
それが数手続き、結果として私が勝つことになった。
やり方が分かってからの私は、連戦連勝とは行かないまでも、ほとんど5分の星。
だが興味は失われてしまい、私はコンピューター将棋を止めた。
言うまでも無く、私と阿久津八段を較べる気は毛頭ない。
月とスッポン、提灯に釣鐘、それくらいは先刻承知。
だが、あの索漠とした気持ちは、ほんのちょっと似てはいないだろうか。
所詮相手は機械に過ぎないと思い至ると、真剣に向かって行った自分が愚かだった、と気づく。
そして、こういうゲームは人間同士で向かい合ってこそ興趣も湧く、ということを理解出来る。
古来、どんなゲームでも人間のために創造された。
勝って喜び負けて口惜しがる機械は、何処にもない。
人間の感情の機微がゲームを盛り上げて来たことは、歴史が証明している。
コンピューターとの対戦などは、ほんのお遊びなのではないか。
「チェス」では、コンピューターが世界チャンピオンを負かしたという。
だからと言って、「チェス」の人気が衰えた、とは聞かない。
「機械は機械、人は人」、ヨーロッパではちゃんとそういう大人の判断をしているのだろう。
さて、日本ではどういう判断が下されるだろうか。
12歳の精神年齢だ、と言った人がいたが…。
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