還暦スイマー望郷日記

30余年のニューヨーク、今浦島の心境を…

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「卵焼き」は、昔は女子供の食べ物だった。
と言うと怒られそうだが、そう思っていた。
大人になって以降、あまり食べた覚えがない。
特にアメリカに住み始めたら、益々縁は遠くなる。
寿司屋に行って、職人が日本仕込みなら、ちゃんと卵焼きを焼ける。
それでも、好んで食べようとは考えなかった。
理由の一つに、味付けがある。
どういうわけか、えらく甘い卵焼きを出されることがあった。
どうも日本で修行しても、店によって味付けが異なるらしい。
砂糖をたっぷり入れた卵焼きは、出来れば敬遠したい。
色々な理由で、卵焼きとは縁遠いままだった。

その考えが変わったのは、日本の蕎麦屋。
故池波正太郎が愛したという、神田の老舗。
「良い店のそばには、必ずもう1軒名店がある」というのが彼の持論。
で、通りを隔てた「良い店」は「かんだ藪」で、この店「まつや」は隠れた名店。
「まつや」では、昼間から堂々と酒が吞める。
となれば、酒の肴が必要になるわけだ。
甘辛い焼き鳥、蕎麦味噌、そして焼き立ての卵焼き。
この店は、注文を受けてから焼き始めるので、まだ十分暖かい。
小判型の卵焼きに、三つ葉が埋め込んである。
この卵焼きで吞む「冷や」の菊正宗は、応えられない。
「冷や」とは、樽から出したばかりの室温のこと、為念。
これを白磁の背の高い徳利から、平たい白磁の杯で吞む。
古い話だが、眠狂四郎になった気分。

5,6年前から「卵焼き」は予約のみになった。
聞けば、一つづつ焼くから、ちょっと注文が集中すると、とても追いつかないという。
無理からぬ話だが、と言って予約までする気はしないし、実際出来もしない。
それ以来、卵焼きは幻に成り果てた。
隣で予約した客が焼き立てを食べるのを睨みながら、焼き鳥を食う。
天麩羅蕎麦の天麩羅を先に出して貰って、肴にする。
旨いのだが、卵焼きが目先にちらついてどうにも気になってしまう。
次は予約しよう、と考えるのだが、なんせ1年に1度の帰国。
運よく時間を拵えて店に入り、その時点で思い出す程度。

ならば自分で作ろうではないか、と思い立った。
所詮女子供の食い物と看做していたから、器具なども無い。
たった一つの頼りは、家人が日本の100円ショップで購入した、ままごと風卵焼き鍋。
たて15センチ、横8センチ程度の、それこそ形ばかりの代物。
どうせ挑戦するなら、赤銅製のプロ仕様で行きたい。
だが、そういうホンモノは1万円以上するのを、浅草田原町の「合羽橋道具街」で確認済みだ。
良いものは高いのは世の常だが、年に1,2回の卵焼きに投資するにはちょっと高過ぎる。
まあ、取りあえずこの「ままごと卵焼き器」で試してみて、それからまた考えよう。

名店といわれる寿司屋などでは、卵から選りすぐったものを使うらしい。
だが私は、いつも通りペンシルベニアに昔ながらの生活を送っている「Amish アーミッシュ」という村落の「Cage free ケージフリー (放し飼い)」の鶏が産んだという卵を使う。
この宗教的な理由から電気も無い生活を送る集団は、何となく良質の卵を生産しそうではないか。
勿論、電化と卵には、何の関連性もないことは重々承知しているのだが。
ボウルに2個の卵を割り入れて、煮切った味醂、酒、砂糖と出し汁を混ぜる。
出し汁が多いほど柔らかく出来上がる道理だが、このちゃちな鍋には荷が重いだろう。
合わせた材料を掻き混ぜ、鍋を弱火にかけた。
サラダオイルを鍋に垂らし、ペーパータオルで満遍なく塗りつける。
火が通った辺りで、玉杓子で材料を掬い取り、2杯注ぎ入れる。
鍋が薄い所為か、すぐに焼き音が立ち始めた。
菜箸で上半分を掻き混ぜ、下に寄せて行く。
その空いた上半分に、改めて油を塗りつける。
そして、そこに玉杓子1杯の卵出し汁を注ぐ。
プロは全てを菜箸でやってのけるようだが、私にはそれは出来そうにない。
已む無くフライ返しを右手に持ち、下半分の厚みのある方を掬い取るように上半分に被せてやる。
と書けば、いかにもスムースだが、初心者の悲しさ、そう巧くは行かない。
早くも表面が波打ち始めた。
下半分に油を塗り、また杓子1杯の卵出し汁を注ぎ入れた。

実を言えば、この辺りで製品の姿は、ほとんど修復不可能に陥っている。
と言って、途中で投出すわけには行かない。
鍋にこびりついた卵の滓をこそげ落とし、再び油を塗る。
出来上がりを想像すると、やる気は失せそうだが、初志貫徹あるのみ。
最後は口に入れてしまえば、それなりの味はするだろう、と考えている。
しかし、それにしても鍋の薄さは、最大の問題だ。
あっという間に熱が伝わってしまう。

ボウルに残った卵出し汁は、ごく僅かになった。
最後の1杯で、何とか形を整えなくてはならない。
終わり良ければ全て良し、という言葉もある。
どうしようもなければ巻簾で形を整える、という最後の手段もあると聞いた。
巻簾の扱いには、多少の自信も無いわけではない。
最後に流し込んだ汁が固まる寸前に、本体をその上に載せ、形を作らなければならない。
フライ返しで本体を持ち上げ、返しながら前面に転がしてやる。
巧い具合に、その部分にぴったりと収まったようだ。
再びフライ返しで全体を持ち上げ、一度返してやる。
何だか、少しは型がついて来たように見えるではないか。
用意した巻簾に、出来上がった卵焼きを載せた。
まあかなりいびつではあるが、誰が見ても「卵焼き」と言うだろう。
正直に言えば、ダッシュがついた「卵焼き‘」という感じではあるが。

巻簾で巻いて、ならしてやる。
未だ熱いから、形がつけ易いはずだ。
暫く置いて、巻簾をほどいて見ると、それらしい卵焼きになっているようだ。
初心者としては、充分なのではないだろうか、と一人で褒めてやる。
こんなままごと用具のようなものでこれだから、プロの道具を使えば立派な物が出来るはず。
やはり今度日本に行ったら、合羽橋で赤銅の奴を買い込んでこようか、と思案する。
なんせ、あの調理道具街は、魅力に溢れているのだ。
見るだけで欲しくなる逸品が処狭しと並んでいて、目がうろうろしてしまう。
プロ相手だから、「焦げない」テフロン鍋などは何処にも無い。
すべて、事後の手入れが必要なものばかり。
アメリカに持ち帰る、という問題があるから辛うじて踏み止まっているだけ。
赤銅のおでん鍋など、思わず見惚れてしまう。
竹製の「鬼おろし」や、打ち出しの行平鍋なども、毎回顔を合わせては別れて来ている。

出来立ての「卵焼き」を庖丁で切り分け、口に運ぶ。
甘過ぎず、辛過ぎず、出汁の香りが漂って来る。
思ったよりは、上出来だ。
これがちゃんとした道具でなら、さらに旨いだろう。
さて、赤銅の「卵焼き鍋」をどうするか。
結構悩ましい問題になりつつある。
煩悩とは、幾つになっても断ち切れないものらしい。

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