還暦スイマー望郷日記

30余年のニューヨーク、今浦島の心境を…

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日本の「英雄」

何時の時代であっても、人は「英雄」が好きだ。
世界中の国々が、その国独自の「英雄」を持ち、偶像化している。
勿論、さらにスケールの大きい世界規模の「英雄」たちは、別格で愛されているようだ。
その別格の「英雄」と言えそうなのは、「アレキサンダー大王」や「ジュリアス シーザー」「ハンニバル」、論議はあっても「ナポレオン」や「チンギス ハーン」なども、その範疇に入るのではないだろうか。
神話時代まで遡れば、「アキレウス」や「オデッセウス」なども加えられそうだ。
20世紀に入っても幾つかの名前が「英雄」として挙がってくるようだが、「チャーチル」「ド ゴール」「ケネディ」辺りになると、いまだ歴史上の位置が定まっていない、という人もいるだろう。
「毛沢東」や「スターリン」などになれば、賛否両論が倦むことなく繰り返されそうだ。

日本の「英雄」を考えてみると、思いの外名前が出て来ない。
義経、信長、秀吉、家康などは、反対論は少なそうだが、あまりに題材としていじられ過ぎた嫌いもあり、「英雄」なのか「梟雄」なのか、はたまた「奸物」なのか、分かりかねるところもある。
さらに、幕末に現れた志士たちを「英雄」と捉えるかどうか、これまた異論がありそうだ。
人より早く名が出た志士は敵に狙われやすい所為か、道半ばで斃れた者も多かった。
最後に新政府の要職に就いて出世するのは、幸運にも生き延びたか、上手く立ち回ったひと握り。
坂本龍馬が人気では抜きん出ているが、彼が世に知られたのは明治も半ばを過ぎてから。
昭憲皇太后の夢枕に立ったという逸話が世に知られてから、という些か眉唾風のお話。
薩長で占められた新政府から見れば、龍馬は薩摩と長州を連携させた功労者ではあるが、あまり大っぴらに顕彰するには抵抗があったようだ。
そして龍馬の人気が定まるのは、司馬遼太郎の「龍馬は行く」のヒットに拠るところが大きい。
それは子供時代のチャンバラごっこに、龍馬に扮する志願者は一人もいなかったことでも分かる。
何と言っても「鞍馬天狗」がナンバーワンだったが、彼は架空の人物。
すると桂小五郎あたり、ということになるが、彼は「逃げの小五郎」という異名を持つ。
要するに、何となく胡散臭い人物、と子供にも思われていたようだ。

仮に今、日本で「英雄」の人気投票をしたとする。
恐らく上位に位置するのは、「義経」「秀吉」そして「龍馬」と「西郷隆盛」辺りだろう。
だがこの結果は、第二次世界大戦での敗戦が大きく影響している。
戦前では、「東郷平八郎」や「山本五十六」、「広瀬武夫」などの軍人が上位だっただろう。
さらには、「楠木正成」などという、今では知る人も少なくなった古の武将が続くに違いない。
だが敗戦は、日本人の「英雄」すらも大きく変えてしまったようだ。
先ず全ての軍人は、一掃されてしまった。
また、天皇家にまつわる神話的人物、須佐之男命(スサノオノミコト)や大国主命(オオクニヌシノミコト)、天照大神(アマテラスオオミカミ)も、その名を聞くことは滅多にないのではないか。
その中で、日本最初の陸軍大将である「西郷隆盛」は、未だに人気が高い。
ちょっと不思議な気がしないでもないが、彼の悲劇的な最期が影響しているだろう。
明治政府に対して戦いを挑んだ時点で、彼は国賊であった。
恐らく一番人気のある国賊だっただろう。
多くの崇拝者に囲まれ、止むを得ず反乱軍の大将に祭り上げられた。
盟友であった大久保利通率いる鎮圧軍に破れ、鹿児島の城山で部下に首を討たせた。
賊将として全ての官位を剥奪されたが、後に名誉を回復されている。

この西郷はしかし、自分からは何もしない人として知られている。
薩長同盟は坂本龍馬が持ちかけたものであり、江戸城の無血開城は勝海舟が談じ込んだ。
最後の蜂起は、鹿児島の私学党という士族の集団に懇願されてのもの。
「私の命を貴方たちにあげよう」が彼の決断の言葉だったというから、主体性は薄い。
だがこの性格を、西郷の最大の長所と見る向きもある。
「西郷は、相手の言葉や考えに彼なりの反応で返す。鐘が打てば響くように大きく言えば大きく返し、小さく叩けば小さく戻って来る。 これは西郷独特の才能であろう」
西郷に問いかける人は、黙って聞く西郷を見ているうちに、何時の間にか自分で答を見つけてしまう。
西郷はこの才能を持って、回天の事業を成し遂げた、ということらしい。
分からないようで、何となく分かったようでもある。

西郷が国賊でありながら人気が高かったのは、彼が金銭に恬淡だったことにも拠るようだ。
明治政府の高官たちは、皆庶民には想像もつかない生活をしていた。
高給はお手盛り、利権は知己の財閥に与え莫大な賂を受け取る。
今の椿山荘を別宅にしていた山県有朋や、十数人の妾を持っていた伊藤博文などと較べれば、西郷の生涯は無欲清廉なものだったようだ。
「命も要らず金も要らず、官位も金も要らぬ人は、始末に困る。 だがこの始末に困る人でなければ、国家の大業は成し遂げられぬ」
これは西郷の言葉として有名だが、その人物は西郷そのままである、と言われた。
もう一方の人気者、豊臣秀吉とは正反対の人種に見えるが、この2人が最大の国民的英雄であるということは、何となく面白い。
秀吉は「人たらし」として有名だが、彼の場合は自分から相手に仕掛けていくタイプ。
褒めたり脅したり、金や位を与えたり奪ったり、常に能動的だ。
だが西郷は、自分からは何もせずに、相手をたらしてしまう。
あまり他に類を見ない政治家、と言うべきだろう。
西郷は日本初の陸軍大将として有名だが、軍人としては見るべき物はない。
では政治家か、と言えばそれも少し違うようだ。
形容詞が見つからないが、敢えて言えば「大腑抜け」あたりが一番ぴったり来そうだ。
「腑抜け」は「阿呆」の意味だが、「大腑抜け」となると、人智を超えた大人物のことらしい。

昭和13年に、東京大学で「一番尊敬する人」の調査が行われ、西郷が255票で1位、ゲーテが132票で2位、キリストが105票で3位となっており、東郷平八郎や釈迦は更に下位にいる。
明治維新から70年近く経った時点で、この人気には驚くほかない。
だが西郷の人気は、今に至るまでほとんど衰えていないように見える。
幕末をテーマにしたテレビドラマにも、西郷は龍馬や勝海舟と並んでしばしば登場する。
ただ残念なことに、あの風貌を彷彿とさせる役者には、先ずお目にかかれない。
大兵肥満で、「巨目 (うどめ)」と言われた黒目が大きな両眼は、特異と言っても良いほど。
今日の俳優に望む方が無理なのだろう。
ひと頃横綱だった「武蔵丸」が似ている、といわれたことがあった。
確かに肖像画の西郷と較べると、かなり似ていたようだ。
サモア出身の武蔵丸に似ているということは、西郷も南方系の顔立ちなのだろうか。

義経に、「生き延びて中国大陸に渡り、ジンギスカンになった」という有名な伝説があるように、西郷も城山では死なず台湾に渡って生き延びた、という噂があったらしい。
悲劇的な最期を遂げた英雄に、生き延びて欲しいという大衆の祈りのようなものだろう。
だが西郷の敗北によって、不平士族の反乱は終焉を告げた。
これから後が、本当の明治新政府の政治が始まった、と言って良い。
西郷が現れて、「尊王攘夷」は本格化し、江戸幕府は倒れた。
そして彼の叛乱とそれに続く敗戦で、維新から続いた諸懸案はひと段落したようだ。
薩長勢力に牛耳られた政権であっても、一応は近代政治の形態を整えて見せた。
西郷の、最後のご奉公だったのかも知れない。

そう考えてみると、「英雄」とは「時代を拵え、その時代を破壊する者」だ、と言えるかも知れない。
そういう行動が、大衆には目にも鮮やかに映る、ということだろう。
最後には日本人好みの、「滅びの美学」が用意されているし…。

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