還暦スイマー望郷日記

30余年のニューヨーク、今浦島の心境を…

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「出世魚」

最近あまり聞かなくなったが、「出世魚」という言葉がある。
数種類の魚が、成長するに従い呼び名が変わって行く、ということ。
代表的なものとしては、
「ワカシ(15cm程度)―イナダ(40cm)−ワラサ(60cm)−ブリ(90cm以上)」
「セイゴーフッコースズキーオオタロウ」辺りが良く知られている。
「オボコースバシリーイナーボラートド」という順列は、最後が「とどのつまり」という慣用語で有名だ。
これ以外にも、名前が変わって行く魚は他にもあるのだが、「出世魚」とは呼ばないそうだ。
「チンチンーカイヅークロダイ」は良く知られているが、これは単に呼称が変わるだけらしい。
王様と言われる「真鯛」も、幼魚は「春子(かすご)」と呼ばれるが、別に「鯛」に出世するわけではない。
「出世魚」と呼ばれるには何か資格のようなものがあるのか、と考えてみた。
「ブリ」も「スズキ」も「ボラ」も全て回遊魚である。
回遊魚というのは、潮の流れに乗って餌を追って移動して行く魚種で、一定の地域に棲みついてしまう魚を「根魚」とか「居つきの魚」とか呼ぶ。
回遊魚は他の小魚を捕食するために、泳ぐスピードが極めて速い。
寒流や暖流が流れる日本列島に沿って、上り下りしているわけだ。
その回遊魚が翌年に大きくなって戻って来たのを、「魚体が大きくなったー出世した」という風に呼んだのではないか。

その「出世魚」の呼称も、近年些か怪しくなって来ている。
その元凶は、溢れかえる「養殖魚」という奴。
「ブリ」は本来90cm以上を呼んだはずだが、今では長さではなく重さで決めるらしい。
「養殖」の魚は運動せずに大量に撒かれる餌を飽食しているから、魚体は寸詰まりでも目方は重い。
本来なら「ブリ」の1クラス下の「ハマチ」でもすぐ5kgくらいになる。
その所為で、昔は聞いたこともなかった「養殖ブリ」が市場に出回り始めた。
こういう呼称について監督すべき水産庁が、何故か何も言わない。
日本中に氾濫する「XX鯛」という詐称も、お上は知らん顔。
まあ水産庁と漁協は持ちつ持たれつだから、言うはずもない。
お陰で「出世魚」は単なる「肥満児」、ということになってしまった。

その点、「スズキ」と「ボラ」は「養殖」はほとんど無いか、あってもごく僅かだから、昔の呼称そのまま。
考えてみると、「出世魚」という呼び名は江戸時代に始まったのだろう。
当時の粋な若衆を「鯔背(いなせ)」と呼んだが、それは「ボラ」の若魚の別称。
隅田川の河口で捕れたという「鯔(イナ)」は、背筋から尻尾にかけて美しい曲線を見せてくれる。
そういう呼び名が定着したのは、「ボラ」が当時は江戸の庶民に親しまれた魚だったのだろう。
同じく、「スズキ」も江戸湾で多量に捕れた魚。
江戸前の「洗い」という料理は、捕れてすぐの未だ締まっていない魚を使う。
「スズキ」と「マコガレイ」がその双璧だったらしい。
落とした(殺した)ばかりの切り身を、冷たい井戸水に晒すとちりちりと縮む。
それを酢味噌や梅醤油で食べるのが、昔の江戸っ子の消夏法だったという。
今のように地方からトレーラーや飛行機で運んで来ては、そういう食べ方は出来ない。

「スズキ」や「ボラ」は江戸でも手に入ったが、「ブリ」となるとそうは行かない。
一番近い漁場で、小田原あたりだったのではないか。
勿論裏日本の「氷見」などは、存在すら知られていない。
だから、この「ブリ」が「出世魚」の仲間入りしたのはかなり最近のことだろう。
今のように魚屋の店頭に何でも並んでいると、つい錯覚を起こしてしまう。
「カツオ」だって、鎌倉辺りから運んで来るのだから、高いのが当たり前。
「女房を質に置く」のは笑い話にしても、人に先駆けて「初鰹」を食べるのは一世一代の壮挙。
氷は無い、車は無い、無い無い尽くしの中、日本橋まで運んで来るのは、体力勝負。
箱根駅伝を想えば、すぐ理解出来るではないか。
江戸の庶民に一番親しまれたのが、実は「鰯」と「浅蜊」だったというのは、無理からぬことだろう。

成長して呼び名が変わると聞くと、人間にもそういうことがあった、と気づく。
昔の武士は、幼名があり元服して名乗りを持ち、親の職を引き継ぐときに名前も継いだ。
義経は、「遮那王(しゃなおう)」から「牛若丸」となり、「九郎義経」となった。
出世と呼ぶのかどうかは分からないが、その度に披露目の祝いがあった筈だから、目出度いことだったようだ。
商人も同じように、「幼名」があり成人期には名前も変え、前髪を落として月代(さかやき)を剃って、大人の仲間入りを果たした祝いをしたらしい。
そして父親が隠居すれば、その名前を引き継ぐのが大きな店では普通だったと聞く。
武田薬品の社長は、代々「武田長兵衛」を名乗ったというからその伝統にのっとったのだろう。

今はそういう習慣は廃れて来ているようだが、未だ残っている社会も無いわけではない。
先ず思いつくのが「歌舞伎」役者の世界。
普通長男が父親の代々の名前を継ぎ、最後に大名跡と謂われる名前に辿り着く。
団十郎、菊五郎、幸四郎、吉右衛門、仁左衛門、などが大幹部の名跡であり、その名前を継いだ役者は、歌舞伎界を背負って立つ、と看做される。
次男三男に生まれた場合は、一門にあって跡継ぎの無い名跡を継ぐか、養子に出されることが多い。
後継者と決まれば、よほどの失態が無い限り、大名跡に辿り着けることは保証されるわけだ。
ただ、その大名跡を大きくするか、平凡なものにしてしまうかは、その役者の素養と鍛錬に拠るだろうから、安閑としているわけには行かない。
同様に、「落語家」の世界にも、父親かまたは師匠の大名跡を襲名する習慣が残っている。
ただ此処では歌舞伎界ほど世襲一本槍ではないようで、弟子が師匠の高座名を継ぐことも多い。
父の名前が大き過ぎれば、一門の長老や寄席の席亭辺りからも慎重な意見が出たりもするらしい。
まあ、下手な落語家が大きな名前を継げば苦労するのは見えているのだから、本人だって考えるだろう。

「文楽」「志ん生」と言えば、昭和の時代の2代看板だが、継げば苦労すること間違いなし、と言われた。
「志ん生」は後継と目された息子の「志ん朝」が若くして夭逝したこともあって、誰も継いでいない。
「文楽」は徹底した完璧主義の芸風で、とても継げる者はいないだろう、と言われていたが、一門の桂小益が師匠の死後21年目に継いで話題になった。
無名に近い噺家だったこともあり、上手いか下手かもあまり取り沙汰されないようだ。
「出世名」を継いだ、と言えるかも知れないが、先代の域に達するのは容易ではないだろう。
「落語」や「歌舞伎」以外にも、名前が父子相伝になっている社会は、他にも僅かだがある。
「能狂言」の世界や「舞踊」も流派に拠っては、家元が名前を引き継いでいるケースを見かけるようだ。
事情を知る由もないが、やはり伝統ある名前を引き継ぐということは、身が引き締まるものなのだろう。

「名を引き継ぐ」と言えば、忘れてはならないのは「相撲」。
相撲界には、部屋別系統別に由緒ある四股名がある。
どうも最近はそういう四股名を襲名するのは流行らないらしいが、以前は結構あった。
有名なところでは、高砂部屋の「朝潮」や「小錦」、伊勢の海の「柏戸」、井筒部屋の「西の海」「逆鉾」辺り。
玉の井部屋の「栃東」などは、親子で同四股名、同親方名というケースだが、「三保が関部屋 増井山」も同様のケースで、今後そう簡単には生まれそうにない。
由緒ある四股名を継ぐ力士が減ったということは、取りも直さず四股名の重みが薄れたということだろう。
さらには、そういう歴史を受け継ぐ力士も親方もいなくなりつつあると思われる。

考えてみれば、「世襲」や「父子相伝」は何も古典芸能の世界だけではない。
もっとはっきりと誰でも知っている世界もある。
例えば、「政治」の社会。
世界に冠たる日本の「世襲」政治家制度。
これなんか、襲名制度にした方が良いような気もする。
「3代目岸信介 こと 安倍晋三」、「3代目吉田茂 こと 麻生太郎」、「3代目鳩山一郎 こと 鳩山由紀夫」、「2代目渡辺美智雄 こと 渡辺喜美」…。
「2代目小渕恵三 こと 小渕優子」だって、充分伝わることだろう。
別に大して異なることをやっているわけでもないし。

もっと凄い人もいる。
「18代細川忠興 こと 細川護煕」なんて、かえって人気が出るかも知れない。
「レトロが良い」ということなのかどうか。

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