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日本を離れて40年も経つと、どちらの国の事情にも精通し、同時に疎くなる。
インターネットやテレビという便利な機器があるから、辛うじて凡そのことは知ることは出来る態勢。
日本の流行や最近人気の食品や、今が旬の俳優なども一応知ってはいる。
だがそれは一過性のことであり、表面的な部分でしかない。
全ては誰かの意見であり、カメラで映し出された一部分を瞥見しているだけのこと。
その只中に身を置くことはないし、匂いを嗅ぐことも勿論ない。
年に一度帰って2,3週間空気を吸っても、所詮それは旅行者に近いものでしかない。
押し寄せて来る外国人旅行者に毛が生えた程度、と自認してもいる。
だが私にも、日本で過ごした青少年時代や青春時代があった。
無理算段して買ったネクタイもあり、スーツも靴もワイシャツもあったはずだ。
初めてそういう衣服を身に着けた時の昂揚感は、今でも何となく思い出せる。
思い出せはするが、今それを味わうことはない。
先ず、新しいスーツやネクタイを買うことが無くなってしまった。
たまに買っても、ほとんどがカジュアルな靴やパンツやシャツ程度。
初めて着る日はやはり晴れがましいが、精々1日のこと。
稀に人と会ったり食事をしたりする場合、以前ならジャケットくらいは着たはずだ。
だが今では、相手もジーンズにジャンパーといった軽装で来る。
それが分っていてジャケットを着ることは出来ない。
かくしてジャケットは古いスーツと一緒に、クロゼットで埃を被る仕儀となる。
「お洒落」は遥か遠い話になってしまったようだ。
最近日本のテレビ番組を観ていて、若い男性の靴が気になった。
アナウンサーが黒っぽいダークスーツに、茶色の靴を履いているのだ。
注意して観ていると、他にもそういうコンビネーションの出演者を見かける。
どうも今の若い男性の間の流行らしい。
ニューヨークでもそういう靴を見かけるから、ひょっとしたら西欧から派生したファッションかも知れない。
こういう事実を突きつけられると、しみじみと時代の移り変わりを感じさせられる。
又、往時は「チェック オン チェック(チェックの上着にチェックのシャツ)」や「ストライプ オン ストライプ(縦縞の上着に縦縞のシャツや縦縞のネクタイ)」は野暮なファッションの代名詞のように言われたが、今では結構見かける。
そういう旧弊なファッションの決まりごとを無視することが、現代の流行なのかも知れない。
私がスーツを着始めた頃は、もう半世紀の昔になるわけだ。
ビジネスにはダークスーツが当たり前で、茶系統はご法度と言われた。
そして、靴や靴下、ベルトの類はスーツと同系色で目立たない物が良い、とも聞いた覚えがある。
確かに当時のファッションリーダー、かの007ジェームス ボンドもそういう配色だったようだ。
それ以前、日本には男性用ファッションは存在しないも同様だった。
昭和20年頃は、着られれば良いような衣服しかなかったし、サラリーマンたちは一張羅のスーツで会社に行って帰り、休日にもそれを着て家族と出かけた。
どうにか様になって来たのは、昭和30年(1955年)前後以降ではないだろうか。
それでも私の父は、家族でのハイキングには着古したスーツのズボンとジャンパーを着用していた。
女性ファッションの復活は結構早かったが、男性はそれどころではない、のが本音だっただろう。
「男子専科」という男性用ファッション雑誌が昭和25年に出版されたが、定着には時間がかかった。
5年後に「メンズクラブ」が後を追ったが、時期尚早の感は否めない。
どうにか雑誌らしくなったのは、昭和35年以降だったような覚えがある。
「ジュン」とか「ヴァン」などという男性ファッションの専門衣料品チェーンが若者の人気を呼び始めた。
勿論、私などには手も足も出なかった時代のお話。
アメリカに住むようになって、衣料品もニューヨークで調達することになる。
だが体型の違いの悲しさ、ぴったり合うものはほんの僅かしかない。
先ず腕が短いことが選択肢を狭めて来る。
上着を買えば、大抵「袖詰め」を依頼しなければならない。
ズボンだって、丈を短くすることが多い。
それでも、日本人としてはやや大きめの身体で救われていることも無いわけではない。
往生したのは靴。
日本で25〜25.5cmは極度に小さいわけではないだろうが、こちらでは探すのが一苦労。
アメリカサイズなら7〜7.5なのだが、8以下は置いてない店が多いこと多いこと。
「Do you have any shoes under 8? (8以下の靴を扱っていますか?)」
店に入ったら先ずそう訊ねる方が、労力の無駄を省いてくれる。
「No」といわれたら、「Thank you」と返して、さっさと出て来るのが一番スマートだ。
8以下の小さいサイズを常備している店もあるのだが、最近のニューヨークにはオリエンタルやラテン系の小柄な男が増えている傾向がある。
そういう連中は、どうしても同じような店に集中してくるのが理の当然。
我々にはぶかぶかの靴だけが、棚に残っているのが実情。
そういう点では、衣服も似通っている。
セールという貼り紙が出れば、オーバーと見紛うばかりの超大型の上着が半値以下でぶら下がっているが、東洋人サイズは、とっくの昔に完売されてしまっているのだ。
こういう状況をみると、つくづく日本のアパレル産業は幸せだと思わされる。
日本人の男女共に、身体のサイズの上限と下限の間隔は限られているだろう。
男性で考えれば、160cmから180cmの間にその大部分は入るに違いない。
つまりターゲットが絞りやすいことになる。
それは靴にしても同じこと。
25から28程度で9割がたが賄えそうだ。
そんなに目標が絞り込みやすい業界にいながら、損が出るなんてとても信じられないではないか。
それでも消えていく業者が後を絶たないそうだから、不思議という他はない。
アメリカで私に合うサイズを見つけるのには苦労させられたが、価格的には恵まれていた。
日本ではブランド物と目されている銘柄でも、こちらではごく普通の価格帯。
何とか身体に合いさえすれば、小さな贅沢感を味わえた。
ジョン ケネディが顧客だったという「B」という店があるが、そこに並べられたジャケットやスーツでも、ちょっと背伸びすれば購える程度だったのだから、今では信じられない。
だがそういう正統派のスーツを着る人口は、どんどん減っているそうだ。
昔であればホワイトカラー族だったはずのコンピューターのプログラマーやデザイナーは、そういう衣服の仕来りを取っ払って気軽なシャツパンツ姿でオフィスで働いているし、今ではダークスーツは銀行員などの金融関係者の制服。
「クールビズ」という提唱で強制されなくなったネクタイは、この先愛好者だけのお洒落に成りつつあるのではないか。
ネクタイのない襟元も、初めのうちは拘置所ファッションのようだったが、見慣れればさしたることもない。
日本のビジネスマンのユニフォームの観があった「背広」だって、高々100年足らずの歴史しかないのだ。
襟の役割や釦の数の約束事など、現代の若者から見ればただの無駄にしか見えないだろう。
近頃の男性のシャツからポケットが姿を消し、ズボンの折り返しや前のタックなども無いものが多くなっている。
大量生産するには無い方が良いに決まっているが、これも一つの改革なのではなかろうか。
ポケット付きのシャツに拘り、ズボンのタックや裾の折り返しは必須と考えている私としては愉快なことではないが、「守旧派」は撲滅されるのが時代の流れ。
媚を売るわけではないが、新時代のファッションを取り入れることも必要のようだ。
まあ、それしか売っていなければ,自然に「守旧派」は「改革派」に変身して行くものだろうが…。
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