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今年の夏は、例年以上に西瓜を食べている。
私と西瓜の付き合いは、既に70年近いはずだ。
あまり食べ物が豊かでない、戦後が色濃く残っていた時期にも西瓜だけはあった。
今考えれば、種さえ蒔いておけば勝手に育ったのではないか、と思う。
暴論のようだが、西瓜の価格が安値で留まっていることを考えれば、案外当たっているかも知れない。
ニューヨークでも、トラックに山ほど大きな西瓜を積んで来て、精々4,5ドルくらいで売っている。
勿論スーパーにも溢れんばかりで、それがやはり6ドルくらい。
ということは、7,8kgの西瓜でも生産者原価は高々3ドル程度なのだろう。
バナナと並んで安い果物の双璧ではないだろうか。
私が南米にいた頃、道端でバナナを売っているのを見かけたが、1房に10本ほどのバナナがついているのが1ドルもしなかった記憶がある。
道端に幾らでも成っているから、登って行ってちぎるだけだ、という話だった。
想像だが、西瓜という奴もだだっ広い畑に幾らでもごろごろしているのではあるまいか。
以前書いたが、日本の三浦半島や房総半島では、黒鯛釣りの餌に西瓜を使う。
と言って、別に黒鯛に西瓜を好む食性があるわけではないようだ。
西瓜畑で収穫するとき、サイズが合わないものや傷のあるものは海岸べりに捨ててしまう。
その捨てられた西瓜が波に乗って沖に流れ出し、それを黒鯛が食うそうだ。
黒鯛という魚は極端な悪食で、動物性であれ植物性であれ、直ぐに食ってみるらしい。
夏の間流れて来る西瓜の切れ端を食っていると、それが習慣になってしまう。
釣り人にしてみれば、そこに落ちている西瓜で釣れればこんな有り難いことはない。
黒崎の鼻という岩礁地帯で、私は地元の釣り人が西瓜で黒鯛を仕留めたところを目撃している。
この釣師は竿さえ持たず、何処かで拾った小さな西瓜を持って現れた。
先ず、西瓜を砕いて足許から少しづつ撒き、次いで水に浮く釣り糸の先に釣鈎を結び付け西瓜に鈎を埋め込み、発泡スチロールの板に載せて沖に向かう潮に流してやる。
撒き餌が水面を流れて来ると、黒鯛は水面近くまで浮いて来てそれを食う。
発泡がその辺りに来ると、釣師はぐいと糸を引いて発泡の板から外す。
すると発泡はそのまま流れて行き、釣鈎が埋め込まれた西瓜の片が水面に残る仕掛けだ。
黒鯛は狙った餌を尾鰭で強く叩き、瞬転して呑み込む。
そこで糸を強く引けば、鈎はがっちりと黒鯛の上顎にかかるわけだ。
勿論此処までになるには相当の経験があるに違いないが、それはまさに「釣りの原型」を見せられたような、手品を見せられたような数十分間だったのではないだろうか。
私も幾度か捨てられていた西瓜で挑戦したが、成功したことはない。
夏になってから我が家では、朝一番に「氷出し」の緑茶を小さなコップに1杯と、西瓜の5,6切れを起き抜けに食べるのがほとんど習慣になっている。
以前はメロンのこともあったが、今では家人にメロンアレルギーが出て、西瓜一辺倒になった。
西瓜という果物は、感激するほど旨くもないが、失望するほど不味いものにも当たらない。
子供の頃食べて美味しいと感じたのは、他に甘い果物が少なかったからだろう。
冷蔵庫もない時代のこと、流水で冷やした西瓜でも大喜びした覚えがある。
思い出せば、あの当時住宅地周辺の鉄道の駅の傍には、必ず果物店があった。
人を訪ねるとき、多くの人たちはそこで手土産を整えたのだろう。
夏なら西瓜、秋なら蜜柑、春先には苺あたりが定番になっていたに違いない。
大きな西瓜を抱えて駅から歩くのは大変だろうが、それでもサイズのインパクトは大きい。
わざわざ運んで来た労力への感謝も馬鹿にならない。
未だ労力が安かった時代、週末に2個3個と西瓜が集まって来たことがあったような覚えもある。
つまり、西瓜がそれ程の高級食材だったことはない、と言えそうだ。
西瓜の原産地はアフリカだそうだ。
そして日本に渡来したのが室町時代辺りらしいから、結構歴史のある植物ということになる。
甘い物が少なかった時代に、貴重品に成り上がったという記述も見当たらないようだから、今同様に庶民の食べ物として流通していたのか、些か疑問は残りそうだ。
野生の西瓜は水分が多く甘味がほとんど無いと言うから、それ程人気は出なかったとも考えられる。
塩味をつけて漬物などにされた可能性もありそうだ。
我が家の近くの中華系韓国系のスーパーでは、夏場の西瓜売り場は大きい。
つまりそれほど売れる、若しくは好んで食べられるということなのだろう。
何と言っても中国は世界一の生産国。
7000万トンの産出量は2位のトルコの約15倍強。
はっきり言えば、安くて大きくて食べでがある、という辺りが人気の原点なのではないか。
別に本国から運んで来ているわけではないから、こちらでも大々的に生産させているのだろう。
アフリカ原産であれば、こちらの暑さ程度は物の数ではあるまい。
ほとんど手入れをしなくても、ぐんぐん大きく育って行くのではないか。
それをトラックに積んで街角で売る、という単純そのもののビジネス形態が成り立っている、と想像する。
私は長い間、西瓜の時期に日本にいたことがないから、価格についての知識はほとんど無い。
一体どのくらいのサイズがどの程度の値段なのか、皆目見当もつかない。
ただ、こちらでの価格を参考にすれば、5,6kgの玉で7,8百円前後ではないだろうか。
と思って検索してみると、驚いたことに高いものは一つ数千円もするようだ。
日本お得意の「改良改良また改良」の繰り返しで、糖度抜群の品を作り出したのだろうか。
有名な最高級果物店には1万円の玉もある、とかいう話を聞いた覚えもある。
だが、西瓜という食べ物は、そんな高価なものを恭しく戴くものだろうか。
三角形の一切れを、大口を開けて果汁を垂らしながらかぶりつくものではないのか。
種があれば「プッ」と飛ばし、2切れ3切れと息もつかずに食べ進む。
それが西瓜を食べる醍醐味のような気がするのだが。
私がいま西瓜を好んで食べるのは、何十年変わらぬ食感食味にある、と考えている。
多くの果物はどんどん改良されて、昔とは似ても似つかぬものになってしまった。
子供の頃、苺は潰して牛乳と砂糖をかけて食べるのが王道だった。
つまり、それくらい酸っぱかったということだろう。
今なら、粒のまま口に入れても「甘ーい」と来る。
林檎は健康な歯でかぶりついて、酸味に負けずに芯だけ残して食べる物だった。
懐かしい「紅玉」や「国光」は何処へ行ってしまったのか。
梨もどんどん名称が変わって、「長十郎」や「二十世紀」は何処かでひっそりと食べられているらしい。
葡萄にしても、「甲州」は未だあるようだが、人気は「巨峰」や「ピオーネ」なのだそうだ。
その点、西瓜は不動だ。
西瓜は「スイカ」であって、将来にわたっても名前を変えることは無さそうだ。
言葉は要らない、かぶりつけば幼い夏の日がちゃんと蘇って来る。
唯一、期待を裏切らないでくれる果物、と言っても良い。
多少甘くなくとも、無心に食えば大抵のことは我慢出来る。
今の時代、昔と同じような味なんて、そう簡単にはお目にかかれない。
心して味わいたいものだ、などと殊勝な気持ちになったりする。
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