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アメリカに住みながら日本と頻繁に交信していると、多少不便なことも出て来る。
それは西暦と日本暦がごっちゃになること。
昭和が終わったのが1989年であり、昭和では64年になる。
その64年が新しい平成の元年だということが、事態を少々ややこしくするわけだ。
それは別に最近始まったことではなく、明治から大正、そして昭和と全ての年は重複している。
明治45年は7月30日で終わり、大正元年は7月31日から、そして昭和元年は12月25日に始まり、僅か1週間で昭和2年になった計算。
私の母は明治45年生まれだが、同級生には大正生まれの方が多かったようだ。
逆に昭和元年生まれは、滅多にいないということになる。
元号の混乱は実はそれだけではない。
明治5年、西暦1872年に日本は太陽暦を取り入れると同時に、紀元前660年の神武天皇即位を元年と定め明治6年を「神武天皇即位2533年」としている。
この元号は一般に「皇紀」と呼ばれた。
ただ現在の歴史学では、神武天皇そのものの存在が証明されておらず、この紀元もほとんど使われない。
しかし、戦争寸前の昭和15年(西暦1940年)はこの暦を当て嵌めれば2600年となることから、盛大な祝賀式典が国を挙げて行われたらしい。
この年に生まれた子供たちの名前には「紀」や「元」の字が使われることが流行したそうで、今年76歳になる人にはそれに合致する人がかなりいるはずだ。
又、この大戦で活躍した航空機は「零戦(れいせん)と通称されているが、これは2600年から採られたそうだ。
その他の兵器にも、この皇紀から採られた番号を振られたものが多いようだ。
敗戦と同時にこの元号は撤廃されたかと思ったが、今なお神道関係や一部の武道連盟などで引き継がれて使用されているらしい。
世界には日本以外にも独自の年号を使用している国も幾つかある。
例えばモンゴルではジンギスカン紀元(成紀)があり、ジンギスカン即位の年が元年という。
またイランやタイ、北朝鮮などでも独自の年号を西暦と併用しているようだ。
とは言え、世界はキリスト教国家が中心となっており、西暦の前には対抗する術もない。
むしろ日本のような先進国が独自の元号に拘っていることの方が、世界的に見れば奇異かも知れない。
まあ日本は外交的な書類などには西暦を使うだろうから、独自の元号のことは案外知られていないだろう。
昭和の時代には、昭和の年数に25を足せば西暦の下2桁になることが分かっていたから、多くの人たちはそういう小技を使って2つの年号を取り繕って来た。
さて平成になってみると、そういう小技は未だ生き延びているのだろうか。
単純に考えれば、平成の数字から12を引けば西暦の下2桁になる計算。
今の青少年にはそれで良いのかも知れないが、64年もあった昭和の時代に生まれた人が今でも大勢を占めていることを考えると、なかなか面倒臭い。
そこで私は、今でも自分の頭の中では昭和を使用している。
つまり、今は昭和91年という計算だ。
25を足せば、下2桁はちゃんと2016の16が出て来る。
生まれた年の昭和19年の19を引けば、72という満年齢。
「当たり前だろう」、と言われそうだが当たり前のことがすんなり理解出来ないのが我々の世代。
それに、昭和生まれには昭和という単位が一番理解しやすい。
それに何と言っても64年間も続いたという元号には、重みだって感じられる。
やはりたった15年だった大正生まれの人には、多少口惜しい面もありそうだ。
「降る雪や 明治は遠く なりにけり」
中村草田男の代表句だが、そこには45年続いた明治という年代への愛惜や思い入れがある。
そして今、1代の天皇としてはほとんど最長不倒とも言えそうな昭和の時代は、これからも長く語られ描かれ詠われることになるだろうことは間違いない。
今上天皇が退位に言及していることを考えれば、当分は昭和の人材が社会の中枢であり続けるだろう。
歴史的に見れば、年号は本来社会の動向に反応して変わるものだった。
明治以前にも、何かことがあれば年号は簡単に変わっている。
聖徳太子の時代から、社会に変事があれば、年号を変えることは普通だったのだ。
疫病が流行れば変え、天皇が交代すれば変わり、別に理由が無くとも気分で変わったりもした。
一世一元と決まったのは、高々150年前の明治時代。
その間の経緯は、当時の元勲の中で様々に論議されたのだろうが、言うなれば一番簡単な方向を選んだ、と言ったら軽々に過ぎるだろうか。
少なくともあの当時、自分たちが担いだ天皇という神輿に権威づけするための方策だったことは間違いない。
だがその権威づけは、些か行き過ぎの観が無いでもない。
本来政治とは無関係のはずだった天皇が、国家の重要事項の決定に関与する体制に変わって行く。
天皇を高く持ち上げれば持ち上げるほど、日本の頭も次第に高くなる。
何時の間にか、誰が言わずとも日本はアジア第一の国に納まりかえってしまった。
ついこの間「黒船」で大騒ぎした国が、である。
「地図の上 朝鮮国に 黒々と 墨を塗りつつ 秋風を聞く」
有名な啄木の歌だが、これをもって彼が日韓併合を批判したかどうか、判断は難しい。
思いつくままに歌を詠み散らかした、という見方が正しいとすれば、これもそのひとつではないか。
だが少なくともこの韓国併合を機に、日本が戦争への一本道を進んだことは間違いない。
「昭和」という時、その響きは少し前の「明治」を聞くような気がする。
「古き佳き時代」とは言わないが、日本が焦土から立ち上がり経済成長を遂げ、再び世界の先進国の仲間入りを果たした時期であり、世界第2位の経済大国と称せられた時代でもあった。
私が子供の頃、「昔は良かった」という台詞を聞くことが多かった。
その昔とは、日清日露の戦争に勝ち「神州不滅」などと喧伝するメディアもいた頃。
国を挙げて騒ぎ立てれば、子供は簡単に影響を受ける。
それは近隣諸国の戦後教育を見れば、容易に理解出来るはずだ。
つまり「昭和」という時代には、増上慢の挙句の敗戦、廃墟から立ち上がって再び…、という2つの時期がある。
ただ長いだけではない、日本という平和だった島国が直面した曲折の時代。
その時代を知る人は、今や残り少ない。
「昭和の時代は良かった」
そういう台詞を既に聞いた人も、多いのではないだろうか。
いやそう語った人だって、少なからずいるに違いない。
私の中でも、昭和は功罪相半ばしているようだ。
配給所に積まれたサツマイモの山。
校舎の不足から始まった2部授業。
テレビという魔法の箱と押し寄せた電化の時代。
つい昨日のことのように思われるが、実は半世紀をとうに過ぎてしまった。
止まれ、今は私にとっての「昭和91年」。
100年にまで到達出来るかどうか。
結構厳しい競争になりそうだ。
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