|
「小籠包(ショウロンポウ)」という、中国生まれの食べ物がある。
小さな饅頭状の包子(ポーズ)だが、中には熱いスープが入っているから食べ方が難しい。
私はアメリカに住み始めてからこの食べ物を知った。
親しくなった台湾出身の中国人が案内してくれて、その意想外の食べ方に驚かされた。
一口大程度のサイズだから、そのまま食べても良いようなものだが、中の熱いスープが曲者だ。
蒸し上がったばかりだから、うっかりすると口内を火傷する可能性がある。
と言って冷めるのを待っていては、この美味を味わうタイミングを逸してしまう。
この小さい饅頭の先端は軽く捻ってあり、そこを摘み挙げるのが上手な方法のようだ。
先端を摘んで持ち上げ、用意したタレを蓮華に取って浸たして口に入れるのが正しい食べ方らしい。
ただ、それではスープの熱さに耐え切れないだろう。
委細構わず口中に放り込んで噛み締めれば、美味を愉しむ前に熱さに耐えかねて吐き出すかも知れない。
残念ながら、まだ私は「小籠包の食べ方」の奥義を究めているとは言えそうにない。
今から40年以上前、つまり私が日本に住んでいた頃、この食べ物はあったのだろうか。
中華料理屋のシェフなら知っていたかも知れないが、恐らく作ろうと考えることはなかったと思う。
この饅頭が蒸し上がった時に、中のスープが充分に熱くなっていなければならない。
その理屈は分っていても、客のオーダーに合わせて拵えることは簡単ではない。
恐らく今では多くの中華料理店がこの一品をメニューに載せているだろうし、客に供しているだろう。
だが少なくとも私がニューヨークに来た40年前には、まさに知る人ぞ知る珍味だった。
いや、ニューヨークでもこの料理を提供する店は数えるほどしかなかったように思う。
「上海ジョーズ」という店は今でもあるが、当時から結構固定客が多く週末などは空席待ちも当たり前。
蒸篭に8つ入りで5ドル前後だったか、中味はオーソドックスな豚肉と、それに’蟹の卵を載せた2種類。
結構頻繁に通って、どうにか熱い饅頭を口中でコントロールする技術も身についた。
と言っても、たいしたことを成し遂げたわけではない。
軽く捻った先端を歯で噛み取り、中のスープを吸い上げてしまう。
その辺りでゆっくりと本体を口の中で噛み締めて味わう、という手順。
周囲の中国人を眺めてみたが、それほど秘技を尽しているようには見えない。
どうやらこの「小籠包」を食べる王道はないようで、各人各様好き勝手に食べているらしい。
誰でも一様に箸で先端を摘み蓮華に移すのだが、そこでスープを零す人が多い。
その蓮華のスープを啜って呑んだ挙句、汁の無い本体を食べる仕儀になる。
中には小皿に饅頭を移して、皿ごと口に運ぶつわものもいた。
この「小籠包」は上海料理のカテゴリーに入っているが、本来はその近くの「蘇州」で生まれたらしい。
「蘇州」出身の中国人の小母さんに言わせると、ニューヨークに本物の「小籠包」はないそうだ。
とは言え、この小母さんの食べ方もなかなか無残なものだったから、何処までが本当かは分らない。
この小母さんが「小籠包」を自宅でご馳走するということで、手造りを期待して出かけたのだが、今ではスーパーで冷凍の「小籠包」が売られているとかで、私が食べたのはその冷凍品。
スープは冷凍で饅頭に仕込んでおけば、蒸し上がった時には熱々に溶けている仕組み。
流石に専門店ではそんな冷凍スープは使わず、客に見えるところで皮から拵えてそれを売り物にしている。
さらに後発の店では、その饅頭を包んでいるところをガラス張りにするという趣向が評判を呼んでいるようだ。
この「小籠包」もそうだが、「飲茶」の店でも大型店にしないと採算が取れないらしい。
確かに饅頭を包むだけの従業員を抱えるなら、相当の数をこなさなければならないだろう。
来店客のほとんどは「小籠包」をオーダーするからかなりの数が出るが、作り過ぎれば余剰が出る。
「上海ジョーズ」はフラッシングを本店にして40年近いが、今では「小籠包」を出す店は5,6軒ある。
このフラッシングに「南翔小籠包」という店が6,7年前に出て来て、土日には行列が出来るほどの盛業ぶり。
どうやらこの店名は本場上海の有名店から無断拝借したらしいが、知らない中国人は本場から出店して来た、と思い込んでいるそうだ。
そこへ来て、最近新しい「小籠包」の店がオープンして客を集めている。
この店は他の料理をオーダーすれば、「小籠包」が一人前サービスでついて来るという思い切ったサービス。
この新手法が受けたのか、週末などは順番待ちの客で結構長時間待たされるらしい。
かく言う私たちも、時々少し早めに出かけて無料サービスの「小籠包」を楽しんでいる。
ただ他の店も同様なのだが、「小籠包」が売りの店はそれ以外の料理があまり美味ではない。
基本的には上海料理の店ということになるのだが、四川や広東料理のような得意技が無いように見える。
私たちも「小籠包」以外に2,3点オ−ダーするけれど、どうもぴんと来ない。
八宝菜や両面黄という固焼きそばなどが有名だが、看板というには些か淋しい。
どうも、店が「小籠包」に頼りすぎている感が強いように見えてしまう。
しかし大黒柱になるには、「小籠包」では少々淋しいと思っても不思議ではない。
相撲で言えば、精々前頭4,5枚目といったところではないだろうか。
「北京ダック」、「フカひれ」、「干あわび」、「干なまこ」などのような、それだけで客が呼べる料理かどうか。
中国料理を云々するとき、一般的には広州、四川、北京、上海を代表格のように挙げるが、現在では四川と広州の人気が高く、他は押され気味と言えるような気がする。
日本では、大きな中華料理屋は地域に拘らず各地の料理を提供しているようだ。
広東料理の店で北京ダックを出す、麻婆豆腐も餃子も担々麺もメニューに載せている。
その融通無碍なところが、日本式中華料理の持ち味と呼べるのかも知れない。
インド料理もフランス料理もイタリア料理も、全て日本風にアレンジされて来た。
オリジナルに変化を加えることへの賛否はあるだろうが、日本人はそれを受け入れているように見える。
明治維新まで、日本人の食生活は恐らく世界でも類がないほど変化に乏しいものだっただろう。
一汁一菜の朝食、ほぼ同様の昼食、一汁三菜の夕食は、それでも贅沢な方と言えそうだ。
そして現在は、その全てを取り戻す勢いで多種多様な食品を食べ続けている。
「飽食の時代」と、自分の食生活を称して恬として恥じない辺りは頼もしいほど。
そういう時代が今後どれほど続くのかは分らないが、どこかで歯止めはかかるだろう。
その変化を見ることが出来るかどうか。
見たいような見たくないような。
|