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日本は数十年ぶりの暑さとか新記録の高温とかいうことらしいが、ニューヨークでもなかなかの暑さが居座っており、やはり近年稀に見る酷暑らしい。
私が住んでいるアパートはビル全体を一定の温度に冷しているが、それでも我慢出来ない住民は各個に備え付けのエアーコンディッショナーでもう一段冷すという手段がある。
私たちはこのアパートに住み始めて15年以上になるが、結構暑かった過去の夏を思い出してもこの部屋のクーラーをフル稼働させた記憶は何処にもないようだ。
だがこの夏は、とうとう耐え切れずに部屋の冷房をONする破目に陥った。
そしてこの暑さは食生活にも多大な影響をもたらすことになる。
我が家の台所には窓がないし、換気の装置もない。
だから台所でガスに点火すれば、それは室内の温度を間違いなく高くすることになる。
そういう場合、どんな食生活が相応しいか、日本人であれば答えはひとつだろう。
「冷たい麺類」か「パンとコールドカット」あたりで済ませることになる。
「冷たい麺類」となれば、「冷しうどん」か「ソーメン」か「冷し中華」などが浮かんで来るのが普通だ。
これがもし日本ならば、家を出て近所の蕎麦屋なりうどん屋なりに飛び込むか、ラーメン屋で冷し中華か。
だが、このニューヨークでは幾つものチョイスは与えられていない。
韓国レストランに行けば「冷麺」があるかも知れないが、味の良し悪しには何の確証もない。
また全ての韓国レストランのメニューに「冷麺」があるとは限らない。
中華レストランとなるともっと悲惨で、「冷麺」と称するものは北京料理にあるようだが、はっきり言って食べる気にはなれない。
やはり日本風の「冷しうどん」や「ソーメン」などを体が欲しているのを感じる。
「冷しうどん」や「ソーメン」を旨く食べるカギは「汁」にかかっている、と私は思う。
さらに贅沢を言えばそれに合わせる「薬味」だろう。
「刻み葱」、「おろし生姜」、「紫蘇葉の繊切り」、「擂り胡麻」辺りがすぐ思いつく。
麺類だけでは澱粉質過剰になりそうだから、「茄子」や「ピーマン」などの細切りを炒めたものも悪くない。
私は「温泉卵」を拵えておいて、汁に割り入れることが多い。
また「胡麻ダレ」が加わると、何となく新味のような感覚を味わえる。
だが何と言っても、「汁」そのものが不味ければ話にならない。
「汁」はカツオ出汁に味醂と醤油が基本なのだが、それでは少々物足りない。
そこで私は、多少の手間をかけて煮干と昆布で「汁」を拵える。
築地で求めた、瀬戸内海は「伊吹島」の煮干と羅臼の昆布。
煮干はkgあたり3千円以上するから、決して安いものではない。
さらに頭と腸は取り去るのだから、コストはさらに上昇するわけだ。
家庭の主婦から見れば「勿体無い」ということになるのだろうが、その「勿体無さ」も味のうち。
業界では名の通った「伊吹島」の煮干で作った「汁」は、言わばルイ ビトンのハンドバッグのようなものだ。
そこに羅臼の「出汁昆布」が合わされば、フェラガモのスカーフを首に巻いているとも言えるだろう。
小さな贅沢だが、若い女性のヴィトンとフェラガモが私の「煮干」や「昆布」に相当すると考えれば良いわけだ。
いや、もうひとつ付け加えれば私は「麺」にも結構贅沢をしている。
貰い物だが、秋田県の「稲庭うどん」を張り込んだし、ついでに器も唐津焼を登場させた。
これで不味かったら、このさき人様に料理を云々することはすっぱり諦めようという意気込み。
こういう「汁」を、私はごく薄めに拵える。
吸物より濃いが、市販の「麺つゆ」と較べればかなり淡白な味。
うどんを啜り込むと一緒に「汁」を呑んでも充分旨い、と思う程度の割合。
言うなれば「かけうどん」をそのまま冷たくしたようなもの、と考えても良い。
私は「ソーメン」を食べる時、「ソーメン」の水分が「汁」に混ざって味が薄くなって行くのを好まない。
蕎麦やうどんの専門店が水を張った容器に麺類を入れたがらないのは、そういう理由からではないだろうか。
だから、「ソーメン」や「冷麦」などを提供する店はほとんどない。
「ソーメン」はそれでも家庭で食べられているが、「冷麦」の現状は悲惨と言うに近い。
スーパーなどでは一応棚に置いてあるようだが、人気があるとは思われない。
というより、今の若い人たちは「冷麦」の存在そのものを知らないのではないか。
古来からある麺類の主生産地は、結構知られている。
うどんは讃岐や秋田、福岡や伊勢などが固定のファンを持っているし、蕎麦は長野、栃木、福井、島根など、又「ソーメン」は奈良や瀬戸内海周辺が長い歴史を持っているが、「冷麦」は残念ながら蚊帳の外。
起源はあるらしいが、今ではそれが取り上げられることもほとんどない。
言い方は悪いが、「冷麦」には最早いるべき場所がない、と言えるかも知れない、
調べたところでは1.3mm以下は「ソーメン」で、1.3〜1.7mmは「冷麦」になるのだそうだ。
確かにそれだけの違いでは、わざわざ「冷麦」と指定して買う気にはなれないだろう。
遠くない将来、「冷麦」は淘汰されて行く定めになっているようだ。
だが、その他にも需要が少なくなっている麺類は幾つかある。
「きしめん」という平べったい麺類だが、多くの人はこの麺は愛知県周辺で愛好されていると思っているらしい。
しかし調べてみると、愛知県の人が取り分け「きしめん」を頻繁に食べているわけでもないそうだ。
「味噌煮込みうどん」と言えば「鰻の櫃まぶし」や「天むす」と並ぶ愛知の名物だが、この時使ううどんはごく普通のうどんであって、「きしめん」は登場しないそうだ。
人によっては「きしめん」が愛知の特産と思われることが心外だ、とまで言うらしい。
そうなると実態を知らない私には何も言いようがないが、三河の片田舎から江戸に移って辛抱を重ねた挙句天下を取った徳川家にも色々の思惑はあったとしか考えようがない。
ところでこの「きしめん」とそっくり同じ形状の麺類を、私が子供の頃東京で結構良く食べた記憶がある。
「ひもかわ」と呼ばれていたのだが、一説には群馬県辺りの特産で「ひらうちうどん」とも呼ばれていたという。
とにかく非常にしばしば食卓に上ったから、かなり安い食品だったのではないか、と邪推している。
日曜日などに母に言いつかって、何故か近所の豆腐屋にこの「ひもかわうどん」を買いに行った。
6人家族だったが、10玉くらいを買って来たような記憶がある。
この当時は未だ「出汁の素」などという便利な代物はなかったから、煮干が登場した。
これが私の苦手だった、というのも母は煮干を丸ごと鍋に放り込むのが常だったのだ。
「カルシウムがたっぷりあるのよ」、というのが母の口癖だが、出汁をとった後の煮干は本当の「出し殻」だった。
今私は出汁をとった後の煮干は中骨も取り去って、刻んだ昆布と一緒に煮込んで「佃煮」を作る。
少年時代の「出し殻」とは似ても似つかぬ辛口に煮上がった煮干と昆布は、酒にもぴったりの逸品。
今年のような酷暑の夏ともなると、「うどん汁」の製造にも拍車がかかる。
ぐっと呑めるほど薄味に仕上げているし、暑さでどうしても「冷しうどん」や「ソーメン」で済ませることが多くなる。
たっぷり拵えたつもりでも2,3日で500ccくらいが消えて行く。
それは良いのだが、うどんと出汁だけでは栄養が偏ることは避け難い。
と言ってもこの暑さの中では、例え炊き立ての飯でもそれほど食欲を掻き立ててくれない。
ビールが旨いことはありがたいが、摂取するのが炭水化物ばかりでは体がもたない。
アメリカにいてさえこの有様だから、猛暑酷暑の日本だったらどうなってしまうのだろうか。
望郷の念は募っても、はてさて40年ぶりの故国に適応出来るのかどうか。
ああでもないこうでもないという思案が、これから暫く続くのだろう。
まあ、暑さが過ぎればまた別の考えが浮かんで来るのではないか。
それまでは、「うどん」と「汁」で生き延びていかねばなるまい。
では煮干の頭と腹を取る作業に取りかかろうか。
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