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アメリカに居を定めて40数年間、私は幾度日本へ行ったか数え切れない。
ここ数年は年1度に定着しているが、以前は年に2,3回成田に降り立ったこともある。
日本以外でもカナダや南米や北欧に行ったから、かなり忙しく動き回っていたようだ。
初めての町へ行けば、何かしらそこの名物を食べたいと思って店を探したり、そこで遇う人たちに情報を求めたり、上手く行けばご馳走になったりもする。
まあ実際のところ、カナダや北欧辺りで唸るような美味に出会うことは少ない。
無論全く皆無というわけではないのだが、そもそも出会う人々が食に大きな興味を抱いていない。
カナダのニューファウンドランド島では、隣町のマクドナルドに行くのが楽しみ、と聞いてすぐに諦めた。
チリ南端のプンタアレナスでもタラバガニの近似種が捕れるが、ほとんどは輸出に廻され地元で食べるチャンスは精々1,2週間しかないという。
彼らは基本的に肉食人種だから、水産物はあくまでビジネスでしかないのだ。
その代わり、郊外のレストランで食べた羊の丸焼きは、空前絶後と言っていいほど旨かった。
一頭の羊を数時間かけて丸焼きにしたものだが、羊が旨いのか焼き方が優れているのか、未だに謎だ。
だがそういう忘れられないほどの佳味に出会えるのは、数年に一度程度でしかない。
その点、日本には裏切られることが少ない。
いや裏切りに遇うことはあるのだが、それを補って余りある美食や珍味が日本にはあるのだ。
ただこの数年、そういう出会いが減って来ているような気がしてならない。
それは取りも直さず、食べる機会が少なくなっているからのようだ。
未だ私が40代の頃、連れ立って紅灯の巷に足を運べば、少なくとも2,3軒の店の扉を叩いた。
だが今では、1軒でお開きということが多くなり、情けないことに私もそれが有り難くなっている。
日本に帰れば私は少なくとも3つの集まりに参加する。
小学校の同級生、中学校の同級生、そして高校の水泳部中心の集まり。
小学校は女性も参加するから2次会はないが、中学や高校の会は必ず何処かに流れた。
それが今では8時頃には散会となり、皆行儀良く三々五々散って行く。
そして勿論私もその中の一人なのだから何をか況や、だ。
私はそれでも、多少は日本の旨い店の情報を持っている。
PCを開ければいやというほどの「食べ歩き」ブログがあり、店の情報が写真入りで紹介されている。
その中で幾つか気になる店を抜書きしてはいるのだが、実際に訪ねたことはほとんどない。
距離の問題もあるし、営業時間の問題もあり、何より一人でそういう店に行くのは面映い。
そしてそういう店に限って実に魅力的な紹介が為されていたりするのだ。
寿司は今では超高級料理に仲間入りしてしまったが、20年ほど前は築地の場内の店でも少々並ぶ程度で食べることが出来た。
そして噂が噂を呼び、4時半開店の寿司屋に夜12時から並ぶなどという馬鹿げたことが当たり前のようになってしまい、それに釣られて行列など無かった普通の食堂まで待たされるのが普通になる。
大きな声では言えないが、押し寄せて来た外国人観光客がひと役もふた役も買っているのは確かだろう。
そんなわけで、日本に帰って来ても満ち足りてJFK行きの飛行機に乗ることは滅多になかった。
最後の最後に空港で寿司などを食べると、無念の想いが募って来てしまう。
「寿司」「天麩羅」「鰻」辺りが帰国した日本人が望む美味だろうが、そのどれもが庶民離れしてしまった。
好きなネタを好きなだけ頼むという旧来の方式は影を潜め、店側がセットした「お好み」という決まった寿司ネタを食べる方式が今では全盛らしいが、それでも1万5,6千円はするだろう。
天麩羅の高騰はただ驚くしかないが、変哲も無い材料で揚げたひと通りを食べても2万円近い店もあると聞けば、養殖の海老と格別高級でもない穴子くらいでそんな価格になる計算式は謎でしかない。
鰻となれば、これはまさにマスコミと鰻養殖業者の共同作業であれよあれよという間に、天高く舞い上がってしまった感がある。
稚魚の流通には非合法組織が噛んでいることは周知の事実なのに、マスコミは今頃になって騒ぐ。
それやこれやで、今回の帰国も大きな期待は最初から無かった。
御徒町は最近よく足を向ける商店街だが、昼前に裏通りを歩いていると短いが行列が出来ている。
「とんかつ 山家」という暖簾が出ていて、店にも順番待ちの客がカウンターの客の後にある長椅子に坐っているのはネクストバッターズサークルというところか。
表に値段表が白木に墨痕で書かれており、一番上に「ロースカツ定食 750円」とある。
ここは上野に近く、上野と言えば有名な3大とんかつ屋が君臨しているところだ。
確かトンカツ定食で3千円くらいしたはずだから、この価格はいわば挑戦的なものだろう。
待っている人の数を胸算用で弾いてみると、ざっと30分待ちか。
何となくではあるが、最後尾に並ぶことになった。
私は、「とんかつ」は日本ででもニューヨークででも時々食べている。
日本では京都が本店のチェーン店に幾度か行ったし、ニューヨークでは日本から進出して来た食堂チェーンで「とんかつ定食」を食べた。
格別好きな料理ではないが、概してついて来る飯が旨いことが多いのでオーダーすることが多い。
腹が減っていれば、「結構好きな料理」に格上げされることもあり得る。
第一陣の客が席を離れ始めた。
長椅子の客がカウンターに移り始め、外で待つ客が中に呼び入れられる。
私も中に入り、長椅子に腰を下ろした。
寿司屋ほどの凝ったカウンターではないが、木目の清潔感が快い。
壁のメニューを見ると、「ロースカツ定食 750円」以外には「ロースカツ定食(大) 950円」「上ロースカツ定食 1200円」「ヒレカツ定食 950円」「ヒレカツ定食(大) 1250円」「ミックス定食 850円」「牡蠣フライ定食 950円」、その他お新香やキャベツお代わりなども書かれている。
だが何と言っても「ロースカツ定食 750円」が群を抜いて際立っていることは間違いない。
長椅子で待っている客に女性の店員がオーダーを聞いて廻っているが、7割から8割は「ロースカツ」だ。
私もちょっと考えたがその基本を頼むことにした。
それからさらに20分ほど待って、私も晴れてカウンターの客になった。
落語で言えば二つ目から真打になったようなものか。
前に湯のみに注がれたお茶と小さなお新香の皿が置かれる。
箸は箸箱に入っているものを使うらしい。
私はカウンターの真ん中ほどに座ったのだが、それは丁度トンカツを切り分ける板前の前だった。
彼の左に油の大鍋が置かれ、若い職人が粉を打ったり卵を絡ませたり、パン粉をまぶしたりして数枚のトンカツを鍋に滑り込ませている。
数枚の大皿が板前の前に用意され、彼が細切りにしたキャベツをトングで取り分けている。
やがて大鍋から数枚のトンカツを引き揚げ、庖丁で5つに切り分けた。
それをキャベツの山の横に置いて、木ベラで辛子を掬い上げてトンカツの横に添え、客の前に置き始める。
私にもそのひと皿が置かれ、さらに味噌汁と小さ目の丼によそわれた飯が置かれた。
ソースは大きな口つき容器に入って、適当な間隔を空けて客が自分で取れるようになっている。
当店の初心者の私は、ソースを取って先ずキャベツにかけ、次いでトンカツに少し控えめにかけた。
もともとソースファンではない私は、出来ればポン酢で食べたいところだが、無いものねだりは出来ない。
味噌汁から啜ってみると、小さいがちゃんと蜆が入っている。
5切れあるとんかつの真ん中の一切れを摘み、辛子をつけて口に運ぶ。
ロースの名に恥じないあぶらっ気が口中に拡がる。
豚肉特有の旨味がカリッと揚がった衣とひとつになり、ソースと相俟って懐かしい味をもたらしている。
丼の飯を頬張る。
こういう食べ方をすると、「飯を喰っている」という感覚が全身に漲って来るから不思議だ。
少量の飯や副菜を口に運ぶと、「飯を喰う」という気はしない。
極端に言えば「餌をついばむ」ようにさえ感じてしまう。
口一杯に頬張ると、全身で食べているという気になる。
とんかつという食べ物は、まさにそういう場面に相応しい料理なのだ。
そして出来得れば20代30代の胃袋があれば、言うことはないだろう。
何とかトンカツは全て胃袋に納めたが、飯は残すことになった。
そして、私と一緒にトンカツを配布された数人は、全て食べ終わって席を立って行った。
要するに、私の食べるスピードは人より断然遅いわけだ。
言い換えれば、こういう昼食時の食べ方を数十年忘れていた、ということになる。
だが、そういう熱気の中に身を置くという感覚が、少し蘇って来たような気がしないでもない。
又来るときがあるかどうか分からないこの小さな店は、記憶には留まることだろう。
「野に遺賢あり」とは少し違うようだが…。
千円札を出して、きっちり250円のお釣り。
満足感が、この釣銭で増幅されたような気になるのが何とも可笑しい。
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