還暦スイマー望郷日記

30余年のニューヨーク、今浦島の心境を…

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私は東京の西郊と言おうか、分りやすく言えば都の西側に位置する杉並育ちだから、身近な盛り場と言えば新宿であり、ごく稀に渋谷や銀座にまで足を伸ばすことはあっても、浅草やそれ以東に足を踏み入れたことは記憶に無かったように思う。
私が浅草辺りを物珍しげに覗きまわるようになったのは、実はアメリカに住み始めて以後のことになる。
と言っても年に精々1,2度の帰国の合間に行くのだから、限られた店や寺や神社を眺める程度のことだ。
だから本当にそのディープな部分を訪ねられるようになったのは、ここ数年ではないだろうか。
例えば合羽橋の調理器具専門店街なども、必ず行くようになったのはこの4,5年のような気がする。
雷門からすぐの「並木藪蕎麦」にしても、見つけて行き始めたのは良いがすぐに行列が長くなり、今では1時間以上待ちが当たり前という状況になってしまった。
夥しい数の所謂グルメブログの氾濫で、昔であれば並程度の店が持ち上げられ「名店」と呼ばれ、店主は「この道ひと筋の職人」ということになり、知らぬ間にメニューも値上がりしてしまう。
私が子供の頃良く行った「M」というラーメン屋もマスコミに持ち上げられあっと言う間に「日本一」の店になった。
もうその頃は単なる行列ではなく数時間待ちという話だったから私も行く気も失せていたが、やっかみもあったのだろうが店側の客あしらいの悪さが喧伝されるようになった。
「うちはレンゲを出していません」とか「隣同士話すのは辞めてくれ」だの、まことしやかに囁かれる逸話は、昔を知る私たちにとっては信じられないような話ばかり。
幼かった私の麺を、一度水に通して食べやすくしてくれた店主からは想像もつかない人間像。
やがて巨額の脱税を摘発されて、見る間に萎んでしまった。
今でも私はたまにこの荻窪を覗くこともあるが、その「M」はもはや存在しない。
おそらく名前すら忘れ去られたのかも知れない。
大きな盛り場にある有名店は、客こそ多いが味に関しては疑問符がつくところが多い気がする。
私にとって唯一の盛り場だった新宿だが、今では単なる薄汚れた場末としか思われない。

そして、過去の遺物めいていた浅草や下町が息を吹き返しつつある。
かつて山本夏彦は、「浅草や銀座は衰退して行く街だ」と書き、それは充分説得力があった。
だが現実には、東京の盛り場は人口の増加を受けて拡大の一方のようだ。
その要因のひとつに、海外からの人の流入があることは間違いない。
今回私は合羽橋の調理器具店街を歩いていて、外国人客の多さに驚かされた。
日本独特の飲食店用の商品見本の人気は以前から知られていたが、今の彼らはそんな時点は越えて日本の調理器具の精巧さや使い易さに惹かれて来ていることが良く分る。
一品一品は決して安くはないが、投資に見合うものが得られることを既に学んでいるようだ。
2,3万円を越える庖丁や鍋などが買われているのを見ると、日本の技術を再確認するとともに、それを見極められる海外から来た調理人たちの熱意に感心してしまう。
ただ、日本の料理人が使う庖丁類は研磨が容易ではない。
器械で研ぐ国も多いが、日本古来の刃物は職人が砥石の癖まで見極めてほぼ毎日仕事後に研ぐ習慣になっているので、そう簡単に習得することは難しいのではないか。
売る店の方がそこまで考えているのかどうか、売りっ放しではないのか、些か疑問ではある。

浅草のみならず江戸時代から職人や専門職が集まっていた下町は、興味深い処が多い。
それをあらわす町名があちこちに存在していたのだが、戦後町名改革とやらで変哲も無い名前に改称させられてしまった事例を幾らでも探し出せる。
一体、東京の人たちやお役所の連中は「富士」という名前が大好きなようで、「XX富士町」とか「富士XX町」と名づけられた新興住宅地は結構ある。
調べたことはないが、関東や甲府、さらには東海地方の富士を望める町村には「富士」を取り入れた新町名に変えたところも少なくないと聞いた。
これも調べたこともないが、その周辺の小中学校や高校の校歌には「富士」が頻出しているのだろう。
別に目くじらを立てて非難するほどのことではないが、やはり少々うんざりする。

「校歌」のついでに言うが、これもそろそろ考え直す時期に来ているのではなかろうか。
当時の文人が古色蒼然たる言葉を繋いだ詩に、これまた大家と看做された作曲家が曲を添えて既に100年以上の年月唄われ続けて来た校歌は、最早その言葉の持つ弾力性は失われているだろう。
多くは美辞麗句を連ねた、若者には理解出来ない古めかしい言葉の羅列でしかない。
極言すれば、校歌とは甲子園で歌われるかどうかで値打ちが決まるもののように思われているらしい。
何千何百という学校が何千何百という校歌を持ち、ことあるごとにそれを唄っているというのも唯一日本にしかない奇習と言っても良いのではないか。
日本に校歌というものが生まれ唄われるようになったのは明治以降であり、政府主導の教育の一環とされたことはほぼ間違いがないようだ。
欧米やアジアの諸国にも校歌を持つ学校は存在するらしいが、日本のように決まった記念日、例えば創立記念日、入学式、卒業式などで唄うことが決められている例は少ない。
それを日本独特の文化と看做すか、陳腐な陋習を守り続ける悪弊とみるか、意見は別れるかも知れない。
だが、実際に歌う学生たちがその詞の意味をほとんど理解していないのは、これまた可笑しなものだろう。

「校歌」について考えると、すぐ浮かんで来る名前がある。
「信時潔」と言えば、「ああ あの人か…」と良し悪しは別にして、その名前を思い出すだろう。
「信時潔」という名前は知らなくても、彼が作曲した多くの歌のひとつくらいは知っているはずだ。
「海ゆかば」は、戦時中おそらく最も歌われた彼の作品だろう。
この歌ゆえに、信時潔は戦争称揚の作曲家として戦後は逼塞していたという。
同様に活動していた山田耕筰と較べれば、大きな違いと言えるだろう。
信時潔の作品は、実は信じられないほど多岐に亘っている。
彼が作曲した大学高校中学小学校の校歌の多さは、想像を遥かに超えているのだ。
彼の拵えた校歌を持つ学校が日本全国に網羅されていることは別に不思議ではない。
また、そのほとんどが県立、町立、区立という公立学校であることも、頷けるだろう。
さらにまた、明治以降多くの学校が校歌作りに狂奔したであろうことも想像出来る。
それはまさに、今の「ゆるキャラ」作りと同様の「乗り遅れてはならない」という懸命さだっただろう。
そういう場合、誰もが考えるのが既にその道で名を成した人に依頼することだ。
既に多くの校歌を作曲し大家と目されている信時潔などは、まさに打ってつけと言えそうだ。
生涯を通じて800以上の校歌を作曲した信時だが、それ以外にも社歌や団体歌なども作っている。
戦後は自主的に拵える曲の数を減らしたようだが、それでも彼が作曲した校歌の数は驚異的だ。
その作品が歌われた、という点で考えればひょっとすると日本一、いや世界一かも知れない。
比較は難しいが、ギネスブックが認定する可能性も無きにあらず、かな。

私の下町漫歩はまだまだ緒に着いたばかりだが、数あるブログのお蔭で知識だけは豊富だ。
それだけではない。
以前幾つか訪ねてみた地方魚市場行脚も、続けたいもののひとつ。
ただこれはどんなに急いでも1日にひとつが限界だから、そう簡単には行かない。
まあ時間はたっぷりあるはずだから(?)、ゆるゆると行くことにしよう。
札所巡りの人気は相変わらずのようだが、市場巡りもそのうちブームになるかも知れない。

今回の日本帰国の目的の一つに、「新豊洲市場」をこの目で見たいという希望があった。
私が築地に行くようになってもう30数年になるが、毎回競り場を見、次いで場内の中卸店を覗くのが行程に入っていて、その後場内の食堂で遅い朝飯かまたは早めの昼飯をしたためるのが締め括りになっていた。
それは時には寿司であり、魚の煮付けであり、天麩羅であった。
築地に通い始めた頃はどこの店もそこそこに込んではいたが、行列を作って長時間待つなどということはなかったし何処か他で間に合わせることも出来た。
そして銀座で飲んだ帰りだろうか、ホステスと思しき女性を連れたビジネスマン風が寿司屋で〆の寿司を食べている光景に出くわすこともあった。
私にしても若さもあったろうが、時には朝まで吞んでそのまま競り場を覗き、そして早朝の仕上げの飯を喰ったりもしていたのだから、似たり寄ったりと言われても仕方がない。
そういう無茶が出来なくなってもう十数年経つ。
競り前の品物を見たいなら4時過ぎには行かなくてはならないが、これに間に合わせるのはなかなか難しい。
「競り」と書いたが、実際に競られて価格が決まるのは、現在では所謂「大物」と呼ばれるマグロ、カジキ類とウニの2種類しか残されていない。
その他はどうしているかと言えば、品物を受ける大卸(荷受とも呼ぶ)と出荷者で大まかな話し合いをして事前に価格を決めておくのが普通だ。
それでは「慣れ合い」ではないか、という批判が聞こえて来そうだが、現在の中央卸売市場が扱える数量とそれを切り回す各社の従業員の労力を考えれば止むを得ないと誰もが考えている。
若し全ての魚の価格を競りで決めるとすれば、まる1日かけても競りは終わらないことになり兼ねない。
その2種類にしても時間内に終わらせるのは非常に難しく、競り残しを馴染み客に頼んで引き取ってもらう、などという競りの後のやり取りは日常茶飯になっているらしい。
この2種類にしても限られた時間内に終わらせるためには、定時に始めて時間内に終了させることが必要だ。
だから競りを見たければ時間に遅れないように競り場に行かなければならない。
競り場に一番近い宿泊施設は、市場の前にあるビジネスホテルか市場の中にある施設に泊まるくらいだが、そのどちらも部屋がタバコ臭くてとても安眠できるとは言い難い。
で、何時の間にか7時過ぎにちょっと顔を出す程度のものになってしまった。
何のことはない、朝飯を食べに行っているのと大差はないわけだ。
しかもここ数年は、まさに単なる「朝飯客」そのものになっていたし。

豊洲市場の大体の場所の見当はついてはいたが、そこに行くルートは未だ知らなかった。
新橋に着いて汐留口に出て、私は2人連れの警察官に尋ねることにした。
「それは1番のバス停から豊洲行きに乗って下さい」
ニューヨークのポリスとは全く異なる丁寧な言葉遣いで、彼は私に答えてくれた。
探すまでもなく1番の停留所はすぐ近くにあった。
ややあってやって来たバスに乗り込み、後はバスに連れて行かれるのを待つだけ。
どうやらこの路線は以前「築地市場行き」だったようで、見慣れた築地4丁目から勝鬨橋を渡る。
流石に新しい市場へ行く路線だけあって、結構混雑しているようだ。
それでも都合40分ほどで終点「豊洲市場」に着いた、
すでに10時に近く、市場の建物のそこかしこにはかなり大勢の人影が見える。
グレーっぽい4,5階建てのビルが幾つか建ち並び、だが此処からは何の建物かの見当はつかない。
とり合えず少し纏まった人の群に混ざって手近なビルに行って見ることにした。
この群は主として外国人用のツアーらしく、ガイドのような女性が英語で説明をしながら歩いて行く。
だが考えてみるとこの時間帯なら、もうほとんどの競りも中卸店の営業も終わっているはずだ。
巨大なマグロが競りにかけられる場面を期待してやって来た人たちには気の毒だが、そのマグロたちは既に解体されて中卸店で売られているか、既に客に買われて運ばれているか、なのだ。
ビルに入った辺りで、私はこの集団と別れて最上階の商店街に向かった。

以前は固まっていた商店や飲食店は、此処では幾つかのビルに分散されている。
だから、狙って来た寿司店の行列が長過ぎても急遽別の店に目標を変えるのは簡単ではない。
まして以前は場内の店が駄目なら場外の店にシフトすると言う手もあったが、今ではそれも出来ない。
まあ半年くらいは試行錯誤が続いて、出るべき不満も全て出て、どうにか落ち着くのではないか。
しかし景気が下向いている水産業界の最前線を死守している中卸店には、かなり厳しい試練の数年だろう。
私が知っているだけでも数十軒が廃業したり倒産したりしているし、廃業の大きな理由は後継者不足だと言う。
後を継ぐ2代目3代目が安定した大企業に雇われてしまえば、親の権限で店を継がせられる時代ではない。
そもそも水産業というビジネスが根底からぐらつき始めているのだから、何を言っても説得力が無い。
生産者―漁協―魚市場(大卸)−中卸―小売業、飲食業 という明治大正昭和と先人たちが築き上げたルートを後生大事に守り続けて来たツケが廻って来たとも言えるし、獲れるのを良いことに好き放題に魚を捕って来た旧来の漁法が自らの首を締めた、とも言えそうだ。
所謂「栽培漁業(養殖)」の生産量が世界的に急激に伸びたこともあって、水産物総合計では中国の8,152万トンが群を抜いており、日本は世界7位の434万トンに留まっている(2016年)。
内水面栽培漁業(地上での養殖)での日本の技術は高く評価されているが、世界市場に売れるものより国内価格が高い産品を製造する傾向が強く、その辺りがこの産業の将来を占う面で問題なのかも知れない。
だが欧州を市場と考えた場合、養殖鮭の輸送価格はノルウェーよりずっと高くなるし、アメリカと看做せば南米のチリの優位は動かないことが分るだろう。
だからどうしてもそんな諸経費を含めた価格が期待出来るような、国内需要の高い商品に向かうことになる。
鯛をはじめ、ハタやクエなどの高級魚の養殖が盛んになるのは無理からぬことと言えそうだ。
だが高級魚を養殖したからといって、それが期待通り高値で買われるかどうか、難しいところだ。
養殖の魚の価格が上がれば、その魚種の天然物の価格はさらに一段高くなることは必定だ。
某大学が成功したホンマグロの完全養殖にしても、天然を凌ぐとは誰も言わない。
鯛であれ鰤であれ、話は全く同様だろう。

新しい市場は以前と異なって各部門は結構離れており、慣れるには時間がかかりそうだ。
さらに新しく出来たビルだが、その薄いグレーの外観はあまり明るい印象ではない。
旧市場では長屋風に纏まっていた商店群も、此処では幾つかの棟に分けられている。
多くの外来客が求めている食堂も4つ5つの棟に分散しているから、先ずその店を見つけなければならない。
人気の中心は、やはり寿司を筆頭に生鮮魚介を提供する店のようだ。
顔触れを見ると、以前聞いたことも無い店が幾つか混じっている。
移転を契機に廃業した店の代わりに新規開店した店なのかも知れない。
私も何か食べたいと思ったが、旧市場で人気だった店には此処でも長い列が出来ている。
それでも以前は3,4時間待つこともあったらしいが、この様子なら1時間程度だろう。
と言っても、私には1時間以上待つ気はない。
昔1,2度行った天婦羅屋を探すことにして、壁の場内地図を眺める。
ぽつんと離れた棟にはたった4軒しか店が入っていない。
以前大人気だった寿司店とその天婦羅屋と蕎麦屋。

エレベーターに乗って一階に下って、試行錯誤の末やっと天婦羅屋に辿り着いた。
私の前には一組のカップルがいるだけ。
店の表には待ち客用の椅子が幾つか用意されていた。
中を窺うと一応満員だが、それほど待たされる様子ではない。
表にでは看板にはメニューが出ている。
「天丼 1300円」「芝海老穴子天丼 1600円」「大海老天丼 1600円」などとある。
神田新橋辺りのサラリーマン相手の店とすれば高いが、銀座と較べれば似たようなものか。
築地の場内店は高い、と良く言われていたが、それは彼らが本職の板前や魚屋を客筋として持っていることに最大の理由があったことは知られている。
「プロ相手に変なものは出せない」「一流料亭の職人だって来るんだから…」
そんな矜持が各店にあったかどうかは別として、流石に不味いと言われる店は無かったように思う。
中には「煮魚定食」で5000円という店もあったが、そこそこに客はついていたらしい。
その店はこの豊洲に移転して来たが、新しい店のメニューは「お任せ 10000円」のみというから驚く。
試してみたい気はするが、やはり躊躇してしまうのは当たり前だろう。
しかし最高の食材を取り揃えた朝昼兼用の食事とはどんなものか、垣間見るだけでも悪くはない。

妄想に耽っている間に、私の席が空いたらしい。
流石に開店したばかりの店だけあって、全てが新しく清潔感がある。
だが、ちょっと角度を変えて見ると東北大震災後の仮設店舗という感がないでもない。
天婦羅屋なのに油の香りがしない。
板場の店主もサービス担当の女将さんも、未だ何処と無くよそ行きの雰囲気が抜け切れていないようだ。
私は「芝海老穴子天丼」を頼み、缶ビールを1本追加した。
私の席は壁に向かっているが、背後の4人掛けの3つのテーブルはゆったりとしている。
以前のこの店の狭苦しさを思い出すと、やはり何か違和感が拭えない。
どんな老舗でも内装も外装も変わってしまえば、その店らしさを取り戻すには時間がかかるものだ。
まあ最低でも2,3年はかかるのだろうな、と私は芝海老を齧りながら考えた。
有り難いことに食べ物に違和感はない。
流石に築地場内で数十年生き抜いた店だけのことはある、と褒めたいくらい。
この次又この店に来ることがあるかどうかは分らないが、満足したことは確かだ。

「牡蠣」は世界中で最も食べられている二枚貝だろう。
その歴史が古いことは、日本各地で発見された「貝塚」で見られる貝殻の多くが牡蠣であることからも充分推測出来そうだ。
養殖が可能なことから世界中至るところで食用とされ、生鮮としても加工用としても広く利用されている。
宗教的な理由からイスラム教やユダヤ教の人たちは食べないが、それでも全世界で消費される牡蠣の量は実に膨大なものだと思わざるを得ない。
牡蠣に関して気づくことは、既に数千年の歴史がある食材にしては牡蠣をメインにした料理が以外に少ないことだ。
勿論多くの著名なシェフが牡蠣料理を著わしてはいるのだが、現代にまで残されたものは少ない。
それは日本料理にしても同じことで、一流と謳われた料亭などでも牡蠣を主菜にして評判をとった料理はあまり聞いた覚えが無いように思う。
その理由は色々考えられるだろうが、真っ先に言われるのは「牡蠣」そのものの旨さだろう。
殻を開いてレモンの汁を絞るだけで、下手な細工ではおよびもつかない美味が口中に滑り込む。
バターで炒めてもフライにしても充分旨いが、それはあくまでも「充分旨い」のであって究極ではない。
真っ先に「究極に旨い」ものを突きつけられてしまえば、料理人のなす術はないだろう。

フランスのレストランで、冬場の牡蠣のサービスはシェフの仕事ではない。
「ギャルソン」と呼ばれる給仕人が自分で殻を剥いて客席に運ぶのだそうだ。
つまり、料理人が手を出す部分は最初から無い、ということなのではないか。
「オイスターバー」と言えば、マンハッタンのグランドセントラル駅にあるシーフードレストランだが、ここで売り物の「生牡蠣」を頼めば、壁際に待機している牡蠣剥き専門の数人がオーダーをこなす。
この連中は「オイスターチャウダー(牡蠣スープ)」も拵えるところをみれば、キッチンで待機しているシェフたちはどうやら牡蠣の料理には手を出さないのではないか、と推察出来る。
アメリカのニューオリーンズは牡蠣などのシーフードで名を馳せたところだが、此処でも牡蠣剥きは黒人の少年たちの仕事と決められているようで、彼らは黙々と牡蠣を剥き続けている。
ここのレストランはフレンチの系統を引いているので、シェフは牡蠣には手を出さないのかも知れない。

私は人並みに牡蠣が好きで自分でもカキフライなどを料理するが、アメリカでは生食用の剥き牡蠣は売られていないので、自分で開けるしか食べる方法はない。
随分以前に、客をもてなすために魚市場から殻つきの牡蠣をひと箱買って来て挑戦したことがある。
60個ほども開けただろうか、結構旨かったが手は血まみれになりそれ以後2度と試していない。
そういう話を日本の人にすると、「あら、日本では町のスーパーで生食用が買えるわよ」と言われるのだが、実はその裏でかなりの食中毒が発生していることはあまり知られていない。
今回日本の魚屋で「生食用」という牡蠣を幾度か見かけたのだが、結局手を出さなかった。
アメリカで買う生牡蠣は加熱用であり、西海岸から冷蔵トラックで4,5日かけて運んで来るのだから、賞味期限のチェックは慎重にならざるを得ない。
私は小粒で磯の匂いがする牡蠣が好みなのだが、町で売られている加熱用は大体大粒のようだ。
だから賞味期限がたっぷりあって「Small」という表示があれば、すぐ手が出ることになる。
まあそれでも、日本でならかなりの大粒と評価されるだろうが。

最近日本では上野のアメ横や御徒町周辺をうろつくことが多くなり、そこから浅草や錦糸町などに足を伸ばすことも少なくない。
「山家」という店でとんかつを食べて暫く後。
11時過ぎごろその近くを通りかかった。
とんかつを食べた折り、メニューに「牡蠣フライ」があったのを頭の隅でしっかりと覚えていた。
「牡蠣フライ」というものを食べるに相応しい店を、生憎私は知らない。
デパートの食堂にならあるだろうが、それは出来るだけ避けたい。
そうなれば洋食専門の店かフライ専門の店、という択一になりそうだ。
であれば、今此処を通りかかったのは天の配剤と言えるのではないか。
記憶の糸を手繰って、私は再び「山家」の前にやって来た。
もう行列は出来ているが、前回よりは短い。
最初の時は若干の躊躇いがあったが、2度目となれば自然に体が動く。
列の最後尾に並び、後は前の人について行くだけ。
店内に入り、「カキフライ 950円」という白木のメニューを再確認した。
長椅子に坐り女性店員からオーダーを訊ねられて、「カキフライ」と告げるとひと仕事終わった気がする。
他の客のオーダーを聞くともなく聞いていると、やはり「ロースカツ」が圧倒的に多い。
耳を澄ましたつもりだったが、「カキフライ」は私ひとりのようだ。
200円の価格差ゆえか、それとも「カキフライ」ならもっと旨い店があるのだろうか。
心が千々に乱れるとは大袈裟だが、かすかな不安が生じていたことは確かだ。
だがその不安も、カウンターに座り私のものらしいパン粉の小さな塊を見出すまでのこと。
思いのほか大きい塊が5つ、大きな鍋から抓み上げられて来る。
既に用意された千切りキャベツの上に丁寧に置き、辛子とタルタルソースをチューブから絞り出す。
うーむ、市販のタルタルソースは少々残念だが、この価格なら止むを得ないとするか。
5つの牡蠣に蜆の味噌汁にどんぶり飯で950円ぽっきり、税もチップも不要。
文句を言ったらバチが当たるだろう。
最初の牡蠣を箸で抓み上げ、タルタルソースをなすりつけて口に運ぶ。
やはり少々甘い。
そもそも私はマヨネーズと言う調味料があまり好きではない。
自分で料理をする時、ポテトサラダには止むを得ずマヨネーズをかけるが、それもごく少量だ。
出来得るならば、ここはマヨネーズではなく和食の「黄身酢」を添えて欲しかったところだ。
いやいやそんな贅沢が言えるほどの高額料理を食べているわけではない。
思い直して、次は卓上のソースをかけてみた。
さらに言えば、私はこのトンカツソースもあまり得手ではないのだ。
この2つにトマトケチャップを加えれば、「私の嫌いな3大調味料」勢揃いになる。
だが今はそんなことは言っていられない。
それにソース味のカキフライは、タルタルソースよりはずっと飯に合う。
そして、キャベツにはやはりこのソースが最適だろう。
そして肝腎の牡蠣の味だが、からっと揚がった衣と相俟って、松島か広島かは分らないが潮の香りを感じさせてくれる上々の揚がり具合だ。
「ロースカツ定食に、牡蠣を一つつけて下さい」
人心地ついてちょっと箸を休めたところで、そんな注文が耳に入って来た。
ふーん、此処はそんな細かい注文も受けているのか。
であれば、メニューにある「アジフライ 一つ190円」なども頼めるんだな。
多少身構えて入ってみたとんかつ屋ではあるが、実態はごくごく気安い町の「飯屋」だったらしい。
とは言え、前回「ロースカツ定食」ひとつで他の客よりも随分遅れて食べ終えたのだから、そんな注文をするにはまだまだ経験を積まなくてはならないようだ。
言うなれば、「とんかつ屋 初心者篇 第2部」に進んだばかりなのだから。

それでも勘定を終えて出て来た私の姿勢に、「とんかつ屋 ベテラン篇」の片鱗くらいは垣間見えたかも知れない。

「とんかつ」を喰らう

アメリカに居を定めて40数年間、私は幾度日本へ行ったか数え切れない。
ここ数年は年1度に定着しているが、以前は年に2,3回成田に降り立ったこともある。
日本以外でもカナダや南米や北欧に行ったから、かなり忙しく動き回っていたようだ。
初めての町へ行けば、何かしらそこの名物を食べたいと思って店を探したり、そこで遇う人たちに情報を求めたり、上手く行けばご馳走になったりもする。
まあ実際のところ、カナダや北欧辺りで唸るような美味に出会うことは少ない。
無論全く皆無というわけではないのだが、そもそも出会う人々が食に大きな興味を抱いていない。
カナダのニューファウンドランド島では、隣町のマクドナルドに行くのが楽しみ、と聞いてすぐに諦めた。
チリ南端のプンタアレナスでもタラバガニの近似種が捕れるが、ほとんどは輸出に廻され地元で食べるチャンスは精々1,2週間しかないという。
彼らは基本的に肉食人種だから、水産物はあくまでビジネスでしかないのだ。
その代わり、郊外のレストランで食べた羊の丸焼きは、空前絶後と言っていいほど旨かった。
一頭の羊を数時間かけて丸焼きにしたものだが、羊が旨いのか焼き方が優れているのか、未だに謎だ。
だがそういう忘れられないほどの佳味に出会えるのは、数年に一度程度でしかない。

その点、日本には裏切られることが少ない。
いや裏切りに遇うことはあるのだが、それを補って余りある美食や珍味が日本にはあるのだ。
ただこの数年、そういう出会いが減って来ているような気がしてならない。
それは取りも直さず、食べる機会が少なくなっているからのようだ。
未だ私が40代の頃、連れ立って紅灯の巷に足を運べば、少なくとも2,3軒の店の扉を叩いた。
だが今では、1軒でお開きということが多くなり、情けないことに私もそれが有り難くなっている。
日本に帰れば私は少なくとも3つの集まりに参加する。
小学校の同級生、中学校の同級生、そして高校の水泳部中心の集まり。
小学校は女性も参加するから2次会はないが、中学や高校の会は必ず何処かに流れた。
それが今では8時頃には散会となり、皆行儀良く三々五々散って行く。
そして勿論私もその中の一人なのだから何をか況や、だ。

私はそれでも、多少は日本の旨い店の情報を持っている。
PCを開ければいやというほどの「食べ歩き」ブログがあり、店の情報が写真入りで紹介されている。
その中で幾つか気になる店を抜書きしてはいるのだが、実際に訪ねたことはほとんどない。
距離の問題もあるし、営業時間の問題もあり、何より一人でそういう店に行くのは面映い。
そしてそういう店に限って実に魅力的な紹介が為されていたりするのだ。
寿司は今では超高級料理に仲間入りしてしまったが、20年ほど前は築地の場内の店でも少々並ぶ程度で食べることが出来た。
そして噂が噂を呼び、4時半開店の寿司屋に夜12時から並ぶなどという馬鹿げたことが当たり前のようになってしまい、それに釣られて行列など無かった普通の食堂まで待たされるのが普通になる。
大きな声では言えないが、押し寄せて来た外国人観光客がひと役もふた役も買っているのは確かだろう。

そんなわけで、日本に帰って来ても満ち足りてJFK行きの飛行機に乗ることは滅多になかった。
最後の最後に空港で寿司などを食べると、無念の想いが募って来てしまう。
「寿司」「天麩羅」「鰻」辺りが帰国した日本人が望む美味だろうが、そのどれもが庶民離れしてしまった。
好きなネタを好きなだけ頼むという旧来の方式は影を潜め、店側がセットした「お好み」という決まった寿司ネタを食べる方式が今では全盛らしいが、それでも1万5,6千円はするだろう。
天麩羅の高騰はただ驚くしかないが、変哲も無い材料で揚げたひと通りを食べても2万円近い店もあると聞けば、養殖の海老と格別高級でもない穴子くらいでそんな価格になる計算式は謎でしかない。
鰻となれば、これはまさにマスコミと鰻養殖業者の共同作業であれよあれよという間に、天高く舞い上がってしまった感がある。
稚魚の流通には非合法組織が噛んでいることは周知の事実なのに、マスコミは今頃になって騒ぐ。
それやこれやで、今回の帰国も大きな期待は最初から無かった。

御徒町は最近よく足を向ける商店街だが、昼前に裏通りを歩いていると短いが行列が出来ている。
「とんかつ 山家」という暖簾が出ていて、店にも順番待ちの客がカウンターの客の後にある長椅子に坐っているのはネクストバッターズサークルというところか。
表に値段表が白木に墨痕で書かれており、一番上に「ロースカツ定食 750円」とある。
ここは上野に近く、上野と言えば有名な3大とんかつ屋が君臨しているところだ。
確かトンカツ定食で3千円くらいしたはずだから、この価格はいわば挑戦的なものだろう。
待っている人の数を胸算用で弾いてみると、ざっと30分待ちか。
何となくではあるが、最後尾に並ぶことになった。
私は、「とんかつ」は日本ででもニューヨークででも時々食べている。
日本では京都が本店のチェーン店に幾度か行ったし、ニューヨークでは日本から進出して来た食堂チェーンで「とんかつ定食」を食べた。
格別好きな料理ではないが、概してついて来る飯が旨いことが多いのでオーダーすることが多い。
腹が減っていれば、「結構好きな料理」に格上げされることもあり得る。

第一陣の客が席を離れ始めた。
長椅子の客がカウンターに移り始め、外で待つ客が中に呼び入れられる。
私も中に入り、長椅子に腰を下ろした。
寿司屋ほどの凝ったカウンターではないが、木目の清潔感が快い。
壁のメニューを見ると、「ロースカツ定食 750円」以外には「ロースカツ定食(大) 950円」「上ロースカツ定食 1200円」「ヒレカツ定食 950円」「ヒレカツ定食(大) 1250円」「ミックス定食 850円」「牡蠣フライ定食 950円」、その他お新香やキャベツお代わりなども書かれている。
だが何と言っても「ロースカツ定食 750円」が群を抜いて際立っていることは間違いない。
長椅子で待っている客に女性の店員がオーダーを聞いて廻っているが、7割から8割は「ロースカツ」だ。
私もちょっと考えたがその基本を頼むことにした。

それからさらに20分ほど待って、私も晴れてカウンターの客になった。
落語で言えば二つ目から真打になったようなものか。
前に湯のみに注がれたお茶と小さなお新香の皿が置かれる。
箸は箸箱に入っているものを使うらしい。
私はカウンターの真ん中ほどに座ったのだが、それは丁度トンカツを切り分ける板前の前だった。
彼の左に油の大鍋が置かれ、若い職人が粉を打ったり卵を絡ませたり、パン粉をまぶしたりして数枚のトンカツを鍋に滑り込ませている。
数枚の大皿が板前の前に用意され、彼が細切りにしたキャベツをトングで取り分けている。
やがて大鍋から数枚のトンカツを引き揚げ、庖丁で5つに切り分けた。
それをキャベツの山の横に置いて、木ベラで辛子を掬い上げてトンカツの横に添え、客の前に置き始める。
私にもそのひと皿が置かれ、さらに味噌汁と小さ目の丼によそわれた飯が置かれた。
ソースは大きな口つき容器に入って、適当な間隔を空けて客が自分で取れるようになっている。
当店の初心者の私は、ソースを取って先ずキャベツにかけ、次いでトンカツに少し控えめにかけた。
もともとソースファンではない私は、出来ればポン酢で食べたいところだが、無いものねだりは出来ない。
味噌汁から啜ってみると、小さいがちゃんと蜆が入っている。
5切れあるとんかつの真ん中の一切れを摘み、辛子をつけて口に運ぶ。
ロースの名に恥じないあぶらっ気が口中に拡がる。
豚肉特有の旨味がカリッと揚がった衣とひとつになり、ソースと相俟って懐かしい味をもたらしている。
丼の飯を頬張る。
こういう食べ方をすると、「飯を喰っている」という感覚が全身に漲って来るから不思議だ。
少量の飯や副菜を口に運ぶと、「飯を喰う」という気はしない。
極端に言えば「餌をついばむ」ようにさえ感じてしまう。
口一杯に頬張ると、全身で食べているという気になる。
とんかつという食べ物は、まさにそういう場面に相応しい料理なのだ。
そして出来得れば20代30代の胃袋があれば、言うことはないだろう。

何とかトンカツは全て胃袋に納めたが、飯は残すことになった。
そして、私と一緒にトンカツを配布された数人は、全て食べ終わって席を立って行った。
要するに、私の食べるスピードは人より断然遅いわけだ。
言い換えれば、こういう昼食時の食べ方を数十年忘れていた、ということになる。
だが、そういう熱気の中に身を置くという感覚が、少し蘇って来たような気がしないでもない。
又来るときがあるかどうか分からないこの小さな店は、記憶には留まることだろう。
「野に遺賢あり」とは少し違うようだが…。
千円札を出して、きっちり250円のお釣り。
満足感が、この釣銭で増幅されたような気になるのが何とも可笑しい。

10月の10日過ぎから、3週間少々日本に帰る予定を立てていた。
本来は5月を予定していたのだが、生憎風邪を引いたようで、航空機の機内で咳を頻発する懼れもあって夏前の帰国は断念せざるを得なかった。
そのキャンセルした航空券を10月11日発で再発行して貰ったそのほとんど直後に、スイスに住む姉の連れ合い、つまり私の義兄になるのだが、の具合が重篤になり急遽ジュネーブに向かうことになった。
義兄は私が到着して2日後、日本に住むもう一人の姉が到着した翌日に息を引き取った。
何処の国でも同じだろうが、遺族は悲しみにくれる暇もなくこなさなければならない雑事に追われる。
スイスでは土日に葬式は執り行わないのが習慣らしく、会場は翌週の火曜日に予約出来た。
ジュネーブの公用語はフランス語だから、全ては姉一人で立ち会わなければならない。
英語を話せる人でも「No English 英語は話せません」と言うそうだから、多少の英語なら何とか役に立てると思っていた私は、何処へ行っても無言の行に終始することになった。
義兄は友人の多かった人だそうだが、もうほとんどは鬼籍に入っており、たよれる人は少ない。
式の進行係は人の伝手でプロに依頼し、式場に飾る花の手配は会場前の花屋で済ませた。
こちらの習慣らしい式後の「アペロ(軽い一杯)」の会場は近くのレストランに決める。
その全ての交渉は姉一人でやらなければならないのだから、まさに重労働と言えそうだ。

義兄は長年教職にあったこともあり、また若い時からランナーとして活躍して来たこともあったので、当日に一体何人の人が式場に来るのか、誰にも予測はつかない。
新聞の「死亡欄」に告知広告を出したこともあるだろうが、姉の電話は結構頻繁に鳴っている。
家に訪ねて来たい、という申し出も少なからずあったようだが、姉一人しかフランス語を喋れないのでは対応に困難を来たすことは眼に見えているから、これだけは丁寧にお断りする。
それでも火曜日の式は最後に組み込んで貰ったので、後から急かされる心配は無さそうだ。
式の開始の1時間くらい前から、会場前に人が立ち始めた。
知り合いらしい挨拶を交わす人もいるが、驚いたのはその服装。
日本であれば真っ黒の人たちばかりになるだろうが、此処にはそういう風習はないらしい。
ジーンズにウインドブレーカーなんて組み合わせもあるし、ちょっとそこまで買い物にといった風情の女性もいる。
日本から来た姉の娘は同じスイスのチューリッヒ近くに住んでいるのだが、そちらはちゃんと黒い服を着るらしい。
彼女は2人の子供を連れて来たのだが、2人とも黒っぽい服を着ているので目立つ。
亡くなった義兄はプロテスタントだったらしいが、チューリッヒの姪家族はカソリックだそうだからそこら辺の考え方が少し異なっているのかも知れない。
2時間ほどの葬儀は無事に終了したが、私はスピーチの片言隻句すら理解出来なかった。
会場を葬儀場近くのレストランに移した「アペロ」は、結構大勢が参加し盛況を呈した。
考えてみれば日本だって「通夜」に酒は付き物だし、自宅などを会場にすれば台所を賄う女性陣の忙しさは知らない人はいないのではないか。
まあその点このジュネーブ方式は軽いおつまみに赤白のワイン程度だし、参加者の多くが年配のこともあって、1時間少々でお開きになる。

今回私は急なこともあって、アイスランド航空の首都レイキャビック経由の便を予約しており、翌日の昼過ぎのフライトでニューヨークに戻る手配になっている。
喪主である姉にはまだまだやるべきことが山積していることは分っているのだが、と言って私が代わってやれることはほとんど無いこともまた事実。
で翌日、私はジュネーブの空港から再びアイスランド航空のニューヨーク行きの乗客となった。
アイスランド航空には、数年前に幾度か乗った覚えがある。
人口40万足らずの国の航空会社だから1日に数便程度だろうと考えていたのだが、発着予定を見ると1日に数十便はヨーロッパ各国に飛び、また迎え入れているようだ。
急拡大した所為か、何処の空港でも連携が悪く係員の客あしらいがお粗末だ。
以前は小さな小屋だったレイキャビック空港も、クノッソスの迷宮もかくやと思わせる体に変化しており、客は自力で自分の行く先を見つけなければならない。
どうにかこうにかニューヨーク行きの登乗口を見つけ、機体に辿り着けた。
ところで、このフライトはクラス別に供給されるサービスが異なっている。
一番安いクラスを買い込んだ私には食事は無く、食べたければメニューから選んで金を払うシステム。
そしてどういう訳か支払いは現金ではなくカードのみ受け付ける、と書いてある。
来るときに経験していたから、私はジュネーブでサンドイッチを買い込んで機内持ち込みの荷物に入れてある。
流石に水だけは無料でくれるようだから、飢え死にの懼れはない。
それでも無聊を託っていると口淋しさが募り、白ワインと摘み風のものをオーダーし、カードで支払う。
メニューにはピザやサンドイッチなどの軽食もあるらしいが、とっくに売り切れている様子。
どうやらヨーロッパの弱小航空会社は、この手のシステムを取り入れているらしい。
多くの国の航空機が乗り入れて来れば、その全ての国の通貨で釣銭を用意するのは不可能に近いのだから、カードに限る理由も理解出来ないわけではない。
ただ、何とも不親切という印象は拭えない。
旅行客が多い時期は良いだろうが、ブームが下火になればサービスの悪い航空会社は真っ先に客を失う運命にあるだろう。
そんな先のことは考えてもいない、と言われればそれまでのことだが。

サービスに不満はあっても、飛行機はほぼ定刻通りJFK空港に到着した。
色々サービスして遅れて着くより、まあずっとましだということだろうか。
来週には日本に向かうことになる。
時差ぼけの心配は無いが、最近こんなに続けて海外へ出たことはないから、些かの不安は無いではない。
今度は日本の航空会社だから、食事の心配はないだろう。
そう考えて気楽に構えるしかない、だろうな。

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