還暦スイマー望郷日記

30余年のニューヨーク、今浦島の心境を…

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男も私の年になると、「おふくろの味」などということはなくなるようだ。
第一、数十年前に母がどういうものを拵え、私たちがそれを食べていたのか、ほとんど記憶にない。
付け加えれば、今から60年以上の昔であれば大戦の直後でもあり、まともな食料は無かっただろう。
最早知る人も少ない「配給制度」で、所帯の人数分の米しか買えなかったはずだ。
「外食券食堂」なるものがあって、定められた食券を持参しなければそこで食べることは出来なかった。
と言って、無料で食べられるわけではなく、食券を持参して代金はちゃんと払うシステムだったようだ。
そうは言っても家族で外食などする余裕も無く、何でも良いから腹一杯にすることに専念していた。
子供が4人もいる我が家では、先ず主食である米の入手が第一だっただろう。
戦後ではあったが、既に給食は実施されていた。
脱脂粉乳のミルク、大きなコッペパン、名称も分らないシチュー状のひと皿は日替わりだったようだ。
食糧事情は決して良くなかったはずだが、それでも残す生徒は多かったようだ。
残ったものは持ち帰る決まりだったから、帰路の両側の下水に捨てられた脱脂粉乳ミルクが溝を真っ白く染めているのはほぼ毎日のことだった記憶がある。

未だ味覚よりも食欲を満たすことが先決の時代だから、給食も決まり切った献立が続くのだが、それでもごく稀に子供たちに喜ばれることもあった。
無味乾燥なコッペパンを油で揚げて砂糖をまぶし、如何にも子供好みで残すものは少なかったようだ。
副菜の方では、私の時代の人気ナンバーワンは「鯨竜田揚げ」であって、これだけは年齢に多少の開きはあっても共通していたようで、育った環境も異なる初対面の人と「鯨竜田揚げ」で意気投合した憶えもある。
名前は記憶にないが、中華風の炒め物のあんかけ風がなかなかの人気で、これはどうやらアメリカ人が好んだ「Chop suey チョプスイ」と呼ぶ広東風のひと品の簡易版だったようだ。
年に200回以上食べていた給食の中で、旨かった記憶がこれら以外ほとんどないのだから、はっきり言えば不味いものを毎日のように食わされていた、ということになるのだろう。
確かに我々の世代で「給食」と言えば、半ば義務のように食べた不味いものの代名詞になりそうだ。
言うなれば食べるものの味を云々出来る時代ではなかったわけで、それは学校給食に留まらず家族が囲む団欒の食卓だってそれほどの大差はなかったのかも知れない。
そういう環境下で「おふくろの味」と呼べるようなものが食膳に上っていたかどうか、ほとんど覚えがない。

家庭の主婦がテレビの画面で調理される西洋、中華、和風の料理を見よう見真似で自作する時代は、もう数年待たなければやって来ないし、海外から名前も知らない食材が押し寄せてくるのは、ずっと先のことだ。
「おふくろの味」を最初に商品化したのは、街の居酒屋や一膳飯屋ではなかったか。
その味を嬉々として頬張ったのは、地方から都会の大学に進み、そのまま大企業に職を得た若者たちだろう。
彼らはテレビの料理講座などで西洋や中華の料理を身につけた若い女性と結婚しただろうから、所謂「おふくろの味」と呼ばれる田舎風の味は家庭の食卓には出て来なかったように思う。
その世代は、恐らく私より5年10年後のジェネレーションと考えられそうだ。
少なくとも私たちの年代は、料理屋や居酒屋で「おふくろの味」に涙したことはないはずだ。
「おふくろの味」が盛り場に氾濫し始めた頃、私は日本を離れていたからその人気ぶりを知る術もない。
だが、どのような料理が供されているかは、読んだり聞いたりで何となく知ることが出来た。
「ポテトサラダ」が何と言っても一番人気らしく、「肉じゃが」や「芋の煮っ転がし」辺りが続くようだ。
「ひじき」や「切干大根」なども、人気メニューの上位に位置しているらしい。
私に言わせると、この手の料理は子供の頃散々喰わされた覚えがある。
我々の年代が一番食べたかったのは、牛や豚の肉類だろう。
考えるに戦争中一番欠乏していたのは、その肉類だったに違いない。
「配給で散々喰わされたから、ホッケは顔も見たくない」
そんな台詞を聞いた覚えがあるから、ホッケは稀には食膳に上っていたらしい。
だが当時配給に廻された食材は、とても人間の食べられるものではなかったという。
当時書かれたものを読めば、どんな食品が配られていたかが分り、人々の労苦が偲ばれるはずだ。

アメリカに住むようになって、食事の支度も役割分担として担当するようになった。
それでも嗜好が基本的に日本食中心だから、それほど代り映えはしない。
飯を炊いて副菜を用意し、汁と漬物を添えれば一応の出来上がりだ。
どんなものを拵えて来たか、記憶に明確でも無い。
魚を買って焼くか煮るかすれば、一応形だけはつくものだ。
豚や牛の肉だって、味付けを和風にすればちゃんと米飯と上手く馴れ合ってくれる。
この40年間に私が拵えた料理に「おふくろの味」があったかどうか、どうも自信がない。
「ポテトサラダ」や「肉じゃが」「煮っ転がし」は「おふくろの味」の定番らしいが、私はこの幾つかのメニューを拵えたのはついこの2,3年のことで、そう言えば「カレー」もほとんど似たようなものだ。
別に難しい料理を拵えようという気はないのだが、自分好みの調理をし始めると大体同じようなものになる。
太刀魚を買ってくれば、3枚におろして味噌漬けや粕漬けにしてしまうし、バターフィッシュ(えぼだい)の良いのがあれば、開いて一夜干しにして翌日炙って喰う。
言ってみれば、出たとこ勝負の料理とでも呼んだ方が良いのかも知れない。
さらに言えば、私には料理の組み立てはほとんど無いに等しい。
気障に言うなら、「あるものをあるがままに料って食べる」というところだろう。

稀に姉たちに母の拵えていた料理のことを尋ねても、彼女たちもそれほど確たる記憶は無いらしい。
話に出てくるのは、クッキーやワッフルなどの甘味がほとんどで、あの時代を反映しているようだ。
考えてみれば大黒柱の父が食卓の中心にいれば、食事も父の好みに合わせたものになるのが道理。
博多生まれの父であれば、食膳に魚が上るのが多くなるのは当たり前だったかも知れない。
そして子供たちが魚好きに育ったのも理の当然と言えそうだ。
若し我が家に「おふくろの味」が存在したとすれば、それは魚の煮付けや塩焼きだっただろう。
ひょっとすると、「骨湯」だったかも知れない。
これは魚の煮付けや塩焼きの残りに熱湯をかけて呑むという、あまり人には言えない代物だ。
だが、一度憶えると止められないほどの美味とも言える。
この「骨湯」の最高の材料は煮つけられた魚の頭に留めを指す。
若しそれが「鯛」であるなら、食卓での争奪戦は熾烈を極めたに違いない。
もう半世紀以上昔の話だから、笑い話でしかないが。

とは言っても、若し私の目の前に煮付けの残りの鯛の頭が置かれていたら…。
久々の争奪戦に名乗りを挙げるのも、肯ずるものではないのだが。

我は昔の我ならず… 

「還暦スイマー」は、このところ無聊をかこっていた。
ブログもさぼっているし、泳ぐ方も何年に一度という寒波もあってプール自体がクローズする有様。
それでも、寒さが和らいで来た先週辺りから、思い切って朝の水泳に挑戦することにした。
朝の8時頃に水着を着てプールに行くと、既に3人ほどが泳いでいる。
泳ぎを見るとそれぞれ基本は出来上がっているようで、フォームも良いし結構速い。
3コースあるうちの真ん中を2人、一番窓際を1人が占めている。
残り1レーンは歩行専門の高齢者や子供が来た場合に備えて、空けて置くのが習慣になっているようだ。
となれば私は窓際のレーンに潜り込むしかない。
昔ならばいざ知らず、今の私にはこの3人のスピードに合わせるのは不可能だろう。
本来ならば端っこに入るべきだろうが、既に中央よりを空けてくれている。
別に競争するわけではないからと割り切っているつもりだが、無心でいられるかどうか。

ゴーグルを嵌めて、ゆっくりと泳ぎ始める。
私の外側の泳者も中央レーンの2人も、ほとんど同じ速度で泳いでいるかのようにほぼ同じタイミングでターンし、申し合わせたように休みながら会話を交わしているようだ。
気づくと、真ん中のコースの私の横で泳いでいる泳者は、見覚えがある。
15年ほど前、私が初めてこのプールに入った時も、彼が私の横を泳いでいた。
私よりは随分若いが、それでも50歳近いだろう。
当時も頭は完全なスキンヘッドだったが、細身の身体は充分に鍛えられているようだ。
彼も私を見て、「ハイ」と挨拶を送って来た。
7,8年ほどこのプールには来ていなかったから、すぐには思い出せなかったかも知れない。
記憶にあるだけで、15年前から今までこのプールに来ている人は3人程度だろう。
「私はね、92歳だよ」
知り合ってすぐにそう話しかけて来た爺さんがいたが、もういないだろう。
この彼ともう一人、年齢不詳の高齢女性が15年前と変わらずバックで泳いでいる。
そしてもう一人、プールサイドに大きなバッグを持ち込み、そこからシュノーケルを取り出して装着する70代の男性も相変わらず朝早く姿を見せるが、家人に言わせるといつも寄り添っていたワイフはもういないようだ、という。

周囲の3人のペースは無縁のこととして、私はゆっくりと泳ぎ始める。
「速く」でもなく、「力強く」でもなく、ただただ単純に「水中を進んで行く」だけ。
驚くことに、ちゃんと両腕が疲労を感じ、高々2,300m泳いだだけでいっちょ前に休みを要求する。
仕方なく3人のペースとは無関係に休憩をとり、水を呑む。
昔年長の連中と遊んだときの、「おみそ」を思い出した。
あの頃は「おみそ」の位置から脱却する日を夢見ていたのだろうが、今は違う。
現在の力量を知り、それに甘んじて身体を鍛えて行こう、と考えているわけだ。
ほぼ1年間のブランクを取り戻すのは、容易ではないだろう。
いや、取り戻すことなど到底出来ないのかも知れない。
かく言う私だって、数年前の体調に戻れると安易に考えていたのではない。
ただ一定の距離を泳いでいれば、それなりの鍛錬にはなることは間違いないように思う。
現に寒波が去って以降、ストロークに力強さが増しているように思われる。
12月の初めに風邪を引いて、2週間くらいプールを休んだ。
その後の復帰初日、100泳いで休み200泳いで休みという無残な有様だったことを思えば、格段の進歩。

しかし、ひと休みしていると少し開けられたドアから入る風の冷たさが身に滲みる。
プールの周囲を巡回しているガードに声をかけた。
「Could you close doors? It’s too cold. (ドアを閉めてもらえる? 寒いんだよ)」
ガードはちょっと困ったような表情を見せて、
「They request to open the doors in the morning time. (朝はドアを開けろというリクエストが多いんです)」
そう言われてみれば、ひと休みしている連中は、この寒風をものともしていないようだ。
汗こそかいていないようだが、この冷気を楽しんでいる気配さえ感じる。

思い起こせば15年くらい前、私はガードに水温を下げることやドアを開けることを依頼した覚えがある。
だが、浅いところを歩行訓練する高齢者優先らしく、願いが聞き届けられたことはなかった。
まあそれが理由で私はこのジムを辞めて、マンハッタンやクイーンズのジムを転々としたのだ。
そして今戻って来て見れば、私の立場はくるりと逆転してしまっていた。
あの頃温度が高すぎると感じた水温も、今では肌寒く感じるくらいだし、ドアが開いていればそこから忍び込んで来る冬の風は震え上がるほど寒々しく感じたりもする。
15年前にはこの寒さが心地良いほどだった、ということなのだろう。
おそらくひと泳ぎした後などは、見えないながらも汗をかいていたのではないか。

それでも松の内を過ぎた頃から、泳げる距離もどうにかこうにか格好がついて来た。
1日泳げば1日休むという風だったが、今では週5,6日は水に浸かっている。
他の泳者のスケジュールも大まかながら呑み込めたから、なるべく人のいない頃合を狙って行く。
800前後泳いでからジャクジーに20分ほど浸る。
ロッカールームのシャワーで身体を洗い、髭を剃って本日の終了。
サウナや蒸し風呂もあるが、そこまでは手が廻らない。
それでもひと頃に較べれば大変な進歩だ、と本人は思っている。
ぼちぼちと機械ルームにも手を出してみよう、などという計画も温存中。

第2の成長期だ、と本人は勝手に思っている。
乞うご期待。

記録を肌で…

昨年の12月半ばから、ニューヨークは大寒波に襲われた。
私のアパートは一応全館暖房システムになっていて、それで足りない場合のために各部屋に冷暖房兼務のエアーコンディッショナーが付設されている。
もう住み始めて15年以上になるのだが、この臨時用のエアコンを使用した憶えは数えるほどしかない。
勿論使用ゼロというわけではないが、建物自体がちょっとした高台に建っているおり、夏は湿気が少ないせいか寝苦しかった記憶はあまりなく、冬はビル全体の温度調節が効いていて不満はない。
簡単に言えば、このアパートに関しては寒暖差の問題は皆無に近かった。
だが、昨年の暮から情勢に変化が生まれたようだ。
寒くなる、という情報は結構早くから聞いていたしある程度の覚悟もしていた。

とは言っても、私は日本という温帯地方の国の、暑さも寒さもほどほどの東京に育った。
春夏秋冬が満遍なく訪れて来るという、言うなれば温帯の見本のような都市。
生まれて5歳まで育ったのも九州の福岡県だから、両者を較べてみても大差はない。
30を過ぎて南米に行き、赤道直下の国に1年半ほど暮らした。
此処は一年中同じ気候の国で、その毎日もほとんど変化がなかった。
朝は涼しく、昼から夕方まで20度C前後が続き、陽が落ちると涼しくなる。
人は四季を通じて同じ服を着ているし、何を着ても可笑しいといわれる心配もない。
そんなところからニューヨークに移り住めば、環境の変化は著しい。
1976年の秋にマンハッタンに住み始めたのだが、その冬は寒かった。
勿論それ以前のニューヨークは知らないのだから、比較は出来ない。
だが足許から這い上がって来るような寒気は、ただものとは思われない。
それでも未だ若かったから、仲間を語らって夜の街に繰り出す元気に溢れていた。
秋田出身という男は素足に下駄履きで、真冬のマンハッタンを闊歩していた記憶がある。
この時の寒さは、暫くは私の記憶に留まっていたはずだ。

以来40年、私は温暖化進行中と言われる地球に住んで来た。
吹雪が続いた年もあったし、豪雪と言われた年も幾度かあった。
とは言っても、心底寒いと思った年はなかったように思う。
確かにニューヨークの緯度は東京より高く、気候は青森県の八戸並の寒冷地だという。
日本に帰るのは年に精々1度か2度だが、日本の冬も結構寒い。
構造の所為だろうが、部屋と部屋の間や風呂場や手洗いなどは一瞬震え上がるほど。
子供の頃こんな隙間風が吹き抜ける家に住んでいたのか、と驚いてしまうこともある。
何時頃からか冬場に日本に帰らなくなったのは、風邪を引くまいという警戒心も作用していたのだろう。
日本に帰って風邪を引いたという話は結構良く聞かされる。
まあその逆、ニューヨークに行って風邪を引いたという話も割り合い聞く話だから、人は旅先では風邪を引き易いという結論に落ち着くのかもしれない。

今年は12月の初めから、プールにまめに通っていた。
週5日から6日、日に平均して800程度だから、多くて5000、均して4000くらいだろうか。
12月の15日くらいまで、自分で自分を褒めたいくらいきちんと泳いでいたが、段々寒くなって来た。
男性ロッカーからプールに行くまで、プールでシャワーを浴びて水に入るまで。
何処を通っても寒さが身体を包み込んで来る。
水温は27,8度Cなのだが、体感温度は精々25度程度にしか感じない。
寒さを堪えて泳ぎ始めるが、簡単に暖まってはくれない。
200程度泳いだが、体の寒さは一向に変化する気配はないようだ。
ひと休みすると、体が小刻みに震えている。
頑張って500まで泳いだが、これ以上泳げば身体はさらに冷えて行きそうだ。
プールから上がって、ジャクジーに飛び込んだ。

それ以降、気温は下がる一方で終日零下の日が続く。
プールを覗いて見ると、この気温にめげず泳いでいる人はいるようだ。
かねがねコーカソイド(白人)は寒さに強いと思っていたが、我々モンゴロイド(蒙古系)とは基本的な肉体構造が異なっているのだろう、という確信を持つに至った。
零下であれば、私はカシミアのマフラーをしっかりと巻いて、その下には分厚いセーターを着用に及び、下半身には厚手のタイツを穿いてコーデュロイのパンツをその上に穿いている。
しかし若い白人連中は胸元を大きく開けて肌を覗かせ、寒風をものともしない風情だ。
ゴルフだって、彼らは11月頃までショートパンツでプレーしている。
どう考えても、我々とは身体を構成している成分が異なっているとしか思われない。

流石に昨年末から新年にかけての気温は、異常に低かったようだ。
ジムの入り口に告知が貼り出された。
プールを閉鎖して、ジャクジーだけはオープンするということらしい。
確かにこの水温では、プールの浅い処を歩いている年配の男女には堪えるだろう。
トラブルが起きる前にプールを閉めてしまおう、という考えも頷けないことはない。
私もジャクジーに入って身体を温めることで暫く我慢することにした。
水着を着用してジャクジーに入っているのだが、入って来る人はほとんどいない。
寒い日に温かいお湯に入る、日本人なら大喜びしそうなアイデアだが、どうもこのアパートの住人たちはそういう考えに至らないらしい。
たまに来ても、精々4,5分程度で引き揚げて行く。
お湯に浸かって身体を芯から温めるという習慣は、もともと無いのだろう。
日本へ行って温泉に入りたいという西欧人は、身体を長時間お湯に浸すことに耐えられるのだろうか。

考えてみれば、アジアでも長時間お湯に身体を浸すという習慣を持つ人種は少ない。
東南アジアでは身体を温めるという考えはないだろうし、中国に温泉地が人を集めているとも聞かない。
朝鮮半島は火山地帯ではないから、温泉の数は限られているだろう。
地震や噴火というある種の天災に見舞われながらも、湧出する温泉を利用している日本という国は、まさに「災い転じて福となす」を数千年続けていることになる。
確かに地形的に見ても、日本はそう簡単に住居地域を変えられるようにはなっていない。
幾度も地震や津波に見舞われながらも、その地に住み続けて数千年を経ている。
止むを得ず、と言ってしまえばそれまでだが、そのお蔭で数千年の平和が保たれて来たのではないだろうか。

正月の3日、久しぶりに泳いでみた。
やはり水の冷たさが普通ではない。
少しづつ身体が冷えて行くのが分る。
急いで転がり込んだジャクジーの温かい湯が、天の配剤とさえ思われて来るようだ。
どうやら未だ早過ぎるということだろう。
此処は一番、大人しく外気も暖かくなるのを待つしかなさそうだ。
すぐこう考える辺りが、年の功というのだろうか。
それともただ単に気弱になっているだけなのか。
何と言っても記録的な寒さだとTVでも騒いでいるくらいなのだから、素直にその記録を肌で感じるべきだろう。

まあ夏になれば、こんなこともすっかり忘れて泳いでいるのだろうから。
泳ぎを忘れなければ…だけれど。

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