還暦スイマー望郷日記

30余年のニューヨーク、今浦島の心境を…

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

相撲界のガラガラポン

私が初めて「大相撲」を生で観たのは、今から65年前の初場所だった。
小学校の3年生だったはずだ。
場所は当時の蔵前の国技館で、未だ土俵の四方には柱が立てられていた。
観に行ったのは15日の場所の最終日、つまり千秋楽であり父母と姉2人も一緒だったように思う。
この千秋楽は14戦全勝で勝ち上がって来た大関吉葉山と、13勝1敗で待ち受ける横綱鏡里の対戦が結びの1番にあり、館内は早くから興奮の渦が舞い立っていたのを子供心にも感じていたようだ。
吉葉山が勝てば全勝優勝で次場所での横綱昇進は確実視されており、鏡里が勝てば同星での優勝決定戦に持ち込まれるわけで、謂わば滅多に見られない大一番に立ち会えるわけだった。
9歳の子供が場内の熱気に染まるのに、大した時間はかからない。
最後の取り組み以前に、既に私の声は嗄れてしまっていたのではないか。
とに角、がっぷりの四つ相撲の末に吉葉山が鏡里を寄り切った時、場内の歓声は最高潮に達していた。
今でも語り草になっている、降りしきる雪の中の吉葉山の優勝パレードを間近に見て、その瞬間から私は相撲のファンになりついでに吉葉山の大ファンになったのである。
ファンにはなったものの、この吉葉山には苦しくなると「蹴たぐり」という小技を出す癖があり「蹴たぐりの吉葉」という異名があることなどは全く知らなかった。
結局吉葉山はそれ以降1度も優勝することはなかったし、時代は「栃若(栃錦 若乃花)」へと移って行った。
そして「大鵬」という希代の名横綱が現れて、相撲人気は沸騰したように憶えている。

以来60数年、熱は時には醒め時には熱くもなったが、今でも日本からの相撲中継を録画で観戦している。
しかし、あの当時のように一人二人の力士に集中して固唾を吞むということはない。
相撲そのものは60年前と見た目にそれ程の変化はないが、内容は大いに変わって来ている。
力士の体格が向上したことも影響しているが、実際に技ではなく体格で勝負する力士が増えた。
60年前であれば、150kgあれば超大型力士と呼ばれたし、逆に100kg前後の力士も珍しくなかった。
軽量であっても筋肉は充分鍛えられていたし、動きの速さが大型力士との勝負を可能にしていた。
「土俵の鬼」と呼ばれた初代若乃花の体重が107kgだったと言えば、驚くファンも多いのではないか。
いや大正時代にほぼ無敵を誇った栃木山は、最も重かった時で103kgだそうだから今では想像もつかない。
力士の体重が増え始めたのは昭和40年頃からだろう。
前記した吉葉山にしても、大型と言われたが140kg程度だったらしい。
大型化して来た理由のひとつに、食事の変化があるだろう。
「ちゃんこ」と言えば力士の食事の総称だが、鶏や魚中心の鍋料理がその典型。
そこに牛豚肉が加わり、さらにはバターや脂肪分の多い食品を食べるようになって力士の巨大化が進む。
若い力士志望者がちゃんこ鍋などはあまり喜ばないこともあって、焼肉やハンバーグ、トンカツなどを用意することが当たり前になり、それにつれて稽古や本場所での怪我も増えて行ったようだ。
250kgの小錦は当時としても超大型だったが、反面その体重を持て余すこともあったようだ。
脚がついて行けず、前にばったり倒れるという場面もしばしばテレビに流れた。
とは言っても、やはり身体が大きければ有利な面も多く、大型化の流れは最早留まることはなかった。

此処まで書いたところで、「稀勢の里引退」というニュースを聞いた。
昨日までの相撲を見ても、最早立ち直れる可能性は全く見られなかったから、驚きは無い。
むしろ遅きに失したと言う感さえある。
NHKを始めとして日本のマスコミは、彼の引退を惜しむ論評は同じだが、彼を横綱に押し上げた相撲協会やそのお先棒を担いだ横綱審議会の責任については触れていない。
「2場所連続優勝若しくはそれに準ずる成績」が横綱推挙の条件だそうだが、何とも曖昧だ。
プロ野球の「殿堂」入りの条件もそうだが、こういう場合必ず抜け道が用意されている。
優勝ゼロで横綱に推された「北尾(双羽黒)」のそれ以降は、無残としか言いようがない。
だが協会はその失態から何も学んではいなかったようだ。
「稀勢の里」は辛うじて1度の優勝を成し遂げているが、それ以前は物足りない星勘定に終始していた。
この場所、3横綱のうち「日馬富士」と「鶴竜」は途中休場し、「白鵬」のみが15日間を勤め上げた。
場所後、「稀勢の里」の横綱推挙に尚早論も聞かれたが、数十年ぶりの日本人横綱に浮かれ立っていた相撲協会には聞く耳も無かったという状態。
しかし、昇進した場所の日馬富士戦での胸筋断裂の負傷は、不運だったとしか言いようがない。
「あの後無理して出場したのが命取りだった」という声もあるが、それは何とも言えない。
むしろ重傷を押して2場所連続優勝を達成したことの方が、ファンの心に響いたと私は思う。
いずれにせよ、それ以降の出場休場の繰り返しは避け難いものだっただろう。
「たら」「れば」は何の意味も無い架空の想定だが、若し彼が横綱になっていなければ、あの日馬富士戦は異なった形で取り組まれたろうし、あそこまでの重傷は負わなかっただろう。
だが現実に「日馬富士」は「稀勢の里」の左胸に激突してその筋肉を切り裂いたのだから、全ては天の配剤だったと受け止めるしかない。
「自分の相撲人生に一点の悔いも無い」とは引退表明の場で洩らした言葉だが、それは間違いない。
「稀勢の里」に恨む相手があるとすれば、無理矢理に日本人横綱を拵え上げた相撲協会であり、その尻馬に乗った横綱審議委員の相撲を知らない面々ということになる。

相撲のみならず野球の「殿堂」にしても、首を捻らざるを得ない人選が行われることが多い。
その最たる理由は、そういう投票権を持つ記者たちが、その責任の重みを感じていないことにあるのだろう。
横綱審議会にしても、相撲協会の根回し通りに大関や横綱を推挙するのが慣例のようだ。
本人たちは真面目に選んでいるつもりかも知れないが、ファンにしてみれば納得出来ないことが多いように思われる。
過去に選ばれた力士の一覧を見てみれば、2場所連続優勝を達成していてもその前の場所では休場があったりするケースもあり、逆にコンスタントに12勝13勝を続けていても優勝に至らなかったケースもある。
数字で縛ったり優勝回数で決めたりが出来ないとすれば、誰にも納得出来る基準は有り得ないことになるだろう。
だとすれば、相撲協会だけで決めて、なまじ横綱審議会などを絡ませない方がすっきりするのではないか。
だがそうなると、公益財団法人であり続けるための支えが無くなる惧れがあるから難しい。
日本のスポーツ団体がややこしいのは、何処かで政治と繋がっていることが多いという点だ。
それはその団体に上部組織から天下りして来ている人の存在を意味しており、その人はその団体のために予算を確保する指名を帯びて天下って来ているのだから、簡単に引き下がることはないだろう。
新しいスポーツが現れるとすぐに団体が組織され、理事や監事などと称して役員が選ばれ、そこに政治家が関わって来るのが常であり、最早誰も不思議とは思わなくなっているようだ。

「稀勢の里」が引退し、横綱は「白鵬」と「鶴竜」のモンゴル出身者になった。
既にメディアは、「御嶽海」と「貴景勝」に的を絞って新しいライバル物語を紡ぎだして行く気配だ。
彼ら2人が、周囲の思い通りに高みに上って行けるかどうか。
それともさらに新しい勢力が取って代わることになるか。
手垢のついた2人の横綱の角逐をみるより、確かにずっと面白味はありそうだ。
ついでに横綱審議会なる無用の長物も、奇麗さっぱり片付けてくれればありがたいのだが。

全1ページ

[1]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事