還暦スイマー望郷日記

30余年のニューヨーク、今浦島の心境を…

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およそ3ヶ月以上、「還暦スイマー」は「陸に上がったカッパ」状態だった。
「陸に上がったカッパ」とは「水中なら万能に近いが、水から離れると何も出来ない」ことを言うらしい。
まあ私は「水中で万能」とは程遠いが、何も出来ない状態だったことは間違いない。
風邪から肺炎に罹り、医師から半ば強制的に病院に送り込まれた。
それからの2週間の病院生活は、私にすれば「地獄」に等しいものだった。
病院生活は経験が無いわけではない。
40年以上前に、自動車事故で10日間ほど入院した。
だから、今回のような病気らしい病気は初めてということ。
そして医師から看護婦まで全て異国人というのも、なかなか壮観だった。
抗生物質の点滴を受け、46時中看護婦に揺り起こされ薬を呑まされる。

そして最大の責め苦は、食事。
最初の1週間は、ほとんど何も食べなかったように思う。
「食の砂漠」の病院の食事は、想像を絶した。
家人が和食を拵えて運んで来てくれたが、胃がほとんど受け付けない。
白飯に味噌汁をかけたものを、匙で掬って口に運ぶ。
なにせ空腹感が無いのだから、食べられるわけがない。
それでも、私は2人部屋に入れるという僥倖に恵まれた。
さらに、窓に近いベッドに人がいたのは。そのうち5,6日だったのではないか。

1日のほとんどをベッドに潜り込んでいるのだが、退屈という感覚は無い。
朦朧とした頭で、益体もないことを思い巡らせている。
「柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺」
そんな俳句が、頭の隅に浮かんでは消える。
別に好きな句ではない。
いやむしろ下らない句だと思っていたような気さえする。
作者が誰だったか考えると、「のぼる」という名前が出て来たが苗字は思いつかない。
「木」がついたような気もするし、そこから「正木」という苗字を連想する。
だが「正木のぼる」という名前ではなかった。
恐らく日本人の名前の中でも、人口に膾炙している点ではトップクラスのはずだ。
辞書もコンピューターも無い環境では、調べようがない。
まあそのうちに思い出すだろう、と考えて眠りに落ちる。

医師の回診は、朝早くから始まる。
私には幾種類かの専門医師が診断するので、起こされて診察を受け、終わってうとうとすると又別の医師がやって来るし、その合間に看護婦が血液を採取したり血圧を測ったり、薬を投与したりする。
その合間合間に「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」の作者の苗字を思い出すべく考え込む。
この作家の輪郭はほとんど分っている。
友人は夏目漱石であり、弟子は高浜虚子であり、愛媛県松山の出身。
カリエスの病で若くして死ぬのだが、
「痰一斗 へちまの水も 間に合わず」とか「へちま咲いて 痰のつまりし ほとけかな」の句を詠む。
短歌も良くし、
「甕にさす 藤の花房 重たければ 畳の上に 届かざりけり」は、彼の主張した写実主義の代表歌。
といった具合に、彼の周囲のことは何でも思い出せるのだが、苗字は浮かんで来ない。
根負けして、夕方家人が来たときに思わず尋ねた。
「正岡子規でしょ」、打てば響くように答えられてしまった。
2日間に亘って頭にこびりついていた疑問が、一瞬で氷解したわけだ。
「そうだ、マサオカシキだった」、自力で思い出せなかった口惜しさは残るが、あのもどかしさは消えた。

正岡子規は、僅か35歳の生涯に後世に残る足跡を残している。
「歌よみに 与ふる書」は、日本の和歌を根本的に変えたものと言えそうだ。
「紀貫之はつまらぬ歌詠みに候…」で始まるこの書は、明治の歌壇にセンセーションを巻き起こした。
「古今集」も「新古今集」も、彼にかかれば下手くその集まりらしい。
「万葉集」を評価し、写実主義を標榜した。
「和歌」と呼ばれていた31文字を「短歌」と呼び変えたのも子規だ。
彼はまた、連歌の片割れであった「発句」を「俳句」という独立した単位にし、さらにはそれを芸術のカテゴリーに入れるという作業を成し遂げている。
「柿食えば…」の句にはそれほど感心しないが、「俳句」の確立は子規の手柄というしかないだろう。
などと考えてまどろんでいたが、今一度彼の名前を口にしようとすると、これが出て来ない。
いや「子規」はちゃんと思い出せるのだが、その苗字が脳裡に浮かばない。
「マサキ」だったか「アサオカ」だったか、はたまた「ヤマオカ」だったのか。
考え出すと、ますます正しい答から遠のくように思われる。
もしこれが正常な時であれば、我慢出来ずに家人に電話するだろうが、そこまでの元気はない。
鬱屈を腹にしまって、眠りに落ちて行く。

入院も1週間を過ぎると、環境にも慣れて来る。
看護婦とも気楽に口をきくようになって来た。
「Do you have Ka Ka? 」
中年のアフリカ系と見える看護婦が、笑いながら聞いて来る。
「Ka Ka?」分らずに聞き返すと、ニヤッと腹の部分を手でしめす。
どうも腹具合を聞いているようだ。
そういえば入院以来、一度も無い。
「No Ka ka」, と答えると、
「You need medicine. (薬が必要ね)」、というようなことを言っているようだ。
まあこちらは全てをお任せしている身、何を呑まされても喰わされても言われるがまま。
ただ、毎度毎度の食事だけはそうは行かない。
「食事はちゃんと摂って下さい」
医師からも、主任看護婦からも毎回言われている。
已む無く毎朝オートミール程度は食べるし、昼や夜はサンドイッチを口に押し込んでいる。
「出来るだけ歩いたりして下さい」
そう言われて、付き添いと一緒に廊下を歩いてみた。
驚くことに、僅かな歩行でも結構応える。
10日足らずの寝たきり生活で、足の運動能力が落ちたということらしい。
反省より先に、恐怖に襲われた。

「子規」の苗字は相変わらず蘇って来ない。
家人に再度尋ねるのは、正直に言って忌々しい。
だが、脳裡のもやもやに耐えるのも限界がある。
「なあ、子規の苗字は何だったっけ?」
さり気なく聞いたつもりだったが、
「どうしたの、又忘れちゃったの、マサオカでしょ」
「ああ、そうだった、いや一瞬忘れたんだよ」
そうは言ったが、相手が信じていないことはすぐ分かった。
実際それから最低3,4回はこの名前を忘れたようだ。

これから5日後に私は退院したのだが、結局2週間の入院生活だった。
アパートでは車椅子を用意して、帰宅を待っていてくれた。
杖をついて2週間ぶりの我が家へ戻る。
ドアを開け、ソファに坐った私の前に貼り紙があった。
「正岡子規」。

今はちゃんと言えそうだ。

「嫌いな言葉」

「嫌いな言葉」がある人は、結構多いようだ。
この「嫌いな言葉」というのは、決して「人を不快にさせる」とか「差別的に使う言葉」ではない。
「嫌いな言葉」を「嫌い」と言い切る人は、むしろ文筆業者であったり人前で話すことが仕事であったりする人が多く、「死ぬまで2度とこの言葉を発することはない」とまで言い切る人さえいるようだ。
こういう発言の歴史は結構古く、「生き様」とか「癒される」とか「触れあい」などなど、早くから使われていて早くから嫌われている歴史を持っているらしい。
中でも「生き様」ということばは常に真っ先に出て来たように思うが、数十年の角逐の末、NHKのアナウンサーが番組内で普通に使ったことで、一応市民権を得てしまったと言えるかも知れない。
勿論私は向後も使う気も予定もないが。
ただ今でも、「生き様」ということばを聞けば体の一部をザラッとしたもので撫でられたような気がするし、文章として見かければその本を閉じて棄ててしまうだろう。
「様」を「ざま」と呼ぶ場合、それは決して良い意味を持たない。
「無様」とあればそれは「ぶざま」だし、「良い様」と来れば「いいざま」となって軽侮の表現になる。
「ざまあみろ」とか「ざまあねえや」などは、どうも私たちが子供年代に素早く憶え素早く使い始めたものだ。
ということは、当時の大人たちはそういう言葉を日常に濫発していたと考えられる。

こういう言い方をすると、「じゃあ、『ばかやろう』とか『ぶす』とかいうのもいけないのか」と訊く人がいるが、それは全く別の話であって、それは「罵り言葉」であり「悪口」である。
そういう「罵詈讒謗」は世界中何処の国にもある一種の文化と呼べるものだ。
「Son of a Bxxxh」はアメリカでも最も劣悪な罵り言葉だが、ラテン語圏にも「Hijo de Pxxxa」なる言葉があり、意味としては全く同じものだ。
つまり、人を罵るような場合、世界中何処でもその対象になるのは同じなのだ。
だが「嫌いな言葉」は意味合いが異なる。
これは本来無かった言葉をあった言葉と混同して使ったり、聞いた人たちがどう受け止めるかは無視して自分たちの都合で濫用したりしている類の言葉だ。
勿論「嫌いな言葉」にしろ「罵詈讒謗」にしろ、誰かによって使い続けられているうちに飽きて消えて行くか、しぶとく生き残って「広辞苑」に拾われたりして命脈を保って行く、というわけだ。

「嫌いな言葉」に関しても、既に数多く取り上げられ甲論乙駁の対象に曝されている。
「嫌いな言葉ランキング」なども幾つかあるようで、それに拠れば現在一番俎上に上がっているのは、「…でよろしかったでしょうか?」だそうで、2位は「…なくないですか?」、3位は「…違(ちがくて)」という、私には意味さえ理解出来ない言葉なのだそうだ。
これは全て文章の一部を切り取ったもののようで、単語ひとつというわけではない。
まあ確かに、読んだり聞いたりした場合どちらが気持ち悪いか、一概に決め付けられない。
又ビジネス業界で選んだランキングでは、1位に「…っていうか〜」、2位に「ヤバい」、続いて此処でも「違(ちがくて)」が来ているあたり、やはり誰でも不快感を持つのだろう。
そして気づいたのは、嫌いな「言葉」や「文脈」には、「チョー」とか「ガチで」、「ハンパない」などが多いところをみると、この手の言葉の出所はマスコミを含む芸能関係やアンダーグラウンドではないかと考えられる。
まあ思い出してみれば、私たちも少年時代にそういう関連から見つけ出して来た単語を使っていた。
最早記憶すら薄れたが、中に「シカト(鹿とお)」なんかもあったようだが、どうやらそれは今でも高校生から広く大人の間でも普段に用いられているらしいから驚く。
また芸能用語の浸透振りも想像以上で、そこにテレビドラマから紛れ込んで来たものまで混ざっている。
そんな言葉になると、「好き嫌い」を云々する前にその意味を知る必要がありそうだ。

考えてみると、この「嫌いな言葉」という奴も結構な変遷を経ているのだ。
ある時騎虎の勢いで使われ始め、安手の新聞まで使うようになり、これで生き残ってしまったか、と思っているうちにあまり聞かなくなり、気づいた時には死語に近くなっていたものもある。
数十年前、矢鱈と「部分」「部分」を連発する人が増え、その人の言い分を聞いてみたが、その「部分」という「部分」をすっぽり抜いても何も変わらないことに気づいて、つい「世の中に かほどうるさき ものはなし 部分と言いて 夜も寝られず」という蜀山人の盗作を作ったことがあったが、どうやら滅んだようだ。
それに似たものに、外国語の濫用があるが、これはなかなか止まらないようだ。
それは使っていると何となくインテリっぽく見えそうだ、というあたりにあるという。
「Consensus コンセンサス(合意)」とか、「Substantial サブスタンシャル(実態のある)」などが最近のIT企業などのミーティングでは頻発されているらしい。
政治の世界からは、「Agenda アジェンダ(予定表議事日程)」を金科玉条の如く唱えていた政治家が選挙で負けて消えた、と思ったのだが最近また復帰を画策しているらしい。
「Agenda」が帰って来るのかと思うと、心中はなかなか複雑だ。

春の高校野球が始まるようだが、此処がまた「嫌いな言葉」の宝庫なのだ。
何せ必死に抱え込んでいる新聞社がいて、さらには国営放送が一括放映しているのだから当たり前だ。
先ず「宣誓」と称する、大人が書き生徒が暗記する一文があるが、これが喋っている本人すら良く理解していないだろう、と思うくらい内容が豊富なのだ。
時期的に見て、東北大地震に言及することは間違いないが、ひょっとすると天皇退位や難民問題にまで若者は語るかも知れないし、東京オリンピックは外せないだろう。
「我々はスポーツマンシップに則り、正々堂々と戦うことを誓います」
これだけ簡潔にして要を得た過去からの贈り物があるのに、何故手を入れたがるのか、分らない。

そしてこれは過去からの申し送りでは無いだろうが、」嫌いな言葉」が此処にはてんこ盛りだ。
「頑張りますので、応援よろしくおねがいします」
私はこの文句が大嫌いだが、これはどうもスポーツに限られているようだ。
スポーツの「応援」は、お願いされてするものではない。
若者が全力を振り絞って勝利のために戦う姿が人を打つから、人はそれを応援するのだ。
今日勝って、明日の応援を観客にお願いしたいのだろうが、それでは「おねだり」でしかない。
黙々と勝者の名乗りを受け、黙々とグラウンドを去る。
それが伝統的な高校野球のあるべき姿ではないのだろうか。
まあ今の高校野球にそんな昔の姿勢は無い、と言われればそれまでではあるが。
入場行進のテーマ音楽だとか、名門校の超高校級選手だとかに騒ぐのはもう充分ではないか。
そうやって持ち上げられた選手たちのうち、何人がプロで成功を勝ち得たのだろうか。
勿論高校野球は、プロ野球のためにあるのではない。
であれば、新聞社もアマとプロを繋いで一緒に騒ぐのは止めた方が良いのではないか。
今や日本のほとんどのアマスポーツはマスコミとしっかりと結び付いている。
今や最後の砦と考えているのかも知れない。

まあ出来れば、「嫌いな言葉」の濫造は勘弁して貰いたいものだが…。

私が好きな店

人は年を取ると頑固になると言う。
幼い頃からそう聞かされて来たから、自分より年長の人であればきっと頑固なのだと思う。
そしていざ自分が年を取ると、それは誰でもがなるわけではないのだろう、などと考える。
まあ自分は例外だ、と思い込むわけだ。
だが冷静に考えてみると、やはり何処かしら頑固な部分があるということは否定出来そうにない。
それが加齢ゆえか生来のものか、となると私自身でも判断はつきかねる。
ただ、もう随分前から思い込んでいることも幾つかあるし、未だに守り続けていることもある。
その根拠が奈辺にあるのか、もあるが不明のままのものあるようだ。

私は、例えば天麩羅屋で刺身を注文しないし、寿司屋で天麩羅は食べない。
鰻屋の刺し身、蕎麦屋の生ものにも手をつけない。
理由はと問われれば、そこの本業のものを食べる、としか言えないだろう。
私が子供の頃、寿司屋は寿司を握るだけが商売だった。
客がカウンターに座れば、職人は黙って注文を待つ。
「マグロ」と言われれば、赤身を2貫握ってツケ台に置く。
「酒」と言われたら、奥にいる仲居に持って来させる。
「なんか摘むものを…」と客が注文すれば、ケースの中の魚を切りつけて山葵を添えてツケ台に置く。
「寿司屋は、握ってなんぼの商売です」
半世紀も前に、ときおり顔を出した寿司店の大将は、何時もそう言っていた。
「刺身は料理屋が出すもので、酒は割烹か飲み屋で呑むもの」
だから彼は、カウンターに座ってさっさとスシを摘んでさっさと帰る客がホンモノだ、と思っていたらしい。
またウニやイクラのように、江戸前のネタとは呼べないものは客に出さない。
彼がこう考えるようになったのには、それなりの理由があるはずだ。
この狭い町内には、寿司屋は勿論料理屋も割烹もある。
その中でそれぞれの店は、己の領分を守って商いを続けて来た。
その寿司屋が肴を色々出し、酒をどんどん出し始めれば、商売の領域が崩れることになる。
だから蕎麦屋も酒を出すが、肴は蕎麦のたねに使うものばかり。
今でも古風な蕎麦屋の肴は「焼き海苔」、「かまぼこ」、「卵焼き」、「やきとり」程度。
また蕎麦屋の「もり」や「かけ」の量が少ないのは、蕎麦をおやつ代わりと考えていたからだという。
天麩羅屋だって、同様の趣旨で生ものは出さなかった。
大体天麩羅の種で、刺身になるものはほとんどない。
言い換えれば、刺し身にも引けないような小魚を旨く食べさせるのが天麩羅なのだ。

もう3,40年前になるが、時々行っていた新宿の天麩羅屋で、刺身を奨められた。
女店員が何となくバツの悪そうな口調で、
「良いお刺身も入っていますが、如何ですか?」
長年天麩羅だけを扱って来たのだろうから、極端に言えば天と地が入れ替わったような心地ではないか。
勿論断ったが、あの頃がこういう領域が崩れ始めた時期だったのだろう。
天麩羅屋の板前の修業に、刺身の引き方は無いはずだ。
それでも経営者は、刺身なんかは誰でも拵えられると思ったのだろう。
しかし天麩羅屋の職人が魚市場で顔を出すのは、天ダネを仕入れる店だけだ。
海老、穴子、キス、メゴチ、そして青物に廻って大根、茄子、さつま芋、大葉辺りを買う。
そこへ刺身の魚となれば、今まで付き合いの無かった店に行くことになる。
そして、買ったことのないマグロ、ひらめ、鯵などを仕入れなければならない。
事情が分らない人にはどうということのない買い物に思われるかも知れないが、板前にすれば一大事だ。
天ダネを見続けて数十年、眼力には自信があっても、初めての刺身ダネとなれば別の話。
店に戻って舌打ちするような選び方をしてしまったこともあるだろう。
天ダネと較べれば、選ぶにも気合が入らないのではないか。

「職人気質」というが、飲食業だってそういう職人の世界だったはずだ。
「裂き3年串打ち3年 焼き一生」、これはウナギ職人の修業を形容したものだ。
「掃除3年米研ぎ3年握り8年(なんてあったかな?)」
「寿司」「天麩羅」「鰻」「蕎麦」「とんかつ」「ヤキトリ」「焼肉」、どれもが確立された食の一分野を占めている。
そして、「イタリアン」「フレンチ」「中華」「ステーキ」、さらに東南アジア各国の料理が年々店舗数を増やす。
その全ての職人がそうだというわけではないが、客が満足出来る料理を提供しようという心意気を秘めて、俎板に向き合っているプロ意識の持ち主もいるだろう。
ただ、その方向性は千差万別だろうし、誰もが上手く行くわけでも勿論ない。
ただ、長い年月を生き残って来た老舗を見ると、幾つかの共通点を見出すことが出来そうだ。
先ず当然だが、店が古い。
そして、地元とちゃんと融合している。
名店と呼ばれ何やらかにやらで星を貰うようになっても、地元に張った根は揺るがない。
浅草にそれと名を知られた有名な寿司屋がある。
今の当主で5代目。
決して安い店ではなく、コースで頼めば1万円はする。
ガイドブック片手に入って来た客はそのコースを頼むが、地元の人たちは斟酌しない。
「ここに、鯵4つと干瓢巻き1本」と初老の女客が言えば、「あたしは、まぐろ2つと穴子2つ、あと鉄火1本」その連れが確認するように、自分の注文を繰り返す。
「Tちゃん、良いところ握ってよ、端っこはいやよ」
Tちゃんと呼ばれた店主は苦笑いしながらも、客の注文を再確認しているようだ。
見たところ一流店と見て来ている客はカウンター、地元の人はテーブル席と分かれているようだ。
だがそこには不自然さはなく、店も客も和気藹々と其処での時間を楽しんでいるように見えた。
この店は所謂軍艦巻き(いくらやうに)は出さない。
店がこの地で暖簾を掲げたのは、そういう新しいものは未だ無かった時代。
さらに言えば、「いくら」も「うに」も江戸前のネタではない。
この店ばかりでなく、江戸前を頑固に守っている寿司店は結構あるようだ。
勿論、本当に東京湾で揚がった魚だけでは店の暖簾は上げられないだろうが。
そうしょっちゅう行くわけには勿論行かないが、「サラダ巻き」とか「マヨコーン」とか、最早寿司とも呼べない代物を平然と客に出すような店には足を踏み入れたくない(入れたことはあるけれど…)。

私の乏しい経験から言えば、そういう筋道を通している店には、何処か張り詰めた空気がある。
すると入って来る客にもそれが敏感に伝播して、客にも一種の緊張感が生まれてくるようだ。
見ていると、店の従業員の動きにも無駄が無く、どんなに混み合っていても客あしらいは間違いない。
神田に有名な蕎麦屋が2軒あるが、そのうちの1軒は何時行っても混み合っている。
白い前掛けをかけたウエイトレスが大勢働いているが、客の案内や注文のとり方は見事なほど。
良く見ていると、ウエイトレスの中に幾人かのベテランがいて、若い従業員に指示を出す。
さらに帳場に坐った店主からそのベテランに時折り連絡が出ているのだろう。
これだけ混んだ蕎麦屋で、酒の燗の具合まで聞いてちゃんと届けるのだから驚くしかない。
蕎麦を2つ3つ注文して、その出し方にも好みを言う客にも先ず間違えることはないようだ。
まあ、接客業というものをまざまざと見せてくれる店であることは太鼓判だ。

こういう店と較べては気の毒だが、最近の気取った高級居酒屋は見るも無残だ。
見かけだけは黒っぽい上下に身を固め、マニュアル通りのメニュー説明などを喋り続けていても、ほとんど聞いている客はおらず、それぞれ勝手にメニューを眺めている。
適当に飲み物や食べ物を注文して、結局は客同士で決めて客同士で納得するしかない方式。
恐らくこういう店が盛り場の大部分ではないだろうか。
「ホンモノ」を食べさせる店は、恐らくどんどん減っているに違いない。
今の店主は頑張っても、その次の世代がどうなるか分らない。
最近の食べ物ブログを読むと、「ホンモノ」は地方都市で増えているようにみえる。
考えてみれば、それは当たり前かも知れない。
日本では、大抵の都市に漁港があり魚市場がある。
そこでは魚の価格は恐らく東京の半値程度だろう。
そしてその魚の鮮度は築地とは比べ物にならない。
手に入らないネタだけ空輸に頼っても、まだまだ安く提供出来る。
そして家賃の問題がある。
銀座に店を張るのは一世の痛快事かも知れないが、家賃に追われるその先が待っている。
それぞれの人の考え方だが、地方の中堅都市でその地の固定客を相手にするのも悪いことでは無いだろう。
それともタイヤ会社が下賜する星を戴いて、大都市で内装に金をかけた店を開き、毎年星に一喜一憂する。
どちらも同じ商いだが、中味は大きく異なってしまっているのではないか。

まあ私は「頑固な年寄り」と言われても、本業を全うしている店に行きたい、そう考えているが。

「チキン」との数日間

家人の母親が自宅で転倒して入院加療ということになり、家人も母親の小康状態を確認して帰国、思いもかけぬ独身生活になった。
まあ、毎年のように家人が2週間、私が2,3週間と帰国していたのだから、大慌てすることもない。
と言っても状況はいささか平常とは言えないのだから、何となく普段とは異なってしまう。
それでも家人を送り出してしまうと、いつも通りぼやっとした日常に戻ることは止むを得ない。
家事万端とまで言えないが、普段の生活には困らない程度のことは出来るつもりだ。
炊事、洗濯、拭き掃除というが、まあそれくらいなら何とかこなせるのではないか。
今だって食事に関してはかなりの範囲で手を出しているし、買い物もほとんど我が専業になっている。
実を言えば、家人が不在の間に今まで敬して遠じていた幾つかの品々を試したいものだ。
先ず出て来るのは「鶏肉」である。
どういうわけか家人は鶏類を一切口にしない。
子供の頃生きた鶏が捌かれるのを目の当たりにして以来ということだが、そういうケースは多いようだ。
私の家族でも、兄は鶏肉をそれ程好まないらしい。
だが、鶏肉を食べない人は、世界でも大きなハンディを背負っている。
宗教上の理由で「豚肉」を食べない人種は多いし、「鱗の無い魚」をユダヤ教やキリスト教のセブンスデイアドベンチスト派は決して食べないと言われる。
だが掟として鶏肉を禁じている宗教はあまり聞かないようだ。
つまり鶏肉は世界でももっとも受け入れられやすい肉類であって、一般的に考えれば誰にでも食べられる食品の一つだ、と看做されて来たのだと思う。
肉食を禁じた江戸期の日本でさえ、鳥肉は「庭野菜」などと呼ばれて大めに見られる肉類だったと聞く。
それでも一応江戸時代は「殺生禁断」であり、庶民が公然と家畜の肉を口にすることはほとんど無かった。
とは言うものの、明治維新以来流れ込んだ西洋の食生活にすんなり馴染んだ辺り、実は裏で結構な肉食生活が行われていたのだろう、と私は推察している。
明治維新直後から「関西は牛肉、関東は豚肉」と結構大っぴらに言われていたようだから、それ以前からそういう食生活が存在した、と考えても良いのではないだろうか。

世界に食べ物の禁忌は少なくない。
豚を食べないユダヤやアラブは有名だが、馬食がいけない国もあり牛を禁止している国もある。
そういう禁忌が生まれた根拠や経緯は不確かだが、いきなり禁止することは考え難い。
その肉を食べたことによって惹き起こされた疾病や混乱が、根本にあるのではないだろうか。
ただ「鱗の無い魚」となると、その禁忌が正当化された理由すら見当もつかない。
「鱗が無い」と言えば、鯨やイルカ、鰻さらには多くの甲殻類も含まれるのだが、そこにきちんとした学術的な裏づけが存在したかどうか、大いに疑わしい。
何事にも寛容な日本人はほとんど気にしていないようだが、他の民族間では未だにその学問的な裏づけの追及は続いているのではないだろうか。
聞いたところでは、「鰻」には見え難いがちゃんと鱗はあるようで、恐らく今までの定説を覆すのに様々な悶着があったことは先ず間違いないだろう。
世界中に多くの人種があり、それぞれが似通っていたり異なっていたりする食物を摂っているのだから、人類発生以来数十万年が経っているかも知れないが、まだまだ意思の統一は難しそうだ。

我が家の場合、別に家人が鶏肉を禁忌にしているわけではない。
私が食べたければそれは私の自由だし、実際幾度か鶏肉を調理して自分だけ食べたこともある。
その場合、家人にとって鶏肉は卓上にあって無きが如きものであることになるわけだ。
と言っても、やはりその品を嫌っている人が同じ卓にいるのはそれほど愉快ではない、
私で言えば、じっくり酒を呑んでいる周囲でケーキやキャンディ、チョコレートなどで飾り立てるようなものか。
とに角、このところ自宅に鶏肉を持ち帰ることは絶えて無い。
というわけで、早速スーパーに行って「鶏腿肉」の一番小さいパックを買い込んで来た。
別に悪いことをしているわけではないが、何となく後ろめたいような気分になるのが不思議だ。
止めたと広言したタバコを、隠れて吸っているようなものだろうか。
鶏と言えば、料理は定番に近い「親子丼」ということになる。
材料としては、鶏肉、卵、玉葱、出汁、醤油、味醂、砂糖、程度だろう。
日本では青海苔や紅ショウガを散らしたりするようだが、此処では間に合わない。
炊き立ての飯と煮立ての親子があれば充分としよう。

鶏腿肉のパックをばらして、気がついた。
全てが奇麗に見かけよく捌かれているのだが、手際が良過ぎて機械で切ったように見える。
手間を惜しむあまり、不要部分を大きく取ってしまったのだろう。
以前自分で捌いた鶏と較べると、まるで高級デパートの食品売り場のようだ。
それでも手順通りに小鍋に薄切りの玉葱を敷き、切りつけた鶏肉をその上に並べ、出汁と味醂砂糖を廻しかけて熱が入った頃に醤油を流し込んで味を調える。
全体に熱が廻った頃合に、溶き卵を先ず半分かけ回してやる。
炊き上がった飯を丼によそって、残りの卵を鍋に一気にかけて火を止めた。
湯気の立つ飯の上に小鍋の親子煮を滑らせるように流し込んで完成。
焼き海苔を刻んで上に散らし、あとはわしわしと食い進むだけ。

食べているうちに、何処と無く不満を感じた。
ひと口に言えば上品に過ぎる。
鶏肉が、まるでマグロのサクのようにきちんと揃っていた。
親子丼とはもっとざっかけない、気安く口に運べるもののはずだ。
味にはあまり不満は無かったが、気分がどうにも乗り切れない。
街角の大衆食堂で食べられるような親子丼が私の好みだ。
ミシェランの3つ星も悪くはないが、それでは2切れの沢庵はついて来ないだろう。

翌日、余った鶏肉の行き先を考えた。
私の希望とはかなり掛け違ったものだから、どうすれば良いか考えは纏まらない。
好みとは違うから棄てるという考え方もあるが、それは捌かれた鶏肉に失礼かも知れない。
と言っても、今更焼いたり煮たりして食べる気は起きない。
逡巡しているうちに、「カレー」というアイデアが閃いた。
実は私は、この「チキンカレー」という奴も一度も食べたことが無い。
だがカレーは結構頻繁に拵えている。
普通中身は牛か豚だが、この際鶏肉でも一向に構わないだろう。
手馴れた手順で鶏肉を炒め、玉葱やジャガイモを足して炒め続ける。
頃合を見てブイヨンを注ぎ、ややあってルーを放り込んだ。
食べてみれば、ごく普通のカレーライスだ。
文句はないが、と言って不満も無い。
一応鶏肉に面子を立てた、ということになるのだろう。
翌日には、その残りで「カレーうどん」まで作ったのだから鶏肉は満足しただろう。

実はこの話には未だ続きがある。
カレーうどんまでで買い込んだ鶏肉はほとんど終了したのだが、ほんの少し残った。
これこそ棄てても良いものだったのだが、此処まで来るとそうは行かない。
首を捻った挙句、鶏肉を全て茹で上げた。
その茹でた鶏肉を細かく切り、セロリーの細切れとマヨネーズ和えにした。
昼飯に焼いたトーストにその「チキンサラダ」を盛り上げてみた。
紅茶にレモンを入れ、「チキンサンド」と一緒に食べると、なかなかのものだ。
こうして、買い込んだ鶏肉は見事に調理し切った。

どうも、鶏肉が好きになったかも知れない。
まあ家人が帰って来るまでのことだけれど…。

3食という食事形態は、長い間世界の習慣と看做されて来た。
実際はどうだったのか、私には分からない。
ただ戦後の日本では、朝昼晩の3食は何処の家庭でも当たり前であり、たとえ空腹であろうが食欲が無かろうが、誰でも食卓に着くことを当たり前と考えて来たようだ。
私が幼い頃は、朝は飯と味噌汁にひと品程度が普通であり、昼になれば子供は学校で給食を与えられ、会社員は勤務先の近くの飲食店で済ませ、夜は再び家族揃って食卓を囲んでいた。
この頃を思い出すと、テレビが持ち込まれたことによって、家族の住居形態も大きく変わったように思う。
家族全員に1台のテレビとなれば、当然個々の観たい番組は異なり、所謂「チャンネル争い」なる家族間の不満も生まれて来たようだ。
まあその辺りは序の口であって、カラーテレビ時代、一家に複数のテレビの時代などを経て、家族の付き合いそのものも大きく変わって来てしまったと言えるのではないか。

それは当然ながら、日本人の食生活にも大きく影響している。
朝出勤前に飯味噌汁などの旧来の食事を取る人は大きく減り、精々コーヒーにトースト程度、それも次第に駅頭での菓子パン牛乳程度に変化して来たようだ。
子供が成長してクラブ活動や学習塾などに日常的に通うようになれば、今までの典型的な家族の夕食は最早存在し得なくなってしまう。
今の日本では「コンビニエンスストア」なる小型スーパーに行けば大抵のものは入手出来、子供はむしろそういう食事を好むようになって来たらしい。
テレビドラマなどで垣間見るしかないが、個人の嗜好が簡単に得られる時代と言えるかも知れない。
嗜好という観点で言えば、最近は昔ほど「好き嫌い」を云々しなくなったのではないだろうか。
考えてみると一家揃って同じものを食べるという理想形が既に存在し、その和を乱す「好き嫌い」は撲滅される運命にあったわけで、「反好き嫌い」派には「学校給食」という有無を言わせないスーパーマンがいたわけだ。
テレビドラマなどから、「ちゃんと全部食べなさい」とか「野菜を残しちゃダメ」などという決まり文句が消えて行き、何時の間にか家族みんなが自分の好きなものを食べる時代になっていたと言えそうだ。

私も色々な食事を経験しているように見えるが、実際のところ手に入る限りの日本食を中心に数十年を生き抜いて来ただけと言っても良い。
それでもアメリカに住み始めての10年程度は、近所のコーヒーショップで所謂「アメリカンブレックファスト」と呼ばれる、2個の卵をお好みの形(目玉焼き、スクランブルエッグ、ゆで卵)に調理して貰い、茹でジャガイモの炒めとさらにお好みでベーコンやハム、ソーセージを添える。
若い頃はこの程度の朝食が普通だったが、40代になると少々重たくなって来る。
コーヒー1杯にドーナッツ1個程度が朝食の定番と変わって来た。
それに連れて昼も夜も年相応の内容と分量に変化するのが、最早不思議とも思われなくなった。

今の住居に住み始めて10年を過ぎたが、盛り場が遠い所為か外食の頻度がさらに少なくなったようだ。
それでも昼食や夕食は人との付き合いもあって時々盛り場に出かけたりもするが、朝食となるとここ10年以上コーヒー、果物少々、菓子パン1ヶという顔触れに変化はない。
実はこのアパートの中にコーヒーショップというかレストランというか、その折衷のような店があるのだが、いまひとつ気が進まずもう10年以上足を踏み入れたことがない。
そんなコーヒーショップに行ってみようか、と不図思いついたのは珍しい好天の朝。
近所のショッピングモールには老人連が行きつけにしている店があり、土日は特に繁盛しているようだ。
メニューにはこれといった特徴も無いが、ありきたりの品は一応揃っている。
私たちもこの近所に越して来たばかりの頃は結構通ったが、「アメリカンブレックファスト」のカロリー総量は800kcくらいだと聞いて以来顔を出していない。
カロリーの摂取過剰は脅威だが、このところ医師の指示で服用している薬の所為か、体重は下降気味。
1, 2度の飽食程度ならそれほどの影響はないだろう、と多寡を括ってもいる。

ニューヨークのコーヒーショップは年々減っているそうだ。
いやコーヒーショップそのものはあるのだが、形態が変化して来ている。
私がニューヨークに来た当初、コーヒーショップに入ればウエイトレスかマネージャーが席に案内する。
メニューを置いて行くから、少々時間をかけて食べ物を選ぶ。
とは言っても、どの店でも中味は似たようなものだから決めるのは早い。
「May I take your order? (注文は決まりましたか?)」
「I'd like to have 2 eggs sunny side up and sausage with white bread toasted. (卵2個の片面目玉焼きにソーセージを添え、白いパンのトーストと)」
今では少なくなったが、こういう店には大抵卵を焼く専門家がいるものだ。
目の前に熱した大きな鉄板を置き、客の注文を捌いて行く。
片手で2個の卵を割るのは序の口で、一つ一つのオーダーを間違いなく客の注文通りに焼き上げる。
その片手間にジャガイモを炒め、それぞれの皿に盛り合わせて行く。
口で言えば簡単そうだが、まあ10年以上の経験は必要だろう。
卵焼きにはオムレツも含まれ、又そのオムレツが最低でも7,8種類はある。
客の滞在時間が2,30分としても、人件費や材料代は馬鹿にならない。
ニューヨークのコーヒーショップのオーナーにはどういう訳かギリシャ系が多く、店名にも「Athens アテネ」とか「Aegean エーゲ海」などを良く見かける。
過去にはギリシャ系コーヒーショップも繁盛した時期があったようだが、家賃の高騰なども影響して引退に追い込まれたオーナーも少なくないと聞く。
さらに今では故国のギリシャが難民問題で四苦八苦、悠々と引退する環境ではないのかも知れない。

家人と散歩がてら、ショッピングモールの端にある古いコーヒーショップのドアを押した。
旧態依然の店の造りだが、年配の常連客が多いと見え、ほぼ満席に近い。
憶えのあるマネージャーが笑顔で近づいて来る。
「Two of you? (お二人ですか?)」、最近あまり聞くことも無い決まり文句だが、懐かしい気もする。
時代遅れのような大きなテーブルの間を通り抜けて、奥の席に案内された。
間髪を入れず、やや年配のウエイトレスがメニューを持って来る。
「Would you care for coffee? (コーヒーでよろしいですか?)
頷くと彼女の後にいたウエイターが大振りのマグをテーブルに置き、ポットから厚いコーヒーを注ぐ。
「I’ll be back for order, later. (ご注文は後ほど)」
何だか数十年前に戻って、会話を交換するような気持ちになって来る。
また店員のキャリアもあるだろうが、全てのテンポが心地良い。
恐らくこの店に集う高齢の男女にとって、定型句のような会話のやり取りも楽しみのひとつなのだろう。

「Can I take your order? (ご注文よろしいですか?)」、頃合を見て先ほどのウエイトレスがメニューを開ける。
家人が卵2つの目玉焼きを頼んでいる間に、私も急いでメニューをおさらいした。
「Let me have 2 eggs easy over with corned beef hash and white bread toasted. (卵2個を軽く両面焼いて、コーンドビーフを添えて白いパンのトースト)」、何年ぶりかのひと皿をオーダーしてみた。
コーンドビーフは幼い頃の大好物だった。
台形の罐に添えられたネジ状のカギで、側面の帯状の部分をねじ切るように作られていた。
これは取り出した中味を薄切りにし易いように拵えたと言われている。
日本でも人気はあったが、直ぐにハンバーグや薄切り肉に取って代わられ、今でも命脈を保ってはいるようだがひと頃の勢いはないようだ。

我々のオーダーが運ばれて来た。
結構大振りな皿にコーンドビーフハッシュが盛られ、その上に2個の目玉焼きが載っている。
横に添えられた炒めポテトをフォークで潰し、それにコーンドビーフを混ぜ込んで食べるのが絶品。
混ぜ込む時に、潰した目玉焼きの黄身をトロリと垂らしてやれば言うことなし。
ジャムのラインアップを調べてみると、お気に入りのママレードがちゃんとあるではないか。
トーストをちぎってママレードを塗り、コーンドビーフ混じりのポテトを載せて口に運ぶ。
数十年ぶりの不思議な味覚が、遠い記憶を引き戻してくれる。
コーンドビーフの塩味、ママレードの甘さ苦さが相俟って、珍しくほとんど食べ終わった。
支払いを終え屋外に出ると、まるで春のように暖かい。
食事、会話、雰囲気、全てが渾然となった所為かも知れない。

もう一度こういう食事をすることがあるかどうか。
まあそんなに意気込むほどのことではないだろうが…。


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