還暦スイマー望郷日記

30余年のニューヨーク、今浦島の心境を…

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人は誰でも長く生きて来れば、その年月に見合った知り人を失う。
若し周囲の人よりもずっと長く生きれば、ずっと多くの知己や身内や友人に先立たれる。
まあ実際のところ、周囲の人たちが自分よりそんなに長く生きて欲しい、とは考えないだろう。
自分が旅立つときに、出来れば身近に幾人かいて欲しい、程度のことではないだろうか。
私くらいの年齢になると、毎年数人の知己や身内を失う。
ネットで見つける場合もあるし、テレビで報道されることもある。
さらに、人づてに情報が入って来る場合や、事前にある程度の予知があるケース。
インターネットなどの情報網が整備され、極端に言えばほとんど同時に世の中の出来事を知ることが可能になってしまったようだ。
世界が注目するような重要人物であれば、最期の深呼吸まで知覚出来そうではないか。
それが良いことかどうか、我々は未だに知らない。

2月の10日、私はネットで「山中 毅氏 死去」を知った。
面識も無いし何の接点も無い。
いやたった今、彼の名前を聞かされてすぐに分かる人は少ないだろう。
袖振り合う「多生の縁」さえもなかった、ということになる。
それでも、私は彼の名前をかなり早くから知っていた。
私自身小さな高校の水泳部に参加していたのだから、当然と言えば当然だろう。
勿論、山中の記録を列記すれば、私などとは比較にもならない。
高校2年生で挑戦したメルボルンオリンピックで、400mと1500m自由形で2位。
周囲に多少の期待を持った人はいたかも知れないが、世間は狂喜したはずだ。
石川県の田舎の無名の高校生が、オリンピックという大舞台で世界を向こうに廻して2つの銀メダルを獲得したのだから、まさに驚天動地だっただろう。
それに日本にはこの種目にはある種の「因縁」があったはずだ。
メルボルンの1回前のヘルシンキに、日本は最大の期待の星を送り込んだ。
「フジヤマのトビウオ」と渾名された古橋広之進は、敗戦後の日本の明星的存在だった。
同僚の橋爪四郎と交互に世界記録を塗り替えながら世界を目指したが、敗戦国日本は1948年のロンドンオリンピックからはシャットアウトされてしまう。
無念の想いもあってだろうが、日本水連はロンドンオリンピックの開催に合わせて「全日本水泳選手権」を開催し、古橋と橋爪のコンビは遠いロンドンで出された優勝タイムを全て上回った。
日本は大いに湧いたが、所詮は地球の裏側での出来事に過ぎない。
国民の期待は、さらに4年後のヘルシンキへと膨れ上がる。
52年のヘルシンキ大会の頃、私は未だ8歳に満たなかったはずだが、それでも「フルハシ」という名前はいやというほど耳元で聞かされた覚えがある。
テレビもなく新聞とラジオだけが全てだったはずだったが、焦土から立ち上がろうという日本人の気概に押されて、「フルハシ」はその象徴的存在になっていたのだろう。
だがそのヘルシンキで、古橋は惨敗する。
24歳という年齢とさらに体調の不十分もあり、満を持して絞り込んだ1500m自由形で8着という最下位に終わった。
このレースで、同僚の橋爪は2位に入り銀メダルを獲得しているのだが、ニュースは「古橋敗北」に埋め尽くされ、橋爪の健闘はほとんど無視されたに等しい。

それから4年後に、日本は山中毅という新しいヒーローを得たわけだ。
如何にも田舎の高校生といった風貌の山中は、水泳選手には珍しい逞しい上半身でメルボルン以降の日本水泳の期待を一身に負ったというか、負わされた形になる。
「フルハシショック」から立ち直れていなかった日本人は、山中に期待の全てをぶつけたのだろう。
オーストラリアのマレー ローズやジョン コンラッズと世界の頂点を争う若い山中に、フルハシが果たせなかった世界一の重みは日に日に増していたに違いない。
「湯川英樹博士のノーベル賞」、「白井義夫のフライ級世界王座」と一体を為すべき「オリンピック水泳の金メダル」だったのかも知れないが、それを課せられた山中は気の毒と言うしかない。
テレビ時代の到来もあって加熱したローマオリンピックだったが、山中は此処でも400m自由形の銀メダルに終わる。
この後山中は大学を卒業し、南カリフォルニア大学に留学する。
彼はこのアメリカの土地で、今までの重しを解放したのかも知れない。
留学先ではマレー ローズと練習仲間となり、南カリフォルニア大学の黄金時代を築いたという。
山中は日本の水連との縁を此処で切ったように見える。
ローズなどと泳いで、本当の水泳の楽しさを知ったとすれば、喜ぶべきだろう。
彼は4年後の東京オリンピックにも参加したが、既に全盛期の力は無かったようだ。
そして彼の凋落と共に、かつて日本の合言葉のようだった「水泳ニッポン」も聞かれなくなった。

山中はその後、ほとんど水連とは拘わって来なかったらしい。
水連は彼の前の大ヒーローである古橋広之進にがっちり握られており、それはさらに数十年の長きにわたって続いたようだ。
古橋は1966年に水泳連盟の役員になり、1976年には國際水泳連盟の副会長に選ばれ、2009年にローマで客死するまで頂上に居続けた。
正直に言えば、私は古橋が水泳連盟を自在に操っていたことを評価はしない。
2000年のシドニーオリンピックでの女子水泳の選手選考でも、「銓衡基準が不明瞭」というスポーツ仲裁裁判所への申し立てを受け、最終的には銓衡基準に曖昧さがあったと判断されその後の代表選出方法にある程度の規制を設けることになったという。
何によらず、一人が権力の座に40年以上坐り続けるということが好ましいわけはなく、この申し立ては古橋の長期政権を阻止する意味では値打ちがあったと言われている。

2月に山中の訃報を聞き、それに連れてローズやコンラッズのそれ以降もおおよそ知ることが出来たような気がする。
訃報は決して嬉しいものではないが、それによって知ることが出来ることもあるようだ。
まあ、世の中にはまるまる無駄なものは存在しない、ということなのかも知れない。

アメリカは水産物の輸入に、結構厳しい規制を設けている。
海外からの水産物には、基本的に生産国の品質保証の書類を添付しなければならない。
それも到着時に死亡している場合と、生きたまま通関する場合とでは扱いが異なる。
実はこの扱いは何処の国でも同じようなものらしいのだが、到着の状態で面倒なことがあるのだ。
「活け」で申請して到着すれば、通関の係員は活きている水産物が箱の中にあると思っている。
箱を開けて、若し中の水産物が死んでいれば、普通はそのまま通してしまう。
死んでいるということは、その品物を輸入した業者は損をしているのだから目を瞑ろう。
まあ、そんな男気があるかどうかは知らないが、大体そんなものらしい。
ではその逆の場合、つまり死んでいるという前提で輸入した水産物が活きていた場合。
これも目を瞑る係員が一般的らしいが、国によっては問題になるらしい。
「活きている分は、別に申請し直して貰う」、こともあり得るそうだ。
係員が何かを期待しているような国であれば、数まできちんと数えることになりそうだ。

アメリカの税関にはそういう「何かを期待する」係員は少ないようだが、その手のトラブルは絶えない。
各州の衛生局は一定の数の査察官を持ち、彼らはレストランや小売店、スーパーなどを定期的に巡回し、その衛生保安状態を調べている。
レストランなどでネズミやゴキブリの棲息の証拠を見つけることは実に簡単だそうで、逆に言えば査察官はいとも容易にその痕跡を見つけ出してしまう。
となれば、レストランがそういう厳しい調査から免れる方策は限られていることになる。
ニューヨーク市の衛生局は、昔は最も腐敗した部局として知られていたらしい。
レストランの方も、彼らがバッジを見せて入って来ると直ぐに100ドル札を用意し、目立たないように手渡して万事OKという時代があったようだ。
だがこの10数年、そういう瀆職係員の摘発は厳しくなったらしく、うっかり金など渡すと逆に贈賄罪で起訴されることも珍しくないという。

そこで新しいアイディアとして取り入れられたのが、コンサルティング会社の導入。
契約したコンサルタント企業から専門家を送って貰い、店内のネズミやゴキブリを殲滅するわけだ。
契約金は決して安くはないが、査察で弾き出される罰金と較べればましだ。
さらに査察結果で店頭に表示される「A」、「B」、「C」のランクは商売に大いに差し支える。
今ではニューヨークの飲食業の6割近くが「A」ランクの表示を受けているそうだから、もし「B」や「C」などを張り出されたら店の評価はがた落ちということになってしまう。
だから今では多くの店がコンサルティング会社の顧客になっていると聞く。
で、このコンサルティング会社の従業員は、以前衛生局に働いていた経歴の持ち主が多い。
そう言えば、大体のストーリーは分るだろう。
査察の時に金を受け取れば犯罪だが、こういうやり方なら法には触れない。
考えてみたら、似たような手法はわが日本を含め何処にでもあるはずだ。

それでもアメリカでは最近通関係員は結構真面目になって来た、と言われている。
内部で何があったかは分からないが、彼らだって馘首されることは望まない。
20年以上勤めればちゃんと年金が保証されるのだから、危険を冒すのは利口ではない。
コンサルティング会社のような法に触れない抜け道を考えてやれば良い、ということらしい。
最近は見ていないが、魚市場を巡回する衛生局の職員も少しは変わったのだろうか。
箱を開けて魚のサイズを計り、規制以下の小型が混入されていれば全ての箱を販売中止にし、重い罰金を課したりする「Power trip パワートリップ(権力濫用)」はお手の物。
喰ってかかったりすれば、営業停止処置もあり得るから、誰も正面切って文句は言えない。
彼らが一番力を入れていたのは「二枚貝」の類。
「Clam クラム」と総称される「二枚貝」は雑菌の混入が多いことから、検査は厳しい。
外国からの輸入もほとんど禁止になっており、日本の「赤貝」、「鳥貝」、「平貝」など、寿司屋垂涎のネタはアメリカには入って来られない仕組みになっている。
だからニューヨークで食べられる二枚貝は、「牡蠣」、「Quahog クォホッグ」そして「Mussel マッスル(ムラサキ貽貝)」程度しかない。
この「クォホッグ」は、現在東京では「ホンビノスガイ」という名前で売られているが、アメリカから移植して以来驚異的な勢いで増えているようで、既に独自の市場も確立しているようだ。
面白いことに、アメリカではこの貝を「リトルネック」とか「チェリーストーン」とかサイズによって異なった呼び方をし、夏のビーチサイドの店などで生食をすることで知られている。
だが何でも生食する日本では、この「ホンビノスガイ」を生では食べないらしい。
時々覗く食ブログでは、味噌汁の実としてしばしば登場する。

もうひとつ面白いのは、「マッスル」という二枚貝。
ヨーロッパでは「ムール貝」と呼ばれて人気の貝だが、日本ではあまり食べない。
その理由は諸説あるのだが、日本で「ムラサキ貽貝」と呼ばれるこの貝は生命力が強く、汚染された海域でも生き延びるため、食用には適さないとされて来た。
今では水の奇麗な海域で養殖されたものが出回っており、結構売れているようだ。
アメリカでも昔は極端に安く、50kgのカマス入りで精々7,8ドル程度の価格。
だが今ではプリンスエドワードアイランドなどで養殖された小粒のものに人気が高く、マンハッタンの高級シーフードのレストランなどでは全てそのマッスルを提供しているという。
さしづめ「赤毛のアンのムール貝」といったところだろうか。
私は結構昔からこのマッスルを食べていた。
勿論メイン州やマサチューセッツ州で採れた、カマスで7,8ドルの代物。
大きな鍋にマッスルを放り込み、大蒜の厚切りを載せ、白ワインをかけ回して強火で炒める。
口を開いたところで火からおろして、あとはただ貪り食うだけ。
冷えた白ワインでもあれば、もう言うところ無し。

このマッスル、ベルギー人はこよなく愛しているようだ。
ブラッセルに行ったとき、生で食わせる店があった。
首を捻りながら注文し食べてみたが、首は捻ったままだった。
美食で知られるベルギー人に、生のマッスルの味について一度訊いてみたいものだ。
まあ和食は日本人の自慢のひとつだろうが、首を捻る欧米人もいるだろうから。

探してみれば、未知の美食はまだまだ世界中にありそうだ。
「なまこ」や「ほや」、「白子」や「筋子」、先人たちが命を懸けて口に入れた品々。
ひとつくらい、自分でも見つけられないものか。
なんて、考えないわけではないのだが…。

あれは私が中学生くらいの頃だろうか。
「唄声喫茶」というものがあちこちに出来た。
と言っても客を大勢入れないと商売が成り立たないから、客席は50以上100以下くらいか。
正面にステージがあって、そこに幾人かの青年男女が身振り手振りで歌唱指導をする。
客は入場料を払っていたのだろうか、それに飲み物と入り口で買った小さな小冊子を持っていた。
歌詞だけが印刷されている小冊子は、この店では必携品だったようだ。
ステージの指導係は、これから唄う歌の載っているページ数を客に伝え、客は手持ちの冊子を開いて伴奏が始まるのを待ち受けている。
この冊子に載せられている歌は、私にはなかなか耳新しいものばかり。
戦前であれば決して許されることのなかったロシア民謡であるとか反戦歌であるとか、フランスのシャンソンの中でも権威に刃向かうようなものが多かったように思う。
私は大学生の姉のお供でついて行ったのだが、店は西武新宿線の新宿駅の前だったはずだ。
昭和33,4年頃は、皇太子(今の天皇)の結婚の儀などもあったが、なかなか学生運動が盛んな頃で、今考えれば歌声喫茶などに来る学生は、人生に真剣に向き合っていたのではなかっただろうか。
「― 夜霧の彼方に 別れを告げ 雄々しきますらお 出でて行く 窓辺に瞬く 灯火に つきせぬ乙女の 愛の影…―」が、もっとも多く歌われた「ともしび」という曲。

ロシア民謡と言われていたが、実際には第二次世界大戦中に発表された詩に誰かが曲をつけたのが発端らしく、当時のソ連で若い男女に愛唱されたものらしい。
今考えれば、この「歌声喫茶」の背景には政治的なものもあったに違いないが、ほとんどの若い客たちは純粋に歌の持つリリシズムに惹かれて集っていたに違いない。
唄声喫茶では「ともしび」以外に「おお、ブレネリ」、「泉のほとりで」などに人気があったようだが、フランスのシャンソンからも「漕役刑囚の唄」や「兵隊が戦争に行くとき」のような、戦争忌避を意とする歌が拾い集められていたような気がする。
女声歌手が多かったシャンソンにイブ モンタンという男っぽい歌手が現われ、彼が唄う労働者階級をテーマにしたシャンソンは、若い世代に多くのファンを獲得したのではないか。
考えてみれば、時はまさに1960年日米安全保障条約を目前にしており、国会では激しい論議が交わされ、学生間の様々な活動に警察が神経を尖らせていた頃のはずだ。

「イギリス人は利巧だから 水や火などを使う ロシア人は歌を唄い 自ら慰める…」
「死んだ親が 後に残す 宝物は何ぞ 力強く男らしい それは仕事の歌…」
素直に聞けば、上手く立ち回る西欧人に対し愚直に黙々と仕事をするロシア人という対比。
あの頃ロシアはそういう人間像を作り上げ、純朴な日本の若者はそれを信じ込んだのだろう。
私は未だ幼過ぎたが、多くの青年男女が社会主義国のプロパガンダを真正面から吸収したはずだ。
そしてある者は安保反対運動に身を投じ、ある者は危険を感じて身を引いたかも知れない。
学生運動そのものは暫く続いたようだが、ほとんどの学生はある時点で訣別したのではないか。
幾つかのセクトに分かれて思想闘争を続けていたが、赤軍派などの武力抗争が明らかになって来ると、徐々に自然消滅のような形をとってしまったと言えそうだ。
1970年の安保まで運動の残滓はあったようだが、最早実際の根っこは枯れてしまっていたのだろう。
50年近く経った今では、むしろそういう運動が存在したことに驚いてしまう。
勿論今でも政府の行政手法に非難の声を挙げたり、国会周辺でシュプレヒコールを連呼したりすることはあるようだが、それが実際に何らかの影響を及ぼすことが出来たとは誰も思っていないだろう。
集まりを解散した後、三々五々居酒屋やカフェに流れるのが常態であれば、それは言うなればレクリエーションのひとつでしかない。

と言って、私がそういう現状に大きな不満があるわけではない。
民主国家を標榜して、国内の治安にも不安を抱かせない内治の形態を作り上げているのであれば、ほとんどの国民はその政府に不満を持つことはないだろう。
いや野党だって、矛先を向けるべき箇所を見つけ出すのにひと苦労するのではないだろうか。
現に今だって、与野党の政策の相違点を鮮明にするのに大汗をかいているようだ。
どちらの党も異分子を抱え込んでいるのだから、そこを纏めるだけでも時間がかかる。
そこへ来て孤高を守っていたはずの共産党が、旧民主党や自由党と提携したのだから国内は大騒ぎになると思っていたが、それ程のことはないままだ。
どうも国民から見れば、当てにならない点ではどちらも似たようなもの、ということらしい。
と言うより、株価を上げて年金を保障してくれさえすれば、どの政党でも構わないということだろうか。
テレビのインタビューで「経済」や「株価」を連呼する人たちを見ると、今や国民最大の関心事は自分の懐具合しかない、と言い切られているようで少々物悲しい。

こういう風潮は、何時頃から日本人の間に滲み込んで来たのだろうか。
少なくとも「唄声喫茶」が若者で溢れていた時代には、「経済」は「政治」や「教育」などと同格で、国民が豊かな生活を送るために不可欠なもののひとつだったはずだ。
それが何時の間にか、「教育」は二の次になり「政治」は三の次に成り下がった。
いや「政治」に携わっている方たちは思っていないだろうが、国民から見ればその程度のもの。
言い方を変えれば、それほど日本の「経済政策」はなっていないということだろう。
まあ見渡せば、欧米でもアジアでも「経済」で行き詰っている国は幾らでもある。
むしろ「経済」が好調な国は皆無、といった方が正しいのではないか。
聞くところに拠れば、今裕福なのは指折り数えられる個人だけという話だ。
タックスヘイブンに隠すほどの財産がある人たち、という意味なのだろう。
勿論、人の財産のことをあげつらっても何の進歩も期待出来ない。

ロシア民謡は「唄声喫茶」と共に若者の間で一時隆盛を極めたが、下降線を辿るのも早かった。
ベールに包まれた東欧諸国やその歌曲に魅せられた若い男女だったが、共産諸国の経済が落ち込み体制の欠陥を露呈し始めるにつれ、その流行の最盛期も去って行った。
ウェスタンやハワイアン、シャンソンなどが流行による上下はあっても、それなりの固定ファンを持ち続けているのに比べ、日本のロシア民謡はほぼ完全に消え去ってしまったようだ。
しかし、ロシア国内ではその他の歌謡曲や民謡と共に、「ともしび」や「カチューシャ」のような所謂ロシア民謡は今でも各処で歌われているらしい。
ウォッカを呑みながら唄っているロシア人たちは、その歌が半世紀の昔、日本の若者たちに愛唱されていたと知ったら、どういう感慨を抱くだろうか。

訊いてみたい気がしないでもないけれど…。

寿司にも色々…

寿司店は、今の日本では大別すれば3分化されているように見える。
一つはネタや店の内装にも気を配り、上客を相手に恥ずかしくない営業が出来る店。
こういう店は以前には客の好みのままに握っていたようだが、それでは最後の請求金額が高くなり過ぎる。
だから一応店なりの「お任せ」という方式を基本として、最終的には2万円前後で済むようになっているらしい。
勿論客が好きなものだけを注文することも出来るが、その場合はちょっと見てたじろぐ数字になるのだろう。
ミシェランで3つ星を取るクラスになれば、好き勝手に注文すれば勘定は天井知らず、ということのようだ。
ただ少なくともどんな高級店でも、客が勘定書きを見て一瞬目が泳ぐような営業はしたくないはずだ。
常連は別だが、初めてらしい客には一応その程度の説明は行うらしい。
その勘定が納得行くものであれば、この客は常連になってくれる可能性は大きい。
似たような魚を捌いて似たような握りで、それでも人気店と不人気店の差が生まれてくるのは、店主若しくは寿司職人の客あしらいに拠るものだろう。
その下のクラスは、とに角客の回転が全ての店。
大抵の場合ネタ一つの代金が壁に張り出されており、客は安心して食べられる。
とは言っても、早く売り切りたいネタは寿司職人に知れ渡っているから、真っ先に奨めるアイテムになるわけだ。
こういう店はチェーン組織が多いから、言うなれば傘下の全店舗挙げてそのネタを売っていることになる。
ネタの良し悪しを厳密に言えばそれ程良いものは使えなくとも、客から不満が出るほどのことはないだろう。
ほとんどの場合、客は満腹し勘定にも納得し満足して店を去る。
一番良い経営体系のようだが、仕入れにかかる労力は半端ではない。
安く仕入れるために全国の港々に情報網があり、南が時化れば何とか北で入手出来るよう手配するわけだ。
こういう大手チェーンの経営者は、職人上がりではなく情報収集のプロである場合が多い。
見聞きしたわけではないが、恐らく魚介類の入荷や配分などはコンピューターが仕切っているのだろう。
大型チェーンであれば、ほとんど世界中の魚の集積地にコネクションがあると見て良い。

そして、そういう経営体系をさらに推し進めたのが、「回転寿司」チェーンということになる。
言い方は悪いが、「回転寿司」は寿司をファーストフードに変形させたものだと言えそうだ。
ただ、「回転寿司」にも様々な事業形態があるから、一概に決めつけることは出来ない。
廻っている皿の価格が載っている寿司のネタによって異なる場合は、「回転寿司」と大衆店の中間的存在。
だが皿の価格は色で分けられていて、50円刻みで上がって行くのが普通のようだ。
一見、この手の店と価格差が大きい店とは似て非なるもののように考えられがちだが、実は大きく異なる。
似ているのは寿司の皿が回転することだけで、価格設定に関しては店の意向が影響するかどうかは別物。
「海老 100円」の店では、価格が最優先で品質はその後になる。
現行の品では旧価格を維持出来ない場合、業者は安く買える品を先ず探す。
海老のような商品は世界的な市場が存在するから、情報網を広く持っていれば安価な品も見つかるだろうしマグロやイカなども同様と考えて良い。
だから冷凍が難しい白身魚は置いていない店が多いし、客も別に不満を洩らしたりしないはずだ。
まあ付け加えれば、ちゃんとした白身は決して安いものではなく、その割に人気が無いのだ。
言って見れば、「まず価格ありき」の店は味覚より価格で勝負している、ということらしい。

上記したように、寿司屋には大別して3つのランクがあるのだが、自分の懐と相談して行く店を選んだとしても、未だ旨い寿司が食べられる保証はない。
味のレベルと価格は必ずしも正比例しない。
「先ず価格ありき」の店の寿司が必ず不味いわけではないことも事実だ。
確かに3万円の寿司と3千円の寿司は、食べてみて間違えることはないだろう。
だが2万円と4万円、5千円と1万円程度の差は、しばしば支払う人を迷路に誘い込んでいる。
別に店側に悪意がなくとも、そういう差異は工まずして起こりうるのだ。
そしてもし店にある程度の作為があれば、話はもっと簡単になる。
「今の大トロ、何だか脂っ気が少なかったような…」とか、
「このウニ、ちょっと苦いような気がする」とか、
客が気のせいだと思ったり、職人に不平を言えそうに無いと考えたりする店の雰囲気などで等閑にされているが、実は重要なコミュニケーション不足が浮き彫りになって来る。
以前、「寿司屋は握って喋ってなんぼの商売」と呼ばれていた。
寿司を握る手際は勿論大事だが、客を売りたいネタに誘導して行く話術が無くてはならない。
常連客相手に、スタートから〆までの流れが組み立てられるようでやっと一人前。
それが出来ない職人は、客と話さなくて済む店で黙々と握ることになる。

私は、ニューヨークで寿司を食べに行くことはほとんどない。
顔を知っている職人は、もうほとんど引退したか日本に帰ったか消息不明か。
そして今では多くの寿司店が、日本から空輸したネタを使っている。
以前はニューヨーク近海で揚がる魚を日本のネタと混ぜていたようだが、今では全て日本産でニューヨークの市場からはゼロという店も少なくない。
理由は色々あるだろうが、日本の業者に日本の大きな市場から取り寄せさせるのが一番間違いない。
魚の扱いは上手だし、魚そのものの品質が高いことも大きい。
勿論日本から輸入すれば原料は高いが、客がそれを払ってくれれば問題はないわけだ。
だから今マンハッタンで看板を上げている寿司店は、コースで100〜150ドルくらいするだろう。
もっと高い店は幾らでもあるが、これより安い店は数えるほどしかない。
たとえその店が目抜きから外れていても、価格はそれほど低くはならない。
日本から仕入れれば、その原料が店に届けられるまでは価格は全く他店と変わらない。
客単価に影響するのは、店の家賃と従業員の給料くらいだろう。

家人の友人がマンハッタンから離れた寿司店に行って、メニューを見た。
「上中下」でも「松竹梅」でもなく「お任せで2種類」だけ、それも100ドル近いものだったと言う。
已む無くその「お任せ」を食べたが、別にどうということはない寿司だったそうだ。
この人がたまたまそういう店に入ったわけではなく、今では多くの店がそういう商売の形態に変わって来ている。
要は、客が快適に過ごせる寿司店ではなく、店が経営に必要な売り上げが保証されている形なのだ。
だから今、寿司店から日本人の客がどんどん減っていると聞く。
そんな店に家族で行くことは、最早不可能になってしまったのだろう。
「日本だったら安い寿司は何処にでもあるのに」、そう考える日本人は多いだろう。
先に書いた、明朗会計で回転を早くすることに全力を傾注するタイプの大型店。
いや、スーパーの魚売り場にはもっと安い寿司がパックで売られているはずだ。
日本でなら、贅沢さえ言わなければ一応寿司らしいものが、リーゾナブルな価格で食べられる。
だが、ニューヨークではそういうシステムは何処にも存在しない。
辛うじて、養殖の鮭と脂のないマグロ、近海の白身程度の海鮮丼なら2,30ドルで食べられるらしい。
一体どうしてこんな状況になってしまったのか、私にも良く分からない。
ただ、日本から高級魚を輸入する店が増大し、当然それは価格に跳ね返ってくる。
だがマンハッタンの高給取りたちから見れば、それは大した金額ではないのだそうだ。
彼らは日本人のビジネスマンと異なり、自分の金でそういう高級店に行く。
日本人は企業が払うのであれば行けるが、個人では到底足を踏み入れられない。
だから今マンハッタンの高級日本料理店の上客は、アメリカ人ビジネスマンなのだそうだ。
そしてひと頃日本人で賑わっていたピアノバーなる飲み屋は、今では不況らしい。

ではこの先、寿司屋や高級日本料理店はどうなって行くのだろうか。
ミッドタウンの高級フレンチやイタリアンに伍して集客出来るうちは良いだろうが、彼らには長い伝統がある。
アメリカ人のルーツはヨーロッパだから、最終的にはその食べ物とワインに志向するだろう。
そして日本から取り続けるだろう魚介類は、何時まで需要を満たしてくれるのだろうか。
本マグロの漁獲制限は指呼の間に迫っている。
その他の魚介類にしても、欧米人がそれほど珍重するものなのかどうかいささか疑問だ。
高いスシを食うのがステータスシンボルだ、と考えているだけではないだろうか。
日本で、84歳の職人が握る3つ星の寿司屋が繁盛しているのは、似たようなものではないか。

食えない奴の僻み、と思われるのを承知で言えば、寿司で酒を呑むのは無粋の骨頂と言われていた。
米で拵えた酒を呑みながら米を食うのは、田舎ものだというわけだ。
寿司屋では軽く酒を呑んで、握りになれば茶を貰う、のが通のやり方なのだそうだ。

まあ田舎ものだとか通だとか云々するのも、野暮な話ではあるようだが…。

1年後の相撲界

まるで日本中が待ち望んでいたかのように、稀勢の里が横綱になった。
他のメディアは知らないが、NHKはまるで天下の一大事と言わんばかりの報道振りで、朝のニュース夜のニュースを問わず、彼の土俵入りを繰り返し流していた。
確かにトランプの先行きは全く読めないに等しいし、トランプが勝つという予測はNHKを含むほとんどのマスメディアは外したのだから、あまり触れたくない題材だろう。
それだからと言って、横綱の土俵入りの「不知火型」や「雲竜型」をいちいち説明し、彼がつけた化粧回しは往年の若乃花がつけていたものだとか、どうでも良いことのオンパレード。
ひょっとすると、NHKにとっては天皇の退位問題より新横綱や春の甲子園の方が大事なのではないか。
安倍内閣は天皇の意思とは逆の方向に事態を運ぼうとしているようだし、そういう微妙な問題には出来るだけ触れたくない、というNHKの意向が丸見えのようだ。
いずれにせよ、報道機関の人事が政府の胸先三寸にあるようでは、日本の報道の自由が世界でもかなり低い位置と評価されていることもむべなるかなだろう。

私は稀勢の里という力士は、好きでも嫌いでもない。
いつも不貞腐れたような顔をしているが、相撲取りであれば許されて良い。
報道陣に口数が少ないそうだが、今まででもお喋りな名力士はいなかった。
一説には、相撲取りに無口が多いのは草深い田舎から出て来てそのなまりを恥じたからだという。
確かに以前は東北北海道出身が矢鱈多かったし、腹一杯飯が食えると聞いて入門したという話は結構長い間聞かされた憶えがある。
今日本人の力士がモンゴル勢に勝てないのは、そういう貧しい環境が無くなったからではないか。
日本人の幕内力士の半分は大学の相撲部出身だと聞いた。
彼らは大学に行く前の中学高校時代からこの世界では良く知られており、稽古や大会で幾度も取り組んだ相手と今本場所で戦っているわけだ。
だから今では中学を出て直ぐ入門し、厳しい基本から叩き込まれて序の口二段目三段目と上がって来るのは少数派になってしまったらしい。
その所為だろうか、入幕する平均年齢がかなり高くなってしまっている。
大学を出てから入門すれば、幕下付け出しという特典があっても入幕には最低1年半はかかるだろう。
24歳で入幕なら、力士の全盛期は28から30歳だろうから、もうそれほど残されていない。

さらに、重量化が進んだ今の角界では、怪我の深刻さは増しているはずだ。
恐らく学生相撲から入って来る力士は、既に自分の相撲界での青写真を描いているのではないか。
30まで幕内の中堅を上下し、体力の限界を感じたら速やかに引退する。
年寄株は1億5千万以上するらしいが、大学の後援会や部屋の贔屓で入手は可能なはず。
はっきり言ってしまえば、大関横綱を夢に見なくとも人生設計は既に出来上がっているのだろう。
自分の部屋を持つことは、勿論年寄なら誰でも考える。
だがそれは大きな投資を伴ういわば企業化だ。
所謂「タニマチ(贔屓)」抜きでは考えられない。
そしてこの「タニマチ」という存在が、相撲界を色々複雑にしているらしい。
と言っても、今の大相撲はその「タニマチ」無しではやって行けない状態とも言われている。

部屋持ちの親方は、三役や幕内上位の力士を育てたい。
勿論大関や横綱が出ればこんな有り難いことはないが、それはそう簡単ではない。
せめて幕内力士の3,4人を抱えれば、協会の中でも顔が効くようになる。
選挙で理事に選ばれる可能性も大きくなるだろう。
この相撲協会というところは、どういう訳か自民党に良く似ている。
理事長を選ぶには12人の理事の互選になるが、投票は記名だから誰が誰に投じたかは直ぐわかる。
選ばれた理事長は、自分に票を投じた理事には要職を、他に投じた者には閑職を与えるのが通例。
投票前には裏談合が激しいと言うし、そのまま自民党総裁選挙と言っても良い。
そのうえ、どちらにも「タニマチ」がちゃんとついているところも同じ。
まあ言ってみれば、人間社会は至るところで同じような集合離散を繰り返しているわけだ。

稀勢の里という力士は、確かに力強い。
ただ大横綱に必要な柔らかさに缼ける嫌いがあるのではないか。
大相撲の歴史で、強い横綱は必ず足腰の柔らかさを兼ね備えている。
柏戸と大鵬は「柏鵬」と呼ばれてひと時代を形成したが、実際の力は懸け離れていた。
優勝回数を較べても、大鵬の32回柏戸5回ではその差は歴然としている。
「柏戸さんがいて初めて柏鵬が並び立って、ライバル意識をかき立てられました」
大鵬がインタビューで語った言葉だが、大横綱の余裕が感じられる。
大鵬は巨体だったが、その柔らかさは天性のものだったようだ。
硬い身体で一気に寄り立てる柏戸は、土俵際で幾度も苦杯を舐め、怪我に泣いた。
稀勢の里は柏戸とはタイプが違うが、体の硬さは良く似ている。
ただ柏戸に較べて怪我が少ないところが、彼の最大の長所かも知れない。
と言っても、彼の相撲が白鵬のそれに優るとは未だ言えない。
柔らかさと技術と、白鵬には2つながら稀勢乃里が及ばないものがある。
若しマイナス面があるとすれば、長年横綱を勤めて来た肉体と精神の疲労ではないか。
だが、稀勢の里の横綱昇進で、一番刺激を受けたのは間違いなく白鵬だろう。
残る2人の横綱、日馬富士と鶴竜は、残念ながら既に終わってしまったような存在。
今年中にどちらかは引退に追い込まれるような予感がする。
その時に白鵬のライバルとして立ちはだかることが出来るのは稀勢の里しかいない。
勿論下から上がって来る若手、御嶽海や正代、故障を完治させた照の富士などがとって代わることも充分考えられるが、いま少し時間が必要だろう。

はっきり言えば、白鵬と稀勢の里は後1,2年は相撲界にとってなくてはならない存在だ。
言い換えれば、それくらい相撲界には存在感のある力士が欠如しているということ。
大型化によって故障者が増えたことも、その一因かも知れない。
大学の相撲部が予備校化したことで、力士が画一化されたこともあるだろう。
例えば、大学の相撲部には巨体の力士はほとんどいない。
その代わり技術的には、信じられないほど高度化しているそうだ。
簡単に言えば、大学を出てサラリーマンになる代わりに相撲取りになっているのだろう。
そう考えると、彼らの志向は充分理解出来そうな気もしないでもない。
その中で、中学を出て力士になった稀勢の里は、ある意味現代に逆行する存在かも知れない。
全てが画一化された今の世の中では、たとえ相撲界でも跳ねっかえりは貴重だ。
だからと言って彼に声援を送る気はないが…。

1年後に、多少の興味は無いわけではない。


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