還暦スイマー望郷日記

30余年のニューヨーク、今浦島の心境を…

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トランプが大統領になって、大きな抗議デモが全米規模で起こっているようだ。
スローガンは、「トランプは大統領になるべきではない」とか、「我々は彼を大統領とは認めない」といった類のものらしいが、素直に聞いていると何だか可笑しいような気がする。
「大統領になるべきではない」と言っても、選挙で間違いなく当選したのであれば、幾ら嫌いでも仕方がないし、「大統領とは認めない」と言い張れば、まるで駄々っ子のようでもある。
代わりにヒラリーだったら良かった、と考えているのかも知れないが、そのヒラリーが獲得した選挙人数でトランプに及ばなかったことは否定のしようがない。
中でも一番声高に叫んでいるのは、「トランプは人種差別主義者だ」ということらしい。
確かに彼は、「メキシコの国境に壁を作って不法移民を入れないようにする」とか、「イスラム教信者を入国させない」とか言っているのだから、あまり穏やかではない。
ただトランプの言辞が過激になって来たのは、選挙運動の最中の反対派とのやり取りの影響もあるだろうし、その反応の大きさに調子づいたことも大いに考えられる。
勿論、彼のいささか常軌を逸した論理を支持した階層も少なくないことも確かで、それが最終的には大きなうねりを生み出したのだから、選挙は水ものと言うしかない。
未だ実際には何もやっていないトランプだが、人々はもう充分以上に彼の夢の構想を聞かされて来たことに気づけば、数ヵ月後1年後がどうなっているか想像すら出来ないだろう。
ただ当面彼を攻撃する最大のフレーズは「Racist レイシスト(人種差別主義者)」しかないわけで、トランプが実際に何かを始めるまで我々はこの決まり文句を聞かされるかと思うと、少々うんざりする。

ただこの「Racist (人種差別主義者)」という言葉は、我々日本人にも決して無縁ではない。
日本人は世界が日本をどう見ているかということにはかなり敏感なようだが、自分たちが人種差別主義者だとは夢にも考えていないように見える。
日本で「差別」と言えば、被差別部落とか戦前の朝鮮人の待遇だなどをすぐ思い浮かべるようだが、もっと身近にも差別は存在していることには気づかない。
まあそれも無理はないので、日本に暮らしていて日本人以外の人と接する機会は少ない。
私が子供の頃は、白人を見かければ「ガイジンだ」、と子供同士囁きあった記憶がある。
この場合の「ガイジン」はアジア人を含まない。
紅毛碧眼の、所謂欧米人を意味している。
このガイジンたちは、上等そうな服を着て間違いなく上等な車に乗って、笑顔さえ上等だった。
稀に彼らの住居を垣間見れば、部屋が幾つあるか分らないような大きな1軒家。
見るだけで眩しい、と言えば正しいだろうか。
その人たちが眩しくなくなった頃に、日本は世界復帰を果たしたと言えそうだ。
欧米人への劣等感が薄れ始め、他のアジア諸国への優越感も陰を潜めたようだ。
とは言え、対外諸国との交流が頻繁になれば、そういう感情もまた蘇って来る。
「ファールで走るは田舎っぺ、それを言うのはXX人」
小学生の野球にさえ、そんな軽侮の言葉が飛び交う時もあった。

真っ先に外国人を輸入したスポーツは、プロ野球だっただろう。
選ばれたのは日系の血を引くハワイの2世3世プレーヤー。
巨人に来たウォーリー 与那嶺は、日本では見られない激しいスライディングでファンを驚かせた。
彼の成功で日系アメリカ人が続々とやって来る。
そして、引退後ではあったが、元大リーガーさえ日本のプロ野球でプレーした。
中日ドラゴンズが契約したドン ニューカムとラリー ドビーは、メジャーでの実績も充分の大スター。
あまり本気でプレーしたようではなかったが、ファンは大いに湧いた。
やがて日本の野球に適した3Aクラスの選手が増え、多くのチームでクリーンアップを打つようになる。
ここでもホームラン王を窺うガイジンを敬遠攻めにして、別に恥じる風でもなかった。
だがこういうガイジンは日本に出稼ぎに来ていたようで、そんなに真剣に腹を立てたりはしていない。
まして人種差別などと口を尖がらすこともなかったようだ。

人種差別は相撲で始まった、と言えるかも知れない。
サモアとかトンガなどから実験的に入門させたこともあったが、やはり第1号と言えば「高見山」だろう。
200kgを越える巨体だったが、「股割り」という相撲取りには必須の稽古が出来ず、食事の不適合もあって苦労は並々ならぬものだったと言われている。
だが彼が諦めずに修行を続け、幕内優勝も果たして地位も関脇まで上がったことが、小錦や曙、武蔵丸などの後続が次々と生まれ、遂には外国人初の大関や横綱になっている。
ただこの時、大関だった小錦が「アメリカ人では横綱になれない」と発言したことで、日本の相撲界は外国人を差別しているのではないか、との議論に発展した経緯がある。
この問題は、直ぐ後に曙や武蔵丸が横綱に昇進したことで落着したと見られていた。
それ以降外国人力士は切れることなく続いたが、1992年を皮切りにモンゴル人力士が一気に増えた。
彼らは「モンゴル相撲」という足腰の鍛錬に力を入れる格闘技を経験しているために怪我が少なく、日本の相撲の投げ技にも適応が早かったという。
朝青龍を筆頭に上位にもモンゴル人力士は増え続け、今では3横綱全てがモンゴル人であり、今回稀勢乃里が昇進したことで、19年ぶりに日本人横綱が誕生することになった。

ここ数年の「日本人横綱待望論」は、巷の相撲ファンのみならず相撲協会の幹部連中、横綱審議会のメンバー、果ては大メディアまでが声を揃えての合唱となって、興醒めでさえあった。
今回の稀勢乃里の昇進にしても誰が見ても尚早であり、「2場所連続優勝かそれに準ずる成績」という内規にすら達していないことは明らかだ。
だが14日目に2敗の白鵬が負けて稀勢乃里の優勝が決まった直後に、「横綱昇進は決まり」という流れが作られ、最終日の白鵬との取り組みを見てからという正論はさっさと却下されたらしい。
横綱審議委員会の委員長という医師は、満面の笑みで「決まりですね」と言ったそうだから、何のための審議委員会なのかさっぱり分らない。
ある意味このような依怙(えこ)贔屓的な昇進を許すのも、形を変えた人種差別ではないだろうか。
日本人が日本人横綱を望むのは当たり前という意見があるかも知れないが、門戸を世界に開いて外国人力士を受け入れているのだったら、公正であることは絶対だろう。

噂だが、今年の初場所にモンゴル人力士全員が場所をボイコットしようという動きがあったという。
モンゴル人力士に対する場内のブーイングがひどいことに、抗議を示そうという趣旨だそうだ。
日馬富士がその動きを抑えたというが、此処数場所白鵬が勝ちながらも何処か浮かない顔を見せていたことは、結構良く知られている。
今や幕内の3分の1を占めるモンゴル人力士が、自分たちが置かれた境遇をどう考えているか、協会は真剣に考えているのだろうか。
引退後年寄りになるには日本国籍を取得しなければならないという規則はあるが、果たしてそういう前近代的なルールが国際的に容認されるものなのだろうか。
元横綱の武蔵丸や大関の琴欧州は日本に帰化して年寄りになったが、この先一番の問題になりそうな白鵬の引退が早晩起こって来る。
モンゴルの英雄の国籍問題だが、少なくともその遇し方次第では、モンゴルのメディアは何らかの動きを見せる可能性もあるし、その前に日本のメディアが炊きつける可能性は大だ。
モンゴルは今のところ親日国家らしいが、元来は中国よりの社会主義国家だった。
中国との関係が微妙な現在、日本政府もモンゴルとの関係には神経を使っているようだが、相撲で火種が生まれては長年の努力も水の泡になってしまう。
勿論そのために法律を曲げよとは言わないが、現行のルールが杓子定規に過ぎるのであれば、日本の相撲界に功績のあった力士に報いる道を模索するのも一法ではないだろうか。

この3月の大阪場所から横綱は4人になる。
今までの例から見れば全員が並び立つとは考えられないから、1年以内に引退に追い込まれる横綱が出てくることはほぼ必至のようだ。
引退後の身の振り方がはっきりしていれば身の処し方も潔いだろうが、国籍問題などが紛糾すればそうすんなりとは行かないことも考えられる。
大相撲は満員御礼続きだそうだが、その礎を築いた功の半ばはモンゴル人力士だろう。
だが協会には、そういうことをすぐ忘れてしまうという悪癖があるようだ。
そのお目付け役のはずのメディアが、これまた頼むに足りない。

また一波乱ありそうだが、大波乱にならなければ良いが…。

日本は「漢字国家」である。
お隣の中国から輸入した漢字を主体とし、独自に創造したひらがなと組み合わせて、現在のような漢字平仮名混淆の国語を操っている。
漢字を使う国として日本と中国以外にはベトナムと朝鮮があったが、今では漢字をほとんど放擲した。
つまり、世界の中で漢字を日常的に使っている国は今では2カ国しかない、ということになる。
実は此処に台湾という悩ましい存在があるのだが、若し台湾を国と看做せば3ヶ国だ。
ところが本家の中国は今では「簡字体」という簡略文字を作り始め、彼らが誇る書家の王義之や顔真卿が古に書いたものとは似ても似つかぬ代物に変化させてしまった。
日本も平仮名を加えただけでなく、中国人には理解出来ない「国字」という新造語を拵えて、それを堂々と使っている状態。
例えば「躾(しつけ)」という漢字は、「身を美しくする」という意味で拵えたもので本家の中国にはない。
これに類する国字はかなりあって、気づかぬままに使われているようだ。
勿論創られてから一般的に使われるようになるまでそれなりの時が経過しているのだから、昨日今日出て来た怪しげな言葉と考える必要はないだろう。
だがこういう新語などが加わって来ることにより、日本の漢字は中国古来の漢字とは異なって行く。
だから、今ではちゃんとした古来の漢字を読み書き出来るのは台湾の人しかいない。
まあ別に漢字にパテントがあるわけではないから、国字を使ったとしても恥じることはない。
今ヨーロッパ辺りで使われている言葉や文字は、借り物であったり造語であったり、出自すら怪しげな言語だらけなのが実情であって、それぞれの国が自国の言語こそ世界一だと思っているらしい。
「英語はビジネスを語り、ドイツ語は科学を語り、フランス語は愛を語り、そしてスペイン語は神と語る」とぬけぬけと言っているのは勿論スペイン人だ。
西欧の言語の混淆振りを見ると、中国語などは長い歴史の中よくぞ混乱を生き抜いて来たものだ、とある意味驚異に感じてしまう。
広大な中国の国土の中で、会話で使われる言葉は地方によって少しづつ変化したようだ。
今でも北京、上海、広東の人同士、話し言葉で意思を疎通させることはほとんど出来ないらしい。
だが、各地方の人々に字で書かせれば、それは全く同じものだ。
勿論、中国政府の教育行政の手柄はあるだろうが、それにしても10数億の民が同じ字を操って同じ意味の言葉を紡ぎ出すことは驚くしかない。

私が高校生の頃、「漢文」の授業があった。
大学入試に出る可能性はほとんどないとかで、真面目に聞いていた憶えはない。
だが今思い起こせば、漢文や漢詞は長い歴史の中を生き抜いて来ている。
孔子は自ら書かず、弟子が書き残した「論語」で有名だが、紀元前5世紀辺りの人らしい。
つまり日本の「卑弥呼」は、それより8世紀ほど後の時代の人物だったことになる。
あり様は、日本民族は未だ弥生時代にいて、中国人は確立した文明を享受していたわけだ。
自分たちを「中国(世界の真ん中の国)」と呼び、周囲の諸国を全て「夷(野蛮人)」と呼んだそうだが、それにはそれなりの根拠があったのだろう。
卑弥呼以後、「倭国(日本)」は遣隋使や遣唐使と共に多くの若者を留学させ、海外文明の吸収に力を注いだことは良く知られている。
遣隋使も遣唐使も、日本から見れば使者を送って交誼を深めるつもりだったかも知れないが、受ける中国側から見れば、遥か彼方の海上の小国が貢物を持って挨拶に来た程度に看做しただろう。
だがこの留学生が持ち帰った文物はその後の日本に大きく貢献したと言える。
漢字や仏教、そして経典の多くや中国のさらに西に数ある異国からの知識、全ては耳新しいものばかり。
約20回程度渡航に成功した記録が残されているが、選ばれた学生や僧はその後の日本の発展に大きく寄与したことは間違いない。
遣唐使そのものは唐の衰退もあって9世紀末に終焉を迎えるが、それ以後は民間ベースに移行し時に太く時には細く行われ、今日までも連綿と続いているようだ。
江戸期以前にも明治維新制度以後にも、彼らの通商は途絶えていないと言われている。
政府同士の繋がりなどより、個人同士の信頼の方がずっと頼りになるということか。

面白いことに、平安以降日本は中国の漢詩を文芸的に最高のものと看做し、漢詩文を学ぶことは武家の男子にとって必須のことであり、学問そのものと考えていたようだ。
聖徳太子の時代から既に日本には和歌の伝統があり、公家や僧侶、宮中に仕える女人たちの嗜みとして広く愛好されていたのだが、この漢詩文は男の文芸でありテーマも和歌がよく題材にする男女間の交情などではなく、武人を含めた男性の世界を謳った者が多い。
その伝統は長く引き継がれ、幕末の頃作られた漢詩は勤皇や佐幕を題材にした作も多く、乃木稀典が日露戦争を謳った「金州城下 斜陽に立つ」は良く知られている。
山川草木轉荒涼 (さんせんそうもく うたたこうりょう)
十里風腥新戰場 (じゅうりかぜなまぐさし しんせんじょう)
征馬不前人不語 (せいばすすまず ひとかたらず)
金州城外立斜陽 (きんしゅうじょうがい しゃようにたつ)
この時期こういう戦陣に題材を取った詩が好まれたのには、「詩吟」という歌唱方式が定着したことが大きな要因だろうと信じられている。
中国の漢詩をそのまま読めばほとんどが音読みになって、意味もリズムも型を成さない。
だが、日本人が独自に作り出した「訓読み」方式であれば、言葉の響きは全くの別物でも、内容は日本人には理解出来るわけだ。
その詩吟が編み出されて、幕末期の若い志士たちはことある毎に好みの詩を吟じたらしい。
ただ内容的には悲憤慷慨や詠嘆調の詩が多く、あまり見るべきものはない。
だが、杜甫や李白、白楽天などの詩は品格も高く内容も深いが、国事に奔走する志士が酒を呑んで吟ずるには不向きだろうし、事実それほど謳われた形跡はない。
明治に入れば外国の文学なども読まれるようになって、中国は時代遅れと看做されるようになり、日清戦争での勝利がそれに拍車をかけたようだ。

それでも私が幼い頃、「鞭声粛粛 夜河を過る (べんせいしゅくしゅく よるかわをわたる)」などという詩吟を聞いた覚えもあるし、未だ詩吟のファンは多かったようだ。
しかし、戦後の日本では「詩吟」は軍国の歌という印象が強く、占領軍の手前もあって堂々と人前で吟ずるというわけには行かないままに、廃れて行ったように思われる。
今では正月のテレビ番組の一部に「詩吟」があり、和服で正装した年配の男女が独唱あり合唱ありで朗々と吟じているようだ。
はっきり言って時代遅れだし、剣舞などと一緒であれば最早噴飯物と言うしかない。
詩の中には格調の高い名作もあるのだが、今の状態では一視同仁の有様。
最後の漢詩人と呼ばれる夏目漱石は、きちんと漢詩の規律に則った作を詠んでいるそうだ。
だがその漱石辺りが、ちゃんとした漢詩を詠める最後の文人だったと言われている。
それ以後も漢詩を詠んだ人はいるようだが、ある程度の声価を受けたとは聞かない。
まあ本家の中国でも、最早本格的な漢詩を作れる詩人はいないようだ。
巨大な社会主義国家を創り上げた代償は、結構大きかったのだろうか。
それ以前に、杜甫も李白も白居易も、辛うじて覚えられている程度の存在らしい。
その点、日本では藤原定家も西行も、清少納言も小野小町も、その名は高まるばかり。

年一度、百人一首の大会でなら、彼らを知らない人はいないだろうから。

私が南米からアメリカに入国したのは、1976年の10月1日だった。
片田舎の小国から来た私には知る由もなかったが、時はあたかも大統領選挙の大詰め。
現職とは言いながらも、選挙の洗礼を受けた経験のない共和党のジェラルド フォードが、無名だった民主党のジミーカーターと接戦を演じていた頃。
現職2期目だったリチャード ニクソンがウォーターゲートスキャンダルでその大統領職を失い、下院議長だったフォードにお鉢が廻って来て、選挙戦に突入したのだ。
大方の予想を裏切って、カーターは50%以上を獲得して新大統領になった。
このカーターはしかし、4年後に民主党のロナルド レーガンに大差で敗北し再選に失敗する。
私がアメリカに住んだ40年間で、計6人の大統領が現れ消えて行ったわけだ。
民主党がカーター、クリントン、オバマの3人であり、共和党がレーガン、父ブッシュ、息子ブッシュの3人と数も同じなら在任期間も合計20年づつ。
ただ、面白いことに民主党の3人は全て「彗星のように」現れ、共和党はそれなりに政治経験がある人が選出されている。
言い方を変えれば、今回のヒラリーとトランプは、ワシントンの水にどっぷり浸かったヒラリーと政治には素人のトランプという全く逆の環境から出現したことになる。

今回、私は結構じっくりとトランプの就任式典を観ていた。
1、2ヶ月前にはほとんどの議員たちが式典への参加を拒否すると言われていたが、蓋を開けてみればそれでも結構な数の政治家たちが顔を見せている。
勿論彼らの内心を推し測ればそれなりに複雑ではあろうが、何と言っても選挙で正統に選ばれた新大統領を無視するのは、民主政治への冒瀆にもなり兼ねない。
画面に映し出された勝者や敗者の笑顔での談笑や頬を寄せ合ってハグしたりする様を見れば、何処の世界であっても政治家という輩は一筋縄では行かないことを思い知らされる。
それでもヒラリーがトランプと握手をしなかったことや、ひと通りの儀式が終わった後さっさと帰路についた辺りをみると、彼女なりに精一杯の我慢をしていたことが良くわかった。
「私は、ワシントンが握っていた国の経営を、人民に戻すことを宣言する」
何となく吹き出しそうな言い回しのトランプのスピーチだったが、これは勝者の権利だろう。
ほとんど大きな期待をされていない新大統領であれば、好き勝手に出来る期間は結構長そうだ。
充分に警戒心を刺戟して来たから、諸外国が正面切って不満をぶつけて来るには間があるだろう。
まともに敵に廻すことはしそうにないから、暫くは言いたい放題が続きそうだ。

それにしても、考えてみればアメリカは実に奇妙な人物を新大統領に選んだものだ。
200年を越すアメリカの大統領政治の歴史でも、実業家から突然大統領になった人はいない。
その上、誰もトランプを有力候補だと看做していなかったのだ。
泡沫候補程度であって、選挙戦が酣になったら消えて行くと思われていた。
だが有力とされていたブッシュ一族のジェブ ブッシュがほとんど票を集められず早々と脱落してしまう。
そして残った顔触れは、トランプ以外では保守カソリック教徒のマルコ ルビオとテッド クルーズの若手と、オハイオ州知事のジョン ケイシックの3人。
2016年5月の段階でもトランプが先頭を切っていたのだが、それでも彼が本選挙でヒラリーに勝てると見ていた人はほとんどいなかったのではないか。
その時点では最早大部分の人が、「ヒラリーで決まり」と思っていたのだろう。
極端に言えば、ヒラリーだってそう信じていたに違いない。
トランプは予備選挙で負けたなら、本業の不動産に戻るだけだ。
だれも不思議とは思わないだろうし、彼自身そう思っていたと私は思う。
はっきり言えば、そんな政治のアマチュアがリード出来るほど甘い世界ではない、と全ての上院下院議員が考えていても可笑しくない。
かつて日本でもアマチュアが政治の世界に飛び込んで来たことがあった。
大日本精糖の社長だった藤山愛一郎が、当時の岸首相に請われて外務大臣として政界入り。
その時無数にあった大会社の経営者の肩書きを捨て、莫大な資産を政治につぎ込んだという。
そして首相選挙に立つこと数度、資金もほとんど尽きて失意のうちに引退する。
こういう例は他にはないが、映画やテレビで売った顔で選挙に出た人は結構いた。
有名なところでは作家の石原慎太郎だが、見切り時を見誤ったのか、東京都知事の座に連綿と居座って、今晩節を汚そうとしているようだ。

ではトランプはどうなるのだろうか。
彼が2期8年を全う出来る、と考えている人はほとんどいないだろう。
1期4年ももたずに投げ出すという予測さえあるほどだから、2期はいわば夢物語。
1期が終わって2期目の予備選挙に出ても、先ず共和党内の多くの対立候補と戦うことになる。
1期目の現職に遠慮するという配慮は、恐らく誰も持たないだろう。
民主党だって、4年後には必勝の候補を立てて来るに違いない。
勿論、これからの数ヶ月で多くの疑惑を解消出来るのであれば、話は変わる可能性もある。
だが既に、彼は余りにも多くの実現不可能な公約をばら撒き過ぎた。
ロシアに擦り寄れば西欧の諸国にそっぽを向かれるだろうし、中国との宥和策を持ち出せば今ある諸問題の落としどころを何処に見定めるのか。
その前に、彼が側近と看做して重要ポストにつけた人たちのうち、幾人が残っているだろうか。
アメリカの政府の閣僚は、決して直ぐに美味しい職ではない。
彼らが報われるのは、その職を退いた後なのだ。
上手く立ち回れば年収数億円という企業の役員にもなれるだろう。
だが、沈み行く船に乗ってしまったら、何処からも引きはない。
そして、このトランプ丸はとても不沈戦艦とは言い難い状態だ。
船長のトランプは帰る場所があるだろう。
だが彼が集めた元軍人や企業経営者たちは、そこで縁が切れることになる。

4年後、トランプは彼のリムジンで5番街のトランプタワーに戻って行くだろう。
「俺の計画は間違っていなかったが、実行出来る奴がいなかった」
「新しい職場は拵えたが、製品を売るノウハウが不足していた」
「日米安保は守りたかったが、アベは弱腰過ぎた」
まあそんな捨て台詞がいくつか吐かれるのだろう。

「Donald Trump parting shots (ドナルド トランプ捨て台詞集)」
そんな本が出版されることは間違いない、かな。

相撲との60年余

日本人が年を取ると、趣味や好みが均一化して来る傾向があるように思われる。
若い頃は脂っこい料理や強い酒を嗜んでいた人も、健康志向もあるのだろうが淡白な味や軽い酒に移行していくような気がする。
これは推察ばかりではなく、最近流行の食べ物ブログなどを読んでみても、カロリーの高そうな料理が売り物の店には若者の客が多く、味付けが薄く塩分の低そうな品が中心の店は年配の客が集まる。
これは飲食のことばかりではなく、テレビの番組や音楽なども年齢によって偏って来るようだ。
統計はすでにあるだろうが、例えばサッカーと野球のファンはその傾向を端的に表していると言えそうだ。
野球ファンは中年以上の男性に多く、サッカーという競技は若年層男女に支持されている。
そして、恐らく相撲はさらにその上を行って、高齢者のファンが圧倒的に多いのではないか。
こういう区分けが鮮明に出て来た理由のひとつに、実経験の有無が大きく影響していると私は思う。
私もそうだが、現在60歳以上の男性のほとんどは相撲を取った覚えがあるだろう。
私の世代は、相撲から野球へ人気が移りつつあった少年時代を過ごしている。
栃錦や若乃花に熱中したエネルギーは長島や王に移って行く。
そして、数十年後にはサッカー選手が少年少女の憧れの的になって来たわけだ。
考えてみれば私も、今では年相応に相撲をテレビで観ている。
ニューヨークでNHKは、年6場所全ての取り組みを放送している。
日本と同時の放映は午前4時頃だが、さらにダイジェスト版を夕刻に流す。
私は時間があれば録画した全取り組みを観ることもあるし、ダイジェストで済ますこともある。
仕切り直しが無いダイジェスト版は簡単で良いが、どこと無く嘘っぽい。
じっくり見る時間があれば、昔嫌っていた仕切り直しの繰り返しも悪いものではない。
力士の体が紅潮して行く様までは分からないが、観客が昂揚して行く実感はある。

昭和29年初場所、大関吉葉山の全勝優勝を肉眼で見て、私は相撲にのぼせた。
ファンになった吉葉山はしかし、それ以降1度の優勝も無く引退した。
そしてその頃、私は既に長嶋茂雄という新しいヒーローを見つけていた。
と言って、相撲が嫌いになったわけではない。
大鵬柏戸という大スターの取り組みはちゃんと観ていた記憶があるし、それ以後の北の富士や北の湖の取り組みも未だに憶えている。
ただ当時のフィルムを見ると、ほとんどの力士が「手を下ろす」という基本を守っていないことに気づく。
何時頃から「手を下ろす」という原則が喧しく言われるようになったのかは知らないが、当時の相撲協会とすれば大変な大改革だっただろう。
なんせ相撲の歴史は古く、神代の時代にまで遡るという。

当麻蹶速(たいまのけはや)という力自慢と、これまた怪力を誇った野見宿禰(のみのすくね)が取り組み、
野見宿禰が相手を蹴り殺したという逸話が残っているそうだ。
それ以降も日本各処に腕力自慢がいたらしいが、ほとんどの力士は大名などに抱えられており、一堂に会して戦うことは無かったようだ。
相撲が今日のような形を整えるのは、世は泰平となった徳川の時代になる。
だが江戸時代の相撲は、歌舞伎などと同様に一段低い物と看做されていたという。
「役者買い」「相撲買い」などと貶められていた、というのが実態らしい。
それが世間の人気を集め始めたのは、明治大正の時代。
「梅 常陸 (うめひたち)」と並び賞された明治末期の横綱の辺りからと考えられる。
と言っても、今のような近代化された相撲ではない。
仕切り直しの制限時間が無かったというから、大体の想像はつく。
それでも野球もサッカーも無かった時代、力士の人気は凄まじいものだったらしい。
テレビどころかラジオも無かったのだから、勝敗のニュースはどのように伝わって行ったのだろう。
日本最初のラジオ放送が始まったのが1925年(大正14年)というから、相撲の勝ち負けなど口伝え程度のものだったとしか考えられない。
私だって初期の頃は、ラジオに齧りついて贔屓力士の勝ち負けを確認していたはずだ。
だがテレビの時代には、私の興味は既に野球に移っていた。
今思えば不思議なようだが、私は結構熱烈な巨人ファンだったのだ。
強引に他球団からエースや主軸打者を奪って来るような手法で選手層を厚くしていたのだが、ファンともなればあまり気にならなかったのだろう。
9連覇などといって喜んでいたのだから、今考えれば汗顔の至りだ。
だが、ヤンキースのファンだということは、日本で言えば巨人ファンのようなもの。
あまり人前で広言出来ることではない。

結構熱心に相撲を観るようなって気づいたことがある。
それは、決まり手が昔ほどバラエティに富んでいないこと。
私が相撲に夢中だった頃、力士は精々120kg程度だった。
150kgあれば既に巨人力士。
大起男右衛門(おおだちだんえもん)という超巨漢がいたが、それでも180kg程度。
今ならちょっと太め程度ではないだろうか。
小兵が多かった所為か、繰り出す技は多彩だった覚えがある。
今では見ることも無いが、「二枚蹴り」とか「けた繰り」、「内掛け」など珍しくもなかった。
そして、力士の大怪我も滅多になかったようだ。
つまり、自分の体重を自分でコントロール出来ていたのだろう。
その理由の一つに食事の内容の変化もある。
昔の力士の食事は所謂チャンコという鍋物が中心。
中味も魚や鶏肉が多く、無駄な脂肪がついていなかったという。
今はそういう食事は若い力士に好かれないらしい。
脂っ気の多い焼肉やステーキが一番人気だそうだ。
稽古でついた筋肉を脂肪で蔽ってしまうから、所謂贅肉がつき過ぎてしまう。
最早自分自身の目方を制御し切れないから、怪我をすれば回復が遅くなる。
相撲協会でもその点を指摘しているようだが、簡単に強くなるには目方を増やすことだと信じ込んでいれば、なかなかコントロールは出来ない。
そして、足がついて行かないから叩かれれば簡単に前に倒れてしまう。
突き落としや叩き込みという決まり手の多いこと。
面白みという点では、昔の相撲に遠く及ばない。
110kgしかなかった横綱栃木山が無敵だったのが嘘のようだ。
初代若乃花でも110kg前後、栃錦でも130kgが精々。
大型と思われていた大鵬が150kgで、今の白鵬とほとんど変わらない。
恐らくこれ以上重くなったら、動きが悪くなって勝てなくなるのだろう。

相撲を改めて観ていると、少しづつ新しい発見がある。
特定の力士を応援しなくなると、立会いとか差し手とかに眼が行くようになって来た。
言ってみれば、冷静な目で相撲を見られるようになったということだろうか。
1954年に初めて見た相撲に夢中になって以来60年余。
見巧者に生まれ変わったわけではないだろうが、別の面白みを見つけたことは確かだ。
人間長生きすれば、まだまだ発見出来ることがあるらしい。

しっかり両の目を見開いていれば、だが。

春節の40年

私が現在の住所、クィーンズ区ベイサイドに住んで16年余りが過ぎた。
此処は静かな住宅地だが、車で10分も走ればフラッシングという、結構大きな繁華街がある。
数十年前から台湾系の中国人が住み始め、後を追うように日本人、韓国人、本土系中国人が集まって来て、顔だけ見ればほとんどアジア人集落の観を呈しているようだ。
中国人にせよ韓国人にせよ、付き合いが無ければ別に不満を感じる人たちではない。
話し声が大きいとか、マナーが粗雑だとか、ちょっと我慢すれば済むことだ。
事実、ここに住んでそういう不快な目にあったことは一度もない。
大満足ではないが、大不満でもない、といった辺りか。
日本を離れて40年になるが、此処と比べてそう大きな差異があるわけでもないだろう。
接触が少なければ、摩擦なしに生きることはそれ程難しいことではないようだ。
そういう点で言えば、インド系とかラテン系の方が遥かに付き合いづらい。
アメリカに住むと、人は権利の主張を当然と思い始めるようだ。
勿論それは間違いではないが、それも程度次第。
権利と義務のバランスが狂い始めると、社会の歯車の噛み合わせも軋み始める。
弁護士社会のアメリカは、権利に関しては世界を断然リードしていると言えそうだ。

このフラッシングという街は、今ではアジア人の街に成り代わった。
中心部には地下鉄の駅とロングアイランド鉄道の駅が共存し、バス路線の中心でもある。
ただどういう訳か大資本が参入していないらしく、全てが安っぽい。
町並みを揃えてなどという感覚は無いらしく、全てがばらばらの感じが強い。
小洒落た店があるかと思えば、どうしようもないほど野暮ったい衣料品店がある。
ひと言でいえば、自分の勝手という感覚なのだろう。
日本のようにファッションセンスをリードする存在もない。
だからと言って、有名デザイナーやメディアが牛耳っている日本が良い、とも思われない。
言ってみればこの街は、紀元前の状況なのかも知れない。

このフラッシングは、アメリカで言う「New Year Day (正月)」を過ぎると、何となく気忙しくなる。
私も10数年付き合っているから、同じように何処となく落ち着かない。
中国人が頑固に守っている「春節」という、太陰暦の新年の祝賀である。
本国でも10数億の人々がこの新年を祝い、そのためにはるばる故郷に帰ったりもするらしい。
それは移住した異国であっても同様で、それこそ「人は人、我は我」を貫いているようだ。
以前私も数十人の中国人従業員を抱えていたが、この時期は仕事のやり繰りに苦労させられた。
何が何でもこの日だけは休みたい、と彼らは主張する。
考えてみれば私だって日本の正月は休みたいのだから、彼らの気持ちは分からないでもない。
そうやって数十年間、彼らの「春節」に付き合って来たわけだ。
仕事はそれで済むが、街の賑わいはその段ではない。
マンハッタンのチャイナタウン、フラッシング、何処へ行っても買い物客の長蛇の列。
遅れて出来たブルックリンの八番街も、さらに大きくなっていると聞く。
いや、それ以外にも規模は小さめでもさらに幾つかの中華街が生まれたらしい。
世界中に16億の中国人がいるとすれば、4人か5人に1人は中国人。
世界中に存在する人口10万以上の街には、大小を問わなければ必ず中華街がある道理。
言い方は悪いが、若し中華街が無ければその街は早晩消える運命にあるのではないか。

今年もその「春節」の時期が近づいて来た。
別に人に言われなくても、雰囲気で何となく感じるから不思議だ。
店に積まれた商品が増え、価格がじりじり上がり、人の足の運びが早くなる。
未だ2週間もあるのだが、早くも食べ物の心配をしているのだろうか。
この街で育ち、今は他の州などに住んでいる子供が家族を連れて帰って来るのかも知れない。
日本のお盆と似たような状況だろう。
お盆は今では都会では忘れられた行事のようになってしまったが、中国人は「春節」を後生大事に守り続けているように見える。
そういう頑固さを、私は嫌いではない。
父祖が営々と守り続けて来た風習を、その子や孫が受けついで行く。
戦後70年で、日本は正月を放擲してしまったようにさえ見える。
海外に出かけたり、観光地の旅館などの正月料理で間に合わせたり、一概に非難は出来ないがやはり古来からの習慣が途切れるのを見るのは淋しい。
私は今でも正月元旦の独特の静けさを覚えている。
デパートは勿論、商店街も戸を閉め切ってしまう。
誰もが小ざっぱりした装いで、にこやかに新年の祝辞を交し合う。
そういう慣習も今は何処かへ消えてしまったらしい。

フラッシングは台湾人が中心になって作った街だが、今では本土系の中国人が増えた。
多いのは福建州らしいが、客家(はっか)も結構混じっているという。
「客家」とは、定まった土地を持たず移動を続けた民族を言うらしいが、中国では「金に執着する」人の代名詞のように言われているらしい。
この人たちは、どういうわけか声が大きい。
話しているのを聞くと、まるで争っているようだ。
恐らく田舎で育ったのだろう。
最早死語に近いが、「胴間声(どうまごえ)」とはこういう声ではないだろうか。
船の中央部を「胴の間」と呼ぶが、そこで働く男たちは大声を張り上げなければ会話が出来ない。
その「胴の間」で飛び交う声を「胴間声」と呼んだらしい。
船もそうだが、野良でも人は大声を張り上げたことだろう。
そう言えば、日本人も会話の声が低くなって来ている。
文化と声の大きさは反比例するのかも知れない。
前から後から大声が飛び交うのを聞いていると、春節の到来を実感してしまう。
丁度、日本の師走の商店街の雑踏を思い出すようだ。
と言っても、もう40年以上前の記憶でしかないが。

それでも新年を目前にした雑踏を、大勢の人に紛れて歩くのは悪いものではない。
人ごみに入り込めば、彼らが異人種だということさえ忘れてしまう。
勿論、彼らが出て来たのが北京か上海か四川か広東か、知る術もない。
ただ春節という年に1度の祝賀があり、それを祝うために親類縁者がここに集まっただけだろう。
日本も昔は、そういう祝賀がごく当たり前に行われていた。
だがそれは次第に変化し、簡略化され矮小化され、今や風前の灯。
と言って嘆いても始まらない。
多くの人がそれを受け入れて来たのだから。

せめて人ごみの中にその空気だけでも味わえれば良し、とするしかないのだろう。
しかし、10数億の人々が墨守しているものを、高々1億ちょっとの日本人が放擲しようとしているのは、淋しいといえば淋しいのではないだろうか。


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