(^ム^) 直江兼続紀行:新潟

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                              ★弥彦神社




             古くから「おやひこさま」の呼び名で親しまれてきた新潟を代表する神社


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                                   社殿


               御祭神は天香山命(あめのかごやまのみこと)で神武天皇の命を受け
          住民に海水から塩をつくる技術、漁、稲作といった農耕術などの基礎を教えたとされる。


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              社殿は明治の大火で炎上し、現在のものは大正5年(1916)に再築。



  上杉謙信は川中島出陣に際し、出兵の正当性と戦いの勝利を弥彦の神に誓った祈願文を奉納している。















                               ★勝山城(落水城)跡




  勝山城は「親不知 子不知県立自然公園」に位置し、標高328メートルの山上に築かれた堅固な山城。


                               尖がった山が勝山

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                               勝山城跡への登り口

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                             国道8号線(北陸街道)と日本海

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   勝山城は別名を落(堕)水城ともいい
   越後の最西端に位置し、城址からの眺望はすばらしく眼下には北陸街道と日本海が広がり
   富山県から糸魚川市内まで見渡すことができ越後・越中国境の「見張り」の役割を担った城。


          この城も慶長3年(1598)の上杉景勝の会津転封に伴い廃城となった。




          天正13年(1585)豊臣秀吉は越中の佐々成政攻めの軍を発した。
             迎え撃つ成政はあまりの兵力の差に富山城を無血開城。


    天下統一を目指す秀吉は、上杉勢との対決を避けるため上杉景勝に会見を申し入れ
  それを受けて景勝は兼続を従えて糸魚川の落水城で景勝・兼続・秀吉・三成4人の会談が行われた。
            やがて同士となる兼続と三成は共に26歳の若さであった。


この会談により、上杉家と豊臣家の同盟が成立し、上杉家を信頼した秀吉は景勝を五大老の一人に任じた。


     景勝は「落水(墜水)(おちりみず)」の地名を縁起の良い「勝山」に改めたといわれている。












いつも読んでいただき有難うございます。

7月18日〜20日の2泊3日で巡ってきた<直江兼続ゆかりの地>はこれで終了です。
最初に訪ねた<勝山城>と最後の訪問地<弥彦神社>を締めくくりのページに選んでみました。

3日間の走行距離は1051km。還暦を過ぎた主人ひとりの運転です。
まだまだ見たかった場所はありましたがこれが限界。

主人はそんなに興味がなかったようで、大河ドラマの半分以上は眠ってました(笑)
でも、いつも嫌な顔ひとつしないで案内してくれるので感謝・感謝でした。

新潟のゆかりの地を見学してからは興味を持ち、楽しみにしているので好かったです。
大河ドラマも来週は「さらば越後」です。いよいよ会津が舞台になるようで楽しみも倍増です。

そんなこんなで、この後も山形に行ってますので<ゆかりの地>はまだまだ続きます。

週末は次男坊のコンサートを聴きにお出かけです♪

どうぞよい週末をお過ごしください。
                                 ★国上寺




   上杉景勝の養父で、直江兼続の師として大きな影響を与えた「越後の虎」こと上杉謙信。
   その上杉謙信の祈願所として知られるのが、越後最古の古刹、燕市国上 真言宗豊山派 国上寺。



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                       上杉謙信は国上寺の千手観音に深く信心。
                     祈願所として10万石の格式を与え、七堂伽羅を建立。
また、「牡丹の形をした牡丹燈籠」「1000の仏が描かれている掛け軸」「三千仏の掛け軸」を寄贈している。


                1586年、豊臣秀吉と盟約を結び、豊臣政権の繁栄に貢献。
              1598年には上杉景勝は豊臣秀吉から会津120万石の国替を命じられる。

 
              上杉景勝は、越後から会津へと移る際、国上寺に立ち寄っているという。

 

  今年は、国上寺の子年のご開帳の年にあたり
  10月1日から11月10日までの40日間、秘仏御本尊が開帳される。
  それに合わせて上杉謙信の寄贈の燈籠や三千仏の掛け軸、上杉景勝の古文書なども一般公開される。





                                ★大師堂



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         この堂は本堂再建の間、本尊 脇侍等を一時遷座するために建てられたもの。




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説明版によれば
『文治3年(1187)兄 源頼朝に追われる身となった弟 義経は、武蔵坊弁慶をはじめ 数人の家来と共に
奥州 藤原秀衡を頼って落ちのびる途中、寺泊を経て国上寺に参詣、 今後の無事を祈願し持仏の大黒天木像を
寄進したといわれている。 文化13年(1816)に至り霊夢により招利益のために六角堂を建立し大黒天像本尊として安置された。』と・・・







                               ★小国澤城址




                   小国は、兼続の弟・実頼の姓「小国氏」の発祥の地。
       

       平安時代、源頼政の弟・頼行が、小国保(おぐにほ)(現在の小国地域)に所領を持ち
            子の宗頼が地名を姓として名乗ったのが、小国氏の発祥といわれます。


    小国澤城は標高251メートルの小城山に築かれ
           ここから小国盆地を一望でき、当時は外の山城との連絡ができる要衝であった。

           小国澤城があったとされる一帯は現在、長岡市おぐに森林公園となっています。


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   永禄5年(1562)上田長尾氏の家臣 樋口兼豊の次男として生まれた与七(直江兼続の弟)は
       天正10年(1582)小国澤城主 小国重頼の養子となり家督を相続。


与七は小国氏の名跡を継いで小国実頼として天神山城主(新潟市・岩室)となった後、大国実頼と改名。

実頼は同14年8月の新発田重家討伐に参陣、豊臣秀吉の聚楽第新築の際には、上杉家の使者を勤めている。


         慶長3年(1598)上杉氏の会津移封に従い、南会津の鴫山城主となった。




 

常安寺と秋葉神社

                              ★常安寺




                 常安寺は上杉謙信により創設された曹洞宗の寺院。

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謙信が十三歳のとき「胎田の乱」が起こり、謙信は一時的に林泉寺に難を逃れるが、栃尾瑞麟寺の芳山周薫が
その弟子だった門察とともに、謙信を助け出し寺にかくまった。しかしその後、寺は焼失。
謙信は天文20年(1551)、その恩に報いる形で清滝山常安寺を建立。
そしてその開祖となり、開山は瑞麟寺五世の泰廉門察和尚とした。
常安寺は謙信の庇護の下、一時は伽藍を七堂も配置するほどの隆盛を誇った。


                  現在の本堂は昭和54年に再建されたもの。

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        新潟県の文化財に指定されている謙信直筆の「絹本著色上杉謙信並二臣像一幅」や
  「上杉謙信自筆五言対句一幅」謙信が愛用したという「飯綱大権現騎弧の兜の前立蔵、公開されています。








                        ★秋葉神社  秋葉三尺坊拝殿(算額・石燈籠)



       秋葉三尺坊大権現は秋葉神社の名で親しまれ、天文20年に常安寺の守護神として
               謙信が楡原蔵王堂から遷したと伝えられています。



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                               秋葉三尺坊奥の院


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説明版によれば
『現在の建物はすべて欅材で造られており、屋根は一重切妻造りで桧皮葺となっています。
 安政年間に石川屋安兵衛と熊谷源太郎の2人が8年間の歳月をかけて彫ったもの。
 欅の板に刀痕も鮮かに、土台から破風にいたるまでくまなく彫刻で埋めつくされています。
 腰長押(こしなげし)と内法長押(うちのりなげし)との間に、東側には烏天狗(からすてんぐ)の酒宴、
 南側には大天狗の前での烏天狗と若武者の試合、西側には烏天狗の敗北の図が彫られており、迫力ある 作品です。(長岡市指定文化財)』と・・・



 
                                上杉謙信像


           現在の社殿 秋葉神社の境内は、秋葉公園として親しまれている。
       公園の一角には、栃尾城跡を背景にして座す僧形をされたの謙信像が建立されています。



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          左手に数珠、右手に軍扇を持つ謙信公の眼差しはどこか慈愛を感じます。
             与板城からほど近いところに位置する中之島地域と三島地域には

        謙信公や景勝 兼続が、出陣前の戦勝祈願に立ち寄ったといわれている神社があります。




                               ★満福寺



         天正年間に直江兼続によって、刈谷田川対岸の三林からこの地に移された。


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寺は与板城の鬼門にあたることから祈願所とされ、「薬師如来像」は直江兼続の守り本尊といわれている。






                               ★寛益寺



上杉謙信公も祈願寺としていたことから、兼続も寛益寺に対する尊崇の念が篤かったといわれている。


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       与板城からほど近いところにあり、出陣前の戦勝祈願に参拝したと伝えられている。





                              ★日吉神社



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『直江兼続奉納の木像が神社の宝物としてある』と語り継がれ、この日吉神社で天神像が発見された。

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日吉神社が寛益寺の守護神であったことから、敬神の念の篤かった兼続が寄進したといわれている。
兼続 お船ミュージアム (与板歴史民俗資料館)は、全館を直江兼続中心の展示資料館です。

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資料館内には直江兼続コーナーが新設され
兼続の生涯、兼続と与板、天地人・お船の方の3つのコーナーに分けられ展示されていました。
兼続所用の愛の甲冑(複製)も展示され、「天地人」をめぐる旅には見逃せないスポット。





                               ★直江兼続 銅像



兼続 お船ミュージアム(与板歴史民俗資料館)の前では、
文武両道の兼続にふさわしく右手に巻物、左手に刀を携え、すっくと立っている兼続がお出迎えです。

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                               ★与板城 大手門



兼続 お船ミュージアム(与板歴史民俗資料館)の前に本願寺新潟別院がある。
境内入口には直江兼続の居城で与板城の大手門が移築されている。


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大手門は明治4年(1871)の廃藩置県の年に
浄土真宗本願寺派与板別院(今の新潟別院)に移築され第一の門となった。


与板城の大手門は、昭和47年 与板町指定文化財(現・長岡市指定文化財)になっている。 
      
  

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