前回より
旅の続きは窪川から
さて、話を再開します。
前半、普通列車のみで高松から須崎まで来、須崎窪川間は特急を使ってきて、これから予土線に乗ろうと言うところです。
のどかなる予土線
さて、窪川から宇和島に向けて、キハ32のワンマンに乗車します。
窪川―若井間は、形式上TKTの路線にJRが乗り入れていることになっていますが、この度の四国再発見早得はここも乗車できます。
そして別れ目、川奥信号場
ここでは停車して、予土線の対向列車と交換します。
四万十の蛇行を縫うように線路は貫き、トンネル間毎に左右清流の風景。線形が良いのかキハ32らしからぬ高速運転で景色はさります。
そして、もはや定番半家。
半家の直前(窪川方)の坂もまた特徴的なもので、直線が波打つ感じです。
そして、見返せば、屋島ドライブウェイのミステリーゾーン辺りの坂の形にも見えました。
やがて江川崎を超え、左右の風景は、私のものさしでは、綾歌付近や由良川島を彷彿させるものでした。
…のどかやなぁ…。
永遠に続くように思えた幼い夏も、このような土地ですごしました。
しばし行くことの、やがては務田。ここから北宇和島までのノロノロ運転は、急勾配を渡り、左右にそれぞれ、木と絶壁が迫りそれはそれは迫力のあるものでした。
予讃とは多度津で別れてはや約10時間(とんでもなー)。久々の再会です。
宇和島の息を吸う
さてさて、宇和島着。長い乗車でした。
駅の周りを散歩します。
駅前は蒸気機関車が置いてあり、黒光りしていました。
また、その付近には、春の本格的な訪れへの便りがありました。
滞在時間は決して長くはないのでそのへんを軽く歩いて帰るのみとなってしまいました。
宇和海20号
密かに楽しみにしていたのが、法花津越えで、ここからの海の景色は最高であろうと考えます。
まぁ、特急の窓は開かず、高速で通過してゆくわけですが、それなりに美しい風景を楽しめました。
宇和海号よりの、どこかの海の眺め。
また、機会があれば、みかん畑と共にゆっくり走る列車に乗ったり、法花津メインの旅にも来てみたいものです。
八幡浜より
そして、予土線北宇和島で別れた松山行普通に追いつきての八幡浜。
ここの駅からそれほど遠くはないところでじゃこ天を購入、列車に乗ってから頂きます。
また、八幡浜で、私は、こんな看板を見逃しませんでした。
いよいよ、伊予灘のサンセット
伊予長浜経由のこの列車に乗れば、おなじみ、景色のきれいな予讃線本線です。
下灘をはじめとした多くの美しい景色をもつ路線が私たちを迎えてくれます。
また、すぐそばの国道378号線の愛称が夕やけこやけラインであるように、双海の夕焼けは非常に美しいとのことを聞き、非常に楽しみにしてまいりましたところ、自然は真っ赤に染まる空を見せてくれました。
電柱惜しくも、仕方ないか。
さて、ここでの撮影枚数は、実は20を超えるものでした。
双海の夕焼けは非常に美しい。今度、これを目当てに張り込みに来なければ、と思いました。
松山散策
やがて、列車は私たちの感動をそのままに包んで、松山駅に付きました。
松山での時間で、まず市駅前に行くことにしました。
路面電車に乗って、一瞬の間についた市駅からあるいてJR松山駅を目指せばちょうどいい時間です。
ここの駅弁を買って列車に乗り込むことが出来れば最高だったのですが、売り切れで叶わぬものとなりましたので、駅の「うどん・そば」で私はそば、ツレはうどんを食べました。
ラスト、特急いしづち32号
この旅の出発のきっかけとも言えよう、松山→高松の特急に乗りました。
松山のキヨスクで購入したチューイングガム。
どうも復刻版とのことでしたが、そもそも、こいつが無くなていたことに、気づきませんでした。
幼い頃こそ口にすれ、このごろガムなどあまり口にしませんでしたので、青いコイツが復刻でなくとも懐かしいものでした。
さて、暗闇を走る特急の車内は非常に静か。
あまりに静かなのは、仕事での理由ゆえ、観光のように仲間と何人かで、というのではなく、話し相手がいないからだ、というのが静かな理由だろうという結論にツレとのディスカッションで達しました。
他のお客様はお静かな割に、私たちは、周りに比べれば相対的に饒舌。
まさに「夜の静寂の、なんと饒舌なことでしょうか。」
周囲が暗く、景色が見えないためか、いつもよりおのおのの駅間が長く感じられます。
振り子は右に左に傾きながら、特急乗車は唯一「高松に行く人らしい」高松への向かい方でした。
多度津で16時間ぶりに同じ経路を逆方向になぞる行為をすれば、いよいよ旅の終わりが見えつつありました。
16時間前はここでこんな話をした、などとツレと話しながら丸亀・坂出と順々に過ぎていって、いよいよ終点。
改札通れば、17時間前と大してかわりない、「暗い時間の高松駅」が存在していました。
本当に、我々が過ごしたのはたった1日の出来事であったのだろうか、まるで2、3日ずっと旅にいたような感覚に陥る、濃い一日でした(似たようなことをかつても書いたような…)。
さて、長い今日一日であっても、昨日、明日とは他人の今日と同じように、接続され、普段と同じ、一日の長さでした。 まるで浦島太郎の逆のように感じました。
さようなら、我が旅よ、長い一日よ。
余談-語源譚-
今回の旅を知ったツレの担任の先生は、私たちの旅を見て一言、「弥次さん喜多さん珍道中」と。
これが、タイトルが東海道中膝栗毛をベースにしたようなものになった理由の一つ、引き金です。
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