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作者の奥田英朗はデビュー前、広告プランナーをしていた。
「広告」が「小説」に与えた影響を聞かれ、氏は以下のように答えている。
「小説も広告も根っこは同じで、プレゼンテーションだと思うんです。人の心をどう動かすか、という点です。小説は書く人間が自分の思いをぶつけるものだと考えられてもいるようですが、そうではなくて、どう楽しませるかが大切なはずです。そのために必要なのはサービス精神でしょうね。それがなくて、ただただ思いをぶつけたものや、説教めいたものなんて、読みたくもない(笑)」
(作家の読書道http://www.webdokusho.com/rensai/sakka/michi12.html)
作者のこのような――いわば――「哲学」は、作品世界に如実に現れているように思う。
「小説はプレゼンテーションである」。
そして、
「小説家は自分の中に複数の目を持たなくてはいけない」
本作『マドンナ』は、最新刊『ガール』と対になる作品である。
「30代OL」を主人公にした中編集『ガール』に対し、本作は「40代オヤジ」が主人公の中編集だ。
・人事異動でやってきた新人はもろ好みのタイプだった……どうする課長!?表題作『マドンナ』。
・息子は大学に行かずヒップホップダンスをすると言い出し、会社での派閥争いにもアップアップ……どうするお父さん!?『ダンス』
・「戦場」だった営業部から事務系の総務部へ異動。そこで見たのは常態化する賄賂だった……どうする社内エリート!?『総務は女房』
・新しい上司は海外赴任から本社に戻った女性だった……どうする「男社会」代表!?『ボス』
・閑古鳥の鳴く新開発土地に客を呼べ。しかし、綺麗だった街は騒々しいだけになり……これでいいのかプランナー!?『パティオ』
「ある人が「テーマを書くな、ディテールを書け」というような意味のことを言っていました。ディテールを書くことができればテーマは浮き彫りになるんだと。僕もそれをやりたいと思ってます。日常会話やエピソードを積み重ねていきたい。そういう意味では山田太一さんのドラマや小説の影響は受けてますね。とにかく日常会話がうまい。唯一、影響を受けているのが山田太一さんだと言っていいかもしれない」(作者の読書道)
奥田英朗は「テーマを書かず、ディテールを書く」――まさにその通りである。
中間管理職ゆえの苦労、家庭での居場所のなさや不和、男性中心社会の崩壊と女性の社会進出……20代の私にはまだわからないことも多いけれど、なぜだか「共感」してしまう。
「立場なんて全然違うのにどうして共感してしまうのだろう」――これは、『ガール』を読んだ時にも感じたことだった。
私は、40代でもなく管理職のサラリーマンでもなく、ましてや30代OLでもない。
しかし、つい「あるある」と言ってしまいたくなる「ディテール」の総和が、作品世界に説得力を与えているのである。
「僕の場合、書きたいのは人の気持ちであって、ストーリーはどうでもいいんです(笑)。一読者としても本を読む時に知りたいのは人の気持ちだし
だから、小説家は自分の中にいろんな目を持っていなければならない。書こうとするものにも、登場人物にも、距離が取れなければいけないと思っています。説明的な小説、説教してる小説、自分のことを書いている小説が嫌いですね」(作者の読書道)
奥田作品の秀逸さは、作者が「複数の目」を持っていることである。
相反する視点を持つ『マドンナ』と『ガール』を書き分ける作風の広さが、その証左であろう。
占い師に「あなた最近、悩んでいることがあるね」と言われて、「いいえ」と言える人は少ないだろう――それは、誰もが少なからず悩みを抱えていることを示している。
しかし、人間は「自分の苦しみ」しか目に入らないことが多い。
「自分は苦しんでいるのに、あいつはなんだ」
サラリーマンには専業主婦の大変さが、男性には女性の苦しみが、営業には事務の息苦しさが見えない――見えにくいものである。
それは「自分の大変さ」「心の余裕のなさ」「肥大した自尊心」にかまけて、「相手の大変さ」に目がいかないからである。
作者は、この「一方通行の視点」を逆手にとり、それがどれだけ醜いものであるのかを「ディテールの積み重ね」によって描き出していく。
そこには、「複数の視点」があり、決して物事を「他者化」せず、立場の違う相手の苦しみや息苦しさに意識的に目を向ける。
――それこそが「想像力」なのだと、私は思う。
奥田英朗の作品に誰もが「共感」してしまうのは、それが、「ディテールの積み重ね」と「複数の視点」を持ったシャープかつユーモアな――「出来るサラリーマン」のやるような――「プレゼンテーション」になっているからなのではないだろうか。
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これ私も読みました。「複数の目」にはほぉ〜って納得です。確かに、奥田作品にはそれがあるから何冊読んでも飽きずに共感できるし楽しめるのかも。そうじゃない作家の本は2冊以上読むと、そこからありありと感じられるスタンスというか哲学に押し付けがましさを感じて、うんざりしちゃうこと結構ありますもん。。。ところで奥田英朗なら、小説ではないけど『泳いで帰れ』もなかなか読みやすいし面白かったですよ。もし未読なら、時間の空いたときにでもいかがでしょう?
2006/6/6(火) 午前 1:38 [ さら ]
sarahさん、こんばんは☆早速『泳いで帰れ』を図書館で予約してきました。楽しみです♪「作者と作品は切り離して考えるべき」という意見もあると思うのですが、やっぱり作者の人生とかそれまでの生き方っていうのは、作品に影響を与えているように、私は思います。そういった意味で、奥田さんが作家になる前に広告やコピーライターの仕事――私情を廃して、製品の良さを「客観的な視点」で伝える仕事――をしていたことが、「作者の主張や哲学を押し付けない」作風につながっているのかな、などと思ったりもします。
2006/6/8(木) 午前 0:03 [ typhooon_number23 ]
こんばんは〜モグラさん★作品にはその作者の人となりが表れると、私も思いますよ。この『ガール』にしても、対立とか衝突を、誰かを悪者にすることなく、それぞれの立場とか考え方の相違から起こるものとして描けるのは、やっぱり「複数の目」と「客観的な視点」を持ってるからなんでしょうね。それにしても『泳いで帰れ』、ほんとに早速ですね(笑)またレビュー楽しみにしてますね〜♪
2006/6/8(木) 午前 1:54 [ さら ]