モグラのあくび

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「もし神が存在しないのなら、考え出すべきである」
――ヴォルテール『三人の偽君子に関する書の著者へあてた手紙』の一節
『カラマーゾフの兄弟』上巻における最大のクライマックスはやはり、かの有名な「大審問官」の章であろう。
松岡正剛も「千夜千冊」の中で、この「大審問官」の問題について考察を行っている。
――しかし、正直なところ、この「大審問官」なる章の読解には全然自信がもてない。
「なんとなくわかったような気もするけど、まったくの的外れかもしれない」
といった微妙な気分である。


「大審問官」とは、イワンがアリョーシャに語って聞かせる自作の叙事詩である。
「あのね、アリョーシャ、笑わないでくれよ、俺はいつだったか、そう一年くらい前に、叙事詩を一つ作ったんだよ。もし、あと十分くらい付き合ってくれるんなら、そいつを話したいんだけどな」
――イワンの無神論主義的価値観のすべてがつまった作品であると言っても過言ではない。

舞台は16世紀のスペイン。
異端審問官によって、「ほとんどまる百人におよぶ」異端者が火刑で一度に焼き殺され、火は爆ぜ、人の焼ける臭いが立ち込める中に、キリストが人の姿を借りてそっと姿を現す。
15世紀前の姿など誰も知るはずはないのだが、「ふしぎなことに、だれもが正体を見破」り、キリストは民衆に囲まれてしまう。

懇願されるままに人々の病を治し、死者を甦らせ、次々と「奇跡」を起こすキリストの前に、90歳に近い老人――大審問官が通りかかる。
そして――、
「彼は指を突き出し、キリストを引っ捕えるよう護衛に命じた」
そのまま牢獄にぶち込まれたキリストに対峙し、大審問官は言う。
「なぜわれわれの邪魔をしにきた?」、と。
それは、つまりこういう意味であった。
「なぜ人間に“自由”を与えたのだ。そして、なぜ今頃になった“再び自由を与えに来たのだ”」


「われわれが彼ら(かよわい人間)の先頭に立って、自由の重荷に堪え、彼らを支配することを承認してくれたという理由から、われわれを神と見なすようになることだろう、――それほど最後には自由の身であることが彼らには恐ろしくなるのだ!」
15世紀前、キリストの行ったことは、「人々に自由を与える」ことだった。
しかし、大審問官は「人間は、もはや論議の余地なく無条件に、すべての人間がいっせいにひれ伏すことに同意するような、そんな相手にひれ伏すことを求めている」のだと語る。
「(われわれにも)≪大切なのは心の自由な決定でもなければ愛でもなく、良心に反してでも盲目的に従わなければならぬ神秘なのだ≫と教えこむ権利があるわけだ。われわれがやったのは、まさにそれさ。われわれはお前の偉業を修正し、奇蹟と神秘と権威の上にそれを築き直した」
――人々は何かを「(盲目的にでも)信じたい」のであり、「すがりたい」のであり、さらに極端な言い方をしてしまえば「奴隷になりたがっている」のだ、ということであろう。
それは、「宗教的神」へだけではなく、例えば「占い(師)」や、「カリスマ(芸能人、アーテティストなど)」への傾倒に対しての「それ」もまた同様なのだと思う。
「人間の自由を支配すべきところなのに、お前はかえってそれを増やしてやり、人間の心の王国に自由の苦悩という重荷を永久に背負わせてしまったのだ」
ある種の「自由」とは、人々にとって「つらいものでしかない」
それゆえに、大審問官たちは、つまり「教会」は、15世紀前に語られたキリストの教えを、「修正」して「権威」の上に築き直したのである。
そして、人々から「自由」を奪い、盲目的信仰を広めた――人々は「自由」に耐えられるほど強くはないから。
こうして、大審問官は「自由なし」による、ある種の服従を強いる「幸福」のあり方をキリストに向って述べるのである。
「人々がわれわれのために自由を放棄し、われわれに服従するときこそ、はじめて自由になれるということを、われわれは納得させてやる」


この「大審問官」に、「イワン的無神論主義」の影響が顕著であることは否定のしようがないだろう。
イワンは以前、アリョーシャに向かってこう言っている。
「俺が認めないのは神じゃないんだよ(中略)俺は神の創った世界、神の世界なるものを認めないのだし、認めることに同意できないのだ」
それは、「神が世界を(つまり人間を)創ったのか、人々が神を創ったのか」という問題なのだと思う。
そして、(あるいは無神論者のほとんどがそうであるように)イワンは後者の立場を取っている。

大審問官はキリストに向って言う。
「どうせ人間どもは偶像の前にひれ伏すのだからな」
――本質的に「弱さ」を持った人間は、「神」(あるいは「神的」な存在)を求める。
そして、彼らへの「全面的な服従」をもって「自由」を委ねることによって、「個人の自由な決定という現在の恐ろしい苦しみや、たいへんな苦労から」解放される、というのだ。


かつてフランスの哲学者サルトルは、「人間は自由の刑に処されている」と言った。
それほど、真に「自由」たろうという生き方は難しいということだと思う。

この「人間が“自由”から逃れるために神というシステムを創り出した」式の考え方は、無神論者にとっての「常套句」であるように思う。
ここで――つまり、上巻の最後で――イワンにこの語りをさせることによって、「それを覆すような展開」が、中巻以降で飛び出すのではないかという期待感がある。

『カラマーゾフの兄弟』は、当初『無神論者(無神論)』という題名で構想されていたのだという。
完成の実に12年前(!!)のことである。
そういった意味でも、このイワンの「無神論主義的言説」が本作の中で少なからざるウェイトを占めていることは想像に難くない。
「大審問官」を過ぎ、いよいよ物語は中巻へと進む。

(上巻読了)


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カラマーゾフの兄弟…カラマーゾフ?ロシア人?アレックス・スミルノフとかニコリ・ボルコフみたいな?

シャープ兄弟なら知ってるけど(;^ω^)

2019/2/25(月) 午後 5:02 [ sky*igh*552*02 ]


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