「これまでぼくはいろいろな作風を書き分けてきましたけど、その中でも一番の異色作になったと思います」(貫井さんの公式HPより)
デビュー作『慟哭』から14年。貫井さんが再び新興宗教をテーマにした最新作である。
だが、その肌触りは『慟哭』とはまったく違う。
ミステリー性は皆無といっていい。ラストの衝撃度もほとんどない。
しかし、実に貫井さんらしい作品に仕上がっている。
その特徴とは一人称で物語られる、過剰なまでの“我”、である。
狂気の中で、変質的に自己中心的に強迫観念的に、これでもかと描かれる「うわぁ、こいつ嫌な奴だなぁ…」という人物描写。これこそが貫井さんの真骨頂であり、持ち味なのだと再認識させられてしまった。
妻子を目の前で失い、抜け殻のようになった男が、ある日サイコメトリー能力のある少女と出会う。自分の気持ちを理解できる人がこんなところにいたなんて。救われた――男は思う。「天啓だ」――男は思い込む。
やがて男は、少女が細々と行っていた、能力を使っての人助けを組織的に展開し始める。「もっとあなたの救いを求めている人がいるはずです」。規模はじわじわと拡大していく。
宗教ではない――と、男はその一線を譲らない。
しかし、“なにやら怪しげなことをしている胡散臭い奴ら”との認識からは逃れられない。周囲は異質を排除する。それはいつだって変わらない。
急激に大きくなった組織内にも歪が生まれようとしていた。
確かな骨を持たずに肥太った体を、組織は支えきれない。運営資金がどうしても必要になる。理想と現実のギャップに悩み、信念は貫けなくなってしまう。妥協の連鎖。新興宗教色は強まっていくが、「分かってくれる人は分かってくれる」と目を瞑る。自分の確かさを妄信しようとして、考えは徐々に凝り固まっていく。
組織の大きさと比例して、歪みもまた留まることがない。
「女は思う。世界はいつも自分にだけよそよそしい。神か。神などいるはずがない」
妄信。これが本作のキーワードだろう。
本作は「宗教とは?」という問いを出発点に、「人が何かを信じる」ことのメカニズムや原因、その背景にある寂寞や孤独を丁寧にすくいとっていく。組織的な新興宗教の成り立ちと同時に、ある女性の個人的な“妄信”のエピソードが平行するのは、それを分かりやすく対比させるためだろう。組織も個人も、規模やのめり込み度を別にすれば、核となる部分では同じなのだ、と。
何かを妄信する、という一点において、それが宗教であろうとなかろうと、それはその人にとっての信仰となり、思想となる。
『空白の叫び』の神原や『神の二つの貌』の早乙女を筆頭に、
“自分の世界”の考えを世界に強いる=貫こうとする人物を描き続けてきた貫井さんの総まとめ的な作品だといえよう。
ただ、先の展開を容易に想像できてしまうのは残念。相変わらずのリーダビリティだが、プロット自体に目新しさはない。
ゆえに、『空白の叫び』にも共通する怖いまでの内面描写は白眉だが、ラストでのカタルシスがないだけに、どうにも不完全燃焼で読み終えた感は否めなかった。
孤独を象徴するような獏とした果てしなき道。そんな表紙の写真が、実に巧みに本作の内容を表しているように思えた。
(08年 3冊目▲+)
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ラストは確かに予定調和的でひねりが足りなかったように思いましたが、一つの宗教の生成過程がリアルに描かれていて、読み応えはありました。でも貫井さんの中では好きな作品とは言えないですね^^;
2008/1/29(火) 午前 7:35
貫井さん独特の「毒」のようなものは描かれいるのですが、いかんせんミステリ要素は少ないし、盛り上がりとかドラマ的な山がなかったように思います。貫井さんって結構、私の中では「当たり・はずれ」の激しい作家さんなんですよねぇ。『空白の叫び』が凄すぎただけに…
2008/3/17(月) 午後 8:04 [ typhooon_number23 ]