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「想像力こそが、すべてを変える」(全人学級の標語) 「嵐」二宮くんのロードレーサーが大型トラックへと向う、映画『青の炎』エンディングの圧倒的な余韻。大竹しのぶの笑顔に生理的恐怖を感じざるをえない、映画『黒い家』の不穏。 刊行長編6作中3作が映画化されていながら、寡作で鳴る貴志祐介の第7長編が本作。前作『硝子のハンマー』から実に3年9ヶ月ぶりの作品である。 デビューのきっかけとなった第12回「ハヤカワSFコンテスト」の佳作入選作「凍った嘴」(短編)が書き下ろし1900枚もの超大作となって帰ってきた。 舞台は1000年後の日本。科学技術に変わり、“呪力”と呼ばれるサイコパワーによる管理社会が構築された国。 その中の、結界に閉ざされた地域・神栖66町で生まれ育った渡辺早季が、10年前に起こった壊滅的で悲劇的であまりにも絶望的な「ある出来事」を手記に収める、という体裁で話は進んでいく。 一見すると、呪力を除けば現実世界の現代日本とそこまで違いはないように思えるのだが、大きな差異はその世界に登場する奇怪な生物たちである。 化けネズミ、風船犬、ネコダマシなど、名前だけ聞けばどこか可愛らしい生き物たちも、生々しく異常なものとして描かれている。 特に化けネズミは、人類とは“別種”の知的生物として描かれており、その立場が後半の展開へとつながっていく。 加えて、本作において問題なのは、その“異常さ”そのものではない。 “異常さ”の源とも呼べる“なぜそのような異常な生物が誕生したのか”にまでスポットを当て、人間の根源的な“醜さ”を浮き彫りにしていくのである。 作中の世界は、想像したものを具現化していくかのような呪力の存在を始め、「想像力」が重要視される世界だ。 だが、その中で最後のドンデン返しともいえる“衝撃”が、人間の“想像力の不足”を指摘するのはなんとも皮肉である。 冒頭の標語「想像力こそが、すべてを変える」は、 「人間は想像力によって今日の文明を築き上げてきた」というメッセージとともに、 「人間は想像力の不足によって多くの悲劇を積み重ねてきた」という警告をも与えているのではないだろうか。 そこには、地球を支配したかのように跋扈する人類の傲慢さまでもは込められている。 上巻の三分の一あたりが過ぎた時――“想像できない”よう隠蔽された社会の欺瞞が浮き彫りになったとき、物語は一気に加速していく。 冒険小説であり、SFであり、ファンタジー。だが、その核となるのは「想像力」の恐ろしさだろう。あるいは、それが「豊か」であろうと「欠落」していようと、同じことなのかもしれない――とすら思わせられる。
冒頭から不穏を漂わせる、隠された世界の秘密。 そのベールが少しずつめくれ、露呈し、じわじわと滲むように明らかになるにつれページをめくる手は止まらなくなる。 貴志作品の新境地。 映画化は難しいだろうなぁ。でも、ここに貴志さんの「想像力」が大量につぎ込まれていることは間違いない。 読後の心の揺らめき。やっぱり「想像力」は恐ろしい。 |
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