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道尾氏の作品は、どこかトリックアートを思わせる。 提示されているものを誤読させ、最後の一言で“見方を反転させる”――すでにそこにあるものを、まったく別のストーリーで読ませ、かつ、もうひとつの読み方を開示したときに違和感なく受け入れさせる構成の巧みさにいつも唸らされてしまう。 本作のタイトル「ラットマン」は、前後の文脈によって同じ絵が別物に見えることを示す、心理学上の有名な絵が由来。作中にもその絵が登場するのだが、確かに動物と並べられればネズミに、人間と並べられれば人間に見える。 殺意の動機、不自然なアリバイ、男女の関係、意味深なセリフ・・・いかにも「こいつが犯人では!!」と思わせる描写の数々が列挙されていく。 しかし、ネズミに見えるからといって、ネズミであるとは限らない、といったところがミソ。なるほど。私たちの物事の認識は、あまりにも文脈に左右されすぎているのかもしれない。 アマチュアバンドSundownerの練習中に、語り手である姫川の彼女が死んだ。 現場は防音処置のほどこされたライブスタジオの一室。明らかな密室空間で起きた惨劇に、メンバーの姫川とその同級生の谷尾、竹内、被害者の妹およびスタジオのマスターが容疑者となる。 真っ先に蓋然性のある犯行動機があがるのは姫川。 では、犯人は語り手である彼なのか? 物語は道尾作品独特の右往左往を繰り返しながら、“犯人らしき人物”をたゆたい、その巧妙なミスリードは、すべてラットマンの心理学的トリックさながらに私たちを揺さぶることになる。 道尾作品のプロットは、いかにも“週刊連載の漫画”的である。 つまり、引っぱりに引っぱり、思わせぶりな場面の展開、犯人を思わせるヒント=ミスリードの連打と真相の保留が繰り返され、読者は何度も「こいつが犯人だ」という結末の予想を覆すことになる。 もちろん、その認識の反転は心地がいい。 だが、読後感はどこか空腹である。 それは、ミステリ要素の充足に比べ、明らかに感情的人間性が不足しているからに他ならない、と私は思う。当初、道尾作品に伊坂作品と通じるセリフ回しや雰囲気を感じていたけれども、やはり、違う。 道尾作品には最終的な根幹として、感情的な細部が欠けているように思う。 そこが残念なのだ。 ミステリ・トリックは、本質的にはマジックのそれと同様である。 つまり、見えているのに見えない、という“意識の盲目”=心理的ミスリードが核となっていく。 ラットマンとは、道尾作品に通底するトリックの総称だとすら言えるだろう。 心理の隙間を道尾氏はストレートに突いてくる――道尾氏は心理学的な人間的欠陥に、非常に意識的である。
はっ!!とさせられる。 えっ!!と純粋に驚かされる。 だが、文章的ミスリード術の巧みさに比べ、物語としての魅力がどうも…。なのだ。 道尾氏のミステリ的魅力は本作に溢れているが、個人的には「ミステリのためのミステリ」になってしまっている印象。文章は好きなだけに、『片目の猿』のような“トリックとテーマが分かち難く結びついている”作品を望みたい。トリック=罠の伏線の張り方が巧すぎて、巧さだけで書き上げてしまった1作、といった感を覚えてしまった。 間違いなく今後のミステリ界を担っていくだろう作家だけに、好きだからこその苦言を呈したいと思う。 |
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私はラットマンは読んでいないのですが、他の道尾作品を読んで抱いていた、トリックはおもしろかったし見事に騙されたけど、なんか残る不満の正体を見事に明文化してくれた気がします。
そんな台風さんの筆力に脱帽です。
ラットマン貸してください。
2008/4/6(日) 午前 10:14 [ masujimayutaka ]
道尾作品って、「面白いんだけど、なんか引っかかる」って感じだよね。この「歯に詰まった魚の骨」感が、どうも好きになれないんだよなぁ。伊坂さんと似てるって意見も多いけど、全然違うというのが私見。
2008/8/8(金) 午後 2:36 [ typhooon_number23 ]