「嬉しい誤算でした」――。
帯には、原作者・伊坂幸太郎の言葉として、そうあおり文が踊っている。
「へ〜」と、思った。『魔王』が週刊少年サンデーで漫画化されていたとは。
まあ、週刊誌掲載だし、最近は漫画化することも少なくないからなぁ、と騙されたと思って試しに読んでみたのだが――。
これがまた、なんとも「嬉しい誤算」、なのである。
「考えろ、考えろ」
新都市計画で揺れる関東地方の架空の街・猫田市を舞台に、描かれるは安藤と犬養の戦い。原作では、新興政党の党首だった犬養は、自警団・グラスホッパーのリーダーとなり、新都市計画に異を唱えるカリスマとして街を掌握していく。高校生になった安藤は、周囲の犬養賛美のファシズム的違和感に危機感を抱き、「思ったことを人にしゃべらせることのできる」=“腹話術”の能力で、犬養の「レシピ」を変えようと奮闘する。
「もし世界で自分だけが間違いに気付いてしまったら・・・どうする?」
白眉なのが――犬養の所属団体名からも分かるように――『魔王』の世界観を残しながらもすでに既刊4冊の中に、鯨、蝉、スズメバチ(原作とは違い、メイド風戦闘美少女)という『グラスホッパー』のキャラクターが登場し、伊坂作品がリミックスされている点。社会的メッセージ性の強い『魔王』に『グラスホッパー』のエンタメ性が加わったことで、「少年漫画by伊坂」という作風が活きているように思う。
“一般人”として登場した『グラス―』の鈴木と違い、腹話術の能力をもつ安藤は、すでに蝉と一戦交えており、このままいけば犬飼VS蝉VS鯨VS安藤という、格闘漫画さながらの展開に突入する予感。
同人誌的伊坂作品へのリスペクトが、成功を収めた好例だろう。
私にとって、『グラスホッパー』は忘れられない作品である。
それまでに読んだ伊坂作品は、どちらかといえば「巧いなぁ」「面白いなぁ」という印象の作品だった。(これが村上春樹や古川日出男の作品になると「スゴい・・・」や「言葉も出ない」という状態になる)。
だが、『グラスホッパー』を――その最後の一行を読んだ時、脳内がクリンとひっくり返る音が聞こえた。ような気がした。そうか、これは「“そういう作品”だったのか」、と。
深夜1時ほどに読み終えて、すぐさまブログに感想をアップしたのを覚えている。
勢いのままに一気に書き上げた。見直しもしなかったし、それ以来、そのままにしている。
熱を封じ込めたかったのだ。
今回、漫画『魔王』に刺激を受けて、文庫版で『グラス―』を再読してみた。
「世の中は情報で作られているんだから。街ってのはさ、ビルとか道路とか通行人でできてるんじゃなくて、情報でできあがっているんだって」
読み返してみると、改めて「この作品はこんなにも『魔王』とリンクしていたのかぁ」と思わされる。
世の中は情報で作られている――それも、加工された情報で。
耳あたりのいい言葉で、編集された映像、情報は=人々はコントロールされている。
問題は――コントロールされていることに気付かないこと。
『魔王』で安藤は「考えろ」と、マクガイバーの言葉を繰り返すし、
『グラス―』で蝉は自分が岩西の支配下でコントロールされているだけなのではないかと怯える。だが、本当に怖いのはラストの鈴木のように、“気づかない”ことだ。
世の中は情報によって作られている――だが、その情報は“誰かによって”作られている。
『グラスホッパー』での危機感は、ファシズムという言葉に集約されて『魔王』で警告された。情報コントロールへの盲目と、その危険性。
そして、これは『ゴールデンスランバー』へとつながっているのではないか。
あのエンタメ性と社会的メッセージ性の融合は、そのまま『魔王』+『グラスホッパー』なのではないか。
伊坂作品の一つの系譜。その連なりは、今、漫画として一つの作品に帰結しようとしているのかもしれない。
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