モグラのあくび

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「3回くらいアタマがおかしくなって、というのは、記憶がなくなるわけ。30分くらいなくなって、その間なにしてたかわからなくなる。妻に『俺いま何してた?』って訊いて、「え、普通にしてたよ」って言うんだけど、全部記憶が飛んでて、ものすごく怖かった。自分を引くずったままあっちに行っちゃってるっていう感じで、おかしなことになっていた。ただ、作られている作品がすごいことは、よくわかった」(『ユリイカ06年8月号 古川日出男』――古川氏による『アラビアの夜の種族』解説)

圧倒的な物語力の前で、解釈は死ぬ。

そこでは、「なぜこうなった?」、「どうして彼はそう言った」という分析、謎、疑問は沈黙するしかない。ただ、物語の圧力に押しつぶされ、その力の前で驚愕する――立ち尽くす――そして、思う。「なんて物語なんだ!!」、と。それですべてだ。

沖方丁の出世作となった『マルドゥック・スクランブル』の続編、にして、そのエピソード0を描く本作。そのあとがきとなる「精神の血――その最悪の輝き」で沖方は、こう書いている。
「『何を・どうやって』書くかはよく悩むが、『なぜ』について本気で悩んだのは本書が初めてである。そのせいか執筆が進むにつれて精神状態があまりよろしくなくなり、終盤にさしかかると、突然、全ての疑念が衝動と化した。
家庭も他の仕事も全て放り出して、僅かな仕事道具だけを手に家を飛び出し、どことも知れぬホテルを転々としながら書き続けたのである。追ってくる人間には『殺すぞ』『消えろ』などといったメッセージを返し、ホテルのエレベーターで『こんにちは』と優しく声をかけてくれた他の客を、憎悪を込めて睨み返した。近づく者全てに怒りを剥き出しにし、半月ほど誰とも会話せず、気づけばゴールデンウィーク中のラッシュの新幹線内で、トイレを占拠してエピローグを書いていた。」
はっきり言って、「異常」である。
だが、私は、そんな風にして――自分の精神の限界値まで脳髄を絞り、摩擦し、捩じ切りながら物語とランデブーした男を知っている。それが冒頭の古川日出男の言葉であり、彼の書いた『アラビアの夜の種族』は、どこか本書『マルドゥック・ヴェロシティ』と似ている――“異母兄弟”という言葉がぴったりかもしれない。もちろん、アラビアと架空都市マルドゥック市を描いた本作の、内容が似ているわけではない。その手触り、いうなれば精神の質感が似ているのである。


「特殊な力を持った集団同士が戦い合う娯楽活劇」――。

一言で本作をあらわせば、こうなる。沖方の当初の構想は、その一言だった。
戦時中に生み出された特殊能力を持つ10人の戦士――不死身、擬似重力、ユニバーサル変化、身体の鋼鉄化、変身、集極音波、不可視・・・――スクランブル−09。
戦争の終わりと共に“スクラップ”にされそうかけた彼らは、街で特別捜査組織を立ち上げ、自らの「有用性」を証明するために事件を解決していく。
その中で、あるギャングの世代間抗争を追ううちに、彼らは、自らと同様に戦中の特殊技術によって機械化された先頭集団の影を見る――そして、激突する。
しかし、彼らも「駒」でしかない。
その背後には都市システム全体を巻き込んだ陰謀が渦巻いている――狂った個人の虚無が暴走している。
『マルドゥック・スクランブル』で敵対している擬似重力&不眠活動能力を持つボイルドと、あらゆるアイテムに変形可能な黄金の知能を持ったネズミ・ウフコックは、本作では強固な信頼関係で結びついたパートナーとして描かれる――そして、終局に至り訪れる、絶望的な相対。


表層的な説明をすれば、本書は『Xメン』や『ファンタスティックフォー』、『スパイダーマン』といったアメコミ的ヒーロー物でしかない。
だが、その体内で煮えたぎるのは、絶対的な正義への諧謔と、暴力の虚無性、そして、絶望的なまでに行間を埋め尽くす人間の業である。
それは、沖方が本書の執筆時に――あの、憎悪に満ち満ちながら放浪した日々に知ったという「決して肯定されるべきではないもの――衝動的な憎悪、憤怒、悪意、破滅的な熱狂といったものは、自分が思うよりも遥かに身近で、いつでも起こりうること」だという、ある種の“悟り”そのものであるようにも思える。

自分の作品が、現代における「パンドラの箱」であると分かっているからこそ沖方は言う。「ときとして暴力は、素晴らしい効果を発揮するのだと公言する意義は。そんなものはない。そう言い切れる楽観こそ、本書の意義であって欲しい」、と。
そして、続ける。
「最善であれ最悪であれ、人は精神の血の輝きによって生きている。そしてエンターテイメントは、最悪の輝きさえも明らかにするのだ」。
かつて「箱」の中に詰められたあらゆる災い、その現代版としての人間の業の執拗な書き込みは、だが、その最後に「残された希望」をも描いていく――あるいは、それは最悪の行為だったのかもしれない。現に本作の主人公ボイルドは、『―スクランブル』で虚無の深みにはまりきっている。
しかし――。
と、沖方は言いたいのだろう。
そして、私もそう言いたい。
そこに描かれるものが例え「精神の血の最悪の輝き」であったとしても――最悪な行動による、最悪な出来事の、最悪な報告であったとしても、そこで輝く男たちの生き様が、物語の力が否定されることは決してない。
繰り返して、私は、言いたい。

圧倒的な物語力の前で、解釈は死ぬ。

その物語の力の前では、否定も、肯定も、したり顔の評価も消えるしかない。
そこに描かれる男たちの精神の血の輝きの前で、ただ、物語の波に身をゆだねるしかない。
『アラビアの夜の種族』の衝撃再び。どうか、この「パンドラの箱」を是非とも開けてもらいたい。
(08年 ☆)


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なんだかよくわかりませんが、私の解釈も死にました。

2008/8/8(金) 午後 9:56 [ masujimayutaka ]


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