モグラのあくび

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「そう、スピード。身体に感じるスピードが絶対的に違っていた。風はともかくとして、やっぱり俺は10秒台で走ったと思う。速い。とにかく速い。それに、身体の力を使い切ったっていう、この感じ…。
未知の速さ、身体をフルに使えた感覚、どんなに気持ちがいいか!このスピードで走った奴にしか絶対わからない」

100メートル。その距離を人類は9秒77で走れるということが、現在、証明されている。

アサファ・パウエル、ジャスティン・ガトリン――2人の“風”によって。

棒を使えば6m14飛べるとセルゲイ=ブブカは示した。
42,195キロを走るのに2時間04分55秒あれば十分であると、ポール=テルガトは教えてくれた。
とはいえ、どんなに早く走れようと車には決して勝てないし、どんなに高く飛べようとも鳥にはなれない。しかし――。
と、“彼ら/彼女ら”は言う――その圧倒的な肉体で。人類に限界はないのだ、と。
陸上とは――そのトッププレイヤーの行為とは、きっと“奇跡”そのものなのだと思う。


「なんか、こういうのは偶然ってよりは必然って感じがするな。運命的だな。神谷がいなきゃ一ノ瀬は続かなかっただろうし、一ノ瀬がいなきゃ神谷はここまでは伸びなかったな。いいコンビだ。おまえらは」
いいコンビは顔を見合わせた。
天才サッカー選手の兄をもつ神谷新二と、その友人で天才的な運動能力を有しながら、それをもてあます一ノ瀬連。2人が同じ高校の陸上部に入部するところから物語は始まる。
兄の影を追い、それまでサッカーを続けていた新二。中学陸上で全国大会まで進みながらやる気のない連。親友同士の2人が同じ目標――少しでも速く!!“あいつ”よりも速く!!――に出会ったとき、ふわりと“風”の予感が読者に訪れる。

成長物語である。新二の、連の、そして他の部員の、全員の。

それこそサイドストーリーがいくつも書けてしまいそうなほど各人のキャラクターが本当に素晴らしくて、もう――。なんかもう、読書中、つねに清風の中にあるようだった。ライバルの存在、恋の萌芽。苦悩、涙、歓喜、汗、太陽、セミの声、荒く吐く息の音、風、風の中にいる瞬間、ピストル、号砲の音、トラック、ユニフォーム姿の選手たち、地を蹴るスパイク、勝負の厳しさ――青春だろって、ウズウズするだろって、この本は語りかけてくる。そうして、なんだかいてもたってもいられなくなってしまう。
特に“一瞬”を切り抜いたレースシーンの描写が神がかり的な爽快感を与えてくれる。
久々に脳内がしびれる読書体験。読者=自分までを“風”の中に呼んでくれる数少ない作品の一つである。


「人生は、世界は、リレーそのものだな。バトンを渡して、人とつながっていける。一人だけではできない。だけど、自分が走るその時は、まったく一人きりだ。誰も助けてくれない。助けられない。誰も替わってくれない。替われない。この孤独を俺はもっと見つめないといけない。そこは、言葉のない世界なんだ――たぶん」
「イチニツイテ」「ヨーイ」「ドン」の全3巻。巻が進むごとにページ数は増えるが、読むスピードはむしろ加速度的に上がっていく。疾走感が文章に宿っている。高校3年間を、あっという間に駆け抜けてしまう。

中心となる競技は、個人種目(100メートルと200メートル)とリレーの2つ。
孤独な戦いである個人種目と、友情によるプラスアルファで疾走するリレーの対比が面白い。
新二は兄のことが大好きでありながら、その天才性にどこかスポイルされている部分があった。しかし、新二と“天才”連の関係はそれとは違う。一線を画している。
その差異が絶妙に描かれるのが“ライバル”として戦う個人種目と、“仲間”として信頼するリレーとの対比だろう。
“ライバル”でありながら“仲間”。
成長物語としての本作の“核心”は、まさにこの言葉に集約されているように思う。


計900ページ近く読んで、なお、続きが読みたいと思ってしまう。
まだまだお別れしたくない。まだまだ知りたいことがたくさん残っている。
『本屋さん大賞』大賞、『直木賞』候補、『王様のブランチ』年間ナンバー1・・・。
昨年末からの出版界を席巻し、爽やかに吹き、去っていった“風”。このあと、彼らはどうなったのだろう。――と、いつまでも心に――物語というよりはキャラクターが――残り続ける青春スポーツ小説の佳作である。
(07年 53,54,55冊目◎)


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なんだ、これ?

と、まず違和感があった。
なんせ題名からして『鴨川ホルモー』である。
「ホルモー」って何だ?とは誰もが思うところだろう。といったわけで「?」を解決するために読み進めていく。でもでも、それでも、どこまでも「なんだ、これ?」は続くのである。
青春小説に不思議な味付け。京都風学園ものにスパイシーなガジェット。
それだけでこれだけ魅力的な作品になるのだから、小説って面白い。


私の言いたいことはすべて帯で金原瑞人さんが言ってしまっている。

「鬼に式神を使って、大学生が戦争ごっこ?おいおい……などと思ってはいけない。驚くほどあざやかな青春小説なのだ!」

1000年もの長きに渡って細々と、しかし連綿と伝承され続けている伝説の競技が存在する。それこそが「ホルモー」。
その由来は読んでのお楽しみ。主人公の通う京大を始め、京都産業大学、立命館大学、龍谷大学の京都4大学が総当りで戦う「オニを使った戦争ごっこ」である。
この設定が本作のすべてだといっても過言ではない。

なぜなら、つまるところ本作はただのサークルものの青春小説なのだ。

それが「ホルモー」一つのために一気に昇華される。モリミーの『きつねのはなし』のときにも書いたが、こういった小説が描かれるのも「京都の持つある種の“魔力”」がゆえだろう。恐らく、東京を舞台にしていては一生、こういった作品は生まれなかったのではないかと思う。


恋愛あり、大学生特有の自分探し的鬱屈がありと、大筋は青春ものの王道路線。

楽しむべきは「ホルモー」に関する細部だろう。

読み終わったあとも結局、「なんだ、これ?」と思うことは間違いない。
異色の作品である。しかし「ホルモー」を除けばただの――なんてことない――青春小説でもある。デビュー作ゆえか書き足りない部分もあるが、その想像力には確かに将来性を感じさせられる。
笑えて、楽しめて、ちょっと恋愛、ちょっとハートフル。なるほど、実に“本屋大賞候補らしい”作品であった。
(07年 51作目○)


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「無論だ。彼らは根本的に間違っている」
彼は言った。
「なぜなら、我々が間違っていることなど有り得ないからだ」
日本ファンタジーノベル大賞を受賞した我らがモリミーのデビュー作。
第1回で酒見賢一を、第2回で鈴木光司を輩出し、北野勇作、池上永一、宇月原晴明、畠中 恵……そうそうたる作家を発掘してきたこの賞が――、

満を持して(?)03年の第15回、森見登美彦を世に解き放った。


魔法が出てくるわけでもない、もののけが出てくるわけでもない、舞台は京都、主人公はダメ学生、集うのもダメ学生、語られるのは日常のよしなし事、展開されるのは愚痴と妄想、どこまでも広がる脳内ワールド、まったく広がらない学園生活……
そんなものの何が面白いんや、と思いきや、これがまた読ませるのである――別に、たいしたことが起きなくたって「ええじゃないか」「ええじゃないか」とページをめくらせるのである。

高度に膨らんだ想像力がファンタジーの源泉なのだとすれば、本作の主人公のそれは十分に「ファンタジーノベル大賞」に値する。

空想というよりは妄想としてのファンタジーが濃厚に立ちこめた一作である。



選評で荒俣宏はこう語っている。
「通常の意味のファンタジーではない。夏目漱石や『けんかえれじい』を思いださせる青春妄想小説であり、男子寮の知と痴が暴力的にからまりあう。京都における京大生の尊大ぶりと稚戯性とを巧みなレトリックで描きあげた。地域も時代も極度に狭いだけに、危い妄想に満ちみちている。それでいて、どこかに純な心情があふれている。まるで岡本太郎の作品のように突拍子もない「彼女」の研究を通じ、よい意味で明治文学の真面目さを感じさせる小説であった。これならファンタジーの読者にも支持されると確信して、一位に推した。しかし問題もないわけではない。あまりに技巧に走りすぎた場合、鼻につく危険のある文体である」

ユーモアかつリズミカル。知的でありながらどこか間の抜けた文章が、モリミーの武器。
しかし、この文体には強い癖がある。なんせ主人公の言動には毒が溢れすぎているし――もちろんそこがこの男の“可愛さ”でもあるのだが――感情移入できないと読んでいてすこぶるキツイだろうと思う。

プロット自体は、何が起きるでもない平凡なストーリー。
そこに妄想というスパイスを振りかけたゆえのモリミー味である。

「大学時代に山ほど溜め込んだ妄想や鬱屈した思いの断片を気ままに膨らませ、自分で面白がりながら小説にしました。このたびの受賞の報に接し、このようにヘンテコな小説が選ばれたということで、選考に携わって頂いた方々の懐の深さを改めて思い知った次第です。
 ただ、私個人にとって、今回の受賞は思わぬ幸運といった印象があります。これからも、まだまだ、長い修業時代が続くことになるでしょう。ふて腐れず、天狗にならず、あくまで自分の本分を忘れずに、愉快に暢気に健康に、修業時代を切り抜けたいと願っています」
とは受賞後の感想
このとぼけた――味わいのある文章が嫌いでなければ是非、といったところだろうか。


本作には数々の魅力的な人物が登場するが、そのほとんどは多くの謎を残したまま、物語のラストを迎える。
続編でも書くためにわざとそうしたんじゃないかと思わせるほど、語られないエピソードや、やたら強力な印象を残しているくせに素性は謎、というキャラクターが少なくない。スピンオフして欲しいキャラが満載で、登場人物がやたらめったら「愛しい」のである。
もう、ストーリーなんてどうでもいいとすら思わされてしまう。

愛すべきダメ学生たちの饗宴。空想ではなく、あくまでも妄想。
とはいえ――、
なるほど、こいつはファンタジーだ。
(07年 46冊目○)


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「昨日、私は拳銃を拾った。これ程美しいものを、他に知らない」
この作品を初めて読んだとき、私は大学1年生で、郊外の――1年生だけが通うキャンパスの――図書館にいて、中村文則はまだデビューしたばかりだった。
大学に入るまでは本という本をまったく読まずに生きてきたので、今でも「なぜ、そのとき『新潮』の新人賞を読んだのか」はよくわからないのだけれど――そして、その号には同時受賞した犬山丈の『フェイク』も載っていたはずなのに、そちらには目もくれず――とにかく。
私は2003年の4月に、前年の10月に発売された『新潮』の、新潮新人賞の、『銃』を読んだ。
――そして、仰天した。
――いわば、鷲掴まれた。
本を読むようになったのはそれからである。

ただ、中村さんの作品は本作しか読んでいないし、正直それ以来、芥川賞を受賞するまで、中村さんの存在を忘れてすらいたのだけれど、でも――、
少なくとも本作が、私の「本読み人生」においてエポックメーキングな作品であることは確かであるように思う。
4月から仕事を始めるに当たって、「初心に戻る」という意味で――入社式の前日、まったく眠れなかったので――ええい、ままよ、とばかりに――読み返してみた。みました。
って、なんだか感傷的な書き出しになってしまい恥ずかしいですが(汗)


これは、拳銃を愛してしまった男の物語である。

ある男が、ある日、ある拳銃を拾い、それに魅入られ、取り込まれ、崩壊するまでを描く物語――こう書いてしまうと、「な〜んだ」と思われる方もいるかと思うが、侮るなかれ。
その崩壊へと至る過程が、実にすさまじい。
荒々しく、押し寄せるように迫り、暴力的ですらある。
異常に改行の少ない、ページ密度の濃い文章で、異常に「私」という言葉の多い、濃密な内面描写が綴られていく――そのオブセッションに圧倒されてしまう。

そして、ラスト――そう、このラストなのであった。

私が、大学1年生のときに、図書館で何気なく読み始め、止まらなくなり、水曜の2限と昼休みと3限の途中までをぶっ通して、これは授業なんか受けてる場合じゃないぞ、と堂々とサボって、その挙句に初めて――初めて本を読んで、鳥肌を立ててしまったのは。
その迫力は、再読した今回でもなお、私を興奮させた。
やっぱりこの作品は「すごい!!」と心から思う。好き嫌いが分かれそうな作品ではあるけれど。


作品分析に関しては、文庫版の解説が秀逸。
この作品がいかに緻密に練られたものなのか――蒙を啓かれる思いがした。
若干、単行本から文章を変えているそうだが、読むならば、文庫版をオススメしたい。


登場人物は少なく、しかも主人公はその1人ひとりにほとんど関心を示さない。そうして、銃への愛だけを歌い上げるのである――異色な小説。銃を愛してしまった男の物語。そして、私の思い出の物語である。
(07年 41冊目◎)


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清涼院流水は、「親兄弟が経済系の人間である血筋のせいか、昔からビジネス書の類が大好きで、やたら読んでいた」のだという。
「ビジネス書の中でも特にぼくが愛読していたのがいわゆる<成功本>で、数百冊は読んでいますから、あらゆる<成功本>に無視できない共通点があるのはイヤでも気づいていて、自分なりにまとめたいと思っていました」
――それで出来たのが清涼院版<成功本>ともいえる本作である。
「この本を読めば――何度も読み返せば、あなたは必ず成功できます。この本のノウハウをちゃんと実践できれば、あなたは「4000万円トク」どころではない、真の大成功を手にされるはずです」


<キモチのイイ性格の人>という選考基準で選ばれた5000人を前にして、「人生の成功を約束する」と公言するキャラ教授が、「成功の秘訣=絶対成功法」を講義していく――講義は毎回一時間で全10回、回が進むごとに人数は減り、最後まで講義を聞くことができるのは選び抜かれたたった一人だけ。
キャラ教授によれば、一回の講義には4000万の価値が――毎秒1000円以上の価値があるのだという。そして、各人の理解によっては、それ以上の利益を得ることもできるのだ、と。

「世の中の真理は、いつもシンプルなのです」

と、キャラ教授は言う。

各講義で出される絶対成功法は、わずか一行で語れるもの。
例えば、

「あらゆる他人を無条件で肯定すること」

といった風に。

講義は、前の講義を実践できぬ者をふるいにかけ、人数を減らしながら、時に山手線を舞台にして、はたまた電話で突然の試験を受けたりしながら、意表をついた形で展開されていく――読者は、キャラ教授の「試験」を実際に試しているような気持ちになりながら、注意深く読み進んでいくことになる。


普段、成功本やビジネス書の類はほとんど読まない。
ただ、物語風にして、400ページもの長さで書かれたものは、決して多くないのではないだろうか(どころか、もしかすると前代未聞なのでは?)。

ここが本当に良し悪しで、本書には――悪くいえば――「成功本」としてはあまりにも無駄な描写が多すぎるように思える。
さらに「成功本」として無駄が多いぶん、「小説」として楽しめるかといえばそうでもなく、「成功本」としても、「小説」としても「中途半端」な印象。


ただ、ここに「清涼院流水が成功本を書く」ということの意味があるのも確か。

清涼院流の<成功本>として、多分に彼の哲学を反映させた物語になっており、ゆえに「ただの成功本」でもないし、「ただ成功本を物語にしたもの」でもない。

個人的には「別に物語にする必要はなかったんじゃないか」という気もしている。
もちろん、清涼院流水の本であるためにはこうせざるをえなかったのかもしれないが、<成功本>を出したいのであれば、このような冗長な内容にするべきではなかったのではないか、と。
本当にもう、ここは好き嫌いの一言なのかもしれない。


きっと、清涼院流水が言うように「本書を何度も読めば、絶対に成功する」のだと思う。
しかし、読了して、とても本書を何度も読むような気にはなれなかった。
え〜と……すいません。合いませんでした(汗)
(07年 34冊目△)


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