モグラのあくび

シンプルでシャープに。そんな感じに

私的私的新書ブーム

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]

イメージ 1

「バカ・ザ・バッカ」という会社を知っているだろうか?
ヒント。
『バック・トウ・ザ・フューチャー』『トップガン』『羊たちの沈黙』『ボディガード』『フォレスト・ガンプ』『HANA-BI』『ノッティングヒルの恋人』『ショコラ』『ショーシャンクの空に』『オースティン・パワーズ』『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』……
――これらは、「予告篇制作会社」バカ・ザ・バッカが「予告篇を制作した」作品である。

「この本を手に取った方は、ほぼ全員、映画の予告篇をご覧になったことがあるでしょう。けれどもその予告篇を専門に作っている人間の存在をご存じの方は、ほんの一部しかいないのではないでしょうか」


私は、映画館に行く時、本編と同じくらい予告篇を楽しみにしている。
これからどんな映画が公開されるのか、期待していた映画はどのような映像に仕上がっているのか――大袈裟に言えば、本編が始まったとき「もっと予告篇を見てたかったな」と思うときすらある。

「予告篇は、もちろん本篇の宣伝のためにあります。しかしその本篇は、予告篇にとってはバラバラの素材の集まりなのです。(中略)ここが「売り」というシーンがあって、それを盛り上げていくために、徹底的に素材として本篇を生かすのです」
――予告篇を観て期待して本編に行ったら、そこまで面白くなかった、ということが(たまに・まれに・よく)ある。
そのある種の「騙しあい」こそが予告篇の醍醐味である。

しかし、予告篇がどのような過程を経て、上映されるに至るのかは思いのほか知られていないように思う。
私なんかは、映画の編集をするときに現場の人が一緒に作るものだと思っていたくちだ。
予告篇制作会社?――そんなのがあるんだ、とひとりごちる。
では、それはどのような会社なのだろう?
どのようにして予告篇を作り、そこにはどのような苦労があるのだろう?
謎に包まれていた「予告篇制作の現場」を予告篇制作の第一人者が語る――それが本作『映画は予告篇が面白い』である。


予告篇の目的は、お客さんの足を劇場に向わせること。
だから、想定するターゲットによって内容もガラっと変わってくる。
アクション映画なのに、それでは「女性客がこない」と判断されれば、無理やりラブストーリー仕立てに制作することもある。
著作権や契約上の問題で音楽やシーンに制約があることも珍しくない。
何十、何百時間ものフィルムを2時間前後にまとめ出来上がった本編を、さらに90秒に短縮し、制約のある中で面白さをキャッチーに伝えなくてはいけない――「予告篇」制作は、もはや職人芸だとすらいえる。

最近では、『スタンドアップ』の予告篇が印象的だった。
暴力夫から逃れ、子供を育てるために就職した鉱山は、いまだ女性労働者への偏見と嫌悪感の強い職場だった。
セロンは嫌がらせを受け、暴力を振るわれ、仲間から職を奪っているという男たちの「逆恨み」は、やがて暴行を受けるまでにエスカレートする。
そこにいたり、ついにセロンは、立ち上がる。
性差別を黙認したとして企業を訴えるのだが、果たして。。
重いテーマ性を秘めた映画である。

日本での予告篇は、端的に言えば「女性が幸せを目指して頑張る!」という感じのものだった。
女性をめぐる労働問題、醜く根付く男性の労働観などの複雑なテーマは排除され、とてもシンプルな予告篇に――「女性がつらい現実を跳ね除け頑張る映画」という作り方になっていた。
恐らく、テーマ性を前面に出しても「客が入らない」と判断されたのだと思う。
(『SHOWBIZ COUNTDOWN』(日曜深夜、東京テレビ系列)で見たアメリカでの予告篇は、しっかりとテーマを受けたものになっていた。こういうところからも、日本でのジェンダー問題への関心の薄さが透けて見える)
読んでいくと、予告篇制作ではつねにこのような「商業的かけひき」が行われていることがわかる。
本作では、『チョコレート』の予告篇でも同じような「かけひき」があったことがうかがえる。

予告篇は「起承転結」ではなく「起承承承」「起承転転」だ!
現場で作る予告篇は面白くない!
予告篇制作は映画好きには向かない仕事である!
――「予告篇制作」の生の声には目からウロコが出るものも少なくない。


予告篇の見方が変わること間違いなしの一冊。
きっと、ウズウズと映画館に行きたくなると思う――他でもない「予告篇」を観るために。

イメージ 1

私が香港に行ったのは、大学1年の夏ごろだったから、ちょうど3年ほど前になると思う。
外は非常に蒸し暑く、店に入ると極端に冷房が効いていた。
高層マンションがあったかと思えば、超ど級の貧民街が現れるような二極化した街であったように記憶している。

私が行ったヤウマティは香港の典型的な下町で、男人街、女人街の二つの通りでは香港最大のナイトマーケットが毎夜行われている。
道の両側に露天形式で店が立ち並び、ニセモノのブランド品から海賊版のDVDまであらゆるものが売られている。
本当にあらゆるもののニセモノが売られていた。
「カトちゃんの携帯ストラップ」なんてものまであった。
店員はみな陽気で、片言の日本語で「ニセモノ、アルヨ。ニセモノ。」とニセモノであることをやたらアピールしていた。
海賊版DVDで250円、ヴィトンの小銭入れで200円くらいだった。


本作『中国ニセモノ商品』は、中国海賊版(=ニセモノ・ビジネス)事情の詳細な現状報告である。
ただ海賊版事情がどのようになっているのか知るだけでも面白いし、その背景にある経済的理由を知ることによって海賊版問題がいかに深い根を張っているのかもわかる。
企業は大変だろうな、と思うけれど、「ニセモノ」をめぐる「いたちごっこ」の物語は、まさに知恵と知恵のぶつかり合い。
読んでいて、ハリウッド映画的な興奮まで覚えてしまった(私だけかもしれないけども…)


中国の海賊版製品にもっとも被害を受けているのは日本で、その被害額は年間2兆円以上だと言われている。
日本貿易振興機構(JETRO)は、北京センター知的財産権室に「ニセモノ展示室」を作っているが、そのあまりの量に展示に困っているほどだという。
種類も、オートバイからハイテク機器、日用雑貨、キャラクター商品、果ては食品にまで多岐に渡っている。

『「メイド・イン・ジャパン」は、いまだ中国において「神話的」なネームバリューを持っている』という。
「日本製は壊れにくく、物がいい」という神話が根強く信じられているそうだ。
それに日本には国際的に知られている企業が多く、消費者を信頼させやすい。
中産階級が増えるにしたがって、ブランド志向は金持ち層から庶民にまで広がり、日本製品の需要はいまだ増え続けている。
重要なのは、日本メーカーのロゴマークや商標であり、ソニーマークのトイレットペーパーや三洋電機の商標をつけた自転車なんてものまで作られているというから驚きである。
さらに酷いことに、「SQNY」(なんて読むのだろう?)や「TAYOTA」なんてロゴの入った商品まである。
ここまでくると、「もう好きにしてっ!!」といった感じである。

中国では次から次へとニセモノが作られていく。
当然、警察は摘発に動く。
しかし、その販売方法も複雑化しており、捕まえるのも難しくなっているそうだ。
中でも電化製品における販売方法は悪質である。
「完成品はニセモノだが、部品類や部分的なものは、ニセモノであるとはなかなかいえない」ため、部品を分業して製造し、計画された日に一度に組み立ててしまうのである。
こうすれば、分業している一箇所が摘発されても、全体まで波及することはない。
う〜ん、なんとも、ずるがしこい。

また、完成品は小分けにするか、人里離れた人家の倉庫に隠し、当局の検査を目くらます。  
電化製品はブランド名をつけずに完成させ、出荷に応じてブランド名をつけるのだという。
品物は一種類しかなく、注文に応じて「パナソニック」や「ソニー」などとタグを貼り替えているのだそうだ。
驚きである。

もっとも今日的な問題はインターネットの普及によって、販売主がさらに地下に潜ってしまった点かもしれない。
「顔」を見せずして安全に売り抜けられるようになってしまったのだ。
日本のインターネット・オークションでは02年3月から03年8月までの一年半の間に、ヴィトンのモノグラムのボストンバッグは1288点出品されていたが、そのうち(なんと)1172点がニセモノだったという。

今では、法律の隅をつき堂々とコピー品を売る企業まで現れているのだとか。
例えば、「香港鬆下電器国際有限公司」という企業がある。
梱包箱には省略して「香港松下電器」とあり、「Paretionic」と書かれた製品を売っている。
もちろん、本物の松下電器とはまったく関係ない。
間違えて買わせようという魂胆である。
これでは関連会社と間違われたとしても不思議ではない。

なぜ中国でここまで海賊版ビジネスが広がったのだろうか? 
本作では、二つの理由が挙げられている。
第一に、製造技術の進歩。
中国では技術開発力よりも先に製造技術が先進国に追いついてしまった。
人件費、土地代、電気代もろもろの安さから、世界中の製造業が中国に工場を作ったために、近代的な製造設備や先端技術が中国に運び込まれ、製造技術だけが急速に伸びたのである。
そのおかげで中国は、人気の製品を分解して、どのような仕組みをしていて、どのような部品が使われているのかをさっと分析し、同じ部品を作り、コピーを作っていくことに秀でた。
「製品をばらして同じものを作ろうとすれば、この世の中にあるもので、できないものはない」という技術者のコメントまである。 
なるほどな、といった感じがする。

第二に、中国の地方保護主義の根強さがある。
中国では、ニセモノ製造が地方産業の中核になっている地域も多く、ニセモノ産業が雇用創出をしており、稼ぎ頭の筆頭と言う地方都市も少なくない。
加えてニセモノ製造に対する罰則が軽く、裁判で争っても賠償額は少ないのだという。 

ニセモノ製造の背景には、それが農民たちの生活基盤の一つになっているという現実がある。
中央政府の知財担当者でさえ、海賊版があふれる状況について、「彼らは一時帰省者か、地方の農民だ。生きるために売っている」と話す。
だから、企業がいくら「いたちごっこ」を続けていても、国がこのまま足踏みをしているようでは、海賊版の撲滅は永遠になされないだろう。
もしも、中国に本気で知的財産権問題に取り組む気があるのであれば、自国の雇用問題も含めて、本腰を入れてもらいたいと思う。

ニセモノ・ビジネスの表象から問題点の表出まで。
楽しみ、考えさせるザ・新書といった本であった。
(正確には新書じゃなくて中央公論ラクレだけど)

『下流社会』とは何か

イメージ 1

この本の論旨は冒頭に書かれる以下の言葉に集約されているように思える。

「『下流』は『下層』ではない。(中略)たとえば1960年代にテレビがない家庭は中流とは言い難かっただろう。しかし現在は下流でもDVDプレイヤーもパソコンも持っている。単にものの所有という点から見ると下流が絶対的に貧しいわけではない。では『下流』には何が足りないのか。それは意欲である。中流であることに対する意欲のない人、そして中流から降りる人、あるいは落ちる人、それが『下流』だ」

高度経済成長期に誕生した「全国総中流社会」は、現在、「上下」に二極化し始めている。
経済が発達していく中で未来予想図が希望に満ち溢れていた経済成長期〜バブル期に比べ、現在の日本には将来に対する明るい展望が見られない社会が構築されており、そこに問題が生じ始めたのだと筆者は述べる。
つまり、将来への「意欲」を見出せない社会になりつつある。
そして、「意欲」のないものが「下流化」している。
ホリエモンのように「意欲」のあるものは「上流」になる。
まとめてしまえば、そういうことである。
当たり前のことといえば当たり前のことだ。
つまり「下流社会」とはいうものの、その実情は「上下」への「二極化社会」のことなのである。

昨年のライブドアや楽天に象徴される株ブーム――「企業」を「商品」だと見る考え方は、日本が高度資本主義社会として成熟してきたことを表しているが、それが喜ばしいことだけではないことも露呈され始めている。

資本主義社会は「闘争の場」である。
すべての「モノ」を「商品化」し、自由に売買をさせる――それが今の社会だ。
自由にやり取りをさせることは、いうなれば「勝ち組」と「負け組み」を生み出すことである。
個人的能力の差が如実に表れるからだ。
その割合が広がってきているという。
所得格差が広がり、学力格差が広がり、希望格差が広がっている。

高度経済成長期の国民意識は、
「中流を目指す」
というものだった。
当時はテレビや冷蔵庫、スバルといった商品が家にあることによって「中流」としてのステータスにすることができた。
しかし、今ではそれらは「すでにあるもの」である。
「総中流化社会」は、すでにそれが「当たり前」になってしまったことによって終焉を迎えたのだと言えるだろう。

そして、そんな社会において「皆が中流であることを目指すことに価値はなく」なってしまった。
その結果どうなったかといえば「自分にとって最適な生活」を求めるようになった。
年収300万でも「自分らしい生活」ができればいい。
フリーターをしながらでも自分の時間があったほうが幸せだ。
ベンチャーを立ち上げ、年収何千万という大物になりたければどうぞご自由に。
そういった社会が「二極化」を生み出していくのは、当然の帰結だろう。

私が面白いと思ったのは、こうした社会におけるビジネススタイルの変化だ。
「中流化の時代には、限られた富裕層に高額なものを売るヨーロッパ型のモデルよりも、増大する新中間層に安くて良い品を大量に売るモデルの方が売る上げがはるかに増大し、利益も出た。」
そこでバブル期にいたるまで百貨店やダイエーなどの中流向け大量生産型ビジネススタイルが成功を収めた。
しかし、現在次々とそのビジネススタイルが通用しなくなっているのは、「中流社会」が「下流社会」に変化を始めたからだという。

「中流」が「上下」に「二極化」したことによって、ビジネスターゲットは「上流」に移ることになった。
「下流」に安く大量に買ってもらうよりも、絶対数が縮小傾向にある「中流」をターゲットにするよりも、高いものを「上流」に買ってもらったほうが売り上げが伸びる。
そこで例えば『Leon』誌のように「ちょい不良」などと銘打って、富裕層に高級商品を売るビジネススタイルが主流になってきた。
伊勢丹メンズ館も同様に「上」への差別化をはかり成功している。
皆が同じ「中流」を目指していたバブル期までには、高級商品など売れなかった。
しかし、当時の「中」の状態が当たり前になった現在では、それよりもワンランク上が求められるようになってきた。
「今までのように『中』に集中して大量生産するだけでなく、『上』には『上』のためのものを売るという戦略も求められる」のが時代の要請なのである。


この本で「あれ」と思うのは、というか失笑を禁じえないのは、消費者を「ミリオネーゼ系」「ロハス系」などと類型化して説明する第2章である。
統計調査のドライな面が強調されているようで、あたかも類型化された「個人」が存在するように思わせる文章はうまいが、ちょっと眉をひそめたくもなる。時間があったら立ち読みしてみてください。なかなか笑わせてもらえますよ。

立ち読み→爆笑といえば、ところどころに入る写真である。
これはかなりおすすめなのだが、是非109ページの写真を見て欲しい。
なんという誘導的な写真とキャプションなのだろう、とメディア自体へ疑問を抱いてしまうようなページである。これはほとんどギャグだ。
ちなみにそこには「希望を失った若者が街中に倒れ込んでいる」写真が載っています。

朝日新聞は今年の始めから一面で「再生新生」という特集をしている。
1月4日の特集は、まさに「上」の代表とでもいった若社長の記事である。
 
無農薬有機野菜を販売する「オイシックス」社長。
毎年正月も休まない。
終電で帰れることがほとんどないために自転車で通勤している。
東大の大学院に在学中、仲間とともに起業し年間5千万稼いだ。
会社を衣替えし、現在の会社になってから4年で黒字化させた。
今年3月期の売り上げ見込みは28億円だという。

とまあ、こんな人たちがたくさん載っている。
これが「意欲」である。
そして、(ここまで派手な規模ではないにしろ)この「意欲」がないものは「下流」の傾向があると本書は指摘する。
私には「二極化」もまた仕方なしと思えた。
ここまでのモチベーションは私にはない。
ある人は起業し、ある人は「自分探し」のためにフリーターを続ける。
高度資本主義の「個」。
本の最後、筆者は「階層の固定化」を防ぐための提言をしている。
所得の差が教育水準の差であるのも一つの真実であろう。
しかし、「教育」が、インターネットや歪んだ「個人主義」を主張する、閉じこもる「個」に届くかどうか。
国がどうにかしてどうにかなるものではないのかもしれない。

もちろん、「下流社会」は筆者が恣意的に作った現在社会を表す言葉でしかない。
しかし、本の中のような現実が確かに蔓延しているように私には感じられる。
この本は「現在社会はこのようになっていますよ」ということを示したに過ぎない。
ここから何を読み取るかは読者に委ねられている。
就活を控える身にとってかなり思わされるところがある本だ。
学生は、自分の立ち位置を社会的な立場から把握するために立ち見でもいいので読んでおいたほうがいいかもしれない。
少なくとも私はそう思う。

全1ページ

[1]


.
typhooon_number23
typhooon_number23
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事