「まずいことに、この国が未完に思えてきた。 工程を大幅にはしょった、実に未完成の船に乗り込んでしまっているような心地になってくる。今まで底の水漏れに気づかずにいたから安心しきっていただけで、本当はあちこちに不備があって……。 言おうかどうかわずかに躊躇したが、結局俺は感じたままを口にした。 朝香ニ尉は笑う。愉快そうに見えたものの、そこには明らかな自嘲が混じっていた。」デビュー作『UNKNOWN』に続く、朝香・野上シリーズ第2弾。 防衛庁調査班の朝香ニ尉と相棒の野上三曹が、今度は東シナ海に面する伊栗島の通信中継基地で小銃消失事件を追う。 「本格ミステリといえば殺人事件」という展開に慣らされている読者からすれば、「小銃消失」と言われても、いまいちピンとこないかもしれない。 しかし、自衛隊における銃の管理というものは――あたり前ながら――とんでもなく厳重なものであり、訓練をするにも「安全のため」に不効率的な工程に甘んじている現状がある。 そういった「これはとんでもないことなんですよ」という描写が、元自衛官である作者ならではの説得力と迫力をもって描かれていく。 「三月十四日。日曜日。南の島は、着てきた上着もうっとうしいと思えるほど、うららかで実にのどかだった。 とても「小銃の紛失」という、世界の常識がひっくりかえっても表沙汰にすることのできない失態をおかした基地があるとは思えないほどに」――本作は、殺人事件が起きても大して騒ぎもせず、たんたんと犯人探しを始めるような伝統的な「探偵小説」とは一線を画している。 ちょっとした推理小説のちょっとした連続殺人事件なんかよりも、本作の小銃消失事件のほうがよっぽど一大事に感じられるのだからさすがである。 『UNKNOWN』『未完成』を読むと、現在、自衛隊の置かれている状況というものが生々しく垣間見えるような気がする。 彼らが国の自衛のための組織であり、その敵が「漠然とした――あるいは暗黙の了解のうちにある――敵国」であることは言うに及ばないだろう。 しかし、彼らの「敵」がそれだけではないことを、自衛官時代の作者は実感として感じていたに違いない。 『UNKNOWN』においては、自分たちが守るべき「国民」すらもが、自分たちの存在を「よくは思っていない」という寂寞、苦悩が犯行の一因として描かれていた。 「敵」から守るべき対象から疎まれ、「敵」視されるという矛盾。 そこには、内部化された第二の「敵意」があった。 ――そして本作で描き出されるのは、自分たちが所属する「自衛隊という組織そのもの」が、時として「敵」にもなりうるという矛盾である。 「彼は、「組織」を知っていた。 トラブルが発生しないと末端の現状を知り得ない組織を。いや、知っていても腰を上げない組織を」「上の連中は、現場のことがわからんのです。見ようともしないのです」 ――これは今勝手に私が考えた言葉だけれども、様々なシチュエーションでよく聞くセリフだと思う。 (特に『機動戦士ガンダム』における同様の発言は有名だろう) ピラミッド型組織における下位上達の難しさは、自衛隊に限ったことではない。 しかし――、 彼らが守っているのは「国」なのである。 仕事に取り組む「意識」の高低差というものは数値に変換できるものでもないだろうが、自衛官にそれの低いものがいるわけもない。 「犯行動機」から――人間の感情から――犯人に迫る朝香ニ尉の推理は、今回もあっぱれである。 ――古処誠二の小説は、本質的な意味ではフーダニットなのだと私は思う。 本作には、小銃消失事件とは別に、もう一つの結末が用意されている。 そこで描かれるのは、「旧日本軍」という「自衛隊」よりも古く、巨大な組織の「敵意」である。 この「敵意」の本質を追って、作者は「二次大戦末期」への旅路に出た――そう考えるのは、些か安易に過ぎるだろうか。 自衛隊などと聞くと二の足を踏む人も多いと思うが、本作の描くのは大きな意味での「組織論」である。 それは(前作『フラグメント』がそうであったように)学校にも、また企業にも汎用できる問題であるように思う。 もっと多くの人に読んでもらうためにも、朝香・野上シリーズの文庫化を切に願っている。 |
古処誠二の「寂寞」
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新潮文庫版である本作『フラグメント』(破片、断片の意)は、講談社ノベルスとして発売された『少年たちの密室』を改題したものである。 どういった経緯で改題されたのかはわからないが、本作を紐解くキーワードは間違いなく「密室」という言葉であろう。 前作『UNKNOWN』には「筆者のことば」として、 「舞台は自衛隊の基地――閉ざされているのは、無論、物理的な意味だけではありません」 と書かれていた。 ――これほど古処作品を言い表している言葉はないのではないだろうか。 自衛隊を舞台にした朝香・野上シリーズを二作(『UNKNOWN』『未完成』)、そして、本作『フラグメント』を著したのち、古処誠二は「第二次世界大戦末期」を扱った戦争小説に傾倒していく。 『ルール』『分岐点』『接近』『七月七日』『遮断』…… 最近2作は直木賞候補にも挙がっており、その評価は高い。 この「驚くべき転進」に対して、戸惑いの声も多く聞かれるが、その「核」となるテーマはデビュー作から最新作まで終始一貫しているように、私には思える。 本作『フラグメント』では、同級生の葬儀へと向う6人の高校生と担任教師が、突然の東海大地震によって地下駐車場に閉じ込められてしまう。 暗闇の密室。 「意図された」ようにしか思えないメンバー。 弔いに行くはずだった同級生の奇妙な死をめぐって、7人の間に不協和音が生じる。 ――やがて発生する、「物理的な」密室事件。 暗闇の中で、瓦礫で頭を割られた少年の死体が見つかる。 これは事故なのだろうか、それとも……。 いや、ではどうやって殺したというのだろう?そして、誰が?何のために? 物語は、この、のちに「東和マンション地下駐車場事件」と呼ばれるようになる事件後から過去を回想する、といったスタイルで進行していく。 真の意味でこの「密室」事件の犯人を突き止めるには、「物理的な」密室だけではなく、「その後」に待ち構える「組織的、制度的」とも呼べるもう一つの「密室」をも暴かなければいけない。 その構成からもわかるとおり、本作の「核」は、「物理的な」密室事件ではなく、「その後」に暴かれる真相――黒幕を見破ることにある。 「組織的、制度的、伝統的」に閉ざされた密室を暴くこと、その問題点を浮き彫りにすること――。 これこそが、本作の「核」であり、古処誠二作品に通底する主題に他ならないのだと私は思う。 「いじめを受けている子供の両親が、それを学校に直接訴えたところで、まずまともに聞いてはもらえない。そうだな?」 「そのとおりだ」 悲しいがそれが現実だった。学校にとっては、いじめが表面化することは不名誉でしかない。被害者には泣き寝入りしてもらいたい。それが本音だった。どうせ、うるさいのは卒業するまでのことだからと適当にあしらう。 訴えを受けた学校が、やたらと強面の教師に対応させることが多いのもだからだった。そして、逆に親を叱ることもする。そのときに使われる「いじめられる方にも問題がある」という言葉は、早く転校しろという意味ととらえてほぼ間違いない」本書のテーマの一つは、「いじめ問題」である。 あるいは、これは様々なところで書きつくされてきたテーマなのかもしれない。 しかし本作の根底にあるのは、「いじめ」そのものの問題点ではなく、それを対処する「学校」という組織の「密室的」な――くだらない保身、くだらない伝統、くだらないプライド、くだらない欲望――在り方への警鐘であろう。 そして、その「保守化した組織の問題点」を眼前に突きつけていく作品スタイルは、戦争小説へと至った後でも変わることはない。 「優は、見える校舎の姿に、地下駐車場に籠もっていた空気を嗅いだ気がした。自分があのとき感じた、「外からは見られない」ことで勇気を得てしまう空気だった。 それは檻の臭いがした。古処作品を読んでいると、筆者は一体、自衛官時代をどのように過ごしたのだろうと思わずにいられない。 彼が自衛官時代に嗅いだ「臭い」とは、果たしてどのようなものだったのだろうか? 古処誠二の抱える寂寞は深い――。 本作もまたメッセージ性とエンタメ性が見事に融合した傑作中の傑作であった。 |
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遠州灘に面した航空自衛隊のレーダー監視基地で、盗聴器が発見される。 仕掛けられていたのは、基地の最高指揮官以外進入不可能なはずの隊長室だった。 電話機の裏蓋のネジを外し、慎重に開けてみると、そこには、どう見ても余分な部品が取り付けられていた。野球場でサッカーのユニフォームを着ている選手を見つけたような滑稽さがあった。 だが、笑えなかった。 背中を冷たい汗が駆け下りる。 親指くらいの大きさの黒い物体――電話機本来の配線から明らかに浮いている存在――それに触れてみたとき、大山はダニをつまんだような不快感に包まれた。 むきだして光を反射している銅線に、その「ダニ」は、ワニクリップで付着していた。 何を吸い上げているのか、それは考えるまでもない。 国防における「血」だ。果たして犯人は、他国のスパイなのか、それとも内部にいるのか――。 防衛部調査班から派遣されてきた防諜のエキスパート・朝香ニ尉と、そのサポートを命じられた基地勤務の野上三曹が真相を追う。 題名にもなっている「UNKNOWN(アンノン)」とは、対空監視レーダーに映った「識別不明機」のこと。 アンノンが発見されると、基地にはマイク放送が入り、緊急体制が敷かれる。 とはいえ、大抵は「味方機の誤認」という結果に終わる。 しかし、どこの国ともわからない航空機が、領空内に入ろうとしている「かもしれない」。 そして、その機は武器を搭載している「かもしれない」。 ――「今のご時世でそんなことはあり得ないと決めつけている」ような自衛官は、「税金泥棒」だと、野上三曹は断じる。 恐らく、「一般の人」の中には、本書の内容を些か「大袈裟」に感じる人も多いのではないかと思う。 (ここでいう「一般の人」とは、「自衛官ではない人」たちのことである。 それを「一般」と呼ぶことには抵抗もあるが、筆者の三作目『未完成』の中には 「自衛官自身も、自衛隊に勤めるということが一般的でないことは重々承知している」 という表現もあることだし、ここは一つ許していただきたい) 登場人物たちがすべて自衛官であるため、本書では「自衛隊」的な考え方や思考法が物語の中心になっている。 例えば「有事への危機感」や「上官の絶対性」といったものは――もちろん誰にだってあるものだとは思うが――やはり、ある種、自衛隊独特の――極端に言ってしまえば、“軍人”的な――ものだと言えるだろう。 ――この「自衛隊」的な考え方が、やはり「一般の人」とは違い、やや「大袈裟」に感じられる部分もあるのである。 そして作者自身、自衛官の思考回路が「『一般の人』とは違う」ことに、とても意識的である。 なぜなら、作者はその「自衛官」と「一般の人」の意識の差を逆手に取り、トリックを仕掛けているからである。 トリックを暴くには、「私たち」は「私たちの常識」を捨て、思考様式を「自衛官の“それ”」にしなければいけない。 ――そうしなければ、本作の謎に「本質的」に近づくことはできない。 それは、その多くが「一般の人」である読者にとって、「自衛官の考え方」というものが「アンノン」であることに、作者自身が意識的であったことの証左ではないだろうか。 この「意識の差」は、「有事」や「国防」への意識の差としても如実に表れる。 対空侵攻から始まる近代戦におけるレーダー基地の重要性とは、決して低いものではない。 むしろ最も力を入れるべき施設の一つである。 しかし本書の中には、レーダー基地をなくして、その一帯を観光地化しようという話まででてくる――恐らく、実話に基づく描写なのではないだろうか。 私だって、家の近くに自衛隊の基地があったら「なんだか嫌だなぁ」と思うに違いない。 作者に「本書を書かせた」テーマというものは、この「現実」にこそ秘められているのだと私は思う。 「一般の人」と「自衛官」の意識の間には、「大きな隔たり」がある――少なくとも、作者は現役当時、「それ」を感じていたのだろう。 そして、「自衛官」たちはその「現実」に対して煩悶している――少なくとも、作者はしていたのではないだろうか。 野上三曹は、「自衛隊の置かれている立場」を「穴掘り」という拷問刑に喩える。 この刑では、囚人にまず、人が入るくらいの穴を掘らせる。 そして、それが完成したら、今度は埋めさせる。 埋め終わると、今度はまた掘らせる。 「掘っては埋め、埋めては掘る――同じ作業を繰り返させる」のである。 数日もすると囚人は発狂するという。 ――「人間は無意味な労働というものには耐えられない」 自衛官時代の彼に「何が」あったのかはわからない ――あるいは、「何もなかった」ゆえのことなのかもしれないが、それすらも推測に過ぎない。 しかし、自衛官を辞めたときから作者には「書くべきテーマ」というものが確固として存在したのだと思う。 本書を読んでいると、それがヒシヒシと伝わってくる。
読後に感じる、この寂寞と焦燥は何なのだろう――。 あるいは、本書は自衛官を描いた「ノンフィクション」なのではないだろうか、とすら思えてくる。 対岸にいる「一般の人」と「自衛官」の意識の隔絶。感情の交錯。見ている現実の差。 エンタメ性とメッセージ性が高度に融合した傑作である。 |
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作者の古処誠二さんは、高校を卒業した後、紆余曲折を経て航空自衛隊に入隊した。 それまで氏には、一切本を読む習慣がなかったそうだ。 「自衛隊で指導用の資料を作ることになり、古処は参考文献を求めて書店に出入りするようになった。(中略)そうしているうちに出会ったのが新潮文庫の宮部みゆき『かまいたち』だった。古処はこれで一気に小説のおもしろさに目覚め、宮部の著書を読破した。そして驚いたことにすぐさま自分でも創作を開始するのである。直後に自衛隊を辞め、一年の間に十篇の短篇を書き上げた」宮部みゆきのファンサイトでメフィスト賞の存在を知り、のちにデビュー作となる『UNKOWN』を応募。 書籍化される時にはすでに二作目となる『少年たちの密室』の初稿を書き上げ、三作目『未完成』のプロットも出来上がっていたというのだから恐れ入る。 講談社ノベルスとして三作の「ミステリーもの」を上梓した後、氏の作風は少しずつ、しかし、確実に変化の兆しを見せ始める。 第二次大戦末期のフィリピンを舞台にした四作目『ルール』(集英社)を皮切りに、本土が舞台の『分岐点』(双葉社)、沖縄を描いた『接近』(新潮社)、サイパンを舞台とした『七月七日』(集英社)、そして本作『遮断』(新潮社)と、「戦争小説」を立て続けに発表するのである。 デビュー当時の作風への回帰を望む声も多いようだが、それでも作者は今後も「この道」を突き進むに違いない。 末期癌を宣告された老人に手紙が届けられるところから物語は始まる。 「孤独を通し」て生きてきた老人は、自分の最期が近いことを悲観するでもなく、ひとり納得し、死期を待つ。 「開けてみた封筒からは、昭和二十年の五月末に降った雨のにおいがした」やがて老人は、過去を――「あの日の沖縄」を回想し始める。その合間に手紙の一文が挿入されるという構成になっている。 1945年5月。第二次世界大戦末期。沖縄。 逃亡兵となった若き日の老人――真市は、置き去りにしてきた赤ん坊を助けにいくという幼馴染の普久原チヨを伴い、戦火の中を故郷の村へ向け北上することになる。 逃亡兵を匿っていた者は処刑される。 子供を失い錯乱する母親は、戦時において邪魔。 ――真市とチヨは体よく、隣保班の壕から追い出されたのである。 「犠牲を恐れていてはさらに犠牲が出る。生きているだけで罪なのだ」「泣く子は壕の位置を教える」 ――赤子が生きているはずがない。 それでも、真市たちは命をかけて北上していく。 途中、二人は、片腕を失い、片足を骨折した本土兵である少尉に出会い、(半強制的に)行動を共にするようになる。 ――この少尉の存在感が、この小説のすべてだと言ってもいい。 ここから物語は、急速に動き出していく。 「沖縄の現地人」であり、逃亡兵である真市と、「本土から来た軍人」である少尉。 立場の違い、考え方の違い、生き方の違い……まず、ここに一つ目の二項対立がある。 「沖縄に来たのが間違いだった。こんな馬鹿な連中の島を守るために命を張っていたとはな」 「そんなつもりなんかないくせに」 「お前らは死ぬまで理解できないだろう。愚民は結果を見て文句垂れるだけだ」 「結果がすべてです」 「百姓風情が分かったような口を利くな。お前らは食い物の増産しか能がない」 「肉攻に追い込んでおいて」 ――と同時に、二人は「日本兵」として「米軍」と敵対しており、ここに二つ目の二項対立が見られる。 お互いに相反しながらも、利害のために、そして何よりお互いの「目的」のために協力し合う、奇妙な三人の命がけの北上が、静的な戦争描写とともに描かれていく。 如何にして真市は逃亡兵となったのか? なぜチヨは赤子とはぐれてしまったのか? どこまでも真市たちに同行する少尉の真意はどこにあるのか? 手紙を書いたのは誰なのか? ――そして何より、なぜ真市は死ぬまで「孤独を通した」のか? 「謎」は少しずつ、「戦争の現実」を紐解くようにして、その真相を明らかにしていく。 ――すべては生きるために。 古処さんは1970年3月10日生まれの36歳。 「戦後」世代である。 本作を含め、若い作家が「戦争小説」を書くことへの反発も少なくない。 それにも関わらず、「現地取材や関係者取材はほとんど行わず、ノンフィクションなどの文献を主に執筆の拠り所」にしているのだという。 ――それは逆に、なんとも「意欲的な取り組み」であるようにすら思える。 いろいろな意味で、今後も「注目の作家」であることは間違いない。 |
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