今日は観劇、明日はライブ
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「PE'Z」REALIVE 2006 秋 〜茜 AKANE〜追加公演〜@渋谷公会堂に行ってきました。 思い起こせば、PE'Zとの出会いは高校3年生のころだったろうか。 休日に昼頃のろのろと起きだし、CSの音楽番組をつけながらブランチとでもしゃれ込もうとした瞬間、映し出されたのが彼らのメジャーデビュー曲「Akatsuki」のPV。 一瞬で鷲づかみにされた。 圧倒的だった。 それまで音楽に関しては、どちらかといえば淡白な興味しかなかったのだけど、初めて「すげえ」と思わされてしまった。 PE'Zとは、トランペット、テナーサックス、ウッドベース、キーボード、ドラムで構成される五人組のインストジャズバンド。 現在、期間限定でPVを視聴できるサイトもあるので、興味のある方はどうぞ。 特に一押しは、椎名林檎率いる「東京事変」初期メンバーでもあったキーボードのヒイズミさん!! 超絶テクと爆笑パフォーマンスは一見の価値ありであります。 とにかく、そんな彼らのライブ、盛り上がらないわけがない。 席は二階の舞台向って左側、前から4列目。 ズミさんの猫背気味の背中を真ん前に捉える良席でした。 『用心棒』で幕を開けたライブは、カバーアルバム『日本のジャズ』を中心にした序盤からして一気に客を引き込んでいく。 人はなぜ、CDでも音楽を聞けるのに、高い金を払ってライブに行くのだろう? ――この問いへの答えが、PE'Zのライブには詰まっていたように思う。 もう「聴く」とか「観る」を超越した「感じる」という極地。 『日本のジャズ』の中でも好きな『鈴懸の径』、『どんたく』にうっとり。 ズミさんのピアノソロで始まった『Amny』で、彼の神レベルの指さばきを堪能。 『のだめカンタービレ』のだめを再現できるのは、ズミさんだけです!! 『ハリヨの夏』のしっとりとした引きもよかったなぁ。 後半にいくにしたがってピョンピョンしながら弾く度合いがどんどん上がっていき、仕舞いにはイスの上に寝っころがり、ほぼ盤面など見なくなって、それでも弾き続ける姿は、私の目には神々しいまでに見えました。 ああ、ズミさん最高です。 音楽に詳しくないので、技術的なことはわからないのですが、とにかく「元気のもらえるライブ」であることは間違いない。 本気でここ最近の悩みが吹き飛んだように思う――ぐじぐじしてても仕方ないですしね。ヘイヘイ。 『情熱の行方』メドレーでは、「自分たちの情熱の行方」を模索しながら曲を作っていったという大山さんのMCによって、ぐっと曲のイメージが広がったように思う。 そこまで贔屓の曲ではなかったのだけど、自分の中で再評価。 『さらば愛しきストレンジャー』、『Hale no sola sita』、『I'M A SLUGGER』と浴びせ倒しての、『夢のエンアレ』での締めは思わず鳥肌が立つほどのパフォーマンス。 こんなに満足した4200円は初めてかも。 ああ、そういえば『みずいろの雨』もよかったなぁ。 個人的に一番好きな『アンダルシア』をやらなかったのだけが残念といえば残念。 実は、これでPE'Zのライブは2回目なのだけど、やっぱりライブに行くとガツンと頭を打たれるものがある。 ああ、次のライブはいつかなと思っていたら、来る12月25日(月)、クリスマスにスペシャルライブが決定しているそうです!! そこでは新曲発表があり(激アツだ)、来場者には漏れなく記念Tシャツがプレゼントされるのだとか。 しかも、「カップルで来た人にはサインを上げる」と大山さんが高らかに宣言したため会場は騒然。 めちゃくちゃ行きたい!! こいつは並んでチケ取りですな!!(戦場に行くかのような面持ちで) |
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『下妻物語』『嫌われ松子の一生』など中島哲也監督作品でおなじみの江本純子作・演出、毛皮族公演に行ってきた。 毛皮族のアングラ経験劇場『コーヒー&シガレッツ的な軽演劇』と銘打たれた今回の公演には、A〜Eまでの5つのプログラムがあり、演目が日変わりになっている。 一本あたり50~70分の「軽演劇」であり、料金も前売り1800円、当日2000円と比較的安くなっているのが特徴的だ。 5つの演目は、 A『元始、女は太陽だったような』
と、それぞれどこかで聞いたことのあるようなタイトルをしており、そのイメージが喚起するように、内容もまったく異なっているようで。B『からす食堂〜二丁目の夕日〜』 C『ゴドーを待ちわびた私』 D『OSOBA』 あまけ演目E『純子の黒い部屋』(江本純子による歌謡リサイタル。猥談付) 例えば、Aは「松本清張度」の高い「渾身の本格ヒステリー」になっているらしい。 (といわれても、どんなやねん、といった感じではあるが) 私が観に行ったのは、13日(土)昼のC演目。パンフレットにおいて「アングラ度」★5つ(マックス値!!)の称号を与えられた、アングラ中のアングラ、アングラにもほどがあるわ!!な演目であった。全身真っ白な不精な姫・白過姫(町田マリー)を嫁にするため、全身真っ黒な盗賊・黒柳(江本純子)は、「山の雪はあなたよりも白い」といって、自分の家まで姫を連れてくることに成功。 ここらへんのやり取りは、正直「すべってる」のか「(むしろ、それを)狙っている」のか判別のつけ難い、微妙な空気だった。 静かに話は流れていく。 その後も、黒柳の醜い前妻や、盗んできた都の年増女などが入り乱れ、あ〜だこ〜だと物語は進み、なんとまあ、驚くことに気付けば盗賊の家はエステに早変わり(!!)。 「どうみてもさっきの黒いやつだろ」と突っ込みたくなるエステティシャンが出てきて、びっくりするほどのやりたい放題――具体的に書きたいけど、ネタバレになるのでさすがに書けない。その、あまりの「やりたい放題」っぷりは、思わず出演者自身も笑い出してしまうほど。今、思い出してみても……凄かったなぁ――をやったあと、なんとなくな雰囲気で舞台が閉じるという衝撃の展開。 アングラというか、シュールの極地のような演目であった。私は、エステのくだりがツボに入り、ラストは笑い通し。しかも、肝心なところで江本さん扮するエステティシャンが、セリフの「黒」と「白」を間違え、自分もそれに気付いて「ああ、失礼」と苦笑い、みたいな、「ただでさえシュールな脚本が、なおいっそう混迷の色合いを強める」舞台ならではのハプニングもあり、それまた個人的にツボ。 本当は起きてはいけないことなのだろうけど、「面白ければいいじゃない」の精神である。 終演後の江本さんのトークによると、演目ごとに客層がはっきりと違ってくるそうで、 C演目は「おっさんの比率が高い」らしい。これがA演目になると「毛皮族初心者っぽい人が多い」のだとか。「まあ、わかりませんけどね(笑)なんとなく」とは言っていましたが(笑) 江本さんが話している横で、旅行トランクにグッズを入れた物販がスタート。 江本さんのサイン入り本(『股間』……凄いタイトルだ。。)を買って、会場を後にした。 立教大の演劇サークル出身である、江本純子と町田マリーを中心に2000年9月に結成した毛皮族。 下北は本多劇場で公演をするまでの人気劇団が、「ここまで」小さな会場で公演をするというのも異例なのかもしれない。 なんといっても、各回限定50名。 出版社としてもお馴染みのリトルモアの地下、普通の事務所に無理やり舞台を作ったかのようなその場所に、座布団を敷いてうんしょと腰を下ろし観るカタチである。 まあ、隣の人とギチギチですよね、えぇ。 |
「ただどうしても私はいつもいろんなことを見失いがちというか、特に自分。自分のためならなんでもやってしまうのだ。これは本当、我ながらすごいタチが悪い。でもたとえばそのために他人をおとしいれたりすることが誰かに「あんた最悪―」とか言われたりしても、やっぱり私は「うるせー。自分がかわいくて何が悪いんだ」とか言い返しちゃう気もするし、まあさすがにそこまでは言わなかったとしても、たぶん私は私が最悪な人間だとは思わない。だって私は自分がめちゃくちゃかわいいってだけだし。自分大好き。私は私のことが好きすぎて、それでたまに他人を傷つけちゃうこともなくはないってだけなのだ」本谷作品は初観劇なので、行く前に本谷さんの“妄想日記”と主演の松永玲子さんの稽古場日誌を読んでみる。 演出側と演じる側の感想が忌憚なく語られていて本当に面白い。 これから観に行くという人も、もう観たという人も、というかこの際、本谷有希子に興味のあるすべての人は一回読んでみて損はないと思う。 冒頭の一人語りは、『遭難、』のパンフレットに書かれている、主人公の独白ともとれる文章。 私は、本谷演劇は前述のように初観劇だし、小説も『生きてるだけで、愛』と雑誌『hon・nin』(太田出版)で連載中の『改めて!ほんたにちゃん』しか読んだことがない。 この『改めて!ほんたにちゃん』は、本谷有希子が「19歳のときに生まれて初めて書いた小説『ほんたにちゃん』をなるべく当時の勢いをそのままに読みやすく改稿した」ものであり、「処女作には、その作者のすべてがつまっている」という格言の通り、すでにこの小説には『遭難、』と共通するテーマの萌芽がすでに見受けられる。 なんたって、『改めて!ほんたにちゃん』の冒頭は、こんな感じなのである。 クールぶって、かっこつけて、不思議ちゃんを演出しようとして、でも誰にも相手にされず、ただの勘違いちゃんになってしまっている「ほんたにちゃん」。 誰かに構ってもらいたいし、一人でいるのなんて本当は好きじゃない。なのに、自分からは人との距離を縮められず、誰かが来るのを待っていて、でも黙ってクールぶってかっこつけていて誰かが近づいてくる――好意を持ってくれる――わけもなく、結局ただただ自分が好きってことだけで世界が閉じてしまう。 自分だけの世界で、自分だけを愛して、それで終わっちゃう。 「ほんたにちゃん」の語りは、あまりにも『遭難、』のパンフレットの一人語りに似ている。 そんなわけで、私は本谷有希子作品の通底にあるテーマは、 ってことなんじゃないかと思っている。 「肥大した自意識」とか「過剰な自尊心」とか。 「ほんたにちゃん」はぽつりつぶやく。 誰もが知っている通り、「自分大好き」っていうのは――自分しか「見えない」っていうのは、本当に生きづらいものなのだ。 ――この「大好き」はあまりにも哀しい諦観の上に築かれている。 (とりあえず、他の小説も読んでみます) 飛び降り自殺を図り、意識不明になった生徒。 その母親は、毎日学校に来て担任教師を責めたてる。 「息子の書いた相談の手紙をお前はもらっていたはずだ」 知らない、と担任の女教師は言う。 「隠蔽する気か」 と、母親は声を荒げる。 ついに泣き出した女教師をかばう同僚。 しかし、その同僚こそがある秘密を隠していた…… シリアスな展開にも関わらず、ブラックな笑いが随所にちりばめられていて2時間を飽きさせない。 ギャグが、あまりにも場違いでシリアスな中に投げ込まれるため、笑いのツボもお客さんによってまちまち、「あ、ここで笑う人もいるんだ」と意外に思うことも多かった。 本谷曰く「松永のキャラクターで引っ張っていく」作品。 出演者はたったの5人で、その全員が役にはまっていて、特に松永さんとつぐみさんには圧倒されるばかり。 正直、ハマリそうです。 来年の6月に次回公演が予定されているらしく、早くも楽しみである。 異常時に人間の本性がむき出しになるのは、誰もが「自分大好き」――「自分が一番」なのに、それを隠して生きているからだろう。 別にそれを否定しているわけではなくて、そもそもそんなことは誰もが知っていることなのだ。 汚くたって、むなくそ悪くたって、歪んでたって、いいじゃない人間だもの。 じゃないけれど、『遭難、』にはどこか、そんな人間の否定的な部分を肯定しようという――あるいは、受け入れようという、ある種のやさしさがあるように思えた。 最後に二つだけ。 ・果たして、電話の向こうに「先生」はいたのか? ・果たして、里見は「あのシーン」で何と言ったのか? |




