かの有名な『ガリヴァー旅行記』の作者ジョナサン・スウィフトは、通常「イギリス人作家」に分類されるが、これは正確ではない。
彼は、「アイルランド人」なのである。
イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドによって構成されるイギリスは、古くからアイルランドを迫害してきた。
スウィフトの生きた18世紀当時からイギリスの経済制裁はアイルランド民衆を苦しめ、彼はその恨みつらみを『ガリヴァー旅行記』に寓話として書き出したのである。
第一部ではイギリス国教会とカトリック教徒の争いを、『天空の城ラピュタ』の原案にもなった第三部ではもろにイギリスとアイルランドの関係を象徴させている。
中でも、同じ半島上にある北アイルランドとアイルランドには、現在でもなお、その微妙な関係が顕著に表れている。
それが北アイルランド問題である。
宗教上の違いもあって、その根は深い。
無知なる私は、詳しくこの「問題」について知らなかったのだが、読んでいくうちに飲み込めるようになっていった。
最近では、おすぎのテレビCMが流れ、カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作でもあるケン・ローチ監督の映画『麦の穂をゆらす風』が20世紀初頭のアイルランド独立戦争をモチーフにしている。
本作と時代設定や舞台は違うが、その「根」となる問題は同様である。
南北統一を目指す「北」の武装勢力NCF(新世紀のフィニアン団)の副議長が、「南」の都市スライゴーの宿で何者かに殺される。
副議長は、その数日後に開かれる集会で――公衆の面前で――「自然死に見せかけて、殺し屋が殺す」手はずになっていた。
彼は味方であるNCFに、すでに「見切り」をつけられていたのである。
しかし、副議長は宿で、明らかに殺人とわかる姿で、死体となって発見された。
誰が殺した――。
殺し屋か。それとも、別の誰かか?
宿にいたのは8人の客と、2人の従業員。
犯人はこの中にいる。
NCFは架空の組織で、現実のアイルランド武装勢力としてはIRA(アイルランド共和国軍)が有名。
さすがに「ど真ん中」をつくのは憚られたのかもしれない。
というのも、石持氏の特徴である「精神的な密室」は、この「北アイルランド問題」という政治的、宗教的、歴史的対立問題が登場人物たちを「縛っている」からこそ成り立っているからである。
これだけの「深い根」を持つ問題を、ある種の「道具」として扱うことは、ともすれば無謀な賭けだともいえ、架空の組織を作り上げたのは英断かもしれない。
どのみち作者の力量なしで作品に仕立て上げることは不可能であろう。
「密室」と聞くと、死体のある閉ざされた部屋の中にその部屋の鍵があり、殺人犯は脱出不可能、こいつは密室だ、といった「物理的」なものを想像しがちだが、石持氏は、むしろそれとは間逆の「精神的」な密室を作り上げる。
社会的な立場、お互いの人間関係、力関係、常識という壁……
私たちを「縛る」暗黙的な「社会性」が、そこから「出ること」を許さないという「精神的密室」を構築し、その中で登場人物たちはお互いに推理を述べ合う。
この「閉ざされた」設定の妙に、長篇デビュー作ながら作者特有のロジックがしっかりと垣間見え、「ああ、自分は石持作品を読んでいるのだ」という気持ちにさせてくれる。
中盤では、「密室」の中で登場人物たちはほとんど「動かず」、推理を述べ合うため、退屈だと感じる人もいると思う。
が、嵌るとなかなかどうして病みつきになる作家なのである。
北アイルランド問題がテーマなどと聞き、尻込んで読み始めたが、難しいことはまったくなく、すんなりと状況を理解でき、かつ、勉強にもなった。
対人地雷をテーマにした『顔のない敵』でもそうだったが、大きな政治的テーマを噛み砕き、咀嚼し、わかりやすく提示しつつエンタメ作品におとす手腕はさすがの一言。
「閉ざされた舞台設定」を構築する、特異的な「得意技」をもった作者である。
こういった「個性派」の存在は貴重であろう。
次を読むのが楽しみだ。
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