モグラのあくび

シンプルでシャープに。そんな感じに

石持浅海の「密室」

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]

イメージ 1

「聡美は大きく息をついた。まったくなんて奴だ。聡美は改めて座間味くんの顔を見た。この男はハイジャック事件に巻き込まれたうえに、血まみれの死体を見せられた。そのあげくにハイジャック犯に事件解決を命令された。そんな状況下で、それを逆手にとって、彼はハイジャック事件そのものを解決しようとしている。真壁はひょっとしたら、とんでもない男を引き込んでしまったのかもしれない」

沖縄・那覇空港で旅客機がハイジャックされる。
犯行グループは3人。
子供を人質にして立てこもっている。
「要求はただひとつ。現在沖縄県警が逮捕、留置している石嶺孝志氏を、本日午後十時までに那覇空港の滑走路まで連れてくること。これだけだ。
ただし、ふたつの条件を付け加えておく。
ひとつめは、要求は石嶺氏を「連れてくる」ことであって、別に「釈放する」必要はないことだ。
ふたつめは、午後十時という期限を厳守することだ。いかなる理由があろうとも、遅延は認められない。だから引き延ばし工作や、交渉にはいっさい応じない。あなた方は「了解」という回答しか持ち得ない」
犯人たちは石嶺を「師匠」と呼ぶ。

要求はあくまでもその「師匠」を「連れてくる」ことであり、時間は「厳守」されなければならない。
果たして、犯人たちの目的は何なのか?
「師匠」の秘密とともに、その謎が明らかになっていく。


しかし、本作の構造はそれだけでは終わらない。
なんと、緊迫した状況下で、ハイジャック犯たちですら予想だにしなかった、密室殺人事件が起きるのである。
殺したのは誰――?
ハイジャックとの関連は――?

ハイジャックという「第一の事件」に、密室殺人という「第二の事件」が内包される、本来、交わることのない二つの同時発生。

事態は急変、ハイジャック犯も唖然、混沌とする機内、刻々と「師匠」を「連れてくる」時間が迫る。
読む手の止まらない極限の状況設定が素晴らしい。


本作は第57回日本推理作家協会賞の長篇及び連作短篇部門の候補作である。
そのときの選評には共通点があるらしく、「解説」で杉江松恋が引用している。
「協会賞の選評を見ると、選考委員の過半数が言及している要素がある。「本来ハードボイルドであるハイジャックと本格パズラーである密室殺人とを無理なく同時進行させたのはよほどの力業が必要」(黒川博行)、「ハイジャックと密室と幻想的な結末を組み合わせようとした作品」(直井明)などとあるように、<ハイジャック><密室殺人><幻想譚>の三要素を合体させたという、難度の高い実験に挑戦した点が第一に評価されたというわけです。」
文中にもあるように、本作の謎解きの核には、あるファンタジー的要素が絡んでくる。
……のだが、どうも私にはその点が「合わなかった」。
<ハイジャック>と<密室殺人>の融合は見事の一言であるが、<幻想譚>に関してはつっこみどころがあまりにも多すぎるように感じた。
作者自身もそのことに意識的で、ところどころに「これはこういうものだと考えてもらうしかない」式のアナウンスがあるのだが、逆にそれが「逃げ」の姿勢に見え、ますます印象が悪い。

また、「師匠」石嶺氏のカリスマ性が、まったく伝わってこなかったのも辛い。
彼のカリスマ性はあくまでも“記号”であり、「それはそういうものなのだ」と理解するしかないのだが、作品の核となる部分なだけにもう少し具体的な描写があってもよかったかなと思う。


石持浅海は、「挑戦」する作家である。

「自分が作品を書く場合、本格ミステリーの定番の一つの要素をひっくり返してみるということをよくやるんです」

と『このミス07年版』のインタビューで語るように、石持浅海は「異色のテーマ」、「形式の脱構築」を模索しながら、意欲的な作品を提示し続けている作家であるように思う。

正直、どの作品にも「これはどうなの?」と思う瑕疵があるのだけれど、それを補って余りある独創性が石持の「味」なのであろう。
――細かいことなんか気にせず、彼の「挑戦」を楽しむ。
それが石持作品の一番の楽しみ方なのかもしれない。


イメージ 1

「ポセイドンはエラトス王の娘カイニスと交わった際、何でも望みをかなえてやると約束した。カイニスは男になることを望んだ。
願いは聞き届けられた。」
(ギリシャ神話より)

石持浅海が「冒険」する作家だということは知っているつもりである。

短篇デビュー作のテーマに「対人地雷」を選び、長篇デビュー作では「アイルランド問題」を扱った。
難しい題材を選び、それを「推理パズル」として構築する手腕は、氏ならではのもの。
中でも本作は、帯コピーにもあるように、まさに「新境地」――氏にとっても大きな「冒険」だったのではないかと思わせる、まことに奇妙な物語である。


「BG」とは何か?

題名を見て、まず抱く疑問。
この問いへの答えは、わりと早い段階で提示される。
「BG? ああ、スーパーマンのこと? 男の中でも、特に優秀な」
しかし、その説明は事実を含んではいるものの、正確な答えではない。

本作には独特の世界観がある。

これは、「女性が男性化する世界」の物語。

「優秀な女性」が「男性」になる世界の物語。
この世界では「男性は生まれてこない」。
男性には「成る」ことしかできない。
人類はすべて女性として生まれ、4人に1人が途中で男性化するのだ、と、
――そう、「オトナ」たちは言う。
――そう、みんな思っている。

しかし、ある事件をきっかけにして、この世界の「秘密」は暴かれ始める。
「BG」とは何か?
その「正確」な意味での答えを知った時、謎は明らかとなる。


ときに推理小説は、「“人間”を描けていない」と揶揄されることがある。
「“人間”をトリックのための“道具”として扱い、まるで“パズル”のピースのように人間を扱っている」といわれることがある。

もちろん、そういった類の断言は短絡的に過ぎるだろう。
しかし、ある種の小説が、そう言われても仕方のない扱いを登場人物に強いていることも否定できない事実だと思う。

石持作品を読んでいると、「“人間”の描き方が雑」だと思うときがある。

どこか「パズル」的で、言動に違和感があるのだ。
本作では、その傾向が強かったように思う。

特殊な世界観の構築。
そこに生きる人々と、その考え方。
設定は面白いのだが、それとは別の、もっと根本的な部分で、登場人物たちは「人間らしさ」を失ってしまう。
物語を進めるためとしか思えない言動で、強引に「先」に行ってしまう。
別に、「人が死んだら悲しめよ」などと言っているわけではない。
ただ、こういった場面でこうは言わないだろう――動かないだろうと、思う場面が多いように思えるのだった。


石持浅海は、「冒険」する作家である。

と同時に、「パズル」的な作家でもあると思う。


それは、登場人物たちが「事件をめぐって延々と話し合う――推理し合う」という独特の作風の中で、その会話があまりにもロジカルに展開されることでも顕著だ。
そのロジックは時として「感情」を失ってしまう。
ある種の状況におかれた人間ならば、そうは「言わない/言えない」のではないか、という斟酌を欠いてしまう。
フィクションなんだし、そんなこと気にすんなよ、といわれればそれまでだが、読んでいて残念といえば残念。
石持作品が好きゆえの苦言である。


イメージ 1

かの有名な『ガリヴァー旅行記』の作者ジョナサン・スウィフトは、通常「イギリス人作家」に分類されるが、これは正確ではない。

彼は、「アイルランド人」なのである。

イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドによって構成されるイギリスは、古くからアイルランドを迫害してきた。
スウィフトの生きた18世紀当時からイギリスの経済制裁はアイルランド民衆を苦しめ、彼はその恨みつらみを『ガリヴァー旅行記』に寓話として書き出したのである。
第一部ではイギリス国教会とカトリック教徒の争いを、『天空の城ラピュタ』の原案にもなった第三部ではもろにイギリスとアイルランドの関係を象徴させている。


中でも、同じ半島上にある北アイルランドとアイルランドには、現在でもなお、その微妙な関係が顕著に表れている。
それが北アイルランド問題である。
宗教上の違いもあって、その根は深い。
無知なる私は、詳しくこの「問題」について知らなかったのだが、読んでいくうちに飲み込めるようになっていった。

最近では、おすぎのテレビCMが流れ、カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作でもあるケン・ローチ監督の映画『麦の穂をゆらす風』が20世紀初頭のアイルランド独立戦争をモチーフにしている。
本作と時代設定や舞台は違うが、その「根」となる問題は同様である。


南北統一を目指す「北」の武装勢力NCF(新世紀のフィニアン団)の副議長が、「南」の都市スライゴーの宿で何者かに殺される。
副議長は、その数日後に開かれる集会で――公衆の面前で――「自然死に見せかけて、殺し屋が殺す」手はずになっていた。
彼は味方であるNCFに、すでに「見切り」をつけられていたのである。
しかし、副議長は宿で、明らかに殺人とわかる姿で、死体となって発見された。
誰が殺した――。
殺し屋か。それとも、別の誰かか?

宿にいたのは8人の客と、2人の従業員。

犯人はこの中にいる。


NCFは架空の組織で、現実のアイルランド武装勢力としてはIRA(アイルランド共和国軍)が有名。
さすがに「ど真ん中」をつくのは憚られたのかもしれない。

というのも、石持氏の特徴である「精神的な密室」は、この「北アイルランド問題」という政治的、宗教的、歴史的対立問題が登場人物たちを「縛っている」からこそ成り立っているからである。
これだけの「深い根」を持つ問題を、ある種の「道具」として扱うことは、ともすれば無謀な賭けだともいえ、架空の組織を作り上げたのは英断かもしれない。
どのみち作者の力量なしで作品に仕立て上げることは不可能であろう。

「密室」と聞くと、死体のある閉ざされた部屋の中にその部屋の鍵があり、殺人犯は脱出不可能、こいつは密室だ、といった「物理的」なものを想像しがちだが、石持氏は、むしろそれとは間逆の「精神的」な密室を作り上げる。

社会的な立場、お互いの人間関係、力関係、常識という壁……
私たちを「縛る」暗黙的な「社会性」が、そこから「出ること」を許さないという「精神的密室」を構築し、その中で登場人物たちはお互いに推理を述べ合う。

この「閉ざされた」設定の妙に、長篇デビュー作ながら作者特有のロジックがしっかりと垣間見え、「ああ、自分は石持作品を読んでいるのだ」という気持ちにさせてくれる。
中盤では、「密室」の中で登場人物たちはほとんど「動かず」、推理を述べ合うため、退屈だと感じる人もいると思う。

が、嵌るとなかなかどうして病みつきになる作家なのである。



北アイルランド問題がテーマなどと聞き、尻込んで読み始めたが、難しいことはまったくなく、すんなりと状況を理解でき、かつ、勉強にもなった。
対人地雷をテーマにした『顔のない敵』でもそうだったが、大きな政治的テーマを噛み砕き、咀嚼し、わかりやすく提示しつつエンタメ作品におとす手腕はさすがの一言。

「閉ざされた舞台設定」を構築する、特異的な「得意技」をもった作者である。
こういった「個性派」の存在は貴重であろう。
次を読むのが楽しみだ。


イメージ 1

数字は、時として哀しい。

現在、世界には一億個以上の対人地雷が埋められている。
年に2万8000人以上の人がその犠牲となり――死亡あるいは五体を吹き飛ばされている。
多くは民間人だ。
そして、これはあくまでも確認された数値に過ぎない。

正論もまた、時として哀しい。
対人地雷は、よくないものだ。
世界にはまだ多くの地雷が埋まっている。
それはいち早く取り除かれなければいけない。
新たな悲劇を生まないためにも、そうするべきなのだ。
――しかし、そういくら叫んだところで、

「理想だけでは地雷は消えない」


「この本には、対人地雷に関するさまざまなエピソードが、推理小説の形で書かれています。ここに収録されている物語はすべてフィクションですが、対人地雷の存在はフィクションではありません。どのような言葉を使って表現しようとしても、いくら文字を使って廃絶しようと訴えても、無慈悲なほど冷たい現実として、そこにあるだけです」
「著者のことば」にある。
「それでも、フィクションが地雷に対してできることは、あるいはフィクションでなければできないことは、間違いなくあります。私はその道を選びました」


石持浅海 初の短編集。
本作には、『本格推理』に掲載されたデビュー作となる短篇『暗い箱の中で』と、連作「対人地雷」シリーズ6篇が収められている。
デビュー作は、さすがにアマチュア時代に書いただけあって完成度に疑問は残る(殺人動機や心理描写があまりにも浅い)が、「閉ざされた空間で登場人物たちがひたすら議論する」という著者の特徴がすでに垣間見える作品である。
――「あとがき」の中で、石持さんも「処女作には作家のすべてが現れているというのは、本当のことなのかもしれません」と語っている。


注目すべきは連作「対人地雷」シリーズである。
「他の作品では中心になるロジックやトリックを思いついてからお話の肉付けをしていくのですが、この連作のみ唯一書きたかったテーマを優先させたものになりました。小説を読んで、少しでも対人地雷に関心を持ってもらえる人が増えればいい。一冊の本に、自分の著書が出るということ以上の意義を感じたのは初めてです」
『暗い箱の中で』を書き終えた石持は、二作目のネタを探していた。
目に止まったのは対人地雷に関するドキュメンタリー番組だった。

軽い気持ちで対人地雷について調べ始めた石持は、そこに「ミステリのネタとして使い捨てていいようなテーマではない」事態の深刻さ、問題の大きさを感じ取る。
こうして、「ただのミステリ」としてだけではなく「対人地雷」に興味を持ってもらえるよう苦心し、出来上がったのが『地雷原突破』だった。
連作では、地雷を探す者、地雷を作る者、地雷を発見する装置を作る者、地雷の犠牲者など、様々な角度から対人地雷のエピソードが描かれている。

対人地雷の恐ろしさは、題にもなっているように「顔がない」点である。
そこには、目に見える「敵」も「犯人」もおらず、ただただ無機質な「無休稼動の兵士」と目に見えない「悪意」だけがあり、残された「憎悪」はまた新たな悲劇を生んでいく。
見えなかった「敵」が――「悪意」が可視化されたとき、「憎悪」のやり場はどこに向うのか。
――対人地雷の恐ろしさは、単純に物理的なだけではない、もっと感情的な、いわば「憎悪」の連鎖にこそあるように思えた。


しかし、連作として大きなテーマを抱えてしまった結果、「ミステリ」としても「社会的問題提起」としても中途半端になってしまった点は否めない。
本書に関して言えば、俗に言うような登場人物を「パズルピースのように扱う」本格ミステリ的な在り様と、対人地雷という大きなテーマを「伝えよう」とする社会派ミステリ的な在り様が、両者の「良さ」を潰しあってしまっているように思う。
読んでいて、この「どっちつかず」感が最後まで残った。

とはいえ、もちろんそれは本書の「精神」を少しも貶めるものではない。
石持氏の「思い」は、恐らく多くの人に届くことだろう。

「フィクションでなければできないこと」

数字の孤独は、本書の中で少しだけ癒されたのではないかと思う。


イメージ 1

友人数人とペンションに泊まる。
夕食前に「ちょっと眠る」と自分の部屋に帰っていった友人がなかなか起きてこない。
かれこれ数時間。
夕食の時間も過ぎ、いくらなんでも寝すぎだ。
でも――、
だからといってあなたは「扉をぶち壊してまで」中に入ろうとするだろうか?


「久しぶりに開かれる大学の同窓会。
成城の高級ペンションに七人の旧友が集まった。
(あそこなら完璧な密室をつくることができる――)
当日、伏見亮輔は客室で事故を装って後輩の新山を殺害、外部からは入室できないよう現場を閉ざした。
何かの事故か?部屋の外で安否を気遣う友人たち。自殺説さえ浮上し、犯行は計画通り成功したかにみえた。
しかし、参加者のひとり碓氷優佳だけは疑問を抱く。
緻密な偽装工作の齟齬をひとつひとつ解いていく優佳。
開かない扉を前に、ふたりの息詰まる頭脳戦が始まった…。 」


上記は裏表紙に書かれている「あらすじ」の抜粋である。
さらに作者は、表紙の返しの部分にこんなコメントも残している。


『「鍵のかかった扉を、斧でたたき壊す」
本格ミステリの世界にはよくあるシーンです。「そうではない」話を書こうと思いました。閉ざされた扉を前にして、探偵と犯人が静かな戦いを繰り広げる。この本に書かれているのは、そんな物語です。対決の立会人はわずかに四人。あなたが、五人目です。』

このコメントがこの作品のすべてを語っているといっても過言ではない。
物語は倒叙形式(犯人側からの視点)で描かれ、伏見の視点によって進行していく。
本作は「密室もの」なのだが、
例えば「人外の孤島」とか
「唯一の交通手段だった橋を切り落とされた山奥のペンション」とか
「生体認証がなければ開かない部屋で見つかった遺体」――、
そういった「物理的」な密室とは少し違う。
本作が構築したのは「精神の密室」である。
開こうと思えば開くことができる。
しかし、開くことができない。
いまだ「扉は閉ざされたまま」――という密室の形態である。

なかなか起きてこない友人。
あまりにも遅すぎる。
もしかしたら、何かあったのだろうか?
「何かの事故か?部屋の外で安否を気遣う友人たち。自殺説さえ浮上」する。
しかし、何も起きていない「かもしれない」。
ただ寝ているだけ「かもしれない」。
この状態で、果たして「扉を壊してまで」中に入ることが適切なのかどうか。
しかも、ペンションの扉はこの世に二つとない特別なものであり、「常識的に」考えて、心配して扉を壊したら中の人はただ寝過ごしているだけでした、では済まされない。
これが作者・石持浅海が作り出した「精神の密室」!!

直木賞にもなった東野圭吾『容疑者xの献身』に次ぐ『このミス』第二位に輝いただけのことはある、素晴らしい状況設定である。
「物理的」ではない、「精神的」密室。

しかし、それだって「いつまでも扉を閉ざしてるわけにはいかないんだから、いつかは開けなきゃいけないじゃないか。そしたら、いくらその密室が完璧でも、いつかは死体は発見されちゃうんじゃないの?」という疑問が出てくる。
その点に関しても作者は解答を用意し、それが殺害理由(ホワイダニット)にもつながってくるのだが、いかんせんこの部分の理由付けが「弱い」。
特異な譲許設定ゆえに仕方ないのかもしれないけども、ここをもう少し考えれば『このミス』1位もあったんじゃないかな、とも思う。

そして、「精神的な密室」ゆえに登場人物たちは「開けたほうがいい」「いや、開けないほうが」「いや、でも」「いや、しかし」と堂々巡りの会話を繰り返す。
もちろん、ここが探偵役である優佳の「もどかしさ」と、犯人である伏見の「してやったり」感を読者に共感させるのは確かなのだが、やはり「だるい」。(なんたって、同じような会話をずっと繰り返してるようなものなのだから)

この辺りが評価の分かれてくるところだろう。

私はまだ未読なのだけど、舞城王太郎の『世界は密室でできている』という小説タイトルを見たとき「密室とは何か?」という疑問が頭をもたげたことがある。
何も、「閉鎖的な空間」だけが「密室」なのではないと思う。
「精神的密室」によって繰り広げられる頭脳戦。
本作はまたひとつ「密室トリック」の可能性を拡張させた作品として秀逸な一作である。

全1ページ

[1]


.
typhooon_number23
typhooon_number23
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事