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今年の春、プロ野球キャンプの話題を独占したのは、若干18歳のルーキーだった。 北海道日本ハム・ファイターズ、中田翔。「ススキノに行きたい」、「おこずかいは30万」などの奔放な発言とド派手なバッティングで連日、スポーツ紙の紙面をにぎわせた“平成の悪童”。 ――あれから2ヶ月。 そのピカピカの1年生の姿は今、札幌ドームにはない。 「焦りはないッス。今はできることをできる限りやって少しでもレベルアップしたい」――。 そう、キャンプ時から半分以下に減った記者たちを前に、ファームで白い歯をみせる彼の言葉は本音か、それとも――。 高校3年間で積み上げたホームラン87本は、これまでの通算記録を塗り替えた。名門・大阪桐蔭高校の4番でエース。バットを振るたびに生み出されドラマで、高校時代の中田は埋め尽くされていた。 そのすべてが“リセット”される――プロ1年目。 果たして新たに始まった中田の歴史は、これからどう紡がれていくのだろうか。 確かにまだ始まったばかりだ。 焦る必要はない。 だが、すでに始まっている――動き出してしまっている。それも確かだ。 “新たなる世界”の開闢となる、その社会人1年目が4月に終わった。これは大事件である。 あれから1年。まったく進歩も成長もせぬまま、あっという間に社会人2年目がニッコニコで「こんにちは」、加えて新人までやってきてしまった。 本書「広告放浪記」は、メフィスト賞作家・浅暮三文が、小さな広告代理店に営業として就職した社会人1年目からコピーライターになるまでの数年を綴った自伝的小説。 作家になるまで、でなく、あくまでコピーライターになるまで、というところがミソか。 舞台は80年代の大阪。三行広告をとるために飛び込み営業を繰り返し、繰り返すのを避けるためにさぼる口実を探し、時には夜逃げされ、時にはなにわの人情に触れ、といったサラリーマン1年生。自称ボンクラだが、「おお!」なヒラメキで商談を成立させることもある、ムラッ気営業マンである。 なもんで、最初は「なんだかんだ言って、謙遜半分の自慢半分でねえか!!」と読んでいったのだが、後半、営業職への限界を感じ、コピーライターを目指すくだりから、じわじわと“新社会人への教訓”めいたメッセージが登場し始める。 それは、やはり「目標のためにどれだけ自分を殉じられるか」ということなのだと思う。あるいは、「自分を殉じられる目標をいか見つけられるか」、ということなのかもしれない。 浅暮氏がコピーライターになるまでの過程には、「なにがなんでも!!」というある種の悲壮感まで感じられる。営業時代との熱意のギャップもさることながら、“そうなりたいのであれば、そこまでやるべきなのだろう”と思わされる。 コピーライター養成講座に通い、朝から晩までコピーを考え、著名なコピーライターの先生に手紙を送って”通信講座”のように文通をはじめ――。すべてはコピーライターになるために。 始まりの1年目を終え、私も“先”を見すえないといけないな、と思わされた。 2年目は何の年か。 あわただしく通り過ぎた1年を踏まえ、自分の将来図を描く。フリーでもやっていけるような文章力や専門性を身につける。では、どのジャンルで。 このまま今の会社にいるのであれば、自分は一体なにがしたいのか、できるのか。 入社前に抱いていたビジョンと、入社後の現実の差異を分析し、クレバーに歩むべき道を探さなければいけない。 本書は、まだ右も左もわからぬ「社会人1年生」が浅暮氏の自称ボンクラさを笑う一冊というよりも、むしろ、入社後の理想と現実のギャップに苦悩する「社会人2年目以降の人」がその先――自分が“本当に”できること、したいこと――をもう一度見つめなおすための書なのではないだろうか。
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ミステリー好き宣言
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道尾氏の作品は、どこかトリックアートを思わせる。 提示されているものを誤読させ、最後の一言で“見方を反転させる”――すでにそこにあるものを、まったく別のストーリーで読ませ、かつ、もうひとつの読み方を開示したときに違和感なく受け入れさせる構成の巧みさにいつも唸らされてしまう。 本作のタイトル「ラットマン」は、前後の文脈によって同じ絵が別物に見えることを示す、心理学上の有名な絵が由来。作中にもその絵が登場するのだが、確かに動物と並べられればネズミに、人間と並べられれば人間に見える。 殺意の動機、不自然なアリバイ、男女の関係、意味深なセリフ・・・いかにも「こいつが犯人では!!」と思わせる描写の数々が列挙されていく。 しかし、ネズミに見えるからといって、ネズミであるとは限らない、といったところがミソ。なるほど。私たちの物事の認識は、あまりにも文脈に左右されすぎているのかもしれない。 アマチュアバンドSundownerの練習中に、語り手である姫川の彼女が死んだ。 現場は防音処置のほどこされたライブスタジオの一室。明らかな密室空間で起きた惨劇に、メンバーの姫川とその同級生の谷尾、竹内、被害者の妹およびスタジオのマスターが容疑者となる。 真っ先に蓋然性のある犯行動機があがるのは姫川。 では、犯人は語り手である彼なのか? 物語は道尾作品独特の右往左往を繰り返しながら、“犯人らしき人物”をたゆたい、その巧妙なミスリードは、すべてラットマンの心理学的トリックさながらに私たちを揺さぶることになる。 道尾作品のプロットは、いかにも“週刊連載の漫画”的である。 つまり、引っぱりに引っぱり、思わせぶりな場面の展開、犯人を思わせるヒント=ミスリードの連打と真相の保留が繰り返され、読者は何度も「こいつが犯人だ」という結末の予想を覆すことになる。 もちろん、その認識の反転は心地がいい。 だが、読後感はどこか空腹である。 それは、ミステリ要素の充足に比べ、明らかに感情的人間性が不足しているからに他ならない、と私は思う。当初、道尾作品に伊坂作品と通じるセリフ回しや雰囲気を感じていたけれども、やはり、違う。 道尾作品には最終的な根幹として、感情的な細部が欠けているように思う。 そこが残念なのだ。 ミステリ・トリックは、本質的にはマジックのそれと同様である。 つまり、見えているのに見えない、という“意識の盲目”=心理的ミスリードが核となっていく。 ラットマンとは、道尾作品に通底するトリックの総称だとすら言えるだろう。 心理の隙間を道尾氏はストレートに突いてくる――道尾氏は心理学的な人間的欠陥に、非常に意識的である。
はっ!!とさせられる。 えっ!!と純粋に驚かされる。 だが、文章的ミスリード術の巧みさに比べ、物語としての魅力がどうも…。なのだ。 道尾氏のミステリ的魅力は本作に溢れているが、個人的には「ミステリのためのミステリ」になってしまっている印象。文章は好きなだけに、『片目の猿』のような“トリックとテーマが分かち難く結びついている”作品を望みたい。トリック=罠の伏線の張り方が巧すぎて、巧さだけで書き上げてしまった1作、といった感を覚えてしまった。 間違いなく今後のミステリ界を担っていくだろう作家だけに、好きだからこその苦言を呈したいと思う。 |
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「想像力こそが、すべてを変える」(全人学級の標語) 「嵐」二宮くんのロードレーサーが大型トラックへと向う、映画『青の炎』エンディングの圧倒的な余韻。大竹しのぶの笑顔に生理的恐怖を感じざるをえない、映画『黒い家』の不穏。 刊行長編6作中3作が映画化されていながら、寡作で鳴る貴志祐介の第7長編が本作。前作『硝子のハンマー』から実に3年9ヶ月ぶりの作品である。 デビューのきっかけとなった第12回「ハヤカワSFコンテスト」の佳作入選作「凍った嘴」(短編)が書き下ろし1900枚もの超大作となって帰ってきた。 舞台は1000年後の日本。科学技術に変わり、“呪力”と呼ばれるサイコパワーによる管理社会が構築された国。 その中の、結界に閉ざされた地域・神栖66町で生まれ育った渡辺早季が、10年前に起こった壊滅的で悲劇的であまりにも絶望的な「ある出来事」を手記に収める、という体裁で話は進んでいく。 一見すると、呪力を除けば現実世界の現代日本とそこまで違いはないように思えるのだが、大きな差異はその世界に登場する奇怪な生物たちである。 化けネズミ、風船犬、ネコダマシなど、名前だけ聞けばどこか可愛らしい生き物たちも、生々しく異常なものとして描かれている。 特に化けネズミは、人類とは“別種”の知的生物として描かれており、その立場が後半の展開へとつながっていく。 加えて、本作において問題なのは、その“異常さ”そのものではない。 “異常さ”の源とも呼べる“なぜそのような異常な生物が誕生したのか”にまでスポットを当て、人間の根源的な“醜さ”を浮き彫りにしていくのである。 作中の世界は、想像したものを具現化していくかのような呪力の存在を始め、「想像力」が重要視される世界だ。 だが、その中で最後のドンデン返しともいえる“衝撃”が、人間の“想像力の不足”を指摘するのはなんとも皮肉である。 冒頭の標語「想像力こそが、すべてを変える」は、 「人間は想像力によって今日の文明を築き上げてきた」というメッセージとともに、 「人間は想像力の不足によって多くの悲劇を積み重ねてきた」という警告をも与えているのではないだろうか。 そこには、地球を支配したかのように跋扈する人類の傲慢さまでもは込められている。 上巻の三分の一あたりが過ぎた時――“想像できない”よう隠蔽された社会の欺瞞が浮き彫りになったとき、物語は一気に加速していく。 冒険小説であり、SFであり、ファンタジー。だが、その核となるのは「想像力」の恐ろしさだろう。あるいは、それが「豊か」であろうと「欠落」していようと、同じことなのかもしれない――とすら思わせられる。
冒頭から不穏を漂わせる、隠された世界の秘密。 そのベールが少しずつめくれ、露呈し、じわじわと滲むように明らかになるにつれページをめくる手は止まらなくなる。 貴志作品の新境地。 映画化は難しいだろうなぁ。でも、ここに貴志さんの「想像力」が大量につぎ込まれていることは間違いない。 読後の心の揺らめき。やっぱり「想像力」は恐ろしい。 |




