「つまり、想像力です。わからないものは怖い。これは普遍的な人間の心理なんでしょうな。ギリシャ神話の頃から、変わりません」
事件が起きる。
謎が生まれる。
その謎を解くために必要なものは、他でもない「想像力」だろう。
誰が犯人なのか? 犯行動機はなんなのか? どうやって犯行を行ったのか?
探偵役は――私たちは「想像」する。
断片をつなぎあわせて、見えないものを見ようとする。
しかし、「想像力」は事件を解決するためのものだけではない。
その「欠如」は事件を引き起こしもする。
本作が描くのはまさにそこ――探偵役が「想像力」を武器にして、人々の「想像力の欠如」を看破する作品――それが本作『仔羊の巣』である。
「想像力が足りねぇんだよ。自分のしたいことばっか考えて、他人がどうなるかなんて考えちゃいない。それが犯罪者の心理ってやつさ」
犯罪ならばなおさらだが、日常にだって「想像力の欠如」は溢れていて、決して他人事ではなく、少し間違えば自分だってその一員となってしまう。
そのことがわかっているから読んでいる読者は苦しい。
さらけ出される日常に潜む「想像力の欠如」は、辛らつだ。
――「ひきこもり探偵」シリーズ2作目もまた、やはり「苦しい」小説である。
本作の本質は、「トリック」や「犯人探し」といったミステリの部分ではないように思う。
本作からは、例えば、子供の悪ふざけを戒めるために鬼の寓話を作るように、“何か”を伝えたいがために、たまたまミステリのカタチをとっている“だけ”という印象を受ける。
「すべての物語はミステリである」
とは友人の言葉だ。
恋愛小説にだって、冒険小説にだって、経済小説にだって、すべてにミステリ的要素というものは含まれている――含まれていないものなんてない。
なぜなら、「人と人が関わり合って、そこにミステリ(謎)が存在しないはずがないからだ」、と友人は言う。
本作は、ミステリ小説である以上に、その「人と人との関わり合い」によって展開されていく小説である(有栖川有栖も同様のことを「解説」で「生じているのはコミュニケーションをめぐる問題なのだ」と語っている)。
きっと伝えたいのはこの部分なのだと私は思う――つまり、「人と人との結びつき」について、を。
誰も死なない「日常の謎」系ミステリである。
ワトソン役の坂木が同僚の変化の謎を追う『野性のチェシャ・キャット』。
地下鉄のホームで不審な行動をとる少年の目的を探る『銀河鉄道を待ちながら』。
思い当たることのないまま坂木が受けるいやがらせの原因とは?『カキの中のサンタクロース』。
本シリーズでは、これらの事件の謎はただ「暴かれる」だけではない――犯人を指摘し、動機を暴露して、それで一件落着ではない。
本シリーズでは、謎を暴くだけでなく、その一歩先、犯人の心の闇を癒すまでが描かれる。
犯人は改心し、再び主人公たちの前に姿を現す。
シリーズ第1作『青空の卵』の人物がたくさん登場したりと、人々の「輪」が次々と広がっていくのが本シリーズの特徴でもある。
しかし、それゆえに本シリーズには「美談」のにおいが溢れている――物語が進むに従って、作品内は「いい人」で一杯になっていく――出来すぎていると感じるのも確か。
肌に合わない読者がいるのも頷ける気がする。
ホームズ役の鳥井は、俗に言う「ひきこもり」でコミュニケーションに問題を抱えている。
彼は過去のトラウマから「人を信じる」ことができない。
その類まれな「想像力」で、事件を解決する鳥井は、にもかかわらず人を信じるという「想像力が欠如」しているのである。
それゆえに、人に説教をするも――そして、それらは全て適切なのだが――逆説的に読者は彼が持つ欠陥をも強く意識させられてしまう。
「でも、もしかしたら鳥井が一番、利明くんに近いのかもしれないよ?」
「考えるだけで寒気がすらぁ」
しかし、確実に変化の兆しは出始めている。
人々を変えることのできる鳥井だが、では彼自身はどう変わりゆくのか――。
完結編となる次作が本当に楽しみだ。
「今、読まれるべき小説である」
とは、有栖川有栖の「解説」の結び。
私は、この言葉に大賛成である。
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