ある女性が海外旅行中に行方不明になった。ブティックの更衣室で着替えていたはずが、気付いたらいなくなっていた。一緒に旅行をしていた友人が必死に捜すも、行方は杳として掴めなかった。
それから数年後、中国の奥地に旅行した別の友人が、両腕両足を切断され、まるで「だるま」のようになって見せ物にされている彼女の姿を見たのだという。
彼女は目が合うと「助けて」と口を開いた。声は聞こえなかった。のどを潰されていたのかもしれない。
怖くなった友人は逃げ出してしまったのだと怯えながら語った。
今となっては、それが本当に行方不明の彼女だったのかは誰にもわからない。
――これは、俗に「日本だるま」と呼ばれる都市伝説である。
ディティールは違うかもしれないが、似たような大筋は誰もが知っているのではないだろうか。
他にも、「ケンタッキーは、モモ肉がたくさんとれるように遺伝子操作で四本足で生まれてくる鶏を使っている」とか、「アメリカで、濡れたペットを乾かそうと電子レンジに入れた老婆がいた。しかし、温めたところペットは爆死。取説に“ペットを入れてはいけません”と書かれていなかったせいでペットが死んだのだと訴訟を起こし、莫大な損害賠償金を得た」など、
誰もが知っている、しかし、真偽は定かではない話――都市伝説というものは、山の数ほど存在している。
そして、その出所はいつもこうなのだ。
「○○さんが、友達から聞いた話らしいんだけどね」
架空の他者が襷をつないでいく――不確かなのに、どこか真実味がある。
「誰も知らない」はずなのに「誰もが知っている」――「誰もが知っている」からそれは真実じみてくる。
「何でもわかるってことは、何にもわからないってことと同じなんですよ」
情報の波の中で、どれが――何が――正しいのかわからなくなっていく。
「ミリエルの香水をつけないとレインマンに足を切られちゃうんだって」
新ブランドの香水の販促戦略として、口コミが広められた。
渋谷の女子高生を発信源に恐怖を煽り、商品を売ろうという狙いは当たって、香水は大ヒットするのだが――、
やがて噂は現実のものとなる。
――足を切られた少女が発見され、連続殺人事件へと発展していくのである。
広告代理店、企画会社、警察、女子高生……
絡み合うそれぞれの思惑がもたらす衝撃の結末とは――。
果たして、犯人は誰なのか?
「噂」をテーマにした、広告制作会社出身である作者ならではの着眼が素晴らしい。
警察の捜査上にも、いくつもの「噂」が存在している。
事件が起こり、聞き込みを開始するも、
「たいていがあいまいで根拠のない話だ。独身で一人暮らしの男、失業者、不登校児童、夜の仕事の人間、近所づきあいの悪い一家……近隣で疎まれていたり気味悪がられている住人は、たちまち犯人に仕立て上げられる。そんな人間のもとに警察が訪ねて行こうものなら、話に尾ひれがついて逮捕間近などというデマが広がる。じゅうぶんに注意しないと、捜査官が噂に振り回されることも少なくないのだ」
「噂」とは、人の想像力が伝播させていくものなのだと思う。
「〜らしい」は、人の口を介することで「確からしさ」を身に着けていく。
「らしい」と「確からしさ」の間にある「空白」を埋めるのは、他でもない人間の想像力なのであろう。
しかし、問題は「その想像力に疑問をもつ想像力」をもてるかどうかなのだと思う。
警察は、自分の作った(=想像した)「犯人像」に固執し、その先を思考することを忘れてしまう。
企画会社は、自分の作った口コミが、どのように自分たちに跳ね返ってくるのかを考えない。
そして、鑑みて私たち読者は――、
というところに、本作の「罠」が仕掛けられている。
「噂」=「話しを聞いて」=「物語を読んで」“勝手に”膨らませた想像は多くの場合、裏切られるものなのである。
友人に
「最後の一行を先にみちゃうくらいなら、いっそ読まない方がまし」
と言われ、「一体どんなラストなんだ!!」と乗せられるように読了してしまった。
うむ、確かに――ぞくりとするものがある。なるほど。
伏線も多く、わりと予想しやすい連続殺人犯の逮捕を経て、その先に待つ、まさかまさかの結末。
若干、冗長な気もするが、
警察の凸凹コンビや企画会社の社員など、キャラの描き方も巧く、なんだかんだで「読ませる」技術は荻原さんの面目躍如。
それにしても、本当に多才な作家である。
ミステリを書かせてもこんなに巧いとは。
(07年 3冊目○)
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