モグラのあくび

シンプルでシャープに。そんな感じに

アニメだっていいじゃない

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「人はいつ死ぬと思う…?」
――と、白雪の中で黒衣の医者は言う。
一匹のトナカイへと紡がれた、その男の意志が“死なぬ”限り、心に掲げられたドクロの海賊旗が朽ちることはない。
「この世に治せねェ病気なんてねェのさ!!おれのことを誰がどう言おうとも おれはこの国を医者として救ってみせる!!だから全ての病気におれはこの『ドクロ』をかかげたのだ!!!コイツはな!!不可能をものともしねェ“信念”の象徴だ!!!これをかかげ海賊のようにおれは戦う!!」
これは“信念”の物語である。


干涸らびるかと思うほど泣いた。
昨年の「アラバスタ編」で、もうこれ以上泣くことはないのではないかと思ったのもつかの間、いやいや「冬島編」があったんですね、はい。
テレビシリーズ歴代最高視聴率16・3%をマークした、1人と一匹の“名医”の出会いがスクリーンで再び蘇り、感動のサクラサク。
「この国は今“病気”なんだ」
悪食悪政の“ばい菌”王ワポルによって支配された、“病気”の国・ドラム王国。
原作では、アラバスタ王女・ビビが麦わら海賊団に帯同していたため、ドラムとアラバスタの政治・品格・信念の対比が象徴的に描かれていたが、映画版では海賊団のメンバーを変更。
足かけ11年の長期連載作品だけに、最近からのファンに配慮し、ロビンやフランキーが仲間にいながらチョッパーはまだ団員に加わっていないという設定の「If」の物語となっている。さらに、敵にはワポルの兄で“ノコノコの実”の能力者ムッシュール(声優がみのもんた!!)が追加され、細部に違いをみせる。


「この国の辿るべき道は見えた…滅ぶことだ。この国の医療がどこまで発達しようとも…!!!いつまで薬の研究を続けようとも バカにつける薬はないのだから!!!」
凍てついた雪の世界で、それぞれの想いが燃える。
不可能をものともせぬ、“信念”の象徴たるドクロをかかげ、国を救おうとした“ヤブ医者”の熱き想いが、国の“病い”を治す。
男の“医志”を守ろうとするトナカイと、そのドクロを踏みにじろうとする“ウソっぱち”の王との戦いを前に、心の中に海賊旗をかかげた男たちの想いが共鳴する。
「そうだよトナカイだ!!でも!!!男だ!!!」
雪に閉ざされたトナカイのココロの扉を開けるまでの物語だ。


メンバーの変更は違和感なし。作画の乱れも気にならない。
作品の出来にも満開のサクラ舞い、ただただ、海賊たちの“信念”に感服するばかり。
海賊王になる、オールブルーを見つける、世界地図を完成させる、大剣豪になる…その延長にある、自分の“信念”を完遂させんとする強き意志を見せつけられ、自分は果たして「何かを成し遂げんとする信念」を持って生きているだろうかと、問いかけたくもなった。
「おれの名前は『トニートニー・チョッパー』!!!世界で一番偉大な医者がくれた名前だ!!!」
くぬぅ、やっぱり最高だ、チョッパー!!!

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いや、実に危ないところだった。
この映画は、ある映画の海外プロモーション取材に向うため乗った飛行機内で観賞したのだが、まさに危機一発であった。
羽田発韓国金浦空港行きの最終便。わずか4時間のフライトである。
時刻は21時近い。機内はすぐに暗くなった。しばらくすると寝息も聞こえてくる。静かな機内だった。
そこに、「むふっふ。むふっ」とこもった笑い声が響く。はい。私が必至に笑いを抑えようとする声です。連れのいない男の旅行客が不気味にニヤニヤ笑いを浮かべ、「むふっふ。むふっ」ですからね。あやうく気がふれたかと思われるところでした。


1987年の誕生以来、アメリカのテレビアニメ史上、最長寿を誇る日本でいうところのドラえもん的な人気アニメの映画化である(なんとギネス記録を4つも樹立している!!)。
愛すべきシンプソン一家の、ダメ親父ホーマー、巨大ヘアの良妻マージ、ヤンチャ坊主のバート、優等生のリサを主人公に描かれるシニカルかつシュールな笑い。待望された20年目の初映画化は、アメリカで大反響を呼び、2億ドル近い興収を上げた。現在のところ、世界中での興収は5億ドルを突破している。
まじっすか・・・?、といった感じである。

私自身も、もちろん、その存在は知っていたのだが、作品をみたのは初めて。いやはや、しかししかし。これがまた――面白かった!!
どこまでもバカらしい作品である。
だが、その「真面目にバカをやる」バランスが、非常にアメリカンで、喜劇と悲劇の間を絶妙に行き来する。ホーマーが、裸で街を一周するよう息子をたきつけたり、笑顔で家の屋根から落とそうとしたりする様は、もはや“笑い”を超越しているようにすら感じられる。
極端すぎるがゆえに――常識を逸脱しすぎているがゆえに――“笑うしかない”というのが、正しい表現だろう。
ドタバタコメディで笑わせておいて最後には家族愛につなげる辺り、あるいはドラえもんではなく、クレヨンしんちゃんの映画版に近いものがあるかもしれない。


ただ一言、言わせてもらえるならば、声優変更については、私も否定派にならざるをえなかった。
本作は映画化にあたり、それまでのテレビシリーズから日本語吹き替えの声優陣を一新。ホーマーを所ジョージ、マージを和田アキ子、バートをロンブー淳、リサをベッキーに変え、大批判を受けていた。
正直、それまでテレビシリーズをみていなかった私は「別にそんなに目くじら立てなくても・・・」とすら思っていたのだが、実際に映画を観てみると、「う〜ん。確かに、これはファンが怒るのも仕方ないかなぁ」、と。
やっぱり絶対的に作品の中で所ジョージの声は“所ジョージでありすぎてしまっている”し、他のメンバーも多かれ少なかれ、その別ではなかった。

配給の20世紀FOXは、キャスティングを“「日本の理想の楽しい家庭」をテーマに決めた”と説明しており、実際、本作の製作発表で4人を見たときは「キャラクターのイメージになんてぴったりな4人なんだ」とすら感じた。
でも、やっぱりアニメ声優をするとなると、それは別の話なのだろう。
今年発売予定のDVDでは、オリジナル声優陣の吹き替えバージョンも加わるらしい。作品が良質なだけに、この“声優変更事件”は本作に暗い影を落とす結果になってしまった。

個人的には、芸能人の声優起用には賛成派(少なくとも否定派ではない)のだが、ケースバイケースで適材適所に起用していかないと、今回のような不幸も起こってしまう。
跋扈する安易な芸能人の声優起用の流れに、一石を投じた作品としても記憶にとどめておきたい1作である。

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『アップルシード』から3年。

広げられた両翼の片割れが、ついにお披露目となった。
プロデューサーを務めた曽利文彦は、本作より一足早く監督作として『ベクシル』を世に放った。バイオテクノロジーにロボットテクノロジー、近未来を舞台にしたSF的世界観は非常に『アップル−』に似ている。キャラクターデザインもどこか近い。
しかし、“別物”として『ベクシル』は生まれた。
他人の空似と呼ぶには、あまりにも『アップル―』と『ベクシル』の“血”は近い。


本作『エクスマキナ』は、『アップル―』の正統な“嫡子”たる続編である。

プロデューサーはジョン・ウーに代わり、監督は前作同様、荒牧伸志が務めた。音楽監修に細野晴臣を向かえ、YMOことHASYMOがテーマ曲を歌う。加えて、プラダが主人公デュナンの衣装デザインを手がける前代未聞の豪華布陣。前作だけでなく、絶対に『ベクシル』には負けられんという強い意気込みが伝わってくるようである。


しかし、なんだろう、この違和感は。あるいは「なぜだろう?」なのかもしれない。
袂を分かったはずの本作と『ベクシル』は、それにもかかわらず、あまりにも「そっくり」すぎるのである。
いや、「それにもかかわらず」ではなく、これもまた必然だったのかもしれない。
ただ、世界観が似ているのは仕方がないにしろ、マシーンでの追尾戦や、ジャンクパーツによる蛇のような敵など、合わせ鏡のような共通点が続出。“異端の双子”として生まれた『ベクシル』と『エクスマキナ』の不幸が浮き彫りになってしまっている。
これでは、両者の個性の差がまったく見出せない。日本が誇る技術を駆使して作った3DCG大作が、細胞分裂的に似ているだなんて、なんたる悲劇なのだろう。


もちろん、プロットそのものが似ているわけではない。本作では「バイオテロの脅威」を題材に、マスコミ主導的な「興味の並列化」の危険性を警告していく。メッセージ性は強い。
ただ、やはり映像に主軸がおかれているためか、物語はやや単調。『ベクシル』の最大の欠点が、本作でも共通されてしまっていると言わざるをえない。
映像、音楽、デザインによる豪華な世界が表面的に散りばめられた結果、その中身の空虚さが逆説的に強調されてしまった格好だ。

2人の“子供”が犯した同じ過ち。

『ベクシル』と『エクスマキナ』のスタッフは、お互いに、鏡に映った自分を見てしまったのではないだろうか。
(07年 70本目▲+)

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単館系映画の火付け役と称される映画『ピンポン』。
そのDVD版の特典映像を見ると、いかに同作がCGによって成り立っているのかがよくわかる。

それもそのはず、監督の曽利文彦はジェームズ・キャメロンが創設したデジタルドメイン社で『タイタニック』のCGを担当していたメンバーの一人。規格はすでに日本を超えている。
そして、その曽利のプロデュースによって、ジャパニメーションの新しい形が提出されたのが04年。『攻殻機動隊』で知られる士郎正宗原作の純国産3DCGアニメ『アップルシード』が世に放たれる。それは日本アニメの未来を示す文字通りの“種”となった。ハリウッド的長大さを持つ近未来の世界観を実現するために曽利は、CGという手法を選択する。

その曽利が満を持して、『ピンポン』以来5年ぶりの監督を務めた作品こそが本作『ベクシル』。

声優陣に人気俳優/女優を配し、長きの沈黙を破って一分の隙もなくヒットを狙いに――アニメ界に“激震”を起こしに殴り込みをかけてきた。


舞台は2077年、ハイテク化した自国の技術を隠すため“鎖国”した日本。
21世紀初頭に延命を大幅に成功させたバイオテクノロジー&ロボット産業の躍進によって日本は世界的に市場を独占する。
しかし、延命技術の加速は国連で問題視されるまでに至り、規制が論議された。これに日本政府は反旗を翻す。ハイテク鎖国を強行し、テクノロジー先進国・日本はベールに包まれたまま表舞台から姿を消した。

それから10年。
アメリカ特殊部隊に所属する主人公・ベクシルらのミッションを「メイド・イン・ジャパン」の戦闘型ロボットが強襲。かつ、続々と日本製のロボットが密輸されていることが判明する。
不穏な動きを感じ取ったベクシルらは、鎖国中の日本への潜入を強行。多重に張り巡らされたセキュリティを抜け、新世界と化した日本へと足を踏み入れることになる。
果たして、閉ざされ続けた日本で何が起きようとしているのか――?


曽利は“日本鎖国”という発想の発端について、以下のように答えている。
「見えないことに対す恐怖、それが歪みを生むのではと思ったんですね。現在でもそういう国がありますが、技術が進むともっと完全に情報をシャットアウトできるだろうと。描かれているのは国レベルでの極端な舞台設定ではあるのですが、今のテクノロジーの進歩というのは、知らないうちにひとのつながりを絶っていく、個人化・孤立化していっているなという恐れや警鐘も自分の中にあって、それが映画のテーマにつながっています」
その言のとおり、本作での「ハイテク」はロボット・バイオ的な進化に特化されて描かれており、通信・コミュニケーション的な技術についてはまったく触れられていない。例えば、『攻殻』のような脳内データのネット化というものについてはまるっきり無視されている。テクノロジーの進歩によって人間のコミュニケーションが拡張される、という点について、曽利は驚くぐらいに否定的なのである。
本作のメイン設定である「鎖国」が示すように、70年後のテクノロジーの未来は“閉ざされている”。ここにこそ曽利独特の近未来観が垣間見えるような気がした。
“鎖国”には多重のメタファーが内包されているのかもしれない。


『アップルシード』の続編『エクスマキナ』(曽利に代わるプロデューサーはジョン・ウー!!)の公開も10月に控える中、先陣をきっての公開である。

ディズニー・ピクサー作品を中心にした「動物系ファミリーもの」が席巻するアメリカ・アニメ界へ放たれた日本からの刺客。日本“アニメ”界ではなく、日本“映画”界そのものが、自らの“可能性”の限界を拡張してみせようという果敢な挑戦であるように思う。
完成披露試写会で曽利は「ハリウッドへの恩返し」と語ったが、その“恩返し”がただ感謝の気持ちを込めて、下手に出るだけの発言でないことは確かだろう。
(07年 60本目○)


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もちろん映像に限界はない。

けれど音楽漫画の映画化は、視角化され“描かれた音楽”――各人の脳内で様々なメロディになり、拡散したそれをどう表現するのかとの戦いでもある。読者がイメージの中に補完した音を、具体的なそれへ。極端に言えば映像化とは、その回収行為に他ならないだろう。
ここに一つの挑戦がある。


本作のピアノの演奏シーンはすべて、ミュージックアドバイザーのウラディーミル・アシュケナージ――と、言われても私は彼の凄さを知らない。1955年のショパンコンクールで頭角を現し、現在は指揮者として活動する著名なピアニストなのだそうだが、それを言われてもピンとこない。だから、きっと信じればいい。彼は凄いピアニストなのだ――が実際に演奏した手元を参考にしているのだという。
ビデオ撮影した手元をコマ送りして、書き起こす。そこに楽譜をプログラミングしたソフトを合成し、音楽と絵を連動させてみせる。

“想像の音楽”を、そのまま“具体的な音楽”にトレースする作業が延々と続けられた。



物語は主人公・一ノ瀬海がコンクール予選に出場し、型破りな方法で“自分の音楽”を見つけるまでを描いている。原作でいえば、序盤も序盤。大きな流れの中での導入部を2時間かけてじっくりと展開していく。原作を無理矢理つめこむことなく、続編を見越したかのように「尺に見合った脚本」に収めているのが好印象。実に丁寧な作りになっている。

上戸彩、神木隆之介、友情出演の高田純次など、声優陣には役者が揃っているが決して派手な映画ではない。
思えば、制作の「マッドハウス」は、テレビ版『MONSTER』『NANA』、映画『時をかける少女』『パプリカ』など“ユニークかつ硬派”という独自路線をひた走っている個性派。
「この親にして、この子あり」――なるほど。納得の職人芸的な佳作である。
(07年 57本目○)


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