「散歩はゆっくり歩くものだ」とは、友人の主張である。
「楽しいことは、楽しいだけ味わうべきなのである」と、なんだか偉そうに語っていたのを覚えている。
一歩一歩、踏みしめるように進み、ときに戻り、メモを取り、方角を確かめ、ようやくのゴールをむかえた。読了。きっと有栖川先生も、そうやって本作の筆を置いたのだろう。
前作から15年7ヶ月。長い時間だ。
昨年末ランキングで2冠獲得の江神シリーズ第4弾もまた、期待を裏切らぬ“有栖川ファンタジー”と論理の融合であった。
有栖川先生の本格ミステリ観を――それが些か僭越なことだとは知りながらも――『本格ミステリベスト10 2008』掲載のインタビューから読み取ってみようと思う。
「本格について抽象的なイメージで語りますと、現実と幻想に対するいったりきたりする、どちらにも没入することもできない、どちらに対しても憧れと苛立ちがあるような感覚。もしかしたらいちばんイライラするスタンスかもしれないですけれども、それを堅持すると本格ミステリが書ける。幻想の方に行きたいんだけど、殴られて痛いという現実からは絶対逃げられないから、それを引き受けながら、どこまで自分の中で幻想の世界を広げられるか。そういうもどかしくも楽しい心理状態を肯定してくれるのが、私にとっての本格ミステリです」
殺人――実に現実的で生々しい事象である。それを小説という形で一つの娯楽に“昇華”させるため、先生は「幻想の世界を広げる」。
幻想的でロマンチックな現実離れした舞台の構築と、殺人という物理的事件の間にかけられたブリッジ。有栖川先生は、その名建築家なのだといえるかもしれない。
「再臨したのですね?私たち人類に新たな啓示を授けるために、ペリパリがこの聖堂にいらした!」
前作のマリアがごとく、今度は江神さんが消えた。
向った先は、どうやら新興宗教「人類協会」の本部があり、その信者が住民のほとんどを占める木曾山中の神倉という街。宇宙からの来訪者・ペリパリにお告げをうけたとする女性が創始したニューエイジ系の教団である。
現在では、ペリパリとの邂逅を果たした洞窟は「聖洞」と呼ばれる不可侵の場所として“城”がごとく外装をした教団本部に抱え込まれており、教団はペリパリの再訪を待ちながら日々、自らを高めることを教義としている。
はて?なぜ江神さんがそんなところへ?
アリスたちは江神を追って神倉へ向う――待っていたのは、教団との不可解なディスコミュニケーションの連続だった。
まずは江神の監禁。ついで、ようやく再開を果たした4人の前で発生する連続殺人事件に対し、教団は警察への通報を拒絶する。
謎に包まれた教団が作り出す“心理的密室”と“物理的密室”の交錯する女王国の城。
果たしてそこにはどんな謎が秘められているのか・・・?
解決編の切れ味はやはり絶品。容疑者がシンプルかつロジカルな推理によって次々に絞られていく様には、さすが江神さん!!と思わず拍手したくなる。
引用されるカフカ『城』のごとく、教団との「理解不能=ディスコミュニケーション」の不気味さが、今回の有栖川ファンタジーの源流。
さらに、その不気味さは、作中で繰り返されるUFOや宇宙人絡みの陰謀説――エリア51、MJ-12などなど――に代表される「理解不能=未知のもの」へのロマン的欲求へとつながっていく。
犯人追及という推理小説のロマン的欲求は、そのテーマの鏡の向こう側に見え隠れし対比されるのである。
有栖川先生がインタビューで何度も繰り返すように「回を重ねるごとにシリーズの閉鎖空間の規模は大きく」なっている。
閉ざされたキャンプ場、離れ小島、橋の断絶した2つの村、そして教団が“統治”する女王国の街・・・・・・
舞台は社会とのかかわりを拡張させ、アリスたちの「学生」という、ある種「社会と隔たれた」時間は終わりに近づいていく。
これまでにも有栖川先生が言及してきたようにシリーズ第5弾は完結編。
卒業し、就職したり作家になったり――そうして学生でなくなる前の不安定な彼らの立ち位置と空気感までがそっくりそのまま魅力になっていた本シリーズが、そのグランドフィナーレに向け、アリスたちの “巣立ち”の準備を少しずつ整えていく。本作で望月と織田は就職活動をはじめ、江神さんは卒論にとりかかっていた。
まるで読んでいるこっちまでが“卒業”を間近にしたかのような切なさが読後感に滲む。
名残惜しいような、嬉しいような。
後ろ髪を引かれながら、次の扉を開けることの期待感に胸を膨らませるような、「あの」感覚。
幻想と現実にブリッジをかけるように、矛盾した2つの感情の間で胸を躍らせながら最終巻を待っていたい。
いよいよの“卒業”はいったいいつのことになるのだろう。
(08年 ◎)
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