拝啓・村上春樹さま
[ リスト | 詳細 ]
|
「僕はこの本を「メモワール」のようなものだと考えている。個人史というほど大層なものでもないが、エッセイというタイトルがでてくるには無理がある。僕としては「走る」という行為を媒介にして、自分がこの四半世紀ばかりを小説家として、また一人の「どこにでもいる人間」として、どのようにして生きてきたのか、自分なりに整理してみたかった」 村上春樹は走る。 マラソン、トライアスロン、日々のランニング。 そして、それらに対するストイックな態度は、はっきりと彼の作風と地続きである。彼のランニングに対する哲学は、私たちの「村上春樹像」をまったく裏切らない。「自分のルール」に忠実で、妥協がなく、自分サイズからはみ出すような無理はしない。 「走ることは僕にとっては有益なエクササイズであると同時に、有効なメタファーでもあった。僕は日々走りながら、あるいはレースを積み重ねながら、達成規準のバーを少しずつ高く上げ、それをクリアすることによって、自分を高めていった。(中略)昨日の自分をわずかにでも乗り越えていくこと、それがより重要なのだ」 彼が語る彼の半生の記録――彼が神宮球場で小説の神様に出会った日から、彼が走り始めることになった記念すべき33歳のあの日、そして走り続けてきた日々について。春樹さんは言う。「僕は小説を書くことについての多くを、道路を毎朝走るこから学んできた」――が収められた貴重な一冊となっている。 最も印象深いのは、彼がはっきりと――ヴィヴィットに、というよりは、薄ぼんやりとながら、しかし確実に――自らの「老い」を感じている、という点である。 春樹さんは、今年で58歳になる。 いくら適度な運動と闊達な執筆行為が、彼の「老い」にブレーキをかけようとも、決して抗えるものではない。40代半ばから、レースのタイムも伸びなくなってきたそうだ。 「ミック・ジャガーは若いときに『四十五歳になって“サティスファクション”を歌っているくらいなら、死んだ方がましだ』と豪語した。しかし実際には彼は六十歳を過ぎた今でも『サティスファクション』を歌い続けている。そのことを笑う人もいる。しかし僕には笑えない。(中略)僕はその「想像もつかなかった」世界の中に身を置いて生きている」 春樹さんが、「走る」のは、それが自分との戦いだから――つまり、誰かと優劣をつけるものではないからだ、という。「他人と優劣を競い勝敗を争うことは、僕の求める生き方ではない」。価値観の違いや、人生における他人との摩擦は、時として哀しみを呼ぶ。それによって深く傷つくことも少なくないが「しかし」、と春樹さんは続ける。「年齢をかさねるにつれて、そのようなつらさや傷は人生にとってある程度必要なことなのだと、少しずつ認識できるようになった」のだ、と。「老い」は、「=弱さ」ではない。 そうして、続く文章で春樹さんは核心に迫っていく。 「誰かに故のない(と少なくとも僕には思える)非難を受けたとき、僕はいつもより少しだけ長い距離を走ることにしている。いつもより長い距離を走ることによって、そのぶんだけ自分を肉体的に消耗させる。そして自分が能力に限りのある、弱い人間であるということをあらためて認識する。いちばん底の部分でフィジカルに認識する。そしていつもより長い距離を走ったぶん、結果的に自分の肉体を、ほんのわずかではあるけれど強化したことになる。腹が立ったらそのぶん自分にあたればいい」 なぜ彼は走り、書くのか。 そのヒントはこのセンテンスに秘められているのではないだろうか。 春樹さんは「走る」。 それはフィジカルに、自分の中の「毒」を排出する行為である。加えて、彼はその「毒」すらも「ある程度必要なもの」として受け入れられる境界に差し掛かっている。 ある種の変化の分水嶺に、春樹さんは、いる。 本書の中盤で春樹さんは、肉体的な「老い」を猛烈に痛感することになる。 それは「“毒”を排出する行為」である「走ること」の限界が近づいていることに他ならない。「老い」は、“毒”を「ある程度必要なもの」として受け入れる、年齢的な “悟り=諦め”へとつながっていく。 オリジナルの短編集は05年の『東京奇譚集』から、長編は04年の『アフターダーク』以降、発表されていない。 「老い」を認め、新しいパラダイムに入りつつある春樹さんの新作長編は、来年以降の発表が予定されている。そして、そこには「政治的なメッセージ」も込められるとの予告もある。 「長編小説を書くという作業は、根本的には肉体労働であると僕は認識している」と、春樹さんは言う。で、あるならば、肉体的な凋落を認識した彼の新作は、果たしてどのような変化を遂げるのか、あるいは遂げないのか。新作への期待感を助走させる作品である。 ラストはこう締められている。 「もし僕の墓碑銘なんてものがあるとして、その文句を選ぶことができるのなら、このように刻んでもらいたいと思う。 村上春樹 作家(そしてランナー) 1949−20xx 少なくとも最後まで歩かなかった 今のところ、それが僕の望んでいることだ」 今もなお、春樹さんは走り続けている。 (07年 64冊目○+) |
「チェコの作家、カフカを記念し、国際的に優れた作家に与えられるフランツ・カフカ賞の授賞式が30日夜、プラハで行われ、今年の受賞者である村上春樹さん(57)に、主催者から賞が授与された。 村上さんは、授賞式で「15歳の時にカフカの『城』を読み、ものすごいショックを受けた。私の小説『海辺のカフカ』はカフカへの賛辞でもある。その小説のチェコ語訳がちょうど1週間前に出たばかりで、今日の式は完璧(かんぺき)なタイミングでした」と英語であいさつ。また、式の前に行われた記者会見では、ノーベル文学賞の候補の1人と目されたことについて「賞には関心がない。読者が私にとっての賞です」と話した。 村上さんは、マラソンランナーらしく、革のスニーカーをはいて陽子夫人と式に出席。カフカをかたどった記念品のブロンズ像を手渡されると、笑顔で「重いね」。審査委員は「村上作品は芸術性の高さと人間性にあふれ、しかも現代的」と授賞理由を語った。副賞は1万ドル(約117万円)(プラハ 共同)」(産経新聞) 私の友人に 「村上春樹の顔写真を見て、泣きそうになった」 という人がいる。 「『ノルウェイの森』を読んで、どんなカッコいい人が書いているのか期待していたら、もっさいおじさんだった」 ――まあ、その気持ちはわからなくもない。 作家とその作品は密接にむすびついているもので、例えば、綿矢りさの作品を読むと、どうしても主人公を架空の“綿矢りさ”に重ねて考えてしまう。 ある種の小説を書く作家が、公の場に姿を現さないのも頷ける話である。 春樹さんは、その代表格の一人だった。 「生涯で初めての記者会見。そして、最後になるかも知れない」なぜ公の場に姿を現す気になったのかはわからないが、「カフカの賞」だったことは少なからぬ要因になっていることだろう。村上春樹にとって、「カフカ」という存在がどれだけ特別なものなのか分かるというもの。 「本は自分の内部の凍った海を打ち砕く斧でなければならない」とカフカが友人へ宛てた手紙の一節を引用し、「これこそまさに私が書きたい本なのです」どうだろう、スピーチをする春樹さんはイメージ通りだっただろうか? とりあえず、めちゃくちゃ緊張していることだけは確か(笑) やたら左を見ていて、可愛いですね☆ ノーベル賞受賞の際は、どうするのだろう。 本当に今回が「最初で最後の会見」になってしまうのだろうか。 今後の春樹さんの動向が楽しみである。 |




