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地震で被災してから約10日。
なんだか大昔のような気もするし、最近のような気もする・・・。
3.11 その日自分会社の関係で仙台にいた。
突然の横揺れ。
でも結構地震はあったので、またかっという感じで受け止めたが、これが長い。
終わらない。
しかも縦揺れも加わり、なんだか自分の嫌いな遊園地の乗り物にのってビビっている状態が本当にしばらく続く。
なにもない部屋にいたので、その時はこんなにすごい災害とは思わなかった。
ただ、娘から来た「助けて」のメールに少しビビり、電話が通じないので歩いて帰ることにした。
途中、学校のグランドにたくさんの人があつまり、落ちている壁などを見てはじめて「いつもと違う地震」と認識。雪が降りつける中、何とか自宅へ。
いままで、テレビでしか見たことのない風景がそこにはあった。
ちなみに娘は無事だったが、かなり怖い思いをしたらしい・・・
その日から電気、水道、ガスいわゆるライフラインが止まった・・・。
まず困ったのが、現代らしいが携帯。
いろんなところの安否確認をしたいが、充電が切れる。
ラジオと電気は手回し充電のできる災害用のランタンがあったのでフル活用。
いっつもグルグル回していた気がする。
次に水。
娘と奥さんで給水所にならんでもらい、息子と私は学校のプールの水をくませてもらい、風呂へためる。
もちろん、水洗便所のため。
あとは、なるべく行列の少ないコンビニなんかにならんで、食料の調達。
おかゆとかお菓子とか・・・
いわゆる山崎の菓子パンなんかはいまだに見ていない気がする。あるんだろうけど。
カセットボンベはわが家は少し備蓄があったのでよかったが、なかなか手に入らない。
仙台市はガスがいまだにダメなので、これはいまもある傾向。
こんな時はホットプレートが大活躍。
先週は1週間郡山にいたが、向こうはライフラインや食料はでしたが、やはり原発問題がだんだんみんなの心に影を落としてきている状況。
食料なくて、燃料なくて自宅待機はないよな・・・。
本当にこのことを考えると涙が出る。
がんばろう、復興を!はいいが、できない地域がある。
少なくともすぐ帰れない、また帰れるめどが立たない人がいる。
福島県で毎日毎日放射能の値を気にする毎日。
大丈夫と言われても、できれば浴びたくないのが人間の本音。
絶対大丈夫と言ってほしい。そう言ってくれる人にすがる思い。
60キロ離れた郡山でもこれなんだから、近い人はいかばかりか・・・。
そして、地震、津波、原発、そして次は風評被害。
他人を責めるつもりは毛頭ない。またそんな資格もない。
でも、涙が止まらないのはなぜなんだろう・・・
電気が二日目ぐらいにとおって初めて津波の被害を知った。
ラジオとテレビではインパクトが違った。
自分は阪神淡路までは無いと思っていた。
今いろんな問題があるようですが、その根本は燃料でしょう。
ガソリンです。これさえ、何とかなればかなりの問題がかたずいて行くように思います。
長蛇の列。これが一日も早く解決するよう今は願っています。
ただ、原発問題だけは別です!
自分の日記的な文章です。もし、お気にめさない表現があれば、それは本意ではないので削除します。
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