色彩の宇宙の夢

人は現在の星の光を知らない

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春の日は花と輝く

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冬も春も好き
ヒヨドリも桜も好き

花はいつか散るだろう
鳥もいつか死ぬだろう

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21日の日蝕、家の窓から。

専用の眼鏡は買わなかったのでステンドグラス用のアトリエから
ガラスの欠片を拝借して火で炙って煤をつけて…
というのをJが作ってくれたのでそれを使いました。

当日は良く晴れていて綺麗なリングが見られました。
リングだったのはほんの僅かの間でした。

画像はスマホによるので小さめ。

輝く花たち

以前アルバイトをしていた店に花を買いに行った。
久しぶりに、働いていたとき親切にしてくれたMさんに会ったので少し話をした際、
「水やりする花(仕事)はいっぱいあるぞ」と言ってくれて嬉しかった。

鮮やかな赤とピンクのゼラニュームと、紫のオステオスペルマムと、
ムスカリと薄紫のバーベナを買って、庭と、玄関の前に植えてみた。
花は良い。
ただそこに咲いている花があるだけでわたしの眼に喜びを与えてくれる…。



空色の花を見ると何故だか不思議な思いがする。
太陽の光が鮮やかな色彩を植物から誘い出すとき、他の色でなく空色になった不思議。
空色も、数ある色の中の一つに違いないのだが、青空の下で空色の花が咲いているのを見ると
足元にも小さな空があるような、不思議な思いがする。


今年はひとつの鉢のサボテンがいつになく沢山の花をつけた。
数ヶ月に亘って、今も咲き続けている。
それは、去年の震災で落ちて鉢が割れたため、植え替えたサボテンだ。
もしかしたら毎年植え替えるとどのサボテンも綺麗に咲くのかもしれない。


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梅の咲いた公園で散歩をしていると、青い眼の猫に出合った。
毛並みは美しく、首にはピンク色の紐のようなものがつけられており、
飼い猫のようだったが、その近くに飼い主はいないようだった。

近づくとニャーと小さく鳴いたが警戒する様子もなく、人馴れしているようだ。
ゆったりと歩いたり、立ち止まって薮の中の何か生物の気配に目を凝らしたりしていた、
自由気ままな猫のようだった。
誰かに甘えたりといったことは全く望んでいないように見えたのでそっとその場を立ち去った。

手招きする花たち

カタクリの花を見に行った。
タイミング良く満開の時期だったようで、沢山の人が来ていた。
カタクリの花の最前列には大砲の筒のようなレンズを備えたカメラを持った年配の男性がずらり。
見渡す限りカメラ女子なんてものはおらず、女性は専ら携帯で写しているようであった。
あるいはカメラ女子という生物は都会だけに生息しておるのかもしれぬ。

わたしも最近になってようやくQ-pot.デザインのスマホを手に入れたが、
殆ど使っていない有様。
普段、通話もメールもしない、アプリも使わないし、ネットをするにはタブレットがある、
というわけである。
ゲーム系アプリを使っているときは、こんなことやっても、何にもならない、と知りつつも
はまっていたのに、やらなくなった途端にどうでも良くなってしまう。
そして今は、そんなことやっても、何にもならない、と思って、興味が持てないのであった。

買うときは見た目だけで選んで買ったが、携帯はもっと色々な色やデザインがあっていいと思う。
そんな風に思う人のために携帯ケースなんてものがあるのかもしれないけれど
それも結局万人向けなのでありきたりというか、凡庸で欲しいと思うようなものが無い。
スカラベ型携帯とかあれば欲しいのになあ…。

でも携帯を使いこなす人にとっては機能性とか使いやすさのほうが大事で
デザインとか色などは二の次なのかもしれない。
使う予定の無いわたしにとっては、とりあえず見た目が大事なのであった。

タブレットは起動がとても早くてその点はすごく良い、また、閲覧にも適していると思うけれど
こうした、ブログの書き込みなんかはひどく面倒臭い。(今日も、パソコンを立ち上げて
書いている。)タブレット(そして携帯も)を使っていると書き込み等をする気が無くなってしまう。
キーボードが便利過ぎるんだな、きっと。

そしてわたしはタッチパネルが嫌いである。爪を長くしているから使いにくいというのもあるし、
指紋が目に見えて伸びるのが嫌だ。
擦りガラス風の保護シートを貼れば少しは目立たなくなるけれど…、
またキーボードだって指紋や汚れがついていることには変わりないけれど…
それでも、キーやボタンを押すのはまだ良い。
キーやボタンを押す場合は自分の指紋を後に残して指は逃れられる気がする。

面になったところを指の腹でこするという行為が嫌いなのだ。
これでは自分の指紋を引き摺り伸ばすことになり、画面も指紋だらけになるし、
指の腹に指紋や汚れを纏わりつかせることになる気がするのである。
その点は、何とかならないかな…。



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さて、カタクリの花たち。
開きかけの花はなめらかな人間の手のようで、ちょっと上がった人差し指に艶かしさを感じる。

歳を取る

歳を取ると、この眼に見えている世界も少しずつ変わってくる。
自分の立場や位置、他者や社会に求められる役割も少しずつ変わってくる。

貰う側から与える側へ、祝福される側から祝福する側へ、守られる側から守る側へ、
注目される側から注目する側へ、認められる側から認める側へ、愛される側から愛する側へ、
表舞台から舞台裏へ、歳を重ねるごとに少しずつ移行していくのだろうと思う。

もちろん、自分の中で自分は常に主役でいていいし、
それは誰にも、何にも侵されてはならない権利だと思う。

けれども、社会に求められる役割は確実に変化していく。
それは、寂しいことでもあるのかもしれない。ある意味で、失うことであり、別れである。
けれども、失うことによって、また別のものを得ることでもあり、それは出会いでもある。
より若い自分と絶えず別れ続け、そして、より歳を取った自分と絶えず出会い続けるのである。

子供の頃に見た世界は広く、未知なるものへと飛翔する想像力で満たされていた。
未知が知識によって満たされたとき、ヴェールの向こう側を想像する愉しみはもう持てないが、
歳を取って世界を見るとき、より細部に向かって広がっていく深みを知ることが出来る。
かつては知り得なかった、空間と時間に散りばめられた神秘的な象徴を読み解く魔術師のように。


振り返ると良い思い出ばかりなのは何故だろうか。
(それは今自分が幸福な時間を過ごしているからなのだろう。
不幸な時を過ごしているときは、嫌な思い出ばかりが蘇ってくるものだ。)
自分は十分に与えられ、祝福され、守られ、注目され、認められ、愛されてきた、そんな気がする。
だからこそ、自分も、愛し、与える側の人間になりたい、そんな風に思っている。
果たして、自分に何が、出来るのだろうか?

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