青山 俊董著 法の華鬘抄 より

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・・・省略・・・・
ちょっと欲張り過ぎの気もするのですが、お釈迦様のお経らしくない最初の説法を纏めた『法句経』と
42年の説法の後に最期の説法となる『法華経』を少しずつ、専門的な話は僧職の方や仏教の先生方にお願いして、
難しい話は抜きにして、お二人の話の中から、僕にも判り易い所だけを拝借して
学んで見ようかと思っています。

上手く行きますかどうか?少しずつトライしてみたいと思います。
(今日現在、『法華経』は手が付いていないのですが・・)

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内容(「BOOK」データベースより)
人生の岐路に立つたびに、心にまどいのあるたびに、直に釈尊よりの語りかけの言葉として著者の心にひびき、誤りない道しるべとなり、支えとなりつづけてくれた『法句経』の一偈一句を味読する。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
青山 俊董
昭和8年、愛知県一宮市に生まれる。5歳のとき長野県塩尻市の曹洞宗無量寺に入門。15歳のとき得度して愛知専門尼僧堂で修行。・・・省略・・・
昭和39年より愛知専門尼僧堂に勤務。昭和51年より同僧堂堂長、昭和59年より特別尼僧堂堂長および正法寺住職を兼ねる。平成18年、女性では二人目の仏教伝道功労賞を受賞。平成21年、曹洞宗の僧階「大教師」に尼僧として初めて昇任。曹洞禅の尼僧堂堂長として後進の育成はもとより、参禅指導や講演、執筆なども数多く、特に茶道・華道(教授)を通して一般へのわかりやすい禅の普及に努めている・・・
 

目次

第1章 おのれをみつめる
第2章 今を生きる
第3章 道を歩む
第4章 おのれをととのえる
第5章 真理の教え


***** 以下 その十三 本文 *****

第一章 おのれをみつめる

   6 持ち物から持ち主へ  から


   持ち主そのもののありようを

    「我に子等あり
   我に財あり」と
   おろかなる者は
   こころなやむ
   されど われはすでに
   われのものにあらず
   何ぞ子等あらん
   何ぞ財あらん      (六二番)

やはりイソドの古い話に、ビンズル尊者とウダエン王の話がある。
「おピンズルさま」とお呼びして日本でも親しまれている仏さまで、お寺の本堂の入り口においでになる仏さまである。
このビソズル尊者とウダエソ王は幼なじみであったが、一方は王様となり、多くの国を自分の手中におさめ、権勢をほしいままにしていた。一方は出家し修行され、ビソズル尊者と呼ばれるような立派なお坊さんになられた。
   あるときビソズル尊者が托鉢をしながら故郷のコーサミーヘやって来て、林の中で坐禅をしておられた。
そのことを伝え聞いたウダエソ王は、大勢の家来や女官をしたがえ、自分も王冠をかぶり、美々しく装いをこらし、ピンズル尊者を林の中に訪ねた。

ポロポロのお袈裟をまとい、応量器(鉄鉢)のほかは何も持っていない、もちろん住む家も家族もなく、樹下石上を住居として坐禅をしておられるピンズル尊者の前に、ウダエソ王は肩を張って言った。
「私は今、たくさんの国を征服して、モの勢いたるや昇る太陽のような勢いである。金も軍隊も美しい女官も、すべて心のままじゃ。どうだ。うらやましくないか」。
ビソズル尊者はたった一言、「吾に羨心なし」と答えた。
   
「ちっとも、うらやましくないよ」というのである。
ウダエン王が威張って並べたてて見せた中身は、みな王の外側の物ばかり、王を飾る衣装、王のお荷物になる持ち物ばかり、肝心な持ち主であるところの王自身、衣装の着手であるところの王自身がスポッと忘れられている。

持ち物や衣装に酔って主人公である自分を忘れている王の姿は、ビソズル尊者の目にはあわれにさえうつったことであろう。
明らかに醒めた目で見得ているピンズル尊者にとって、持ち物など少しもうらやましくないはずである。




     見よ

     かざられし

     王事にもたぐうべき

     この世間を見よ

     おろかびとは

     この世間に溺るれど

     心あるものには

     いかなる執著もあるなし  (一七一番)


    ルソーは『エミール』の中で、次のようなことを言っている。
     「人間はだれでも、王者であろうと大富豪であろうと、生まれるときには裸で、貧しく生まれて来、そして死ぬときにも、裸で貧しく死んでゆかなければならない。
このしばらくの中間を、さまざまの着物を着る。
女王のような華やかな着物、乞食という衣装、僧服、金持ち、社長、美人、さらには主義とかうぬぼれとか劣等感とか。
すべて衣装。ほとんどの人がこの衣装にばかり目をうばわれて一生を終わる。
すべてを脱ぎ捨てて裸の私自身をどうするかをまったく忘れてしまっている」
    
われわれがかけがえのない命を代償として追い求めていたものは、年とともに持ちかえてゆく持ち物、年とともに着替えてゆく衣装にすぎなかったのである。
肝心な持ち主そのものを忘れ、持ち物を追いかけることだけにうつつをぬかし、モれを得たといって酔いしれ、失ったといって絶望しているのである。
    
持ち物である限り、無常という、うつろうものであるという天地の道理の枠外に出ることはできない。
山と積まれた財産が借金に変わる日の来るのも当たり前。
若さがやがて老醜へと移るのも当たり前。
わが子、わが夫としてかけがえのない命として大切に思っても、お迎えが来た限り逝かねばならない。
生身の体である以上病む日のあるのも当たり前。
愛が憎しみに転ずる日の来るのも当たり前。                     
                                                
よく若い人が「こんなに愛し合っているのに、憎しみ合う日が来るなんて考えられません」とい言うけれど、愛と憎しみは一つのことの裏表。
愛は深いほど、一つ間違えると憎悪も深くなる。 
憎しみの只中で、これほど僧らしいのは、これほど深く愛していた証拠なんだと、その反面を見ることができたら、もう少し楽に生きてゆくことができようものを。
凡夫の悲しさで、愛するときは愛の一面しか見えず、憎悪のときは憎悪の一面しか見えない。
愛憎も損得も一つのことの裏表と、同じ姿勢でいただくことができたらと思う。
俗に「夫婦喧嘩の種のあるうちが花」という言葉があるが、大方は一方が欠けてからでないとこのことに気づかぬものである。
しかし喧嘩ができなくなってから気づいたのでは遅い。
喧嘩しながらも「夫婦喧嘩の種のあるうちが花」と、仏智に照らされることによって楽しみながら喧嘩できるようになりたいものである。
 
いずれにしてもうつろうて止まぬのがこの世の道理というもの。
そのうつろうて止まぬものに、しかもわが心にかなうことのみ変わらないでいてほしいと願うこと自体が間違っている。
人生観そのものが根本的に間違っているのであるから、そこから生まれてくるものは苦しみしかあり得ない。
一刻も早くこの間違いに気づき、一刻も早くこの酔いから醒め、持ち主そのもののありようを問わねばならないのである。
 
 
忠さんのちょっと余計な一言

この辺は、本の全文そのままです。

この『法句経』62番171番は、宮坂先生の本では、

62番
愚か者は、「わたしには子供がある。私には財産がある」と悩まされる。自分すら自分のものでない。どうして子供が(自分のものであり)、どうして財産が(自分のもので)あるか?
171番
さあ、あなたは国王の虚飾な車にも似るこの世の中を見るがよい。愚か者たちは、その中に沈む。賢い者は(それに)捉われることがない。
と書かれて居ます。

 
ここの下りでは、僕は、三輪明宏さんの『見える物を見ず 見えないものを見よ』の言葉を思い出す。
 
でも、人間はどうしても飾り立てた外見で人を見てしまうものだ。
 
この最後の四行・・
 
いずれにしてもうつろうて止まぬのがこの世の道理というもの。
そのうつろうて止まぬものに、しかもわが心にかなうことのみ変わらないでいてほしいと願うこと自体が間違っている。
人生観そのものが根本的に間違っているのであるから、そこから生まれてくるものは苦しみしかあり得ない。
一刻も早くこの間違いに気づき、一刻も早くこの酔いから醒め、持ち主そのもののありようを問わねばならないのである。
 
を心して置こう。
 
 

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・・・省略・・・・
ちょっと欲張り過ぎの気もするのですが、お釈迦様のお経らしくない最初の説法を纏めた『法句経』と
42年の説法の後に最期の説法となる『法華経』を少しずつ、専門的な話は僧職の方や仏教の先生方にお願いして、
難しい話は抜きにして、お二人の話の中から、僕にも判り易い所だけを拝借して
学んで見ようかと思っています。

上手く行きますかどうか?少しずつトライしてみたいと思います。
(今日現在、『法華経』は手が付いていないのですが・・)

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内容(「BOOK」データベースより)
人生の岐路に立つたびに、心にまどいのあるたびに、直に釈尊よりの語りかけの言葉として著者の心にひびき、誤りない道しるべとなり、支えとなりつづけてくれた『法句経』の一偈一句を味読する。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
青山 俊董
昭和8年、愛知県一宮市に生まれる。5歳のとき長野県塩尻市の曹洞宗無量寺に入門。15歳のとき得度して愛知専門尼僧堂で修行。・・・省略・・・
昭和39年より愛知専門尼僧堂に勤務。昭和51年より同僧堂堂長、昭和59年より特別尼僧堂堂長および正法寺住職を兼ねる。平成18年、女性では二人目の仏教伝道功労賞を受賞。平成21年、曹洞宗の僧階「大教師」に尼僧として初めて昇任。曹洞禅の尼僧堂堂長として後進の育成はもとより、参禅指導や講演、執筆なども数多く、特に茶道・華道(教授)を通して一般へのわかりやすい禅の普及に努めている・・・

目次

第1章 おのれをみつめる
第2章 今を生きる
第3章 道を歩む
第4章 おのれをととのえる
第5章 真理の教え


***** 以下 その十二 本文 *****

第一章 おのれをみつめる

   6 持ち物から持ち主へ から

  金貨の雨を浴びるとも
  諸欲には飽くことなし
  されば
  少分なりとも
  諸欲を味わうは
  くるしみなりと
  賢者は知れるなり    (一八六番)


 われわれ凡夫が、幸せという言葉を耳にしたとき、まず心に浮かぶことは何であろう。

貧乏より金があったほうが幸せ、金さえあればすべての人生の悩みは解決する、そんな錯覚におそわれて、一生、金、金、と金を追いかけて終わってしまう人もいる。
 インドに「三かく長者」と呼ばれる長者がいたという。恥かく、義理かく、欲かくというので三かく長者などという名誉ならぬ名前をもらった。
恥をかき義理をかいてでも欲をかいて、 一生の間に巨万の富を築きあげた。
いよいよ寄る年波となり、黄泉の国からのお迎えがやって来た。
遅ればせながらようやく気がついた。三かく長者などという名誉ならぬ名前をもらってまでも築きあげたこの財産、いざというとき、何の役にもたたないということに。
いざというとき一つも持ってゆくことができない、みな置いてゆかねばならないということに。
まかり間違うと後に遺った者たちの財産相続の争いの種になるだけだということに。
かけがえのない生涯を、そんなものを得ることだけのために空しく費してしまった、残念なことであったということに。
 
そこで三かく長者はせめてもの思いに、後に遺った人にこの愚の繰り返しをさせたくないと願い、息子に自分の葬式の仕方をたのんだ。
棺桶の両側に穴をあけ、手を出してくれと。
長者の願いは、これほど金をかき集めても、逝くときはから手だよ、何も持って行くことはできないのだよ、ということを後に遺った人びとに伝えたかったのである。
しかし、億万長者の葬列を見送ろうと沿道に並んだ人は、手の出た棺を見て何と言ったか。
「あれほどかき集めてもまだ足りなくて、もっと欲しいといって手を出している」と。

 
悲しい話である。
「逝くときはから手だよ。二度と私のような悲しい生きざまはしなさるなよ」
と長者は叫びたかったのだが、長者の生涯の生きざまが生きざまだから、人びとはそうは見てくれなかったのである。
大切なのは財産ではなくて生きざまそのものなのである。
ところがわれわれは財産を追うことに眼がくらんで、生きざまを忘れてしまう。


忠さんのちょっと余計な一言

この辺は、本の全文そのままです。

この『法句経』186番は、宮坂先生の本では、

「貨幣の雨を降らしても、もろもろの欲望が満足することは無い。『欲望は愉悦短くして、思うようにならないものだ』と賢いものは知って、

と書かれて居ます。

人生生きていて、何を為してきたかは、自分が知っているだけでなく、周囲の人たちもそれぞれの立場で見ているものだ。
 
それが判るのが、早ければ間にあうのだろうが、この『三かく長者』の様に死ぬときになって気付いても、もう遅い。
 
先日、あるところで聴いた話も似たようなものだった。
 
大病院の院長夫妻が、病院の医師や従業員をこき使って搾りとって、大金を残し、豪邸を造り、贅沢三昧に暮らしていた。
 
が、院長を引退し、長年の不摂生がたたって、病勝ちになって、身体も不自由になり、外出もろくに出来なくなってきて、食事も糖尿病制限になってしまった。
 
が、誰も見舞いや手伝いには来てくれないのだそうだ。
それどころか、今までの恨みつらみが、一遍に出てきて人々のうわさの種になっているとか・・
親族も、金をせびりに来ても介護はしないとか・・
段々お金の遣い方もケチになり、今までお金で寄って来た人まで来なくなってきて、孤独を嘆いているとか・・
 
自分に力があり、お金で人を思うように使っていても、一端力が弱くなると人は見限る。
 
そこに、在るのは金銭勘定だけで、一切の情は無いから、望んでも無理となる。
 
まさに、情けは人の為ならず、廻り廻って、自分が必要とする時に廻って来るように、前もって人に情けを掛けておくものらしい。
 
ご免なさい。更新が遅れていますが、ポチポチUPしますので・・

・・・省略・・・・
ちょっと欲張り過ぎの気もするのですが、お釈迦様のお経らしくない最初の説法を纏めた『法句経』と
42年の説法の後に最期の説法となる『法華経』を少しずつ、専門的な話は僧職の方や仏教の先生方にお願いして、
難しい話は抜きにして、お二人の話の中から、僕にも判り易い所だけを拝借して
学んで見ようかと思っています。

上手く行きますかどうか?少しずつトライしてみたいと思います。
(今日現在、『法華経』は手が付いていないのですが・・)

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内容(「BOOK」データベースより)
人生の岐路に立つたびに、心にまどいのあるたびに、直に釈尊よりの語りかけの言葉として著者の心にひびき、誤りない道しるべとなり、支えとなりつづけてくれた『法句経』の一偈一句を味読する。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
青山 俊董
昭和8年、愛知県一宮市に生まれる。5歳のとき長野県塩尻市の曹洞宗無量寺に入門。15歳のとき得度して愛知専門尼僧堂で修行。・・・省略・・・
昭和39年より愛知専門尼僧堂に勤務。昭和51年より同僧堂堂長、昭和59年より特別尼僧堂堂長および正法寺住職を兼ねる。平成18年、女性では二人目の仏教伝道功労賞を受賞。平成21年、曹洞宗の僧階「大教師」に尼僧として初めて昇任。曹洞禅の尼僧堂堂長として後進の育成はもとより、参禅指導や講演、執筆なども数多く、特に茶道・華道(教授)を通して一般へのわかりやすい禅の普及に努めている・・・

目次

第1章 おのれをみつめる
第2章 今を生きる
第3章 道を歩む
第4章 おのれをととのえる
第5章 真理の教え

***** 以下 その十一 本文 *****

第一章 おのれをみつめる

   5 おのれを愛しむ  (から、その三)

 幸せの中身


  ささやかなる
  たのしみを棄てて
  若し
  大きなる
  たのしみを得んとせば
  かしこき人は
  彼岸の大楽をのぞみて
  小さきたのしみを
  すてさるべし       (二九〇番)

 お釈迦さまにこんなお話がある。
お釈迦さまが説法をしておられる最中に、アヌルダというお弟子さんがうとうとと居眠りをしてしまった。
お話が終わったあとお釈迦さまは、アヌルダをお呼びになって、きびしくお叱りになった。
 
アヌルダは深く懺悔をし、「以後決して眠りません」とお誓いをたてた。
よほど申し訳ないと思ったのであろう、夜も眠らないというすさまじいまでの眠りとの闘いが始まった。
生身の人間が夜も眠らないで過ごせるはずがなく、結局のところ無理がたたって失明してしまうのである。
 
眼が見えなくなっても、出家者のせねばならない仕事の一つに、自分のお袈裟を縫うということがある。
縫うことも大変だけれど、もっと困ることは針のメドに糸が通らない。
 
アヌルダは見えぬ目をしばだたきながらつぶやいた。
「誰か幸せを求める人は、私のこの針のメドに糸を通してくれないだろうか」と。
 
アヌルダのつぶやきを誰よりも早く耳にし、「どれ、私が通させてもらいましょう」と側へ寄ってくださったのはほかでもない、
お師匠さまであるところのお釈迦さま御自身だったのである。
 
アヌルダはとびあがらんばかりに驚いて叫んだ。
「もったいないことでございます。私はお師匠さまに私の針のメドを通していただこうとは思いません。しかしながらお釈迦さま、あなたも幸せを求めておいでですか」。
 
思わずお質ねしたアヌルダの問いに対し、
お釈迦さまは、「世間、福を求むるの人、また我に過ぎたるはなし」(『増一阿含経』)と答えられたのである。
 
みんな幸せを求めているけれど、私ほど真剣に幸せを求めた者はいないであろう、というのである。
小さいながらも釈迦国という一国の王子として、富も名誉も、美しい妃も、すべて思うままになるお方が、世間でそれを得れば幸せと思われてい
るそれらのすべてを捨てて、一介の乞食僧となっての御修行が、誰よりも真剣に幸せを求めた後の姿なんだという。
 
幸せを求めるということにおいてはわれわれと変わりがないけれど、幸せの中身が違う、幸せの方向が違うということに気づかされる。

                            
忠さんのちょっと余計な一言

この辺は、本の全文そのままです。

この『法句経』290番は、宮坂先生の本では、

「わずかな安楽を捨てて広大な安楽を望むならば、賢い者は広大の安楽を望み、僅かな安楽を捨てたほうがよい」

と書かれて居ます。

人生生きていて、何を幸せと感じるかは、人それぞれ・・些細な事にも幸せを見つけて喜びを感じる人も居る。
 
が、「幸せの中身が違う、幸せの方向が違う」と言う言葉のもつ意味を、今一度しっかりと味わってみよう。
 
『富も名誉も、美しい妃も、すべて思うまま』になっても、それが自分が求める幸せとは違うと気づかれ修行に入られた釈尊・・・・
 
と言って、僕が釈尊の求めたものを求めようとも思わない。
 
お金は衣食に困らぬ程にあればよい、名誉や勲章はいらない、自分の心が欲するままに生きて、
多少でも人様のお役に立てることが出来れば、それに勝る喜びはない。
 
この自分の心が、なかなか定まらず、時として暴走しそうなのが難題だ。
 
人の評価や噂に惑わされる事なく、時の変化に揺ら揺らゆれながらも、芯はどっしりとしていたいものだ。
 
雨や強風も晴天や春風と同じように楽しめる心でありたい・・
 
自然や人との関わりに、ひそかな楽しみを見つけたい・・
 
毎日の些細な事をニコヤカに会話する家族に恵まれて居たい・・
 
喜怒哀楽を、周囲に遠慮することなく、素直に表せるように生きて行きたい・・
 
と数え上げると、けっこう欲張りかなあ・・・って思うけれど・・

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42年の説法の後に最期の説法となる『法華経』を少しずつ、専門的な話は僧職の方や仏教の先生方にお願いして、
難しい話は抜きにして、お二人の話の中から、僕にも判り易い所だけを拝借して
学んで見ようかと思っています。

上手く行きますかどうか?少しずつトライしてみたいと思います。
(今日現在、『法華経』は手が付いていないのですが・・)

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人生の岐路に立つたびに、心にまどいのあるたびに、直に釈尊よりの語りかけの言葉として著者の心にひびき、誤りない道しるべとなり、支えとなりつづけてくれた『法句経』の一偈一句を味読する。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
青山 俊董
昭和8年、愛知県一宮市に生まれる。5歳のとき長野県塩尻市の曹洞宗無量寺に入門。15歳のとき得度して愛知専門尼僧堂で修行。・・・省略・・・
昭和39年より愛知専門尼僧堂に勤務。昭和51年より同僧堂堂長、昭和59年より特別尼僧堂堂長および正法寺住職を兼ねる。平成18年、女性では二人目の仏教伝道功労賞を受賞。平成21年、曹洞宗の僧階「大教師」に尼僧として初めて昇任。曹洞禅の尼僧堂堂長として後進の育成はもとより、参禅指導や講演、執筆なども数多く、特に茶道・華道(教授)を通して一般へのわかりやすい禅の普及に努めている・・・

目次

第1章 おのれをみつめる
第2章 今を生きる
第3章 道を歩む
第4章 おのれをととのえる
第5章 真理の教え


***** 以下 その十本文  *****


第一章 おのれをみつめる

   5 おのれを愛しむ  (から、その二)

   自愛を追いつめた上の他愛=同悲の世界

   インドのお釈迦さまの時代にハシノク王という王様がおられた。舎衛国の国王で、われわれ日本人の耳にも親しい祇園精舎のすぐ近くに居城があり、今もその城跡が遺っている。そのハシノク王がある日、しみじみと王妃マツリカーに語りかけた。
    「人間は一生いろいろなことを考えたり、行なったりして過ごしてゆくが、よくよく考えてみるとみんな自分の幸せのためのような気がしてならない。自分より妻を、子を、人びとを愛するなどと格好のよいことを言っているが、いよいよとなると結局自分が一番かわいい。しかし、この結論は、『生きとし生けるものすべてをわが子のように愛せよ』とお説きくださるお釈迦さまの教えに反するような気がしてならない。王妃マツリカーよ、お前はどう思うか」
   問われたマツリカーも一生懸命考えてみたが、やはり王と同じ結論しか出ない。どうも落ち着かない。人生の師、永遠の師として敬慕して止まないお釈迦さまの教えにもとるような気がしてならない。そこで二人して祇園精舎を訪ね、このことをお釈迦さまに申し上げて教えを乞うた。
  にこやかに聞いておられたお釈迦さまは、静かにお答えになった。

   人のおもいは
   いずこへもゆくことができる                          
   されど いずこへおもむこうとも                         
   人は おのれより愛しいものを                          
   見いだすことはできぬ                             
   それと同じく 他の人々も                           
   自己はこの上もなく愛しい
   されば
   おのれの愛しいことを知るものは
   他のものを害してはならぬ     (『相応部経典』一二・八七)

 仏教の説く慈愛は、この本能的ともいうべき、どろどろの、醜くさえある自愛の、どうにもならぬその姿を、まじろぎもせずに見つめ、追いつづけた末に、その底が破れての他愛であることに気づかされる。


  すべてのもの

  刀杖を怖れ

  すべてのもの

  死をおそる

  おのれを

  よきためしとなし

  ひとを害い はた

  そこなわしむるなかれ  (一二九番)


 釈尊は繰り返し繰り返し、「おのれの愛しいことを知るものは、他のものを害してはならぬ」
「おのれをよきためしとなし、ひとを害してはならぬ」と、徹底的に自愛の姿を追いつめた上での他愛を、慈悲を説いておられる。仏教の説く慈悲というのは、この自愛の極限において転じた他愛であり、自他一枚の同悲の世界である。           
            
 ショーペンハウエルは「仏教には同悲ということがある」と言って賛嘆している。あの人の悲しみが即私の悲しみといただけ、この人の喜びがそのまま私の喜びといただく。これが「同悲」の世界である。
山川草木、魚鳥すべての命の上に私の命を見るからこそ、殺してはならない、傷めてはならないのではなく、殺せなくなる。傷つけられなくなるのである。
自己、他己とどちらにも己をつける、べた一面第一人称のみの世界の展開となるのである。          

 

忠さんのちょっと余計な一言

この辺は、本の全文そのままです。

この『法句経』129番は、宮坂先生の本では、

「すべての者は、暴力に怯える。すべての者は、死を恐れる。自分に引き比べて殺してはならぬ。人をして殺させてはならぬ」

と書かれて居ます。

この『同悲』と言う言葉、『あの人の悲しみが即私の悲しみといただけ、この人の喜びがそのまま私の喜びといただく。これが「同悲」の世界である。』と言われる。
すなわち、『共に悲しみ同感していくこと』を指す言葉のようです。
 
そして『他己』とは?他人から見た自己という事のようです。
 
結局、自分をとことん愛するがごとく他人を愛し、他人の悲しみを我が悲しみとする。他人の喜び・幸せが自分の喜び・幸せとなる。
そうなれば、他人を殺す事も悲しませる事も、する事はできなくなるであろうと・・・・。
 
全てが、己一人、己如何に関わる事となるらしい・・
己あってこその世界、己しだいで如何様にも変わるのが己の世界?
 
自らがして欲しくない事を、決して他の人にすることの無いように、心がけてみよう。
暫くすると、周囲の人たちの反応が変わって来るかも知れないから・・・
 
ご免なさい。更新が遅れていますが、ポチポチUPしますので・・

・・・省略・・・・
ちょっと欲張り過ぎの気もするのですが、お釈迦様のお経らしくない最初の説法を纏めた『法句経』と
42年の説法の後に最期の説法となる『法華経』を少しずつ、専門的な話は僧職の方や仏教の先生方にお願いして、
難しい話は抜きにして、お二人の話の中から、僕にも判り易い所だけを拝借して
学んで見ようかと思っています。

上手く行きますかどうか?少しずつトライしてみたいと思います。
(今日現在、『法華経』は手が付いていないのですが・・)

イメージ 1
内容(「BOOK」データベースより)
人生の岐路に立つたびに、心にまどいのあるたびに、直に釈尊よりの語りかけの言葉として著者の心にひびき、誤りない道しるべとなり、支えとなりつづけてくれた『法句経』の一偈一句を味読する
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
青山 俊董
昭和8年、愛知県一宮市に生まれる。5歳のとき長野県塩尻市の曹洞宗無量寺に入門。15歳のとき得度して愛知専門尼僧堂で修行。・・・省略・・・
昭和39年より愛知専門尼僧堂に勤務。昭和51年より同僧堂堂長、昭和59年より特別尼僧堂堂長および正法寺住職を兼ねる。平成18年、女性では二人目の仏教伝道功労賞を受賞。平成21年、曹洞宗の僧階「大教師」に尼僧として初めて昇任。曹洞禅の尼僧堂堂長として後進の育成はもとより、参禅指導や講演、執筆なども数多く、特に茶道・華道(教授)を通して一般へのわかりやすい禅の普及に努めている・・・
 

目次

第1章 おのれをみつめる(他人の邪曲を観るなかれ
愚を知る ほか)
第2章 今を生きる(無常の凝視
歩々白蓮開く ほか)
第3章 道を歩む(精進こそ不死の道
中身が大切 ほか)
第4章 おのれをととのえる(おのれこそおのれのよるべ
正しい信とは ほか)
第5章 真理の教え(捨ててこそ
縁起の教え)

***** 以下 その九 本文 *****

第一章 おのれをみつめる
   5 おのれを愛しむ  (から、その一)

  若し ひと
  おのれを愛すべき
  ものと知らば
  つつしみて
  おのれを護るべし
  心あるものは
  三時の一において
  きびしく
  おのれを省るべし  (一五七番)

 前節の終わりで「仏の限を畏れ、おのれを慎しんで生きていきたい」と格好のよいことを言ったが、ひと皮むいてみれば何のことはない、たった一つのこの命が愛しいからである。
悔いない人生を送りたいからである。ほんとうの幸せな生き方がしたいからである。
今年(昭和五十九年)の正月、勅題「緑」によせて私はこんな歌をつくった。

  くれないに命もえんとみどりなす黒髪断ちて入りし道かも

 要するにほんとうの幸せを求めての旅立ちが出家だったわけである。
よく人は何故出家したかということを聞きたがる。二十年も前のこと、あるテレビ局で紀野一義先生と二度にわたって対談したことがある。二度目の対談に入ったとき、紀野先生が視聴者からの質問の代弁だと言って、「何故尼僧になったか」を質ねられた。私は答えた。
  「誰しも自分がかわいい。たった一つの命の、ぎりぎりの生きざまを、ほんとうの幸せな生きざまを求め求めて、行きついたところが出家という姿になっただけのことです。お釈迦さまは、国王とか財産とか妻子などという程度のことでは満足できないほどの大欲張りだったから、出家されたんだと思いますよ。私もお釈迦さまほどの欲張りではありませんが、やはり欲張りだったから出家したんだと思います。誰しも仏法のほんとうのすばらしさがわかれば、みんな出家したくなるんじやないでしょうか」
 
 しかしこの答えは一般の人には物足りないものであったらしい。対談を終えて控え室へもどった私に、チーフ・ディレクターが言った。「先生、上手に逃げられましたね」と。       
 ほんとうのことを言ったのに逃げたと言われて私は不満であった。しかし一般の方はもっと、ほれた、はれた、別れた等々、ドラマティック、ロマンティックな答えがほしいらしい。しかし、そんなのは一時的な感情の高揚で、真の出家の動機にはならない。もっと根源的なところで人生観の百八十度の転換がなされなければ、この道を行じきることはできないであろう。      
    いずれにしても我が身かわいい思いからの出発であることには変わりない。お互いにたった一の命、やりなおすことも、とりかえることもできない一遍こっきりの命を愛しいと思う。どうなってもよいと、もし捨てばちになっている人がいるとしても、ほんとうは幸せでありたいという強い思いの裏返しの姿にすぎない。誰しも意識する以前に本能的に自分が誰よりも愛しいものなのである。

榎本栄一さんの詩に、

     私の中 覗いたら
     お恥かしいが
     たれよりも
     自分が一番かわいいというおもい
     コソコソうごいている      
(榎本栄一『煩悩林』難波別院刊)

というのがあるが、これが凡夫われわれの偽らぬ姿なのであり、また、仏法がきれいごとではなく、このみにくくさえある我が身かわいいの本能的欲望の凝視から出発しているところに、むしろすばらしさがあるのである。



忠さんのちょっと余計な一言

この辺は、本の全文そのままです。

この『法句経』157番は、宮坂先生の本では、

「もし己の愛すべきことを知るならば、これ(=己)をよく守らねばならない。賢い者は夜の三分の一(=初更)は目ざめているべきである」

と書かれて居ます。

この「仏法がきれいごとではなく、このみにくくさえある我が身かわいいの本能的欲望の凝視から出発している」と言う言葉からは、
僕は、禅で言われる『自己究明』と言う言葉を思い出していました。

『みにくくさえある我が身かわいいの本能的欲望』を凝視するには、自らを見極める覚悟が必須だろう。

その自分が心の奥底に潜めているであろう我が身可愛さの本能的欲望とは?
一体どんなものなのか?見たくも無い、ましてや他人に覗かれたくもない醜い我が欲望?

でも、それが、自分自身の心の姿なら、目をしっかりと見開いて観る事が必要なのだろう。

夜の初めに、今日一日の自己の在り様を、しっかりと反省せよと教えてくださったのだ。



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