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3月15日以来中断しておりましたが、毎日とはいきませんがポチポチ更新して参ります。と更新して既に3週間たってしましました。
が、2〜3日に一度は更新したいと思って再開します。よろしくお願いします
先日1月31日に『今日嬉しかったこと』のタイトルで、先日までUPし続けていた田上先生の『六方礼経』に続いて、
『田上 太秀著 「仏陀のいいたかったこと」』と 『田上太秀著 「涅槃経」を読む』の2冊の転載のお許しを頂けたことをUPいたしました。 一昨年7月にUPした「田上 太秀著 「仏陀のいいたかったこと」」は、 或る意味ではサマリーとも言えますので、先ずは、あらすじを見て頂くと言う意味で、再掲出致しました。 これから、ゆっくりと全文をUPしてまいります。 内容紹介
釈尊の入滅後、仏教は各地へ伝播しやがて6世紀には日本へも伝来した。しかし、インドと遠く隔たる日本へ遥かな歳月をかけて到達したのが、釈尊の説いたままの仏教であったかと問えば、答えは否である。 釈尊はもともと何を教え、どこへ導こうとしたのか?偶像ではない人間釈尊の言と行とに、その本音を探る。 著者 田上 太秀 1935年ペルー・リマ市生まれ。駒沢大学仏教学部卒業。東京大学大学院修士課程修了。同博士課程満期退学。駒沢大学仏教学部教授。駒沢大学禅研究所所長。文学博士。著書に『禅の思想』『禅語散策』『道元のこころ』『仏陀臨終の説法──完訳・大般涅槃経』(全4巻)『仏教の世界』『釈尊の譬喩と説話』『四十二の教訓──四十二章経を語る』『迷いから悟りへの十二章』等多数。 目次 1 インドにも「諸子百家」がいた 2 釈尊の立場と伝道 3 過去の因習を超える 4 日常生活に根ざした教え 5 男女平等を説く 6 国家・国王との関係 7 俗世と出家 8 霊魂を否定し、無我を唱える 9 ブッダになることを教える 10 出家者の正しい生活態度 11 釈尊後の仏教 12 大乗仏教の誕生 13 意識下の世界を見る 14 ブッダになるために ***** 以下本文その五十 *****
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前々々回でこの本の転載は終了ですが、
学術文庫版には、多くの注記が追加され、また、湯田豊先生の解説も付加されて居ります。 そこで、解説を引き続き転載させて頂きます。
********** 解 説 (続き) 湯田 豊 Ⅲ
「ブッダになる」ことが釈尊のメッセージであると考え、どのようにして、人間はブッダになれるかという青写真を田上教授はわれわれに示してくれます(一六六― 一八五頁)。ところで、ハイデガーと並んでニーチェ解釈を代表するアメリカの哲学者、カウフマンは宗教の本質を”神のようになろうとする熱望”であると言明しました。確かに、宗教の本質は自己自身を向上させようとする熱望です。田上教授は、”ブッダになる”為の道をわれわれに示しました。”ブッダになるために”われわれは極端に走ることなく、バランスのとれた生活をすべきだ、と彼は強調します。「行ないが、動きが、はたらきがすべて教えそのものとなる」ような心境に達した人こそ、ブッダである」―この言葉をもって『仏陀のいいたかったこと』という書物は完結されています。彼のこの書物は仏教のABCさえ知らない人々にとって最良の入門書であるばかりでなく、仏教を専攻する研究者にとっても有益である、と、わたくしは確信します。『仏陀のいいたかったこと』が、西暦二〇〇〇年の初頭に出版されることを、わたくしは大きな喜びをもって歓迎します。
―――――― ・―――――― 今、『仏陀のいいたかったこと』に対する解説を書きながら、わたくしは大学院時代を懐かしく思い出しています。田上太秀と湯田豊一 二人は同じ年に東京大学大学院の修士課程”印度哲学科”に入学し、同じ年に博士課程に進学し、同じ年に博士課程を修了しました。 田上太秀は、わたくしの最も親しい同級生だったのです。当時は、二人とも若かった。若き日の田上太秀は血の気が多く、いつも活気に満ち、行動的で、よく哄笑し、楽天的でした。 そんな彼の同級生であったことを、わたくしは今でも誇りに思っています。 博士課程を修了した年の春、仏教研究への燃えるような情熱を胸に秘め、彼は駒澤大学に奉職して、後に仏教学部の教授になりました。やがて彼はアメリカ、カリフォルニア大学のロサンゼルス校に留学し、仏教研究の大きな成果を携えて帰国し、現在に至るまで駒澤大学で教鞭をとっています。また学外での活躍もめざましく、NHK教育テレビでも、彼は講師として仏教について語っています。 田上博士は、インサイダーとして内部から仏教を変革しようと努力しています。換言すれば、彼は仏教の内部に身を置きながら、伝統的な仏教に挑戦し、それを徹底的に批判し、仏教の「脱構築」を図っているとも言えます。『仏陀のいいたかったこと』は、古い仏教の脱構築として理解されてよいのではないでしょうか。田上太秀の仏教研究の根底にあるのは、”ブッダになる”という熱望です。彼は、常に現実との接点を見い出し、現実に対して心を開こうとしています。田上太秀とわたくしは対照的です。彼が”ソフト”であるのに対し、わたくしは”ハード”ですが、彼が”ソフトである”というのは、あらゆる人間に対して優しいということなのです。本書『仏陀のいいたかったこと』は、人間理解に対しての、彼の”優しさの結晶”として読まれるべきだ、と(も)、わたくしは思います。 (神奈川大学教授) 以上を持って「田上 太秀著 「仏陀のいいたかったこと」」の掲載を終わります。
田上先生、本当にご好意ありがとうございました。
お陰さまで、多くの人たちが、この本を垣間見る事が出来た事と思います。
なお、引き続き田上先生の『「涅槃経」を読む ブツダ臨終の説法』をUPさせて頂きます。
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田上 太秀著 「仏陀のいいたかっ
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3月15日以来中断しておりましたが、毎日とはいきませんがポチポチ更新して参ります。と更新して既に3週間たってしましました。
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先日1月31日に『今日嬉しかったこと』のタイトルで、先日までUPし続けていた田上先生の『六方礼経』に続いて、
『田上 太秀著 「仏陀のいいたかったこと」』と 『田上太秀著 「涅槃経」を読む』の2冊の転載のお許しを頂けたことをUPいたしました。 一昨年7月にUPした「田上 太秀著 「仏陀のいいたかったこと」」は、 或る意味ではサマリーとも言えますので、先ずは、あらすじを見て頂くと言う意味で、再掲出致しました。 これから、ゆっくりと全文をUPしてまいります。 内容紹介
釈尊の入滅後、仏教は各地へ伝播しやがて6世紀には日本へも伝来した。しかし、インドと遠く隔たる日本へ遥かな歳月をかけて到達したのが、釈尊の説いたままの仏教であったかと問えば、答えは否である。 釈尊はもともと何を教え、どこへ導こうとしたのか?偶像ではない人間釈尊の言と行とに、その本音を探る。 著者 田上 太秀 1935年ペルー・リマ市生まれ。駒沢大学仏教学部卒業。東京大学大学院修士課程修了。同博士課程満期退学。駒沢大学仏教学部教授。駒沢大学禅研究所所長。文学博士。著書に『禅の思想』『禅語散策』『道元のこころ』『仏陀臨終の説法──完訳・大般涅槃経』(全4巻)『仏教の世界』『釈尊の譬喩と説話』『四十二の教訓──四十二章経を語る』『迷いから悟りへの十二章』等多数。 目次 1 インドにも「諸子百家」がいた 2 釈尊の立場と伝道 3 過去の因習を超える 4 日常生活に根ざした教え 5 男女平等を説く 6 国家・国王との関係 7 俗世と出家 8 霊魂を否定し、無我を唱える 9 ブッダになることを教える 10 出家者の正しい生活態度 11 釈尊後の仏教 12 大乗仏教の誕生 13 意識下の世界を見る 14 ブッダになるために ***** 以下本文その四十九 ***** **********
前々回でこの本の転載は終了ですが、
学術文庫版には、多くの注記が追加され、また、湯田豊先生の解説も付加されて居ります。 そこで、解説を引き続き転載させて頂きます。
********** 解 説 (続き) 湯田 豊
Ⅱ
『仏陀のいいたかったこと』において、著者は三つのテーマを扱っているように思われます。すなわち、第一に、四つの貴い真理および八正道というブッダの最初の説法について、彼は、これを”中道”として理解しています。第二に、縁起、無我、輪廻という、ブッダの基本的な思想について、彼は徹底的に論じています。第三に、ブッダ自身の平等観、特に、”男女平等説”について、著者は雄弁に語り、その際に、階級に関するブッダのユニークな見解にも触れています。 本書の第4章において、田上教授は、ヴァーラーナシ(=ペナレス)の説法を、極端を離れた”中道の実践”として解釈しています。最初の説法において、ブッダは極端な官能的快楽およひ禁欲(苦行)を避け、「中道」を説きました。ブッダの中道を、著者は「釈尊は欲を肯定も否定もしなかった」(八三頁)というふうに解釈していますが、”欲望”ないし”渇き”に対する無執着を、著者は”中道”として理解し(九一ー九三頁参照)、釈尊は「欲を捨てろとはいわない。欲から遠く離れろと教えた」(一三七頁)と言い切りました。ブッダの真意が”欲望”の否定、”渇き”の絶滅であるという古い解釈に反対して、著者は新しい 解釈を提唱しています。ヴァーラーナシの説法において中道が八正道と同一であると見なされていることは否定され得ません。 本書の第4章(八七頁以下)において、著者は出家者の修行道としてのハ正道(正しい観、正しい思念、正しい言葉、正しい行為、正しい生活態度、正しい努力、正しい記憶、正しい注意=田上訳)についてスケッチしています。彼は”八正道”を「欲そのものの否定、あるいは欲の禁断ではなくして、欲への執着を戒める立場であった」と言い、引き続き「それが『中』の立場であり、(ハ正道の)正の意味である」(九三頁)と言って、田上教授はThe New buddhaのイメーシを創出しました。 ”縁起”(一六九頁以下、一七五頁以下)および”輪廻”(一五六頁以下)に関する著者の説明は申し分のないものてあると言えましょう。田上教授のおかけで、われわれはブツダの基本的な教えについて正しく知ることかできます。輪廻を可能にするものがカルマン(業)の法則であり、この法則が報復の原理に基づいていること、そして無我説か縁起説の論理的帰結であることも、わたくしは著者の流暢な文章から読み取ります。彼自身は次のように述べていますーーー「釈尊の教えからいえば、すべてのものか縁起しているのは、ものに本 『仏陀のいいたかったこと』第3章において、著者は男女の間に差別はなく、「人はみな生まれたときから人として平等である」(七三頁)と言っています。釈尊は「人間平等」というスローガンを掲げて法を説いたと著者は考え、彼のこの主張を、本書のハイライトである第5章において具体的に例証しています。著者の考えに従えば、男に生まれかわらなければ究極の悟りは得られないという”変成男子”の考えは、ブッダの本来的な教えではないということになります。「女性の本性は男性と異なるわけではなく、その行為が正しければ同じように悟りを得られるという行為平等論」(九九頁)にブッダは立っているーーこのように田上教授は言っています。彼はブッダの行為論を重視しています。
万人は平等に生まれ、死ぬまで平等であると、私自身は思いません。しかし、ブッダが女を男と同等であると見なしたことはパーリ聖典において証明されています。ブッダが男女平等を説いたという田上説は正しいと思います。 ・・・・・続きは又明日?・・・・・ |
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先日1月31日に『今日嬉しかったこと』のタイトルで、先日までUPし続けていた田上先生の『六方礼経』に続いて、
『田上 太秀著 「仏陀のいいたかったこと」』と 『田上太秀著 「涅槃経」を読む』の2冊の転載のお許しを頂けたことをUPいたしました。 一昨年7月にUPした「田上 太秀著 「仏陀のいいたかったこと」」は、 或る意味ではサマリーとも言えますので、先ずは、あらすじを見て頂くと言う意味で、再掲出致しました。 これから、ゆっくりと全文をUPしてまいります。 内容紹介
釈尊の入滅後、仏教は各地へ伝播しやがて6世紀には日本へも伝来した。しかし、インドと遠く隔たる日本へ遥かな歳月をかけて到達したのが、釈尊の説いたままの仏教であったかと問えば、答えは否である。 釈尊はもともと何を教え、どこへ導こうとしたのか?偶像ではない人間釈尊の言と行とに、その本音を探る。 著者 田上 太秀 1935年ペルー・リマ市生まれ。駒沢大学仏教学部卒業。東京大学大学院修士課程修了。同博士課程満期退学。駒沢大学仏教学部教授。駒沢大学禅研究所所長。文学博士。著書に『禅の思想』『禅語散策』『道元のこころ』『仏陀臨終の説法──完訳・大般涅槃経』(全4巻)『仏教の世界』『釈尊の譬喩と説話』『四十二の教訓──四十二章経を語る』『迷いから悟りへの十二章』等多数。 目次 1 インドにも「諸子百家」がいた 2 釈尊の立場と伝道 3 過去の因習を超える 4 日常生活に根ざした教え 5 男女平等を説く 6 国家・国王との関係 7 俗世と出家 8 霊魂を否定し、無我を唱える 9 ブッダになることを教える 10 出家者の正しい生活態度 11 釈尊後の仏教 12 大乗仏教の誕生 13 意識下の世界を見る 14 ブッダになるために ***** 以下本文その四十八 ***** **********
前回でこの本の転載は終了ですが、
学術文庫版には、多くの注記が追加され、また、湯田豊先生の解説も付加されて居ります。 そこで、解説を引き続き転載させて頂きます。
********** 解 説 湯田 豊
人類の思想史において、シッダッダ・ゴータマほど多くの人に大きな影響を与え、アジアに不滅の痕跡を残した人間は滅多にいません。周知のように、ゴータマ、すなわち、ブッダは独力で仏教という宗教を創始しました。仏教は、無数の人々に慰めを与えただけでなく、崇高なヒューマニズムをもたらしました。このような宗教が何を説いたか、ブッダの教え、すなわち、釈尊の真意はどこにあったかを明らかにしようとしたのが、田上太秀著『仏陀のいいたかったこと』です。著者のこの書物を、わたくしはブッダの非神話化を企てた一つの試みとして高く評価したいと思います。 Ⅰ 生身の人間としてのブッダは重要ではない、彼の教えだけが価値のあるものであるーーこのように、今まで仏教徒は主張して来ています。しかし、田上教授は「偶像化した釈尊ではなく、体臭が感じられるほど身近な釈尊を描こう」(まえがき)と試みました。そうすることによって、彼は「人間釈尊の本音はどこにあったか」ということを明らかにしようとしたのです。ブッダの布教を可能にし、それを成功させた政治的=社会的諸関係とともに、著者はブッダの教えを理解しようとしました。生身のブッダ、および彼の生活環境を知ろうというのが本書のユニークな特色の一つになっています。このような問題意識をもって書かれた仏教書は、まだ日本には存在しません。 ブッダの生活環境として著者によって重視されたのは、古代インドの階級、人生の段階、バラモンの祭祀(特に火の祭り)、そして宗教的な解放運動です。本書『仏陀のいいたかったこと』は、十四の章から構成されています。第1章において田上教授は古代インドの階級、人生の段階、およびバラモン哲学についてスケッチし、その後にブッダと同時代の宗数的な解放運動について論じていますが、彼は沙門に(シュラマナ)を異端としての自由思想家として理解し、代表的な六人の思想家について実に詳しく論じています。 いわゆるホームレスとして放浪していた自由思想家のひとり−−それがブッダである−ーこのように著者は考えています。ブッダは沙門であり、仏教の起源は沙門によって代表される宗数的な解放運動に求められます。「これら六人のシュラマナ、つまり自由思想家たちは新興都市を中心に、王侯・貴族・富豪の政治的・経済的支持を受けて、活発な活動を展開した。 そして多くの人々から尊敬されていた。出家者であり、修行経験も豊富であったと伝えられる」(三四頁)と著者は言っています。「・・・・ 仏教の開祖、釈尊の場合も同じであった」(三四頁)と言えるでしょう。六人の自由思想家について、田上教授は非常に詳しく、しかも正確に論述しています。沙門についてこのように詳細に論じている仏教書を、わたくしは知りません。まことに、本書は他に類のない、画期的なものであります。 田上教授は、第2章において「釈尊の思想は火の宗教を制したのである」(四七頁)と言い、ブッダの反祭祀、反祭式の立場を明らかにしています。第3章(五九頁以下)においてもヽ彼はバラモンの火の祭り、および祭祀を否定することによって仏教が成立したと考えています。確かに、ブッグは火の祭り、あるいはバラモンの儀式を否定しました。しかし火の祭り、ないし祭祀からどのようにして古代のバラモン哲学ーーウパニシャッドーが生まれたかを、著者は解明していません。彼によって示されたのは、バラモンの哲学が師匠から愛弟子・妻・実子などに秘密のうちに伝えられた教えであること(四六頁参照)、および「宇宙原理のブラフマン(梵)と個人に内在する原理のアートマン(我、霊魂)とは本来一体であるという「梵我一如の哲学」(一七頁)なのです。弟子が師匠の足もとに座って師匠から秘密の教えを授けられるというのがウパニシャッドの本来的意味であるという”定説”は、今日では、もはや通用しません。初期のウ八二シャッドには、そのことを証明する箇所は一箇所もありません。しかし田上教授によって紹介されたウパニシャッドの本来的な意味は、殆んどすべてのインド学者によって承認されています。また、アートマン=ブラフマン説は、ウパニシャッドの基本的な教えとして世界の学界において認知されています。 しかし私見によれは、初期のウパニシャッドにおいてアートマン=プラフマン説は決して中心的なテーマてはありません。もしも、わたくしの思い違いでなけれは、あのブッダが愚者の教えとして否定しているのは本来的な自己(アートマン)であり、アートマン=プラフマン説は彼によって全く言及されていないことを付言しておきます。 ・・・・・続きは又明日?・・・・・ |
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『田上 太秀著 「仏陀のいいたかったこと」』と 『田上太秀著 「涅槃経」を読む』の2冊の転載のお許しを頂けたことをUPいたしました。 一昨年7月にUPした「田上 太秀著 「仏陀のいいたかったこと」」は、 或る意味ではサマリーとも言えますので、先ずは、あらすじを見て頂くと言う意味で、再掲出致しました。 これから、ゆっくりと全文をUPしてまいります。 僕が借りている本は昭和58年の1800円の本ですが、月光山洗心庵さんの御紹介のように「仏陀のいいたかったこと (講談社学術文庫) (文庫)田上 太秀 (著) ¥ 924で買えますから…お手元に置かれてもよいかも・・ 内容紹介
釈尊の入滅後、仏教は各地へ伝播しやがて6世紀には日本へも伝来した。しかし、インドと遠く隔たる日本へ遥かな歳月をかけて到達したのが、釈尊の説いたままの仏教であったかと問えば、答えは否である。 釈尊はもともと何を教え、どこへ導こうとしたのか?偶像ではない人間釈尊の言と行とに、その本音を探る。 著者 田上 太秀 1935年ペルー・リマ市生まれ。駒沢大学仏教学部卒業。東京大学大学院修士課程修了。同博士課程満期退学。駒沢大学仏教学部教授。駒沢大学禅研究所所長。文学博士。著書に『禅の思想』『禅語散策』『道元のこころ』『仏陀臨終の説法──完訳・大般涅槃経』(全4巻)『仏教の世界』『釈尊の譬喩と説話』『四十二の教訓──四十二章経を語る』『迷いから悟りへの十二章』等多数。 目次 1 インドにも「諸子百家」がいた 2 釈尊の立場と伝道 3 過去の因習を超える 4 日常生活に根ざした教え 5 男女平等を説く 6 国家・国王との関係 7 俗世と出家 8 霊魂を否定し、無我を唱える 9 ブッダになることを教える 10 出家者の正しい生活態度 11 釈尊後の仏教 12 大乗仏教の誕生 13 意識下の世界を見る 14 ブッダになるために ***** 以下本文その四十七 *****
14 ブッダになるために (続き) 教えもまた捨てられるべきである そこで釈尊の教えは筏にたとえられる。原始経典の中に『筏』と題する経典があるが、そこで釈尊は次のように説いた。 「たとえば街道を歩み行く人があって、途中に大河に出会ったとしよう。そうしてこちらの岸は危険で恐ろしく、向こうの岸は安穏で恐ろしくないとしよう。しかもこちらの岸から向ごうの岸に行くのに渡し舟もなく、また橋もないとしよう。向こうの岸へ渡らなければならないとしよう。そこで、かれは草・本・枝・葉をあつめて筏を組み、向こうの岸に渡ろうと考えた。その筏によって安全に向こうの岸へ渡ったとしよう。かれが渡りおわって向こうの岸に達したときに、次のように考えたとしよう。すなわち、『この筏は実に私にとって益することが多かった。したがって、行く先で役に立つであろうから、この筏を頭に載せ、あるいは肩にかついで進もう』と。きみたちはこれをどう思うか、かれはこのようにしたならば、その筏に対してなすべきことをしたのであろうか」 修行者らは言った「そうではありません」 釈尊は言った「ならば、その人はどうしたならば、その筏に対してなすべきことをなしたことになるであろうか。かれが渡り終わって向こうの岸に達したとき、次のように思ったとしよう。すなわち『この筏は実に私に益することが多かった。私はこの筏によって安全に向こうの岸に渡った。さあ、私はこの筏を岸に引き上げ、あるいは水上に浮かべて、そのままにしていこう』と。かれがこのようにしたならば、その筏に対してなすベきことをなしたことになろう。このように、ものに執着しないように、この筏の比喩を私は説いたのである。修行者たち、実に筏の比喩を知っている君たちは教えもまた捨てられるべきである。いわんや邪教をや」(中部経典巻一) これに似た考えは古代シナにも見られる。『荘子』第二十六「外物篇」にあるのを紹介しよう。 筌は魚をとるための道具である。魚をとらえてしまえば、筌のことは忘れてしまうものだ。わなは兎をとらえるための道具である。兎をとらえてしまえば、わなのことは忘れてしまうものだ。ことばというものは、意味をとらえるための道具だ。意味をとらえてしまえば、ことばに用はなくなるのだから、忘れてしまえばよい。(森三樹三郎訳『世界の名著』4、四九一ページ所収) この思想にもとづいて、後代の禅宗では「筌蹄」という用語が生まれ、手段、方便の意味にとった。これは目的が達せられれば、筌蹄は捨て去られるもので、筏喩と同じ比喩として用いられる。
相手に応じて一つの教えは種々の方便をもって説かれるが、相手がそれを実践のうえで戒として修得すれば、教えを再び説く必要はなくなる。行ないが、動きが、はたらきがすべて教えそのものとなるのだから、経文も、ことばも用いる必要はなくなる。ここの境涯に達した人こそ、ブッダである。 **********
以上でこの本は終わりとなって居ります。 が、学術文庫版には、多くの注記が追加され、また、湯田豊先生の解説も付加されて居ります。
そこで、解説を引き続き転載させて頂きます。
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3月15日以来中断しておりましたが、毎日とはいきませんがポチポチ更新して参ります。と更新して既に3週間たってしましました。
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先日1月31日に『今日嬉しかったこと』のタイトルで、先日までUPし続けていた田上先生の『六方礼経』に続いて、
『田上 太秀著 「仏陀のいいたかったこと」』と 『田上太秀著 「涅槃経」を読む』の2冊の転載のお許しを頂けたことをUPいたしました。 一昨年7月にUPした「田上 太秀著 「仏陀のいいたかったこと」」は、 或る意味ではサマリーとも言えますので、先ずは、あらすじを見て頂くと言う意味で、再掲出致しました。 これから、ゆっくりと全文をUPしてまいります。 内容紹介
釈尊の入滅後、仏教は各地へ伝播しやがて6世紀には日本へも伝来した。しかし、インドと遠く隔たる日本へ遥かな歳月をかけて到達したのが、釈尊の説いたままの仏教であったかと問えば、答えは否である。 釈尊はもともと何を教え、どこへ導こうとしたのか?偶像ではない人間釈尊の言と行とに、その本音を探る。 著者 田上 太秀 1935年ペルー・リマ市生まれ。駒沢大学仏教学部卒業。東京大学大学院修士課程修了。同博士課程満期退学。駒沢大学仏教学部教授。駒沢大学禅研究所所長。文学博士。著書に『禅の思想』『禅語散策』『道元のこころ』『仏陀臨終の説法──完訳・大般涅槃経』(全4巻)『仏教の世界』『釈尊の譬喩と説話』『四十二の教訓──四十二章経を語る』『迷いから悟りへの十二章』等多数。 目次 1 インドにも「諸子百家」がいた 2 釈尊の立場と伝道 3 過去の因習を超える 4 日常生活に根ざした教え 5 男女平等を説く 6 国家・国王との関係 7 俗世と出家 8 霊魂を否定し、無我を唱える 9 ブッダになることを教える 10 出家者の正しい生活態度 11 釈尊後の仏教 12 大乗仏教の誕生 13 意識下の世界を見る 14 ブッダになるために ***** 以下本文その四十六 *****
14 ブッダになるために (続き)
日常の中で宗数的人間の理想像を追求 「習うより慣れよ」という諺がある。 これは英語を話す文化圏の人々の間でも、Practice makes perfect.として知られ、洋の東西に共通した考え方があることに気がつく。頭で知っているだけでなく、行ないとして身につけることが大切であるという意味であろう。知識より智慧を重んじる考え方である。
仏教が戒の実践を強調するのは、日常性の中に、宗数的人間の理想像を追求しているからである。なぜならば、神の力や神秘的な力に救われるような人間を理想的人間とは考えていないからである。 人間共同体の中で、当然してはならないことを、日常生活の行為の上で習慣づけてしなくなること、これが戒のめざす実践の状態である。そして、しなければならないことを習慣づける前に、してはならないことをしなくなるように習慣づけることが仏教の戒のあり方である。 したがって、仏教では善いことをする戒(作善戒)より、悪いことをしない戒(止悪戒)の方が多く、しかも後者を重視している。すでに述べたように、そこには、悪いことをしなくなれば、改まってなにも善いことをしようというはからいをもつ必要がないという考え方がある。悪いことをしないという行ないが、そのまま善いことをしていることになるというわけである。
今日の道徳標語の一つに「一日一善」がある。釈尊の立場からすれば、「一日一つ悪いことをしない」ということになる。「悪いことをしてはいけない」ではなく、「悪いことをしない」という戒が日々一つずつ身についていくことを釈尊は教えた。ただこれを達成させるのは、在俗の生活を続けている間は困難といわなければならない。ある程度のところまでは実現できようが、もっとも理想とすべき人間、つまりブッダになるためには、やはり出家しなければならない。釈尊はそこで出家生活に入ることを勧めた。この意味でいえば、仏教の理想達成は出家生活を通してでなければできないことになるようである。 学び、馴れ、なり切る 仏教の教育法は要するに学び、馴れ、そしてなり切ることを教えると考えてよい。それはブッダになることを目標とする教育である。 釈尊は、 すべて悪しきことをなさず、
善いことを行ない、 自己の心を浄めること、 −−これが諸の仏の教えである。(『真理のことば』中村元訳、一八三偈) と述べている。 この中で悪いことをしないと述べてあって、悪いことをしてはいけないと命令形で述べていないところに注目すべきである。悪いことをしなくなり、することなすことみな人々の心を和らげ、安らげ喜ばせるようなことしかできなくなる、そこまで身も心も習慣づけられていなければならないのである。戒を守るというのは、そこをいう。
だから仏教では戒がもっとも重要視され、これが自分自身の血となり肉となるように身につくことが要求される。その身についた状態を戒体と表現している。
戒は香に似る
『ミリンダ王の問い』に戒をたとえによって説明したものがある。 大王よ、かの尊き師によって、いろいろの戒が説かれた。その戒の香を塗った尊き師の子らは、神々および人々を戒の香をもって薫習し、馥郁たる香を漂わせ、その香は四方八方にも、順風にも逆風にも薫り、絶えず薫り、善くひろがっている。 香はいったんものに薫ずれば、香の本体がなくても、香は薫じたものについていつまでも薫りつづける。戒も香と同じだという。 戒が人の心身に薫じ習性となるまで習慣づけられると、もう文字で綴った規則も経文もなにもいらない。自らが経文であり、教えである。教えも規則もそれが自らの心身の戒体とならなければ、人は頭で考え、頭で覚え、頭で教え、ついにはそれがドグマ化してしまう。教えも規則もみな実践化し戒体となるとき、あえて持ち運び、文字化する必要もない。 仏教の教育は一つ一つを習慣づけるまで実践させることにあった。教えにしろ、規則にしろ、すべて人々の習慣性となることを強調している。頭で覚えるより身体で覚えろが仏教の教育方針である。 ・・・・・続きは又明日?・・・・・
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