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ケンさんは「バイオダイナミック(Biodynamics)」という手法を使って、オーストラリアの北部で有機農業を営む、農家でした。 バイオダイナミック(Byodinamics)とは、有機農業の形態の一つ。 しかしそれはただの農業ではなく、独特でスピリチュアル…精神的、神秘的なものに見えました。 自然界の法則にしたがって、農業を進めるのです。 例えば「この日には花の種を植える日、この日は実物を収穫する日」などと農事が決まっています。 農薬や化学肥料のかわりに、自然界から作られた独特のスプレーを使います。 常に、天気や気候、そして月の満ち欠けにも注意を払い、自然のリズムに耳を澄ましながら作物を育てます。 日本の古来の農事の知恵にも似ており、神秘的ですが、科学的な、理に適ったものに思えます。 ■カンガルーに教わる ケンさんは、野菜畑と果樹園を一人で切り盛りしていました。 畑にはなぜか、動物の骨がゴロゴロ落ちていて不思議でした。カンガルーやワラビー(小型カンガルー)の骨です。 オーストラリアの田舎にはカンガルーがひょっこり現れて、観光客を喜ばせます。 しかし、農家はそう甘いことは行っていられません。 道や畑のそばで、作物を狙うカンガルーは作物の敵だからです。 彼らがあまりに数が多いので、たびたび、交通事故で死んでしまったり、自然死で道端に倒れていたりするそうです。 「今日、運転中に死んでいるカンガルーを見つけた」と言ってケンさんが持って帰って来たカンガルーの死体。 一緒に早速カンガルーの体を土に返してあげました 。…といっても土に葬るのではなく、堆肥として活躍してもらうのです! ある日、堆肥の切り替えし作業をしました。 驚いたことに、 臭いがほとんどない。 生ゴミを放置しておくと、嫌なにおいが私たちを悩ませます。 都市生活に生ゴミはやっかいな「ゴミ」でしかありません。 私が今切り返しているその堆肥は、本当にあたたかくて、柔らかくて、そのまま寝転んで本でも読みたいぐらいの…何か特別なものに思えました。 なぜなら、窒素(例:いわゆる生ゴミ、肉、ウンチなど)と炭素(例:枯れ木、枯葉、髪など)を適切な分量で混ぜ合わせれば、それはうまく成熟し、土のごはんを作ることができるのです。 「命のゆりかご」という言葉を思い出します。 何千、何万かはっきりわからないがとにかく、小さな生物がこの堆肥の中で暮らしています。 堆肥を掘り返すと、もう、本当にたくさん、たくさん柔らかいベッドの中から、名前も分からない色々な小さな生き物が寝起きを襲われ(?)わらわらと出てきます。 そして、中を掘り進めればすすめるほど、温度は上がっていく。 湯気まで上がってきます。 熱い。 この温かさは、堆肥がまさに今、微生物によって作られている証拠です。 ここでも微生物たちが懸命に、残飯、死体、草、などのさまざまな有機質を、畑を豊かにするための堆肥に変えていく。 今日この堆肥に入れたカンガルーも、静かに形を変えていきます。 有機農業が、命の農業だと思わされる瞬間です。 あるとき、友達の髪を切ってあげました。 大量に髪の切りカスが出て、どこに捨てればいいか分からなくて、捨てる場所をケンさんに聞きました。 「爪でも、髪でも何でも、そこにある堆肥の中に、入れればいいよ」。 あ、そっか…。髪も土に戻ることができるんだ…。 髪の毛が土に変わることを、想像もできなかった、「生活力」オンチの自分に気付き、、恥ずかしく思いました。 普段、都会(まち)で暮らしていると、紙くずもウンチも、髪の毛もただゴミとしてしか処理されません。 少なくとも、私の頭の中でもそう処理されていました。 わたしにとって、髪の毛は、ゴミ、燃えるゴミでした。 でも、そもそもゴミって何?ゴミって…。 目の前で繰り広げられる、堆肥の中の「ゴミ処理」に、私は戸惑いました。 私の体からでる「汚物」「ゴミ」さえも、必要なものになってしまいます。 微生物ががんばって働き、資源に変えてしまう…。 ■不必要なものなどない 「「不必要」は、この世の中にないのかな…?」
髪の毛をこれから土に変えていくだろう堆肥を前に、大地の懐の大きさにつつまれたような、あたたかな気持ちになりました。 しかし、同時に少し怖くもなりました。 なぜなら、私のように住宅地や都市で生活していると、そんな感覚さえも鈍ってしまいます。 そうならざるを得ません。 人間が歴史の中で培ってきたそんな感覚が知らず知らずのうちに擦り切れてしまっているのです。 これからどうやって守っていけばいいのでしょうか…。 髪の毛も土に還る、という当たり前だった感覚を…。 |
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2007年10月24日
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オーストラリアでは水が本当に貴重です。 乾燥した気候のせいで、土地が乾き、当然生活用水もちょっとした気候の変化で不足しがち。 シャワーをするのも、お皿を洗うのも、洗濯もトイレも、とにかくいつも水の節約を心がけながら生活しています。 「蛇口から1滴の水が落ちてもそれをすくいたいくらい…」 と環境問題にも特に興味のなさそうな若者が、何気ない会話の中で話していた時、この国の状況が切実で、幼い頃からその感覚が備わってきたのでしょう。 オーストラリア、とにかくだだっ広いため、貯水池から各家庭に水道管をひこうとすると、とんでもないコストと労力がかかります。 そのため、田舎では雨水を貯める貯水タンクを設置し、空から直接水をまかなっています。 「雨水タンク(Rainwater tank)」です。 オーストラリアの田舎にいくと、かならずといっていいほど、家ほどの高さもある貯水タンクが設置されています。 屋根の上に雨どいをめぐらせたりして、採水し、雨水を集めて生活用水にします。 タンクの水は限りがあり、使いすぎたら、当然ですが、水がないので、料理やシャワー、洗顔などができなくなります。 シャワーも一回一回水を止めながら、ささっと終えます。 皿洗いも節水しながら。 トイレも水で流さないところもたくさんあります。 ■雨音さえもいとおしい オーストラリアから帰国後、日本での皿洗いをみるにつけ、冷や冷やでした。 必要がない時も、蛇口から水がじゃーじゃー出しっぱなし。 全く知らない人に対しても、何度も蛇口をひねって水を止めたい衝動にかられました。 私たちは非常時でなければ自分たちの水の使い方を見直すことができません。 「水の大切さが分かった」 日本で、大きな台風の影響で断水を経験した友達の言葉です。 風呂にも入れない、手も洗えない、断水していない地域で水をもらったり、シャワーを会社で浴びたり、とにかく大変だったと聞きました。。 毎日非常時ともいえる、オーストラリアでは、一滴一滴の水の大切さをかみしめながら、水を使っていました。 そして、雨音一つ一つまでいとおしく、これほど雨の日が待ち遠しく、喜ばしいものなのかと感じました。 ■オーストラリア式ぼっとんトイレ 水が貴重ですから、トイレにいちいちきれいな水を使うわけにはいけません。 それもあり、汲み取り式トイレが発達したようです。 水洗トイレに慣れている私達には、「ぼっとんトイレ」は過去の遺物になっています。 便を水で流すのではなく、一定量集めて取り出す、(時にはそれを堆肥として利用する)それが汲み取り式トイレですが、今の子どもたちはその存在さえも知らないかもしれません。 写真:野外でまったりコンポストトイレ。タンクを数ヶ月に一回、取り替える しかし、オーストラリアの田舎では当たり前のようにそれを見ることができました。 。 ぼっとんトイレを、オーストラリアではコンポストトイレ(=Compost toilet)と呼びます。 あらゆる種類のコンポストトイレに出会いましたが、工夫と知恵に満ちていて、しかも、無駄がなくて…。 すっかりはまってしまいました^^。 ■エネルギー負荷が少ないコンポストトイレ コンポスト(Compost)は堆肥という意味です。 つまり、私達から出たうんちやおしっこを堆肥として利用するため、この名前がついています。 これはニュージーランドでみた、あるコミュニティー(Community・生活共同体)の家庭のトイレ。 清潔感があり、普通のトイレと変わらないように見えますが、これもコンポストトイレです。 昔の陰気な、汚らしいイメージもなく、となりにはお尻洗いまでついています。 この家庭もコンポストトイレにたまった排泄物を利用していました。 これらのコンポストトイレの下には排泄物をためるタンクがあります。 大きさによりけりですが、数ヶ月ためてからそれを取り出し、「熟成」させます。 ある家庭はただ、放置し、ある家庭は促進するため、みみずを入れて、堆肥になるのを手伝ってもらいます。 そして、さらに、数ヶ月たつと、堆肥ができあがり、それを農作物の肥料として使います。 この家庭では、「畑に蒔いてもいいけど、ちょっと抵抗があるし、果樹園に蒔いている」と話していました。 日本では昔は畑に使っていましたが^^ しかし、やはり匂いが気になるとは思いませんか? トイレをした後は必ず、トイレットペーパーはトイレの便器の中に捨て、おがくずも一緒に入れます。 堆肥作りのように、窒素(うんち)や炭素(紙、木など)をおおく含んだものをバランスよく混ぜ合わせないと、異臭が放ち、いい堆肥ができません。 そして、それをかぶせることによって、匂いや虫を防ぐことになります。 考えてみれば水洗トイレは何と無駄の多いことか。 毎日出る排泄物をまだ使える水で遠くの処理場まで持って行き、多量の薬品を使って処理する。 水や排泄物を送る膨大なエネルギーの無駄を考えると、自分のウンチが目の前で処理されて、土に戻ることができる、コンポストトイレのシステムは究極の無駄なしトイレの称号を与えられてもおかしくないと思います。 皿洗いも、その習慣や環境の違いにあ然としました。 台所のシンクに、小さなボールが一つ。 何に使うのかと思ったら、ここにお湯と洗剤をいれ、お皿を次々に入れていく。 そして、そのお湯でお皿を洗い、そして、すすぐ…のかなと思いきや、それで終了。 つまり、すすがない!のです。 初めは、いかにも体に悪そうな食器用洗剤の泡が滴り落ちる皿に、言葉もでませんでしたが、この国の事情を理解し、最後はオーストラリアに滞在する日本人もみんなそれに慣れていくといいます。 せめて、無添加の石けんならまだいいのですが、汚れを根こそぎ落としそうな化学界面活性剤入りの真っ赤な洗剤だったりすると、ひるんでしまいました…。 いいか悪いかはともかく、それくらい水を節約する精神に、打たれました(いろんな意味で…;)
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