u-jiroの日記帳

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浦島太郎のメッセージ

幼い頃に読んだ昔話を思い出してみる。「桃太郎」に「金太郎」、「さるかに合戦」や「鶴の恩返し」などそれぞれのお話に、それぞれの教訓が含まれている。ただ、そんな中、この話にはどんな意味があるのだろうと考えさせられる話しがある。それが「浦島太郎」だ。「浦島太郎」の話はあらためて紹介するまでもないのだが、亀を助けた主人公が、そのお礼に竜宮城に連れて行ってもらうという話だ。しかし、この話は単純にハッピーエンドにはならない。主人公が竜宮城から戻ってみると、なんとそこは未来の世界であり、お土産にもらった玉手箱をあけてみると、たちまちおじいさんになってしまうのだ。となると、この話が言いたいことは知らない人(亀)について行ってはいけないよと言うことなのだろうか。はたまた、約束は必ず守らなければならないということなのだろうか。
 
ここで、「浦島太郎」の斬新な解釈をしてみる。そもそも、「浦島太郎」は作られた物語ではなく、実話をもとにしているということである。そして、この話には、その当時は知られていなかった驚くべき事実が含まれているのだ。
まず、一つ目の事実は、人間は未来には行けるが過去には戻れないということ。これは、アインシュタインの特殊相対性理論のことを言っているのではないか。つまり、竜宮城というのは、宇宙のどこか別の惑星のことで、光よりもはやく進む乗り物に乗ってその惑星を往復したため地球上の生物よりも遅く時間が流れたということだ。
 
そして、もうひとつの事実は、地球以外の惑星に生命の存在があるということである。「浦島太郎」では具体的に、その惑星の場所についての重要なヒントを残してくれているのである。それが、お話の最後のシーンである、玉手箱を開けるとおじいさんになってしまうという件である。おじいさんになったということは、地球上のその時代の実年齢になったと解釈できる。すると、仮に20歳の若者が60歳になったと仮定すると40年分の歳月の差異が生じる場所に地球外の生命体が存在する惑星が存在しているのだ。とすれば、その場所というのは、方程式によって確定できる。
 
となると、「浦島太郎」というのは宇宙人に連れ去られた人が後世に残したかすかな記憶なのか、はたまた、宇宙人からのメッセージなのか。年末の超常現象の特番を見て、ふと考えてしまいました。
 
 
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ヤバい経済学

 今日は本のご紹介です。タイトルはヤバイ経済学という本です。この本は、スティーヴ・D・レビィットというシカゴ大学の教授の論文やエピソードをスティーヴン・J・ダブナーというジャーナリストが取りまとめるという形でつくられています。今日は、この本の中から代表的なエピソードをご紹介させていただきます。
 
 ヤバい経済学  東洋経済  スティーヴン・D・レヴィット  スティーヴン・J・ダブナー著  望月 衛 訳
 
―犯罪者はみんなどこに消えた?
 1960年代と1990年代の前理科の犯罪件数を比較してみると1990年代の方が減少していることがわかる。この原因として、従来は、①画期的な取締り戦略、②懲役の増加、③クラックその他の麻薬市場の変化、などが主なものであると説明されてきた。特に画期的な取締り戦略については、かの有名なニューヨーク市長のルドルフ・ジュリアーニと当時の警察本部長であったウィリアム・ブラットンの取り組みが有名だ。彼らののやり方は小さな犯罪を積極的に取り締まることによって、未然に大きな犯罪を防ぐという、俗にいう〝割れ窓理論〟と呼ばれているものであった。
 
 しかし、この本では従来言われてきた様々な要因よりも、もっと直接的かつ決定的な要因が存在していると主張している。ズバリその要因とは、「中絶が合法化されたこと」というもでのである。中絶合法化以降に生まれた最初の世代が10代後半になったのが1990年代はじめであった。(10代後半とは若い男の子が一番犯罪者になりやすい年代である)そして、その頃から犯罪発生率が下がっていった。これらのことを裏付けるデータとして国全体の法律制定より以前に中絶が合法だった州のデータをみてみると他の州に先駆けて犯罪が減少していることがわかるからだ。
 
 もちろん犯罪の減少は中絶合法化の「意図せざる便益」である。ただし、モノごとを先入観や常識、倫理などにとらわれず、科学的に省みた時に相関関係と因果関係は明確に区別されるのである。尚、この本の内容は映像化されているので、活字が面倒くさいという方はそちらをご覧ください。
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 今日からは、入院中にかなり時間にあったので、その時に読んだ本のご紹介を少しずつしていきたいと思います。まずは脳機能学者苫米地英人氏の「バイリンガルは二重人格」という本のご紹介です。
 
 バイリンガルは二重人格 苫米地英人著 フォレスト出版
 
 当初、この本を書店で手にした時、私は英語を話せるようになるには二重人格になるのが良い(英語型の人格を形成すべき)」というような内容の本であると思い、二重人格を作るための方法論が述べられているのだと思いました。
 ただ、この本を読んでいると、伝えたいことの本質というのは「英語を理解しなければ、世界ではやっていけない」ということだと理解しました。つまり、現在、世界の言語の中でディファクト・スタンダードとなっている英語を理解できでなければ、英語を使って作られてきた民主主義や資本主義、国際経済、はたまた日本国憲法ですら本質的には理解できないということです。
 以前、大学院で経営の勉強をしていた時、指導教官やゼミの先輩から訳書ではなく原書を読むことの重要性を教えられました。当時は、訳書も原書も言っている内容は同じなのではと思ったのですが、今にして思えば原書でしか伝わらない文脈的背景などがあるからではと思います。(実際、H・サイモンなんかは原書の方が読みやすかったような気がしますし、マーケティングの本などは比較的分かりやすい文章で書かれているので単語さえ知っていれば原書でも問題なく読めるような気がします。)
 尚、この本で述べられている二重人格への変身の仕方は、苫米地氏が同氏の他の著書で述べられているようなものが中心でした。そう言った意味では英語が話せるようになるための方法論としては、目新しさはなかったように思います。
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 今日は久しぶりに本の紹介です。タイトルは「運は数学にまかせなさい 確率・統計に学ぶ処世術」という本です。著者はジェフリー・S・ローゼンタールというトロント大学の統計学の教授です。また、数学者としてだけでなく、アマチュアミュージシャン、コンピュータープログラマー、即興コメディアン・パフォーマーなど幅広い顔もつだけあり、本書も確率・統計の分からない人にでも非常に分かりやすく、かつ様々な日常エピソードなどを交えて書かれているので、非常に読みやすいです。では、その中から印象に残った部分だけをピックアップして、書きたいと思います。
 
 運は数学にまかせなさい ジェフリー・S・ローゼンタール著 中村義作監修 柴田裕之訳 早川書房
 
 「私はお前の父親だ」 ―スター・ウォーズより ダース・ベイダーがルーク・スカイウォーカーに言ったセリフ
 「私はお前の父親の弟の甥のいとこの元ルームメートだ」 ―スターウォーズのパロディ「スペースボール」で 
 ダース・ベイダーならぬダーク・ヘルメットが言ったセリフ
 
 この2つのセリフは似通ったものであるのに、その受け取る反応はまったく正反対だ。その理由は確率に秘密がある。父親といえば、それに代わる存在は数えるほどしかいないだろう。だから宿敵が実の父親だと分かれば仰天する。一方、「父親の弟の甥のいとこの元ルームメート」程度のつながりなら、世の中にわんさかいるからである。実際に6人の人のつながりを経れば世の中のすべてに人に辿りつけるというような仮説は有名である(ただし、あまり「六次」という数字については厳密に考えない方が良いが)。仮に一人の人間には500人の「友達」、つまりファーストネームで呼び合うぐらいの親しさの人がいるとしよう。すると、友達の友達は500掛ける500で25万人となる。友達の友達の友達なら、その500倍で1億2500万人だ。もちろん、このなかにはは重複している人もいるだろうから、本当はもっと少ないはずだけれど、それにしても膨大な数であることにはかわりない。
 
 パーティ会場に同じ誕生日の人がいる確率は?
 もしパーティ会場に23人の客がいたならば、その中に誕生日が同じ日の人がいる確率は50%以上だ。理由は23人しか人がいなくてもペアの数は253にものぼる。つまり、同じ誕生日の人がいる確率は365分の253で、およそ0.69になる。ただし、、誕生日を共有するペアがふた組以上出る場合もあるから、実際の確率は約50.7%となる。
 
 三枚のカードがある、一枚は両面とも赤、もう一枚は両面とも黒、三枚目は表が赤裏が黒である。これを袋の中に入れて一枚を引いて机の上に置く。すると引いたカードは赤色をしていた。この場合、黒−黒のカードを引かなかったことは決定したわけだから、残るは赤−赤のカードか赤−黒のカードである。では裏が赤か黒かの確率は2分の1づつということで良いだろうか?答えはNoだ。もし、赤−赤のカードを引いたのなら、どちらの面を選ぼうと、必ず赤が出る。ところが、赤−黒のカードを引いたのなら、赤が出る確率は2分の1に減る。赤−赤のカードは赤−黒のカードに比べて、2倍出やすいので、赤−赤のカードである確率と赤−黒であるカードの確率は2対の比率になる。つまり、裏側も赤である確率は3分の2だ。
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最近、数学にハマっている大人が多いそうです。
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 先週の土曜日に見事、中日ドラゴンズがセ・リーグのクライマックスシリーズの勝ち抜けを決めました。
 9回に浅尾選手が巨人打線につかまり、よもやの同点に追いつかれてしまい、どうなることかと案じたのですが、最後は中日の4番の和田選手のレフトの頭を越えるサヨナラホームランで、劇的な勝利をおさめました。これで落合監督になってからの成績は、セ・リーグ優勝3回、2位3回、3位1回、また日本シリーズ出場はこれで4回目となります。このように成績をみれば落合監督の手腕の凄さは一目瞭然です。しかし、日本全体の一般的な印象としてはそこまで評価されていないような気がします。そのことについて、日本国民の現在の国民性などの背景などを分析しながら、如何に今の落合監督の評価が不当であるかということを綴ったのがこの本、
 
 「なぜ日本人は落合博満が嫌いか?」 テリー伊藤 著      です。
 
 この本では、日本人が落合博満を受け入れられない理由として、古い価値観をいまだに引きずっているということを挙げています。この本で言う古い価値観とは野球の世界で言えば長嶋監督が現役で活躍していたころの価値観のことを言っています。(巨人、大鵬、卵焼きと言われていた、日本が高度成長を遂げている時の考え方・・・)いわば、長嶋監督のようにプレーで一流であることはもちろん、それプラスインタビュー対応などのパフォーマンスも伴って、はじめてスターであるという価値観です。(だれもが憧れる日本人像というもの)それは、テレビ画面を通して受ける印象が非常に重要であるという考え方であり、言い換えるなら、テレビを通してスターのイメージを作り上げていたとも言えると思います。ちょうど昨年まで楽天で監督をやられていた野村監督などはそれを実践されていました。パ・リーグ2位という実績をだし、それにプラスして試合後にボヤくことで、野球に興味のない視聴者をも惹きつけておられました。しかし、落合監督はその点全くと言っていいほどパフォーマンスをおこないません。その点が、取材をするマスコミの受けが悪かったり、テレビを通じて見ている視聴者の印象が悪くなっている原因であると思います。
 
 ただ、落合監督のポリシーは一貫しており、毎年優勝争いを行うようなチームを作るというこのポリシーは、ここ7年間、常に実践されております。また、このポリシーを実践するためには、無駄なことは一切しないということも徹底しています。今の日本で、はたして万人が共通してイメージをいだけるようなスターが必要でしょうか?それよりも、プロフェッショナルによる真剣勝負、筋書きのないドラマの方が、野球が好きな人には受けるだろうし、そのファン層を維持拡大することの方がプロ野球にとって重要ではないでしょうか?
 また、果たしてプロ野球の監督に強いチームをつくること以外に重要視される論点があるのでしょうか?観客の動員を増やさなければならないというようなことはマネジメントの責任であり、監督には関係ないことであると思います。パフォーマンスもあればそれに越したことはありませんが、それは結果が伴っているという前提がなされている場合のみです。(それでも若干のプラスアルファがある程度の評価で十分だと思います。)
 正当な成果を挙げた者に対しては正当な評価をする。当たり前のことなのですが、現在の日本ではなかなかそのようになっていないこと、落合監督の件では実感させられるような気がします。特に日本の政治においては、パフォーマンスばかりが重要視され、根幹にかかわる戦略が明確にに打ち出されていなかったり、それを実行する場所が機能していなかったりしているようにうつり、残念です。(これはマスコミの影響も多分にあるのでしょうが・・・)今こそもっとホンモノを大事にするような風潮が広がるべきなのでないでしょうか?
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