今日は「東洋経済ONLINE」から興味があった記事を紹介させていただきます。
東大とハーバードの大きな差 日米のトップ大学はどこが違うのか? 藤井 雅徳
−東大とハーバードの教育システムの違い
教育課程の観点から言うと、東大は入学する段階で、文科系なら文科一類、文科二類、文科三類、理科系なら理科一類、理科二類、理科三類の学部に分かれる。専攻する学問分野がその後の進振りによって多少は変わるものの、基本的には入学した科類にのっとった教育課程がある。
東大に限らず、日本の大学は文系なら文系、理系なら理系で、入学した時点でだいたいその学部の領域の範囲で教育課程が決められている。
それに対し、海外の大学(主に米国)は、まず大学全体で生徒を一括募集する。文学部で何名、工学部で何名といった募集の仕方はしない。
入学した生徒にリベラルアーツ(教養)教育をして、物事を論理的に考える力や批判的に見る力、表現する力など、ベースとなる幅広い力を育成する。生徒は1〜2年次に自分の興味や関心に合わせて、文科系、理科系を問わず、いろいろな学問を学ぶことができる。そのうえで3年次に専攻を自由に選べる。
−アメリカの一流大学が求められるもの
これからの時代は個人に知識があることが大事なのではなく、個人が所属するコミュニティにどこまで知恵があるかが大事だといわれる。一人が持ちうるものはやはり限られるし、1点からでは影響力も限界がある。ソーシャルな時代には多彩なバックグラウンドを持つ仲間をたくさん持っているほど、爆発的な面積で活動できる。
このような環境でたぶんフェイスブックが生まれたのだろう。スティーブ・ジョブズも、こういう感覚の中でセンスが磨かれたに違いない。余談だが、キャンプに参加した大学生のパソコンは全員がマックだった。
18歳から22歳の間に、このような「センス」のいい仲間がたくさんいる環境で過ごすことは、有形無形の財産になるだろう。これからの時代は頭がいいだけでは尊敬されない。感性の領域が付加価値となり、「センス」を高めることがコモディティ化しないための方法の1つになるからだ。
−こんな人は日本の大学に行くべき
東大と海外のトップ大を天秤にかけたとき、私が東大を勧めるのは、生徒が弁護士や国家公務員、医師など、資格に直結するキャリアをイメージしている場合だ。
日本の企業に就職し、そのまま日本を活躍の舞台として生活していきたい生徒にとって、東大はやはり日本国内における人脈を築くうえで圧倒的な価値がある。
2012年11月26日 東洋経済ONLINE 配信記事
記事の面白そうな部分を切り取りしていたので、少し一貫性がなくなってしまいました。ただポイントとしては、アメリカの大学は「釣りのやり方」を教えているのに対して、日本の大学は「魚そのものを与えている」ような印象を受けました。
結局、これからの時代、正解を予め導き出すことは難しいでしょう。そうであるならば、いかに、いろいろな選択肢を生み出すような多様性のある社会を作り出すかが重要であると思われます。これは、ダーウィンの進化論にも通じるところがあるのかもしれません。結局、素晴らしいものが生き残るのではなく、様々な多様性の中から、たまたま環境に適応できたものが、結果として生き残ったということなのでしょう。
そして、今回の記事で私が面白いと思ったのが、「個人に知識があることが大事なのではなく、個人が所属するコミュニティにどこまで知恵があるかが大事」という視点です。この考え方って今の地方政治に求められているような気がします。政治家という個人が存在するのではなく、政治集団の代表という形で政治家が存在する。そして政治集団は、法律、経済、福祉などの様々な視点を持った、多様な面々によって構成されなければなりません。そのためには、多くの人が、せめて自分の住んでいる地域のことについては関心を持つことが必要であると思われます。サラリーマンから自営業者、若者から年寄、そして男女関係なく幅広い人が。利益代弁者から政策集団への脱皮が図れれば、地方分権も少しは進むような気がします。
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