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今年の「お正月」は、殊更、正月気分の薄いものでした。理由は、判然としません。 でも、その「薄い」お正月気分を盛り上げる事が出来るかな?と、2012年1月3日に千葉県栄町にある「千葉県立 房総のむら」に行ってみました。何かの拍子に、2012年1月2〜3日に「むらのお正月」てなイベントをやっているのをHP http://www.chiba-muse.or.jp/MURA/event/20111204muranoshougatu.html で確認していたから。 結果として言えば、「房総のむら」で、お正月気分に浸る事は出来ませんでした。私が年を食っただけなんでしょうか?それだけとも思えません。初めて中に入った事で、餅つきなどのイベントを中心に巡るよりは、全体の構成などを見て回る事が中心になった事も大きいとは思います。けれど、正月の門松などが、それぞれのシキタリに則(のっと)り再現されていても、今から見れば、何とわびしいものか。私の過ごして来た時代が、日本の歴史上、最も物質的に豊かな時代だったのだ、って事を思い知らされただけでした。 関東は、新潟県などと較べれば、20〜30年前は、豪華な正月飾りが目につく地域でした。今は、それも昔。あれはバブルへの前奏曲の時代だったからかも知れません。それから更に遡った時代に関しては、戦争の終わった平和な時代を喜ぶ心が、世間一般にあったのかも知れません。もう1960〜1990年の正月の気分は、日本には二度と現れないものなのかも知れません。 まあ、現在は、正月と言えども、世間の色んな機能が止まる訳ではありません。20年前は、お盆ですら、クリーニング屋などの営業が休みに入る事もありました。正月となれば、尚更。スーパーなどが元日営業を始めたのは、1970年代末からだった様に記憶してます。正月の特別さが失われて行くのは、致し方ない事なのでしょう。 何より、1950年以前の数え年の普及度から来る正月の特別さの感覚は、既に、多くの人から失われているものと思います。私などは、数え年など身の回りに感じた事は無いままに育って来ました。そんな中で言えば、正月も単なる休みに過ぎないのかも。正月に続いて「成人の日」がある事の意味などは、数え年の風習を前提にしなければ、理解出来ない事の一つなんですが。 て事で、私が目にした数少ない正月っぽいものとしちゃ、先ず、これ。 「房総のむら」で、「むらのお正月」の一環として、入口で配っていたもの。2012年1月2〜3日のそれぞれ先着500名とか言ってましたが、見事、その範囲には入っていた、って事です。絵馬だから、本来ならば、裏に願いでも書いて吊すものなんでしょうが、吊す様な場所は、施設内には見当たらなかったなぁ(笑)。 「房総のむら」には、隣接して、ドラムの里って云う「道の駅」なるものがあります。「房総のむら」の農村歌舞伎舞台の近くにあり、いつも和太鼓の音が響いているからドラムの里…て訳ではなく、龍角寺の縁起に連なる龍の伝説によるもの。干魃(かんばつ)に際し、印旛沼の若龍=小龍=龍神に祈ったところ、龍が龍王の怒りを買う事を自らの命に替えて、雨を降らせてくれた。その若龍は、当初の予想通り龍王の怒りを買い、身体が三つに割かれ、二本の角のついた頭の落ちたところが龍角寺(栄町龍角寺)、腹の落ちたところが龍腹寺(印西市竜腹寺)、尾の落ちたところが龍尾寺(匝瑳市大寺)、とされている(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E5%B0%BE%E5%AF%BA 参照)。この伝承のパターンは周辺にもあり、http://www.city.sosa.lg.jp/index.cfm/11,6990,146,231,html ってものもありますが、この「房総のむら」と関係が薄いので省略します。それで「龍」=dragonのドラ+夢(む)でドラム、らしいです(笑)。ドラ+美でドラミの里って言ってれば、ドラえもん絡みで集客効果がもっとあったかも(爆)。 その龍伝説のある、ここで、この絵馬を貰うのも何かの因縁かな?とも思ったものの、これだけでは、お正月気分を味わうには至りませんでした。 私に、お正月気分を「思い出させてくれた」のは、これ。「房総のむら」の「下総の農家」の脇で咲いていた、ロウバイ(蝋梅)。 この記事の画像は、カーソルを合わせてクリックすると、別ウィンドウで大きく表示されます。そうやって拡大すると、樹の根元右脇に「ロウバイ」と書いた木製の表示が見える筈。 咲き始めに当たるのか(画像でも、まだ蕾のままで綻んでいないものが見て取れます)、香りが漂っていました。蝋梅の香りと言っても、表現するのは難しいものなんですが…一種独特の鼻の粘膜への刺激、としか言えません。この表現だと、全ての香りは該当しちまう…。 2011年12月中旬には、私は、千葉市の昭和の森で、椿の香りも経験する事が出来ました。今まで、椿に香りがある事に気付きもしないままで過ごして来たのですが。ちなみに、水仙にも香りがあるそうですが、私は気付いた事がありません。 ぴーさんのブログでの、 http://blogs.yahoo.co.jp/noripywindy/44148646.html (2011年12月21日UP) http://blogs.yahoo.co.jp/noripywindy/44149687.html (2011年12月22日UP) の記事から、ロウバイ(蝋梅)の花が千葉市の「県立 青葉の森公園」では咲いている事を知っていました。ちなみに、水仙に関しちゃ、佐久間ダムでは昨年2011年12月5日には、もう咲いていたそうな(http://blogs.yahoo.co.jp/noripywindy/44098577.html 参照)。柏市の水仙は、もうこの時点では蕾が出来ていたものの、2012年1月8日現在、水仙は、まだ咲いていません。2010年1月2日には、千葉県館山市の沖ノ島公園で、日本水仙と共に「お正月」を感じていたものでしたが…。 今までの、このブログでの記事を検索してみる限りでは、私が実際に蝋梅の咲いているのを目にした時期としては、これは一番早いものに当たります。柏市内で、もう咲いているのか?は未確認(あけぼの山農業公園内には、蝋梅があります)。昨年2010年1月9日には、あけぼの山農業公園でも蝋梅(ロウバイ)が咲き始めていました(http://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/58956516.html 参照)。例年なら2月初旬には満開になります。 昨年2011年1月7日か8日には、権現堂公園で水仙が咲いていたそうな(先のURLでの記事)。 〜〜〜〜〜 「千葉県立 房総のむら」のHPを見てみると、県立 博物館、美術館のネットワークに含まれていて、体験博物館と銘打たれています。武家屋敷だったり農家だったり商家だったりの建物や町並みだったりのには、今のところ私は、あんまり興味はありません。ですので、今まで何度も横を通り過ぎながらも、入った事はありませんでした。が、昨年2010年に、みわさんのブログ記事 【成田】千葉県立 房総のむら1 http://blogs.yahoo.co.jp/tarere3/45580254.html 【成田】千葉県立 房総のむら2 http://blogs.yahoo.co.jp/tarere3/45588227.html 【成田】千葉県立 房総のむら3 http://blogs.yahoo.co.jp/tarere3/45593956.html 成田・房総風土記の丘 http://blogs.yahoo.co.jp/tarere3/45598423.html (2011年11月13〜19日UP) でまとめられているのを見て、少し興味を持った次第。 ちなみに、上の記事では「成田」と書かれていますが、敷地は成田市と栄町に跨っています。当初、龍角寺(龍角寺自体は、成立年代で云えば千葉県内で最古の寺)古墳群のある場所を中心に「千葉県立 房総風土記の丘」が成田市内を中心とした敷地に1976年に設置され、1986年、隣接する場所に開館したのが「千葉県立 房総のむら」。武家屋敷やら商家やら農家やらを設置(武家屋敷と農家は移設)して、「体験型博物館」として開館したもの。この両者が2004年に統合して、正式名称を「千葉県立 房総のむら」とする事になった由(http://www.chiba-muse.or.jp/OKA/ 参照)。従来の「房総のむら」は、現在では「房総のむら」の「ふるさとの技体験エリア」の位置づけとなってます。これに隣接して、成田市の坂田ヶ池公園(恐らく、成田市立。坂田ヶ池は、江戸時代に作られた溜池)と、交流施設として「森の駅」と称している「ドラムの里」(栄町域)があります。 「ふるさとの技体験エリア」と「風土記の丘資料館」のみが有料となります(でも、300円程度のもので、大した金額じゃありません。両方とも、共通しての料金で、1日のうちなら入退場自由)。 龍角寺古墳群が、どれほどの規模かと言えば…全部で113基の古墳(現地看板による。風土記の丘資料館の中では118基と書いてあった様にも記憶するが、記憶が少し曖昧)の古墳があり、最大のものは、千葉県で最後に作られた前方後円墳である浅間山古墳(龍角寺111号墳。前方後円墳で、全長77.6〜78.0m)、それに続く岩屋古墳(龍角寺105号墳)は方墳ですが、古墳時代末期の方墳としては全国最大のものです(一辺78m、高さ13.2m。国指定史跡)。周りを見回すと、10基程度の古墳が目に入る土地が続き、私には、まさに驚きでした。もっとも、先に述べた様な巨大古墳ばかりが続く訳ではなく、中小規模の古墳が大部分なのですが。
古墳の集中立地は、現地看板を見ると、判ります。旧学習院初等科正堂(=講堂)の裏にあった現地看板から。 でも、この看板、一点間違いがあると考えます。復元古墳である11号墳ですが、どうみても円墳。看板(右上の坂田ヶ池の側)にある様な前方後円墳ではありません。小さな張り出し部がある事を以て、前方後円墳としたのでしょうか?分類上、前方後円墳の一種には「ホタテ貝型古墳」なんてのも、あるそうですし。 別の看板だと、111号墳を円墳として表示されている看板も見受けられました。 |
千葉県(柏市周辺を除く)
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