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大飯原発の再稼働が話題になってますが…航空画像で見る限り、あそこは、それなりの高台らしく見える。山を削って造成しているにしても、ね。でもって、http://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/61584166.html で書いた様に、国土地理院の試験サイトhttp://saigai.gsi.go.jp/2012demwork/checkheight/index.html で標高を確認出来るので、見てみたところ、原子炉本体と思われる建屋は、9m超の位置。付属設備と思われるもののあるところが結構低くて、4m超。一部83m超の施設があるけど、何の施設かは不明。 もともと山がちの半島部にあって、そこを造成して平らにしたもの。福島第1原発も、海岸部の丘陵を削って低く平らな土地を造り、そこに建てたもの。だからこそ、周囲の丘陵が津波被害を免れたにもかかわらず津波にも遭遇したし、オマケに、津波の高さを増幅する事に繋がった。福島第1原発は津波被害を考慮して、もともとの丘陵部の平らな部分に建てていたら、津波被害には遭わずに済んだ筈なんです。尤も、そんな事をしたら、建設コストがべらぼうに高くなった、とされているけど(原発建屋は、建築支持層まで掘って、そこと建屋を直結させてる)。 大飯原発の下には断層がある、とかの話もあるけど、まあ、あってもおかしくない地形。地形が褶曲して圧縮されていなければ、こんな半島が残った事実が説明出来ないから。 て事で、私の住んでいた事もある柏崎の、柏崎・刈羽原発を見てみた。先ず驚いたのが、柏崎市街地からの近さ。約10kmと理解していたけど、鯖石川の河口から、あんなに近かったとは。でも、柏崎駅から鯖石川の河口までより、柏崎・刈羽原発から鯖石川河口までの方が遠いんだから、そんなもんか。何しろ、私が住んでいた頃には、まだ柏崎・刈羽原発なんて、無かったんだから(あそこは、松茸がよく採れる場所だった。つまり、よく管理されていた土地。入会権訴訟で、入会地であった証拠無しとされたけど、歴史上は入会地であった事は、ほぼ間違いない)、なお、柏崎・刈羽原発ってのの「刈羽」の部分の読み方は、「かりわ」。「かりは」ではない。東名道だったかの狩場ICの狩場は「かりば」だけどね。柏崎には東京大学地震研究所の施設(観測所)があるけど、今は(1980年代からずっと)無人。かつて、そこに滞在した事があるって東京大学教授が中越沖地震の後にTVに出て来てたけど「かりは」って発音してたのにガッカリ。寺島実郎も「私は原発の底の部分まで下りた事がある」なんて言ってたけど、TVではやはり「かりは」て発音してたなぁ。英語での報道も、きちんとKashiwazaki-Kariwa Power Plantてなっていたときに。 で、ここは砂丘って赴きの丘陵に松林が茂ってたのがもともとの地形なんだけど、削った後の原発建屋の建っている標高を見てビックリ。4.7m。 私の住んでる柏市で言えば、洪水の調整池である田中遊水地よりも低い。12m超の部分もある中で、どうしてまた4.7mなんて土地を造成しちまったのか。ちなみに、原子炉建屋の直ぐ後ろの付属施設は40m超。 柏崎・刈羽原発は、将来的には防潮堤を建設するらしいが…それにしても、低い。日本海側は、太平洋側と違い、大きな津波を起こすプレート境界なんてものは無いけれど、日本海側に津波が起こった事が無い訳でもない。奥尻島津波の例もあるし、秋田県沖地震(日本海中部地震)の例もある。どんな仕組みで津波が起こったのか、そして同様の津波が柏崎・刈羽原発の近くで起こる事は無いのか、って事も検討しなくちゃならない。 柏崎・刈羽原発は冬に、何らかの原因で放射能漏れが起これば、東京方面に風が行く。冬だから雪で新潟県側に全て放射能が落ちる、なんて事も無いだろう。多くの場合はそうでも、いつもそうとも限らない。現に、福島第1原発なんて、東京方面に風が吹く事なんて、そうないだろうに、2011年3月の事故の後には、そうなった。 最後に…柏崎の、もう一つの川、鵜川河口付近の海岸から見た柏崎・刈羽原発の様子。2010年8月末の撮影。 この記事の画像は、カーソルを合わせてクリックすると、別ウィンドウで大きく表示されます。 柏崎・刈羽原発まで10km程度はある筈(撮影地は柏崎市街地としちゃ、中央部の西寄り。原発所在地は、柏崎市の北部。撮影地と原発との間には、海が挟まっています)なんだけど、結構近くに見えますね。そして、いかに低い場所に建設されているかが判ろうと云うもの。 ちなみに、2010年8月時点でも残っていた、えんま通り商店街での建物(旧「紺太」)。新潟県中越沖地震の発生は2007年7月でした。 勿論、地震被災で、こうなった訳で。 まあ、新潟県には津波伝説としては、佐渡島がもともとは陸続きだったのが津波で島になった、なんて伝説らしきものはあるけど、これはムー大陸みたいなもんで信用出来ない。そして、新潟県の中じゃ柏崎は結構古い街であるにも関わらず、有史以来、津波被害の話は聞かないけれど、昔の街は、鵜川の西側の標高20m程度の場所だったからねぇ。江戸時代以降の標高10m程度の街で津波被害が無かったからと言って、安心は出来ない。平野部の地層で見るにしても、津波と洪水って、どう見分けるんだろう? 洪水は何度も経験してる筈で、それに紛れちゃう可能性もある様に思うんだが…。
ちなみに、ムー大陸の伝説は、きっとクレタ島の津波被害に由来する。ギリシャ文明はクレタ島に起こり、他の地域に伝播した。そして、ギリシャでは、都市は例外なく、丘陵の上の方に都市を造って行った。けれど、そんなギリシャでも、自分たちの経験が伝説に紛れて行った訳なんだね。 ノアの箱船の話は、それに対応する事件としちゃ、温暖化で黒海が地中海と繋がったときの事が考えられるけれど、実際にそれが伝説に対応するものなのか、は判らない。伝説もバカにするばかりではイケナイのかも知れないけど…佐渡島の伝説は、解釈のしようがない。 |
ほぇえ〜?!な事ども
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ドイツなんかは、ヨーロッパ文明の起源としてギリシャを捉え、ギリシャ語(当初、ラテン語と書いてUPしていましたが、書き間違い。ラテン語をこの様な位置で教えるのは、英国のパブリックスクールやフランスのリセです)を学校(ギムナジウム)で教えたりしてますが、実は、ローマ・ギリシャ文明が現在のヨーロッパの基礎となったのは、イスラーム文化圏を経由しての事です。中世ヨーロッパはイスラームの周辺文化圏として成立しました(これは、アンリ・ピレンヌが初めて体系的に主張したピレンヌ・テーゼと言われる考え方で、私は、既にこの主張は実証済みと考えている)。
ちなみに、ギリシャ文化は、もともとはピラミッドの建設の際に、労働者(エジプト人に関しては奴隷労働ではなく、雇用であり、公共事業であった事は、エジプト文字のヒエログリフの解読で実証されてます)として働いたギリシャ人たちによってエジプトから持ち込まれたものがギリシャに根付いたものです。ちなみに、ローマ文化の発端にはギリシャ人の移住が密接に絡んでいます。
2013/4/14(日) 午前 0:31