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本日2018年3月11日は、東日本大震災の発生から7年。つい先週も、初対面だった人が仙台在住の人で、その人から、東日本大震災時に仙台にいて、住んでいたアパートが全壊、その後、住む家を探すのに非常に苦労した、てな話を聞きました。今では、私の従弟の一人も、仙台で勤務していますが、大震災発生当時は、そこに住んでいた訳ではありませんでしたし、知れる範囲の事も限られてはいます。想像出来る範囲の話ってのもありますが、実際に生活していた人には、それを超える色んな状況が降りかかって来ていたんだ、って事を改めて感じました。 私の両親の住む新潟県 柏崎市でも、そうですが、いったん大災害(柏崎市の場合は、東日本大震災の約3年半前の2007年7月の新潟県中越沖地震が挙げられると思います)が起こると、その後は、同じものを取り戻す事は出来ません。否応なく、「新しい」状況に向かって行かなければなりません。復旧と言いますが、同じものを取り戻す、なんて出来ないのです。 私の祖母の場合も、関東大震災発生後、数年経ち、祖母の父親が亡くなったので、縁者のいる柏崎市に避難して来た(その前に住んでいたのは、東京の銀座)、てな縁もあります。そこで結婚し、外地(今の朝鮮)に渡り、今度は結婚相手が戦前に亡くなったので、柏崎市に戻って、戦争期間中をそこで過ごし…てな具合で、「過去を取り戻す」なんて、現実には、出来ない相談。 で、もって、被災地から、それなりに離れている私たちが忘れちゃならない事は、被災地で「過去を取り戻す」事が出来ないどころか、まだ、(避)難民としての生活を送らざるを得ない人たちがいる、って事。新潟県 柏崎市も、原発がある(現在、稼働はしてないけど)所為か、東京電力関係で福島県から移って来た人たちが、かなり大勢いらっしゃるそうです。 2017年3月に、仙台市にある宮城県立美術館にルノワール展を見に行った(https://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/64565696.html 参照)帰り、自動車で常磐自動車道を南下していた際に撮った画像。今でも、そう線量は変わっていないのじゃないかなぁ、って思います。まあ、2018年の3月11日じゃなく、2017年に出しておくべき画像ではあったんですが、たまたま今日が3月11日だったので。 制限区域(帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域、って別もあります)内でも、全ての区間が同じ様な線量って訳ではなく、最大値を示していたところの数値ですが(浪江IC〜広野ICの間の1箇所)。制限区域内では、交通ルートが限られていますので、宮城県内の常磐道より交通量が多かったりします。 |
東北地方太平洋沖地震発生後
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