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元記事のURL:https://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/62370145.html
元記事のUP日付:2013年7月3日
元書庫:安倍晋三お子ちゃま・カルト内閣
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私は、前回の首相就任時に、安倍晋三の「頭の悪さ」を確信する出来事を、たびたび目撃していた。その最初に近いものでは、国会での最初の所信表明演説での(その約1年後の、参院選後の所信表明演説での翌日だったか、少なくとも数日後に、安倍晋三は辞任を表明した)「○○を△△します」って意味の「○○△△計画をします」の羅列。どういう考え方で、どんな優先順位で行うか、の考えも無しでの羅列。これに較べれば、鳩山由紀夫の所信表明演説は、演説のレベルだけ見ると、遥かにレベルの高いものと評価出来たほど。
さて、昨年2012年の12月から、安倍晋三は首相となった。アベノミクスと呼ばれる異次元緩和策から始まる経済政策で、取り敢えずの半年余りを、それなりの成果らしきものを見せて経過した。私は、こうした緩和策に関しては、後戻りが困難な選択肢、それも、将来の選択肢を狭める方向での選択を行ったものと考えている。いずれ「化けの皮」を剥がれる可能性が高いが、半年ちょっとならば、騙しおおせる期間。今は、その途上にあると考えている。この、衆院選から参院選の間の期間の短さにより、政策の現実での問題点が見え難くなる事については、当ブログのどこかの記事かコメントに書いていた様な気もするのだが、見つけられずにいる。
ここでは、安倍晋三の「頭の悪さ」としか考えられない、いくつかの例を挙げて、私の懸念を説明しておこうかと思う。私は、今回の2013年7月21日の参院選で、自民党に投票する事は無いと思う。安倍政権の延長を与件として視野に入れて、公明党にでも投票する事も検討している次第。私が公明党に投票したのって、中曽根康弘が政権に就いてたときに1回あった程度なんだけどねぇ(いまだ、公明党の千葉県選挙区の候補も知らないんだけど。いなけりゃ、別政党の可能性も)。
(1) 安倍晋三は、言ってる事の論理が貫徹していない事が結構ある。特に、視座を他の主体に置き換えてみる、って事が極めて苦手。これ故に、まともに考えると、「二枚舌」にしか見えない場合も多い。外交なんて、担える人なのか、どうか不安に感じる。尤も、私の信頼するビル・エモットなんかは、「言ってる事がぶれない」事を以て、安倍晋三の外交を高く評価してるんだが。
安倍晋三は、先の2012年12月の衆院選の際、行政の無駄遣いなどについて「レッテル張りはやめていただきたい」などと言っていたが、その同じ時間帯で(同じ舌で)、民主党を「外交敗北」と評していた。これが、レッテル張りで無くて、何であろうか?
また、田中均・元・外務審議官をtwitterで「外交を語る資格が無い」などと評したが、この同じ基準で言えば、安倍晋三には「政治を語る資格が無い」事になってしまう。前回の政権放り投げ、特に、辞任の説明を、辞任時と、それから1か月後とで、言を左右した事を、どう考えているのか。安倍晋三は、自分たちに対しては「レッテル張りをやめろ」と言い、他人に関しては「レッテル張り」を多用する。そのダブル・スタンダードにも気付かないのか、敢えてやってるのか。
気付かないのならバカだし、気付いてやってるのなら、詐欺師。
同じ伝で言えば、憲法96条改正に関して「国民の過半数が望んでいるのに、国会議員の2/3の同意が獲得出来ないで憲法改正が出来ないのはおかしい」と言うが、現在の投票価値の平等が確保されていない選挙制度の下では、「国会議員の過半数」は国民の過半数をも意味しない。「国民の少数しか代表しない国会議員の賛成で憲法改正を発議出来る」様にしようって事になりかねない。
現実世界は、多くの主体(個人、集団)による重ね絵の様なものだ。立場の違いによって、同じ現実も様々に見え、色んな利害が絡み合う。その多様さ、複雑さを理解した上での言葉を発する事の出来ない安倍晋三は、私には「保守」の名に値する政治家には見えない。
安倍晋三が保守なら、共産党は、立派な「保守」になる(笑)。両者ともに、伝統的に維持されて来た、宗教的信条に基づき、言辞を弄するに過ぎない。人類や国民の歴史や伝統とは、遠いところにいる。
(2) 憲法改正に関して言えば、私は、様々な論が出て来て、まともな「解釈」の範囲で語れなくなってしまった憲法9条は、改正してもいいと考えている。だが、安倍晋三は、この改正を「真剣に」考えている様には見えない。あまりに浅い言葉しか吐けない安倍晋三に、疑いを感じている。
安倍晋三は、かつて以前の首相就任前に著した「美しい国」の中で、集団安全保障に関する4類型を挙げ、「こんな状況でいいのか?」との問いかけを行った。が、そこでの解釈は内閣法制局による解釈。内閣法制局による解釈で歴代政権が縛られている状況に対して、小沢一郎は、内閣法制局の国会での答弁を禁じた。それが妥当か否かはともなく、その解釈は内閣法制局による解釈であり、解釈の変更は、憲法改正で無ければ、出来ないものか否か?は、私には疑問だ。本当に、この事が問題だと考えているのなら、内閣法制局の解釈変更って事も出来る訳だが、憲法改正に待つのは何故か?
また、憲法9条を改正するからって、改正しただけで済む問題ではない。軍事力の行使は、その行使の仕方を憲法に定めておくのが妥当なんだが、これに関して、何の考察も、国民に訴えかけてはいない。集団安全保障て言葉が、どこかに「国際的に決められた基準」があって、それに則れば、全てがルール通り進む訳じゃない。学問上の「集団安全保障」には、それなりの定義があるが、例えば、オランダは戦後、1回しか、憲法上の「集団安全保障」の条文を執行した事が無い。確か、ボスニア・ヘルツェゴビナ空爆だった筈(イラク空爆だったっけ?)。一方、デンマークは徴兵制を敷く国で、イラク派兵を集団安全保障として行っているが、近年、イラク派兵の実態、特に、その活動と若者へのPTSDなどの関連が明らかになるにつれ、実態の問題点と共に、安易な「集団安全保障」としてのイラク派兵に対して、国民の間に疑問が広がっている。
憲法9条は、軍事力の行使を禁じているから、その1条だけで済んだが、軍事力の行使を認めるとなれば、そのコントロールに関しては、当然、憲法上の規定が必要になる。それが無ければ、いずれ、「統帥権の独立」で失敗した明治憲法と同様の事態に至る「可能性」さえある。
恐らく、石破茂は、こんな事には、とうに気付いている筈だ。だが、安倍晋三は、昔提起した話から、検討を進めている形跡は見えない。この段階で検討を停めているとすればバカだし、検討を進めているのだが、国民に明かさないままだなのだとすれば詐欺師の素質充分。
さて、どちらなのだろう? TPP参加についちゃ、「聖域が無い以上、参加しない」と言っていて、「聖域がある事が確認できたので、参加する」とされた。このシナリオは、当初から予想出来た事ではあるのだが、日本語の遣い方が少々おかしい様にも思えた。が、言葉は引き継いだ形になった。これは、詐欺師のやり口だろうと思うが…私は、安倍晋三が詐欺師であるよりも、「頭が悪い」のだろうと思っている口。根拠は、今までの事からの私の判断でしかないのだが。恐らく、安倍晋三は、自分を「人間的に他の人より自分は誠実だ」と思っているのではないか、と「私は」考えている。こうした自己イメージを貫徹しようとした人に野田佳彦がいる。「嘘をつかない」と云う自己イメージを何より大切にした為、2012年11月に解散する事になった訳だ。
まあ、安倍晋三が党内で勢力を拡大出来た一番大きな要因は、議員たちとの人としての付き合いだ。政治的討論の中から、ではない。そして、色んな政治的状況の中で自民党総裁に復帰し、民主党のテイタラクで首相に復帰した訳だ。政策の緻密さではない訳なんだが。
(3) アベノミクスにしても、内容は、かつて中川秀直が唱えていた内容と、大差は無い。中川秀直が国会議員を引退したが故に、今度は、安倍晋三がそれを唱える事が出来る様になったと云う、巡り合わせの要因が強い。それ故、そうは真剣に、内容が吟味されてはいない。詳細は、専門家に任せ、安倍晋三はスローガンを唱えているだけだ。
だからこそ、総裁選当初はインフレ目標を3%としており、石破茂などが、その余りの高さを批判すると、2%に下げた。その程度の代物でしかない。「異次元金融緩和」は確かにインパクトはあったが、その成果は、10〜15年ほどのスパンで評価しなくてはならない代物。「金融緩和に効果は無い」と言っていた人もいたが、多くの人は、短期的効果自体はあるだろうと見ていた筈だ。但し、反対していた人は、その長期的クロージングに問題点を感じていた。「始めるのは容易い」が、うまくソフトランディングさせるのが、結構大変な政策だって事だ。前回のバブルは、1986年頃の超円高を何とかしようと、金融緩和した挙句、1990年に不動産融資の総量規制を行う事で結構なハード・ランディングとなった。本当に不動産が値下がりを始めたのは、1994年頃になってからだったが、バブルと云うのは、最後の相場が一番大きく、そこでババを引いた者は、バランスシートが大きく傷つき(私も、その口だが)、その後の消費が抑制される。一時的な景気の良さは、その後の長い停滞を生み出す事が多い。これがバブルと云うものの、半ば宿命。意図的にバブルを起こし、それを上手く終息(収束)させるのは、かなりの名人芸なのだ。その頃には、政権の担い手は変わっているのが常だったりするが、中曽根康弘が今の「失われた20年」「失われた30年」に全く責任が無いとは、「私は」思っていない。安倍晋三は、そうした将来のリスクを見据えた上で、それでもそこへ踏み出したのだろうか? 私には、現実の数か月の「成果」を誇っている安倍晋三に、そこまでの覚悟を認める事は出来ないのだが。もし、その覚悟があるのなら、規制緩和(要は、ルール変更。ルールが無くて構わないなんて言う、まともな経済学者はいない筈なんだが…)などに、もっと真剣に取り組んでいる筈だ。
そう新たなルールの創設に熱心でもない安倍晋三を見ていると、支持率の獲得の為の経済政策って見方を否定する気にならない。「本格的ポピュリスト政権」だろう。昭和前期は、そうしたポピュリスト政権が軍部の抬頭を招く結果になった。決して、軍部だけに責任があるのではない。当時の日本国民にも、それなりの責任がある。アルゼンチンも、20世紀初頭の世界屈指の豊かな国がポピュリスト政権の中で、世界恐慌の混乱の中、ポピュリスト政権に愛想をつかした軍部がクーデターを起こすに至った。私が日本の将来に心配するのは、アルゼンチン化だったりする(サッカーだけ、着実な進歩をして…ね)。
なお、ルールの変更は、既得権を害する事になるから、反対は避けられない。参院選の後に、そうしたルール変更を行おうといとしているのか、それとも、ポピュリスト政権として腰砕けに終わるか。
何より、日本は、震災の国だ。どんなときでも、「大震災が発生したら、どうするか?」をリスク管理として念頭に置いて政策を進めなければならない環境条件がある。けれど…今のアベノミクスには、そうしたリスク管理が十分になされている様には見えない。震災は決して「想定外」の出来事ではない。新たな震災の起こらない事を願うばかりだ。
国土強靭化、結構。が、効率をUPさせる事にならない財政支出は、将来に向かって、債務を増大させる意味しか持たない。効率をUPさせる為の「投資」こそ、今の、やるべき財政支出だ。無駄遣いをしている余裕は無い筈なのだが、さて…。
なお、「国土強靭化」を「レジリエンス」で言い換えようとする動きもあるが、両者は同じものではない。「レジリエンス」は、ダメージからの回復の容易さを云う言葉で、あえて、設備をシンプルにしておいてダメージの際の回復を容易にする、って手段もあり得る訳だから。
〜 「その2」(http://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/62370207.html )に続く 〜
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